第5章

第63話:記すと示すの違い

 闇夜が閉ざす、とある場所、とある屋敷……その、とある一室。

 書斎らしきその部屋は、見る影もないほどに荒らされていた。

 何者かが押し入ったわけではない……。

 半狂乱状態となった部屋の主人あるじが、自ら当たり散らしたのだ。


「イィヤァァァ! クソッ! クソッ!! クソがぁ!!! 貴重な断章まで使ったというのに……どうして! どうして上手くいかない!」


 全身を戦慄わななかせながら、暴れ続けるローブ姿の男。

 拳を何度も壁に打ち付けながらも、左手には一冊の書物を大事そうに抱きしめている。

 部屋中の書物が引き裂かれ、破り捨てられている中、その一冊だけは特別なのだろう。

 血の滲む拳をさらに強く握りしめ、男は傍の机へと向き直る。

 無造作に机の上の物を払いのけると、そこには大陸の地図が広げられていた。


「グリスガルド……豊かな大地……恵まれた国……」


 地図の中央に描かれているのは、神聖帝国グリスガルド……その四大国の領土である。


「欲しい……羨ましい……許さない……」


 呪いの言葉を吐く男は、拳から滴り落ちる血で、記されたグリスガルドの紋章を汚す。

 その表情は、食人鬼グールの如く歪み、狂気に満ちている。

 だが、左手の書物を目にすると、その頬を緩め突然不気味な笑みを浮かべた。


「ふ……ふははは……歴史は、私の手の内にあるのだ! あの忌々しい竜の一族に……最高の滅亡プレゼントをくれてやるわ! ふは、ふはははは!」





「いや、それは遠慮するのじゃ……」

「しかし殿下……今後の安全性を考えると、やはり鎧を……」

「あんな窮屈なもの、お断りなのじゃ!」


 皇女宮にある庭園の東屋ガゼボにて、レミィはエトスの提案をさらっと拒否する。

 先日ガルボーイ戦でレミィが受けた傷は、傍目から見る分にはかなりの重症だった。

 その実、翌日には完治していたので、本人は気にも止めていない。

 だが、皇女の身辺警護を引き受ける臣下としてはそうもいかないようで……。


「ブルードさんからも、なんとか言ってくださいよ……その服じゃいろいろと危ないって……」

「いや、お嬢の動きに耐えられる鎧なんぞ、無理だぞ」


 庭園の植木を剪定しながら、ブルードは目も合わせずに即答する。

 エトスの求めた助け舟は一瞬で沈没した。

 それみたことかと言わんばかりに、レミィはドヤ顔の仁王立ちでエトスを見つめる。


「そんなぁ……でも、あの時は本当に心臓が止まりそうになったんですよ!?」

「そいつぁ姫さんの裸見たからかい?」

「ちーがーいーまーすー! 心配だったかーらーでーすー!」


 茶化すように、ラーズが横から割り込んでくる。

 目を見開いて反論するエトスの顔芸が、なんとも笑いを誘う。


「皆様、お茶のご用意ができました♪」

「お! いいねぇ……早速、俺もご相伴にあずからせてもらうかな」

「おいラーズきょ……じゃないラーズ! ちゃんと聞けよ! 殿下に誤解されるだろ、ちょっと!」


 騒がしくも微笑ましい……臣下たちの様子にレミィは満足げな表情を浮かべた。

 そして、此度その仲間に加わった、新たな一人も姿を見せる。


「ただいま、我が主人マイマスター! 子供たちの解呪は全て終わったよ」


 突然、レミィの傍に転移してきたのは、白の塔で出会ったエルフ……。

 白の四賢者すら一目置くほどの膨大な魔力と才能を有する魔導士、アズリーである。


「おお、アズリーかえ。ご苦労だったのじゃ」

「呪印ごと消し去ったからね。もう新月の影響をうけることはないはずだよ」


 相変わらず、眠っているかのように瞑られた目……いや細いのか?

 その細い目をさらに細めるような笑顔で、アズリーは状況を報告する。


「アズリー様も、こちらでお茶になさいませんか?」

「あ、フェリさん! 僕の分もあるんですか? 嬉しいです」


 フェリシアに声をかけられ、アズリーもその輪に加わっていく。

 その臣下たちの団欒を見つめながら、レミィは昨夜の出来事を思い出していた。

 そう、コデックスとの対面である。





「ふむ……さすがに見慣れたのう……」


 飾り気のない木製の調度品……そして壁一面が本棚に覆われた、大きな部屋。

 3度目の訪問となる、コデックスとの出会いの空間である。


「ようこそ、皇女殿下。ご機嫌は如何ですか?」

「うむ……今回は、聞きたいことが山ほどあるのじゃ」


 毎度の如く、コデックスは背後から突然声をかけてきた。

 だが、それも含めて予測していたレミィは、声の出どころすら目にせず応える。


「聞きたいことですか? なるほど、私が答えられる範囲であれば、お答えしましょう」

「ぬー……まずはそうじゃのう、“断章”とはなんなのじゃ?」


 人差し指を立てながら、コデックスの方へと向き直り、問いかける。

 と、僅かな沈黙を経て、言葉が返ってきた。


「そうですか、相手は“断章”を使用していましたか」


 答えというより、確認のようなもの……。

 抑揚のない口調ではあるが、そこには少し感情が含まれているように思えた。

 それは、落胆や驚きの入り混じったような感情である。


「貴様のいう相手というのが邪教徒のことを指すのであれば、間違いなく使っておったのう……まぁ、直接ではないのじゃが……」

「そうですね、今お伝えできる範囲で言えば“歴史書”の一部、断片のことです。その1ページだけでも歴史書に近しい力を有しています」

「はや? そもそも、その“歴史書”がなんなのかわからんのじゃ。これと同じようなものかえ?」


 レミィは自分のポーチから予言書を取り出しつつ、さらに質問を続けた。


「いえ、それは未確定の未来を紡ぐためのものであり、貴女が呼称している予言書の方が認識としては近いでしょう。私としては冒険書籍と呼んでいただきたいのですが」


 予言書の呼称に対し、やや不満げに感想を述べる。

 そんなコデックスの反応をしれっと無視して、レミィは続けた。


「その二つに、どういう違いがあるのじゃ? どちらも歴史を記したものではないのかえ?」

「歴史書は、確定した過去を残すためのものです。そこに記される内容は、そう“なる”歴史ではなく、そう“だった”歴史でなければならないのです」


 なんとも回りくどい言い回しだが、言っている内容はなんとなく理解できた。


「ふむ……なるほどのう。確かに、予言書の方には未来が記されておるのじゃ」

「いえ、冒険書籍にも未来は記されていませんよ?」


 互いに違う呼称を使ってはいるが、おそらく同じもの……予言書に対する評価だろう。

 だが、その認識には少し食い違いがあるようだ。


「はや? 何を言うのじゃ……少し先の出来事ことが書いてあるのは間違いなかろう?」

「いいえ、冒険書籍が示しているのは、あくまで未来の可能性であり、確定した未来を記しているわけではありません、未来は貴女が選んだ結果によって初めて決まるのです」


 ここ数ヶ月の実績から見るに、レミィの認識が間違っているとは思えない。

 だが、コデックスは頑なにその違いを主張する。


「そうですね、納得はできないかもしれません。ですが、未来が“記されて”いるのと、未来を“示して”いるのでは大きな違いがあるのです。選ばずともたどり着いてしまう未来と、選ぶことでたどり着ける未来は、違うものだと思いませんか?」

「いや……そう言われると、全く同じものではないのう……」


 淡々と語られるコデックスの言葉に、レミィもやや押され気味の様子。


「ご理解いただけたようでなによりです」

「ぬー、ではその……」


 続けてレミィが質問をしようとする。

 だが、そこで周囲の調度品は砂のように崩れ始め、空間がゆっくりと消滅していく。


「おっと、今回はここまでのようです」

「ぐぬぬ……まだ聞きたいことはあるのじゃが……」


 眉を顰めながら見送るレミィに対し、コデックスは最後に少し言葉を残した。


「過去は変えられません。ですが現在の行いで、未来は変えられます」





 コデックスの言葉を思い出しながら、レミィは予言書を手に取った。

 昨夜のうちに予言書は光を放ち、その内容を示していた。

 帝都から湖を挟んで東側の国、大陸の貿易中枢、商業大国エル・アスール。

 そこで、次々と国の要人が行方不明になっていると言う話だ。

 現れた選択肢は……。



 ■89、相次ぐ行方不明事件の真相を突き止めるべく、君は……

 A:臣下と共に、自らエル・アスールへと向かった。 →97へ行け

 B:密偵に調査を指示した。            →118へ行け



 ちょうど、先日名前を借りたミュラー商会への挨拶もある。

 特に悩むこともなく、自らエル・アスールへと出向くことに決めていた。

 ただ、今回の同行者については、少しレミィも悩んでいた……。


 ──フェリシアは確定として……あと何人連れていくかのう?


 あまり大勢で行動するのも考えもの……なにより移動手段もない。

 どうしたものかと、考えていたところで、ブルードから思わぬ言葉が発せられた。


「そうだ、お嬢。馬車は改修しておいた。この大男が乗っても8人はイケる」

「大男ってぇのは、俺のことかい?」

「あんた以外に誰がいるんだよ!」


 悩んでいたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、あっさりと解決する。

 レミィも、皆がいればなんとでもなるような気がしてきた。


「うむ、それは助かったのじゃ。明日からまた視察に向かうでのう」

「次は、どちらに向かわれるのですか?」


 フェリシアは興味津々と言った様子で、次の行き先を確認する。

 レミィは東の空を指差しながら、元気いっぱいに応えた。


「貿易の中枢、大陸全土の財と美と食が集う商業大国! エル・アスールなのじゃ!」

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