第61話:魔導と人間の可能性
その青年は優秀だった。
幼い頃から魔法の才に秀で、周囲からは神童と称されるほどの逸材だった。
自他共に認める天才だったその青年は、当然のように白の塔の門をくぐる。
そこには種族や身分を問わず、様々な魔法の知識と才を持つ者がひしめき合っていた。
そんな中でも、青年はその才を存分に発揮し周囲を驚かせた……だが。
「師匠! 聞いてください。この術式であれば、相反する性質の属性を同時に行使することが……」
「これは各属性の反射エネルギーに不安が残るね……
「師匠。この魔法は、光の届かぬ下層地下世界に陽光をもたらすというものなのですが……」
「地下か……ならばドワーフの彼らに頼んでみるとしよう」
「師匠……連層式立体魔法陣を効率的に構築する理論についてなのですが……」
「ははは……これは、ワタシが生きているうちには答えを出せそうにないね……よし、エルフの彼女に相談して……」
「もういいです!!」
──もういい……もうたくさんだ……!
──いつもいつも亜人種に頼るばかりで、自分たちでは何もしようとしない!
如何に新たな試みを提言しようとも、師にその声は届かず。
結果的にその検証は、亜人種たちに引き継がれる形となっていった。
青年には、それが我慢できなかった……。
──師匠は何を考えている……人間は、亜人種に劣るとでもいうのか……?
──属性への抵抗力か? 暗闇を見通す目か? 寿命が……短いからなのか?
「この大陸の覇権を握る種族はなんだ!? 人間だ! 数多の歴史を重ね、新しい文明を開花させた種族は? 人間だ! バラバラだった異種族間の仲介役を引き受けたのは? 今の調和した世界を築くことができたのは誰のおかげだ!? どれも人間だ! 人間がいなければ
資料を叩きつけながら、一人研究室で叫ぶ。
「全て……全て、人間あってのものだろう!」
だが、まだこの時点では、青年の心は曇っていなかった。
亜人種に対する対抗意識は、飽くなき知識への探究という形で昇華されていたのだ。
「覚えていろ……オマエらのような亜人種に、魔導士の最高峰たる地位は……渡さん!」
青年は塔の一室に篭り、ひたすら独自に研究を重ねた。
何もかもを
そこから幾年もの歳月が流れる
もはや青年は老人と呼ばれる年齢となっていた。
そして、自らの運命を決定づけることになった、“その日”が訪れる。
人間にとってはあまりにも永い時を費やし、ようやく辿り着いた研究の成果……。
その発表の場で唱えた仮説は悉く覆され、数多くの問題点を指摘された。
更には具体的な解決法や代替案、立証するための次の方策まで提示されてしまう。
それをやってのけたのは、数日前塔に来たばかりの天才……亜人種の女性だった。
青年……いや老人の心は折れた……。
──肉体的に劣り、精神面で劣り、寿命も短い……おまけに才能も追いつかない。
──努力など意味を成さず、人間として生まれた時点で、その価値が決まる……。
──なんと……なんと理不尽なことか!
自らの才能に限界を感じつつ、その胸中に芽生えた僅かな負の感情。
心の中の小さな憎悪……
そこに顕現した
やがて彼の中には、亜人種に対する憎悪の炎が渦巻くようになった。
同時に、自分は他とは違う……優れた存在であるという妄想も抱くようになる。
そう……自分は人間の上位種、
「全ての亜人種を排除する……この
「……―リス様……モーリス様?」
「う、うぅ……オマエは……アズリー?」
意識を取り戻したモーリスの目に飛び込んできたのは、いつもの従者。
半年前、モーリスが自ら白の塔に招き入れたエルフの国の異端児……。
そう、常に眠っているかのような目をしたエルフの青年、アズリーの姿だった。
「……そのお体……大丈夫ですか?」
そんな従者の穏やかな声に促され、モーリスは自分の手を見る。
水分が失われ、朽ちた枯れ枝のような腕……もはや生者のそれではない。
「ワシは……そうか……──
まるで他人事のように、己の行動を顧みて口にする。
表情を形作る筋肉は、もはやそこには残されていない。
だが、その顔はどこか穏やかな笑顔のようにも見てとれた。
「……結局……人間は……いやワシは、何一つ亜人種に勝るものはなかったか……」
「……モーリス様……それは……」
「何を言うか! このバカモンがぁ!」
アズリーが、かつての
その声をあげたのは、ドワーフの賢者だった。
「キミは本当に何もわかっていなかったようだネ……」
「ええ……呆れてものも言えません」
「ヌシは本当に! 自分が何も成すことができなかったと思っておるのか!」
ドワーフの賢者は怒りに任せ、その胸ぐらを掴んで引き摺り起こそうとする。
モーリスには、それに抵抗する力もない。
だが、言葉ではしっかりと返した。
「思って……いるとも! ワシら人間が100年と生きられんという中で、ドワーフは500年、エルフに至ってはほぼ不老不死。
「それでもっ! 儂らは……」
「それだけではないわっ!」
何事かを告げようとするドワーフの言葉を遮って、モーリスは続けた。
「ワシら人間には、暗闇を見通す目もなければ、優れた抵抗力もない。数千年に及ぶ祖先の叡智を引き継ぐ術も、血統に繋がる禁断の知恵も、肉体的も精神的にも……弱い、脆い、何も持たない、あまりに劣った存在! なぜだ!? どうして神はこのような理不尽を世界の理にした!? 人間は……人間は、なんの希望も持てない劣等種ではないか!」
アズリーがよく口にしていた、その言葉をモーリスは賢者たちに向けてぶつける。
皮肉にも、この言葉はモーリスこそが心に抱き続けていたものだった。
「どうして亜人種だけが優遇される? 人間はただ数が多いだけの実験動物だとでもいうのか!? それならば……」
「モーリス様!!!」
モーリスは、しゃがれ声で矢継ぎ早に恨み節を並べ立てる。
それを今までにないほどの大きな声で諌めたのはアズリーだった。
「すこし、落ち着いてください……」
ドワーフたちには食ってかかったモーリスも、その声には大人しく従う。
その折を見計らって、3人の賢者たちは話し始めた。
「モーリス卿……確かに我ら亜人種と人間とでは、肉体的に差異があることは間違いないでしょう」
「そこを優れていると評することにも異論はないがネ」
「だが……人間に優れているところがないと、どうして言い切れる?」
3人の賢者はその場で膝をつき、アズリーに支えられるモーリスと視線を合わせた。
威圧的に見下すのではなく、あくまで同じ目線で話す同士として……。
「それはワシが身をもって知っている……どんな新たな試みを提言しても、それらは……」
「我ら亜人種から……そのような新たな提言が出たことが、一度でもありましたか?」
「炎に脅威を感じないワタシたちが、炎への対処を考えると思うかネ?」
「暗闇を見通せる儂らドワーフが、地下で光をどうこうしようと提案すると思うか?」
「いや……そんなことは……」
今度は、3人の賢者がモーリスの言葉を遮るように食い気味で続けた。
「短く限られた寿命……だからこそ生きることに全力を尽くそうとする姿勢」
「不足を知るが故、そこに対処しようとする様々な発想」
「そして未来への礎として、後進の者のために何かを残そうとする意思」
「魔道の発展は、人間の力なしには決してありえません!」
「儂も同感だ……」
「ワタシもそう思うがネ」
3人の賢者は、皆モーリスの手を取り、頷いた。
「……そんな……ワシは……ワシは……」
モーリスの深く窪んだ眼孔に、あるはずのないものが浮かぶ。
それは、枯れ果てたその体に、もはや一滴も残されていなかったはずの……涙。
「……ワシの努力は無駄では……なかったというのか……」
「話はもう……終わったかえ?」
ようやく普段の軍服に着替え終わったレミィは、賢者たちの集まる場所に姿を見せた。
モーリスと、それを支えるアズリー以外は、皆が姿勢を正し跪く。
「姫殿下……此度の不始末は、我ら四賢者の……」
「言い訳は不要じゃ……この後のことは
賢者たちの申し開きを最後まで聞かず、レミィはその言葉を遮った。
大陸の叡智……白の塔の四賢者とは言え、宗主国の皇女に刃向かうことは許されない。
邪竜との取引に手を染めたモーリスも覚悟はできていた。
「アズリーよ」
「はい、
唐突に、レミィはアズリーに向けて話を振る。
「先ほどの窮地を救った魔法……見事であったのう。あの魔法はどこで学んだのじゃ?」
「あれは……この部屋で三匹の獣……いえ、賢者様たちを止めるためにと、このモーリス様から教えられたものです」
「なるほどのう……であれば、そこのモーリスから魔法を学んでおらねば、先ほどの窮地は脱し得なかった……ということかえ?」
わざとらしく回りくどい問いかけ。
何をしようとしているか、察したアズリーは芝居がかった言い回しでそれに応えた。
「ええ、
「な……アズリー! ワシは……オマエに……」
「ふむ……であれば、無碍にその者を罰することもできんのう……」
しゃがれ声で訴えるモーリスの言葉を聞かず、レミィはそのまま続けた。
「フェリシアよ……先の
「はい♪ おそらく対象から認識されぬように、心を操る……心術に長けた者かと思われます」
「となると……操られていた可能性も否定できんのう。エトス……被害状況はどうじゃ?」
「主に殿下自身とその衣服……あとは白の塔の一階部分ですが、これはほとんどラーズ卿が破壊したやつですね」
「ラーズ……先ほどの
「ある程度距離のあるところで……ってぇんならわかりませんがね。建物ん中で接近戦挑まれちゃあ難しい話でしょうよ」
「ぬー……これはいろいろと……悪い状況が重なっておったようじゃ」
跪く賢者たちを置き去りに、話を進めるレミィたち。
「あの……姫殿下……我々はどうすれば……?」
「うむ、決めたのじゃ」
恐る恐る問いかける賢者たちに対し、レミィは事も無げに軽く告げる。
「此度の騒動は、
「姫殿下!? それは……しかし」
「ただし……肉体的損傷の激しいモーリス卿は、その役を降り後進に譲る事……その上で一旦体を休め、以後は相談役として白の塔に籍を置くのじゃ」
賢者の称号こそ剥奪されるも、何事も無かったかのように一切の罪を問わない……。
その赦しを与える裁定に異論を唱えたのは、モーリス自身であった。
「皇女殿下! ワシはアズリーを利用し、他の賢者たちを亡き者にしようとした……今更許されるようなものでは……」
「言い訳は聞かんと言ったはずじゃのう?
自らの罪に罰を求めんとするモーリスの言葉を受けて、レミィは静かに応えた。
「貴様を師と仰ぐ者の想いを無碍にするでない……罪の意識があるのなら、生きて償うのじゃ……天寿を全うする、その時までのう」
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