第60話:真名と皆の希望

 自らを最も聡明な堕徒ダートと称した、青の使徒ガルボーイは、己が策に溺れ敗北した。

 皮肉にもトドメとなったのは、己が自慢の神器レガリア“氷華”の一閃である。

 ラーズはゆっくりと、口の中から腕を引き抜いた。

 標的を斬り刻むため、相当の勢いで飛翔してきたのだろう……。

 異形の強靭な体を盾にしてなお、その腕には傷ができていた。


「ガボッ……オエェ……」


 ようやく喉の異物がなくなったガルボーイは、そこで大量の血を吐きだす。

 それと同時に、徐々にハーフエルフの姿へと戻っていった。

 今までの堕徒ダートには見られ無かった現象だ……。


「……お前……騙しやがった……な……クソがYO……」

「人聞きのわりぃこと言うんじゃあねぇよ……テメェが勝手にそう思ってただけだぜ? それによう……」


 ラーズは左腕の動きを確認しながら、ガルボーイの言葉に反論する。


「左腕の復活まで少し時間が必要だったのは、本当だぜ?」

「へっ……へへへ……そうかYO……だけどなぁ!?」


 そのラーズの言葉に続いて、ガルボーイは突然大きな叫び声をあげた。


「最後に勝つのは、この最も聡明なる堕徒ダート……ガルボーイ様……なんだYO!」


 そしておもむろに手にした、お守りアミュレットのような物を握りつぶした。





 すでに死に体のガルボーイが、この後に及んで勝利を宣言する根拠……。

 それはラーズが問いただす必要もなく、禍々しい瘴気となって周囲に顕現した。


「これは!? まさか!?」

「……呪いが還ってきたようだネ」

「モーリス……愚かな人……」


 3人の賢者たちは何事かに気がついたようで、苦々しい声をあげる。

 レミィたちには、詳しい状況まではわかっていない……。

 だが……何がどうなって、どういう結果になりそうなのかは想像に難くなかった。

 レミィとの激戦で倒れたモーリスの体の周囲に、ドス黒い闇が渦を巻く!


 ──はやぁ……これはマズいのじゃ……。


「へへっ……死霊の王リッチに生まれ……いや死に変わるという願い……ニルカーラ様に聞き届けてもらったんだ……最期くらい役に立てYO!」


 先ほどガルボーイが握りつぶしたお守りアミュレットは……おそらく“魂の経箱”だろう。

 膨大な魔力と不死身の肉体を合わせ持つ、最高位の不死アンデッド死霊の王リッチ

 だが、全く弱点がないというわけではない。

 死霊の王リッチにならんと願う者は、死の理から逃れるために邪悪な儀式を執り行う。

 その儀式とは、魂が死後、別次元へと旅立たぬよう呪物に封じるというもの……。

 そこで己が根源たる魂を封じる呪物……それが“魂の経箱”と呼ばれる物である。

 こうして不滅の魂を得た者が不死アンデッドの頂点たる死霊の王リッチとなるのだ。

 だが、その経箱が破壊されれば死霊の王リッチは不死性を失い、直ちに崩れ去ってしまう。

 不死アンデッド不死アンデッドたらしめる呪物……“魂の経箱”。

 それこそが、唯一にして最大の弱点。

 故に、その経箱は決して人の目につく場所には置かれない。

 ある者は深き地下迷宮の奥底に……ある者は天まで届く塔の頂上に……。

 何人たりとも触れることの叶わぬ、遥か次元の彼方に隠蔽するのである。

 本来、その経箱を別の者が所持していることなど、あり得ないはずなのだが……。


「そ……そいつ程度の知識と魔力じゃ、死霊の王リッチになんかなれやしねぇ……だ・か・ら……YO……ニルカーラ様の力をお借りして、願いを叶えてやったのさ……自由を対価にな!」


 邪教徒の力で死霊の王リッチとなったモーリスは、堕徒ダートの傀儡にされたのだろう。

 そんなモーリスの亡骸を中心に周囲の魔力が収束し、さらなる闇が溢れ出してきた。


「へへ……封印してたそこの3人分……全員から搾取し続けた魔力エネルギーの還元大サービスだYO! お前らも地獄にtogetherしようぜ!」


 近くにいるだけで感じられる、よこしまな魔力の奔流。


 ──はやぁ……これは、この辺り一帯が消し飛ぶのではないかえ?


 これだけの力が解き放たれれば、塔はおろかアルバーナの3分の2は消滅するだろう。

 エトスの『──堅城鉄壁──』でも、どこまで防ぎ切れるか……。

 そもそも、ここに居る数名だけを救ったところで大惨事は免れないのだ。


「姫さん! 俺が、こいつ抱えて走るぜ! 市街地から遠ざけりゃ……」

「それはならんのじゃ!」


 珍しく、レミィはラーズの提案に強く反発する。


「そうですね……どの程度の範囲にまで、影響があるか……わかりません」


 フェリシアも、そこに重ねて応えた。


 ──わらわならば……爆心地であっても、なんとかなるかのう……。


 レミィは、先ほどのラーズの提案も、自分ならば実行できるのではないかと考えた。

 その間にも、魔力の奔流は黒さを増しながらゆっくりと広がっていく。

 躊躇している暇はないと、レミィがモーリスの元へ駆け寄ろうとしたその時……。


「お待ちください! 姫殿下!」


 ドワーフの賢者が声をあげる。


「ぬ? 何用かのう? 今は一刻を争う事態なのじゃが……」

「その魔力の奔流……消し去る方法に心当たりがあるのですヨ」

「はや!? そんなことができるのかえ?」

「ええ、この者……我らを封じしこのエルフならば、間違いなく」


 そう言って、賢者たちはアズリーの方へと目線をやる。

 だが、当のアズリーは未だ放心状態のまま、心ここに在らずといった状態だった。





「……僕に、そんな力はありません……本に書いてあった、簡単な魔法をなぞることしかできない劣等種ですから……」

「何を言うか。ヌシは儂ら3人の魔力をも封じ、魔法を全て打ち消しておったであろう?」

「それは、あの水晶があったからで……モーリス様の与えてくれた居場所があったからで……」


 再三の賢者たちの言葉にも、アズリーは否定を繰り返す。

 そればかりか居場所を失ったとして、生きる目的すら見出せない状態に陥っていた。

 あの手この手で説得を試みる賢者たちの様子を見て、ガルボーイは鼻で笑う。


「へっ……そいつは使いものにはならねぇYO……」

「ぬ!? それはどういう意味じゃ?」


 徐々に真の黒に侵食されつつある中で、不敵な笑みを浮かべながら続けて呟く。


「そいつはな……忘れちまったんだYO……大事な大事なエルフの名前……一族の誇りである氏族の真名を!」


 この世界において“名”があることは、万象差異なく重要なことである。

 道具に然り、技に然り、そして人物に然り……。

 こと一部の種族にとっては、“名”はさらに特別な意味合いを持っていた。

 エルフは、その永い生涯の中で得た知識を氏族全体で共有し未来へと継承していく。

 そしてその継承される知識や役割……宿命さだめは真名という形で神から授かる。

 単に親の姓を受け継ぐのではなく、もちろん適当に名乗ることも許されない。

 真名は、個としてのエルフの本質であり、言わば力の根源なのだ。


「そんな……まさか真名を忘れるなんてこと……」


 エルフの賢者は、信じられないといった様子でアズリーの肩にそっと手を触れる。


「……真名って何ですか? エルフに何ができるんです? 劣等種の僕に……希望なんて何もないん……です」


 そこに俯いたまま、アズリーは消え入りそうな声で呟く。

 と、その時、レミィの手にした予言書が光を放った。

 いつものように、予言が記されたのだろう……だが……。


「ならば! わらわが貴様に、その“希望”を与えるのじゃ!」


 レミィは予言書の内容を確認するよりも、アズリーに対する激励の言葉を優先した。

 中途半端な半裸の上に羽織った外套を翻し、威厳に満ちた声で高らかに宣言する。


「聖竜イリスレイドの神子みこ、レミィエール・フィーダ・アズ・グリスガルドの名の下に、汝に真名を授ける……汝、この時より、名乗るは希望ホープ! アズリー・ホープス……貴様自身が“希望”となるのじゃ!」

「希……望……? 僕が……僕自身が……希望?」


 レミィの言葉を耳にした瞬間、アズリーの頭の中で何かが弾けるような感覚が走った。


 ──これは……そうか……僕の役割、僕の宿命さだめは……!


 同時に、その奥底に眠っていた魔力が、溢れんばかりの勢いで湧き上がる。


「WHAAAAT!?」


 思いもよらぬ展開にガルボーイは奇声をあげた。


「やれやれ、恐れ入ったヨ……彼は、想像していたよりも遥かに膨大な魔力を隠し持っていたようだネ」


 有角種ホーンドの賢者は、呆れた様子で肩を竦める。

 ほんの僅かな時間だった。

 だが、その刹那の間にアズリーは、数千年分のエルフの叡智を学び得ることができた。


「ありがとう……レミィエール皇女殿下……いや我が主人マイマスター、僕は今から、貴女の……皆の希望となるよ!」


 ずっとその場に項垂れていたアズリーが、ゆっくりと立ち上がり、両手を広げる。

 先ほどまでの気の弱そうなエルフとは一線を画した、堂々とした振る舞い……。


「why why why!? バカな……なんでお前が真名を授けるなんてことが……」

「阿呆が……竜の神……聖竜イリスレイドの実子であるわらわが、真名を与えられんと思うたのかえ?」


 もはや全身が真の黒に侵食され、あとは影の中へ沈みゆくのを待つばかり……。

 歯噛みするガルボーイに対し、レミィはさらに追い打ちをかけた。


 ──ちょっと儀式、間違えたかもしれんがのう……。


 自分のミスはこっそり隠しつつ……。


「──Evenire、Dele omnia、Magicae manus、Capere! Eradicare──」


 アズリーの自信に満ちた詠唱が、周囲に響き渡る。

 3人の賢者をもってして太刀打ちできなかった、その魔法……。

 後に『──完全然消パーフェクト・イレイス──』と称されたそれは、よこしまな魔力の奔流を霧散させていく。

 同時に、朽ち果てていたモーリスの体が、僅かに生気を取り戻したようにも見える。


「俺様の……perfectな……計……画……」


 ガルボーイは、己の策が打ち砕かれる様を目の当たりにしながら影に飲まれていった。


 ──そういえば、予言書が光っておったような気がするのう……。


 レミィはガルボーイの消滅を確認した後、改めて予言書を手に取った。

 そこに書かれていた選択肢を目にしたレミィは、思わずその場でツッコミを入れる。


 ■28、氏族の名を失ったエルフの青年に対し、君は……

 A:何も言ってやることができなかった。 →14へ行け

 B:新たな“希望”を与えた。 →88へ行け


「ちょっと、出来過ぎなのじゃ……」

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