第59話:神器と花弁の役目
氷の花も散りきって、少しずつ周囲の温度が常温へと近づいていく。
エトスは、目の前で起きた出来事を改めて確認した。
「え? 何が起きたんです? っていうかラーズ卿! 今の氷のアレ、なんともないんですか?」
「いや、すげぇ冷てぇし痛ぇよ」
その言葉に、ラーズは振り返ることなく答える。
全身に薄く張り付く氷の花弁……そして幾つもの裂傷がそのダメージを物語っていた。
如何にラーズが屈強なルゼリア人と言っても、種族としては人間である。
当たり前の話だが、人間に炎や氷といった属性攻撃に対する耐性はない。
レミィのように、全く無効というわけではないのだ。
ただ、それだけのダメージを受けてなお、立っているという事実は揺るがない。
「まぁ、それなりにゃあ効いたが、あのジョルティってぇ奴の一撃に比べりゃあ、たいしたこたぁねぇな……」
ラーズは手にした鋭利な水晶の刃を無造作に投げ捨てる。
部屋の中に、キンキィンと甲高い音が鳴り響く。
ガルボーイが“氷華”と呼んだこの刃物は、飛刀と呼ばれる暗器に酷似していた。
ただでさえ小型で視認することも難しいのだが、これは材質が透明な水晶である。
さらに隠密性が高く、回避することは難しいだろう。
ましてや氷の花弁が舞い散る、あの嵐の中では簡単に発見できるようなものではない。
少なくとも、常人には……。
「unbelievable……なんで、初見であれが見切れんだYO……」
ガルボーイは、目の前の出来事が受け入れられないと言った様子で絶句する。
「あの姫さんが、氷片程度で怪我ぁするわけゃねぇんだ……となりゃ、それなりに何か仕掛けがあるってなぁ想像に難くねぇ」
ラーズは右手だけで、全身に降りかかる火の粉ならぬ氷の粉を払いながらそう告げた。
「で、フェリシアさんのアドバイス……7箇所だけの怪我ってぇんなら、7つ……何かしらの飛び道具でも使ってんだろってなぁ……」
「そ……それだけかYO?」
「ああ、あとは勘みてぇなモンだ」
愕然とするガルボーイに対し、ラーズは
「そんな……そんなことが……あってたまるか……!」
逆上し、飛びかかるガルボーイを、ラーズは閃く右手の拳で撃ち落とす。
──
常人の目には見えない、高速で放たれた正拳が異形の全身を何度も打ち据えた。
鱗のようにも見える堅牢な外皮が、瞬く間に歪み、砕かれていく。
「グギャァァァ!」
「相変わらず、
「ガボッ……my god……
吐血と共に、ガルボーイはその身をくねらせ、のたうちまわる。
「まだ終わらねぇぜ?」
──
珍しくも、ラーズはスピードを重視した連撃ではなく、重い一撃の技を披露した。
強く踏み込んだ右足から、周囲を揺るがす衝撃が広がっていく……。
そして、真っ直ぐに伸びた右の拳は、相手の顎を捉え粉砕する。
「アゴッ……!!!」
部位の名称なのか悲鳴なのか、よくわからない叫び声を上げる異形の者。
一方的なラーズの猛攻……それを見たエトスと賢者たちは、安堵の表情を見せる。
だが、やや不自然なその状況に、レミィは違和感を覚えた。
──はやぁ? ラーズの奴……なぜ左手を使わんのじゃ?
視覚的にも派手な氷の嵐を発生させ、そこに透明な水晶の飛刀を撃ち、斬り刻む……。
ガルボーイの技、『──
その技に使用する
そこからは一方的な攻撃が続いた。
もはや周囲の誰もがラーズの優位を疑わない状況だろう。
だがラーズ自身の考えは少し違っていた。
全神経を研ぎ澄まし、この
「どしたよ? テメェの手品は、あれだけかい?」
わかりやすい言葉でガルボーイを挑発しながら時間を稼ぐ。
確かに、技自体は見切ったと言える……。
だが、あの
交差した腕を広げた際に投げたとして、どうしてレミィだけが攻撃対象となったのか。
その条件がまだ、わかっていない。
「ペッ……へへへ……なんだYO……何に警戒してんだ? 騎士サマYO!?」
口の中に溜まっていた血を吐き捨てながら、ガルボーイはゆっくりと身をもたげる。
歯も自慢の
「sorry sorry……そうじゃない。左手が凍傷で動かねぇから、時間稼ぎしてんだよな? カッコつけて真っ正面で喰らってんだから、そりゃそうなるだろYO! idiot!」
不揃いな歯を剥き出しにして、魚とも爬虫類ともつかない顔が不気味に笑う。
確かに先ほどからラーズは右手だけ……全体的に左半身を使った動きを見ていない。
「へぇ……そこに気づいたのかい?」
「余裕かましやがって、お前……dead lineギリギリだろうが……YO!?」
形勢逆転とばかりに息巻くガルボーイは、にじり寄って間合いを詰める。
そのまま、その長い体で周囲を取り囲むようにして、ラーズを孤立させた。
もし左手……最悪左半身が動かないというのならば、この状況はあまりよろしくない。
「で、殿下! ラーズ卿が……」
まだ中途半端にしか着替えていないレミィに対し、エトスは縋るような声をかける。
だがレミィには、不思議とこの状況が危機であるようには見えていなかった。
「はーい♪ 御髪も整えますね♪」
呑気にレミィの髪を整えるフェリシアの声が、ますます危機感を遠ざける。
「いや、フェリシアさんも! あのラーズ卿がピンチなんですよ!」
エトスは、その肩を掴み、ラーズの置かれている状況を見るように促す。
少し驚いた様子で、フェリシアはエトスが指差す先に目を向ける。
と、人差し指を口に当てて、不思議そうな顔で応えた。
「全然……ピンチには見えないのですが?」
蛇状の長い体が描く円……ラーズは、その中心に立たされていた。
──相手は左手……いや、左半身がnon-moving……。
それがわかっているのならば、左右から同時に攻撃すればよい。
如何に達人であろうと対処することは難しいだろう。
たとえ対処できたとしても、そこには隙が生じるはずだ。
誰であれ、そう考え、そう行動するだろう。
もちろんガルボーイも……。
「騎士って奴はたいへんだなオイ……勝てそうにない状況になったとしても、逃げ出すことを許されてねぇんだからYO! 同情するYOHOHOI!」
距離をとっていたガルボーイが、奇妙な雄叫びと共に飛び掛かる。
上半身は右手側、そして無力と看做した左手側には、尾の一撃を浴びせていく。
万全状態のラーズであれば、左右からの同時攻撃などものともしないだろう。
だが今の状況では、それも断言できない。
──
閃く右の拳が、迫り来る異形の上半身へと叩き込まれる。
ガルボーイは両手の爪を交差して、完全防御の体勢でそれを堪え切った。
──本命は尾の一撃……って、そう思ってるな? 思ってるYOな?
自称最も聡明なる
尾の一撃も、おそらくこの大男には致命傷にならない。
忌々しいが、自分の身体能力のみで打ち倒すには、ラーズは格が違いすぎる。
そう判断したガルボーイは、どうすればこの猛き闘士が沈められるかを考えていた。
結論は……
氷の花弁舞う中で、ラーズは水晶でできた“見えない刃”を掴んで見せた。
だが、おそらく“氷華”の持つ真の能力には気づいていないはずだ。
その花弁が張り付いた部位を自動的に攻撃する
「left sideがお留守だYO!」
わざとらしく煽りながら、尾の一撃は足元に当てていく。
せっかく左腕に張り付いている標的の印……氷の花弁を避けたのだ。
──OK! 視線を下げたその瞬間、“氷華”は自動で、お前にHIT……。
「なるほど……“両手の爪を交差”したら、自動的に相手に向かっていくってぇわけかい」
「WHAT!?」
ラーズは不敵な笑みを浮かべながら、愕然とするガルボーイに視線を合わせる。
そして尾の一撃を左足で防ぎながら、右手で異形の喉元を掴んだ。
水晶の刃は、すでに標的を捉え、高速で飛翔を始めていた。
その巨体からは想像もつかないような身軽な動きでラーズが跳躍する。
ちょうど掴んでいたガルボーイの体を支えにして、逆立ちするような形になった。
「軌道からすると左手……ってこたぁ、こいつぁなんか印つけた場所を狙ってやがんのか?」
「WHY!? なんでそこまでオボッ! オエェ!」
そして動かないと思われていた左手の手刀を、ガルボーイの口の中に差し込んだ。
喉の奥まで深く刺し貫くその剛腕は強烈な嘔吐反射を引き起こさせる。
“氷華”の射程内で標的となっていた氷の花弁……。
ラーズの左腕に張り付いていたその印は、異形の喉元へと差し込まれた。
神が鍛えし
標的を逃さず、斬り裂くために、容赦無くその刀身を突き立てていく。
「(NOOOOOOO!!!)」
口を封じられたガルボーイは、声にならない悲鳴をあげる。
喉元から胸元にかけて、深々と突き刺さる水晶の刃……。
刹那の攻防……レミィには下着を穿き替える時間すらなかったようだ。
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