第57話:神器と初めての大怪我

 改めてレミィの方へと向き直ったエトスの目に、信じ難い光景が飛び込んできた。

 多少の冷気、生半可な斬撃では、レミィの外皮はびくともしない。

 たとえそれが不意打ちであっても、おそらく傷一つ付けることはできないだろう。

 だが、今回はそういうわけにもいかなかったようだ。

 全方位から襲いかかる氷の花弁が、容赦なくレミィの全身を斬り裂いていく。


「で、殿下ぁぁぁ!?」


 エトスの悲痛な声がこだまする。

 もし飛散した花弁が、ただの氷片であれば、ここまでの効果はなかっただろう。

 副次的な効果は別として、神器レガリアでの直接攻撃はレミィにも効果がある。

 実際、過去にクラスニーの刺突、ジリオンの殴打からはダメージを受けていた。

 ただ今回、ガルボは神器レガリアらしきものは手にしていなかったのだが……。

 漂っていた氷の花……あれ自体が神器レガリアなのだろうか?


「殿下っ!? ご……ご無事ですかぁ!? 殿下ぁ!!」


 まだ、わずかに残る氷片の煙が漂う中、その詳細な様子は窺えない。

 いずれにせよ、相当のダメージを受けているのは間違いないだろう。

 エトスは、すぐにでも主人あるじの元へ駆け付けたいという気持ちでいっぱいだった。

 だが、目の前の堕徒ダートはそれを許さない。

 この場を離れた瞬間に、この異形がどんな行動に出るのかは、わからないのだ。


「はやぁ……酷いことになったのじゃ……」


 そこに、聞き慣れた呑気な声が聞こえてきた。


「殿下!? ご無事でしたか!」


 エトスはガルボの動きに警戒しつつ、チラリと横目にレミィの姿を捉える。

 そこで目にしたのは、二重の意味で目を覆いたくなるようなあられもない姿だった。

 あくまで商人として振る舞うために、身につけていたドレス。

 その強度は、普段身に纏う軍服とは比べるべくもない。

 そんな衣服がダメージを受ければどうなるか……答えは簡単だ。

 そう、今のレミィには薄絹一枚すら残されていない。

 紛れも無い、素っ裸である。


「って……ぶはっ……殿下、しゃがんで、ちょっとそこで待っててください!」


 まだ氷片の煙が晴れきっていなかったのは、不幸中の幸いだった。

 でなければ、エトスが即死だっただろう。

 そして、目を覆いたくなったもう一つの理由はその傷だ。

 咄嗟に防いだのか、顔と髪にはあまりダメージがあるようには見えない。

 だが、それ以外の場所には無数の傷跡が残っており、流血も確認できた……。

 痛々しいその姿は、まるで血を纏っているかのようにも見える。


「さすがに、これを完全に治癒するには、時間がかかりそうじゃのう……」

「殿下! しゃーがーんでー!」


 その凄惨な見た目に反し、レミィは至って平常運転だった。

 自らの傷を確認するかのように、くるくると回りながら呑気に振る舞っている。

 対してエトスは、早々の対処を懇願する。

 そこで、僅かに目線が逸れてしまった。


「hey! 偽竜にhitは好都合! 雑魚には用もnothing!」


 その隙をついて、ガルボはエトスの横をすり抜け、レミィの元へと向かう。

 多少なりともダメージを受けている相手に、追撃を加えるのは当然の思考だ。


「しまった! 殿下、そっちにっ!」


 エトスが気づいた時には、すでにガルボはレミィの傍にまで隣接せんとしていた。





 志を同じくする者だと信じていた仲間に裏切られ、虚無の空間へと封じられた3人。

 賢者たちには、目の前に現れた異形の者……堕徒ダートの正体がわかっていなかった。

 わかっているのは、その異形の者が、自分達も含め皆を亡き者にしようとしたこと。

 白い鎧を纏った帝国の騎士たちが、それを防いでくれたこと。

 そして、その騎士の主人あるじたる帝国の皇女が、今窮地に陥っていること。

 それだけだった。

 だが、それだけわかれば、ある意味十分。

 今、やらなければならないことは、明確だった。


「相手は氷だ……ヌシならいけるか?」

「あまり魔力は残っていないのだけどネ ──顕現せよ、燃え盛る炎、聳え立つ壁、火炎障壁ファイアウォール──」


 まるで詩でも詠んでいるかのような、流麗な詠唱。

 そこから紡がれた魔力は業火の壁となって、異形の者の行く手を阻んだ。


「oops! これは流石に予想外だYO」


 ガルボの読みでは、3人の賢者に余力は残っていないはずだった。

 少なくとも3ヶ月近く、水も食料もない……全く虚無の世界に捕えられていたのだ。

 いくら魔導士の最高峰と称される彼らでも、無事では済むまいと……。

 この場に出戻ったところで、さして驚異にはならないだろうと高を括っていた。


「OK! すぐにretarget! まずは、お前たちからmurderize!」


 ガルボは、その燃え盛る炎の壁の直前で身を翻す。

 そして、すぐさま3人の賢者へと矛先を変え、うねる体をもたげて飛びかかった。





 レミィは、過去に類を見ないほどの大怪我を体験し、少しばかり驚いていた。

 しかも、このタイミングで堕徒ダートは自分を標的に定めたようだ。


「ふむ……これはちょっとマズいかもしれんのう……」


 おそらく、この堕徒ダートも何かしらの神器レガリアを所持しているはずだ。

 だが、今のところその正体はわかっていない。

 相手の手札がわからないまま、この状態で戦うのは少々危険だろう。

 とはいえ、こうしている間にも、堕徒ダートはこちらに襲いかかってくるかもしれない。

 いやむしろ、襲いかかってきた!


 ──判断が早いのじゃ……。


 レミィは、その一糸纏わぬ姿のままで戦闘体制を取ろうと構え直す。

 と、そこに突然、襲いかかる堕徒ダートと自分を隔てるかのように、炎の壁が姿を現した。


「はやっ!?」


 現れた炎の壁は、陽炎を漂わせながら、室内の調度品や書物を焼き尽くしていく。

 幻覚ではない……紛れも無い炎がここに壁として存在している。

 すぐそこまで迫っていた堕徒ダートも突撃を止め、その身を翻す。

 その行動に、レミィは少しだけ違和感を覚えた。

 だが、そこで何かを考える間も与えず、すぐ傍に落ちていた予言書が光を放つ!


 ──はやぁ……此奴、あの攻撃でどこも破れておらんのかえ……。


 まるで何事もなかったかのように、傷一つない予言書を手にする。

 と、今回はいつものように、自動的に読むべきページが開かれていった。



 ■108、少しばかり、傷を負った君は……

 A:“剣”に後を託した。 →28へ行け

 B:“盾”に後を託した。 →131へ行け



 パッと見ただけでは、意味のわからない選択肢だった。


 ──ぐぬぬ、抽象的な言い回しなのじゃ……。


 しかも、この選択肢には自分で戦うという選択肢が記されていない。

 ここは誰かに託せ……と予言書は告げているのだ。

 だが、ここでレミィが後を託せるような者など限られている。


 ──盾……と言って、真っ先に浮かぶのはエトスかのう……剣……剣かえ?


 現時点で盾をエトスとするならば、剣となる者はだれか?

 言わずもがな、おおよその答えはレミィの中にもあった。

 たとえ今この場に在らずとも、その“剣”ならば、どうにかするだろう。

 そう考えたレミィは続きも読まず、“剣”に託すことを決め、予言書を閉じた。


「そうじゃのう……今回は、貴様に任せたのじゃ……」





 ガルボは鋭い爪の生えた両の手を広げ、3人の賢者に襲いかかる。


 ──all right! これで、あの使い魔はこいつらをguardするだろうYO!


 だが、それは見せかけの攻撃……。

 彼の本当の狙いは、いつどこで狡猾な動きを見せるかわからないフェリシアだった。

 おそらく皆の目は、両手の爪にいっていることだろう。

 そしてガルボの予想どおり、エトスはしっかりと3人の賢者の前に割って入った。


 ──foolish! ここで侍女メイドはgoodbyeさよならお別れdeath!


 そのままフェリシアが堕徒ダートの尾に貫かれ……るかと思われた、その刹那!

 このタイミングで、大きな音をたてながら天井が崩れ落ちてきた。

 レミィの力技に堕徒ダート固有の技、そしてトドメは──火炎障壁ファイアウォール──。

 いつ崩れてもおかしくないほど、この部屋は凄まじい衝撃を受け続けていたのだ。

 崩落するのも不自然ではない。

 そして偶然にも、その崩落した天井は、ちょうどフェリシアの前に落ちてきた。

 まるでガルボの死角からの攻撃を防ぐかのように……。


「bullshit! 運まで味方するとはYO ……お?」


 独特の口調で罵りながら、ガルボはフェリシアの方をゆっくりと見やる。

 と、そこに在るのは天井の建材……ではなかった。


「What’s! なんだYO……お前……?」


 そこには、一般的な成人男性のおよそ1.5倍近くはあろうかという大男が立っていた。

 渾身の一撃を、いとも簡単に受け止められたガルボは、驚きを露わにする。

 そんなガルボを威圧するかのように不敵な笑みを浮かべつつ、大男が口を開いた。


「随分と好き勝手やってくれたみてぇじゃあねぇか?」

「ラーズ卿ぉぉ!」


 険しい表情で構えていたエトスが、歓声とも悲鳴ともつかない声を上げる。

 フェリシアも、すっかり警戒を解いてレミィの着替えを用意し始めた。


「HEROは遅れて登場かYO! そいつは……グァルボッ!?」


 ガルボが何かを言おうとした瞬間、ラーズは首を掴んでその場に捩じ伏せる。


「ウルセェよ……遅れてきた分フラストレーションがたまってんだ……ちょいと、俺の怒りに付き合えよ!」

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