第56話:断章と氷の花

 塵と化した水晶……それを見て狼狽えたのは、ガルボとモーリスだけではない。


「あぁぁ! 僕が……僕が唯一、必要とされていた……居場所が……」


 ここまで呆然としていたアズリーが、そこに反応を示した。

 水晶があった場所を見つめながら、虚空を掴むようにして力無く項垂れる。

 フェリシアは、そんなアズリーの肩をそっと支えた。

 その視線の先、粉末状態となった水晶の周囲には、なにやら淡い光が漂っていた。

 何事かと目を凝らすと、その光は強く輝きを放ち、瞬く間に人の姿へと変化する。

 それは、虚無の空間から抜け出した3人の賢者の姿だった。

 やっとの思いで脱出した3人を待ち受けていたもの。

 それは混沌とした世界である。


「やれやれ……いざ、外へと舞い戻ってみれば……」

「これは、何がどうなっているのかネ」


 封印されていた3人の賢者たちは、目の前に広がる自由な光景に困惑する。

 短剣を構えたハーフエルフと対峙する白い鎧の騎士。

 項垂れるエルフを介助する侍女メイド

 そして、地団駄を踏む死霊の王リッチと、その目の前にいるのは……。


「二人とも! アレを見よ!」

「なんと、姫殿下!? どうしてこんなところに!?」


 レミィの姿を確認した賢者たちは、ますます状況が掴めなくなった。


「あの死霊の王リッチは……まさかモーリスかネ?」


 だが、変わり果てた、元四賢者の姿には気付いたようだ。


「アァ……オまえらぁ……やはり生きていたか、しぶとい亜人種どもが!」


 封じられていた3人の賢者を解放してしまうという、痛恨の失態。

 自ら犯した過ちは、自ら責任を取らねばならない。

 どうせ目の前の小娘は、影の下僕に行く手を阻まれ、身動きもできないだろう。

 と、モーリスはレミィのことを後回しに、まずは3人の賢者を無力化しようとする。


「シに損ないめ! ワシ自ら、ここで引導を……」


 その判断は、大きな間違いだった。


「死に損ないは、貴様なのじゃー!」


 掛け声と共に、レミィは高速で駆け出した。

 広げた右手に、ひしめく下僕どもを抱え、猛烈な勢いでモーリスへと突進する。

 通過点に居た者は皆、くの字に折れ曲がった状態で引き摺られていった。

 これには対処も何もあったものではない。

 モーリスは急ぎ防御体制を取るが、レミィの狙いは直接打撃ではなかった。


「これ以上、好き勝手に魔法を使われても面倒じゃからのう……貴様には一旦、リタイアしてもらうのじゃ」


 レミィは、影の下僕とモーリスを右手に抱えたまま、部屋の壁の方へと直進する。


「ナに!? いや、ちょっとオボアェ……」


 その死霊の王リッチの朽ちた身が、風圧で崩れるほどの凄まじい勢いで駆けていく。

 そして最後には、右手を突き出すようにして、モーリスたちを壁へと押し付けた。

 下僕ともども、モーリスはその壁にめり込む勢いで、背面から撃ちつけられる。

 ドゴンッと大きな音をたて、地下全体を揺るがすほどの振動が広がっていった。

 もし今のモーリスに内蔵がしっかり入っていたなら、またも嘔吐タイムだっただろう。

 腰から背骨、肩甲骨にかけたあたりの骨は、完全に砕けてしまっている。


「グあ……オマエは……何……者……」

わらわは、ただの宝石商……と言って信じるのかえ?」


 そんなレミィの言葉に応えることもなく、その眼窩の赤い光は失われていった。





「まずは、その侍女メイドから殺すべきでした。こんな使い魔を相手しているうちに、この私が出し抜かれるとは。いや、私がここまでお膳立てしているにも関わらず、あの無能な魔導士が全く使えなかったことがそもそもの原因であり、私の計算になにかミスがあったというわけではないでしょう。そう、こんな事態になったのはあの魔導士が使い物にならなかったからであって、ニルカーラ様の恩寵あるこの私が失敗するなんてことはありえない。うんそうだ、ありえない、私は、私は、間違っていない!」


 ガルボは、早口にブツブツと何事かを呟く。

 全ては聞き取れなかったが、どうやら自分は正しいという結論に至ったのだろう。


「おい、あのおっさんも殿下……じゃない、お嬢さまに制圧されたみたいだぞ。おとなしくおまえも……」

「うるっさいな! 使い魔風情が口出しすんなよ! 私は間違ってないんだよ! お前なんかに……お前なんかに……負けるかYO!」


 エトスに諭されたガルボは、焦点の定まらない目で、突然狂ったような大声を上げる。

 と、胸元で青緑色の光を放つのは、見慣れてしまった、あの不気味な紋様……。

 そして、そのまま蛇のように体をくねらせながら、その身を変化させていった。

 口は大きく裂け、魚類と爬虫類の中間のような顔が浮き上がってくる。

 全身は鱗に覆われ、両腕の先には鉤にも鎌にも見える尖った爪が生えていた。

 下半身は太った蛇のような姿で、形容するならば蛇人間……といったところだろうか?

 エラなのか羽なのか、特徴的な皮膜が全身を飾り立てている。


「え……フェリシアさん? まさか……これ……」

「ええ、その方は、堕徒ダートですよ♪」


 衝撃の事実に、エトスの目は点になる。


「そういうことは、早く言ってくださいよ!」


 途端に真剣な表情で盾を構え直すと、ガルボから少し距離を取った。

 次に起きるかもしれない最悪の事態を予測しながら、改めて相手の出方を窺う。

 今までの堕徒ダートの思考や行動パターン……そこから導き出される次の一手。

 追い詰められ、真の姿を晒した堕徒ダートが取る行動……それは!


「全部resetやりなお死! すぐcontinueで再挑戦!」


 妙なテンポで言葉を発しつつ、ガルボはその鉤にも鎌にも見える両手の爪を交差する。

 と、部屋の至る所に、小さな氷の礫が突如として現れ出た。

 蕾のようにも見える氷の礫は、ゆっくりと宙空を漂いながら、その数を増やしていく。

 それと同時に、周囲の温度は急激に低下し始めていた。

 吐く息が白くなり、部屋の中に霧のようなものまで立ち込める……そして……。


「死んどけ使い魔 ──禍傷・氷華かしょう・ひょうか!──」


 ガルボの声に合わせ、全ての蕾が、まるで開花するかのように広がって……飛散した!

 散華した氷の花弁は、周囲のありとあらゆるものを貫き、切り裂いていく。


 ──っと、流石にこれはまずい!


 エトスには防御の切り札があった。

 自分を中心としてドーム状に障壁を展開する ──堅城鉄壁──。

 これならば全方位の攻撃に対応できる。

 ただ……今ここで、それを展開しても、レミィの居るところまでは届かない……。

 先の実戦で、だいたいの効果範囲を把握していたエトスにはそのことがわかっていた。

 だが、エトスは迷わず、その場で盾を起動する。


「最善より最適! それが最良! ──堅城鉄壁!──」


 フェリシアとアズリー、そして3人の賢者を守るように光の障壁が展開されていく。

 堕徒ダートが放つ、固有の技……その凄まじい衝撃に耐える、鉄壁の防御。

 その障壁に阻まれ、砕け散った氷の花弁は青白い煙となって、部屋中に充満した。


「あああ!? なんだYO!? これは、どういうことだYO!」


 やがて煙が少し晴れてきたところで、ガルボは予想外の結果を目にすることになった。

 一番中央で、全方位から斬りつけられたはずのエトスが、ほぼ無傷で立っている。

 当然、その障壁に守られていたフェリシアとアズリー、3人の賢者も全くの無傷。

 一瞬の躊躇が死を招くこの窮地を、無事に乗り切ったのだ。


「よぉし! こっちは大丈夫です! 殿下は!?」


 この程度でレミィがやられるわけはないだろうと、エトスは確信していた。

 とはいえ放たれたのは、あの堕徒ダート固有の技である。

 背後に居る全員の無事を確認したエトスは、慌ててレミィの方へ声をかけた。





 なにやら不穏な声が、背後で響いている。

 というか、明らかに禍々しい気配が突然現れた。


「ぬ? 新手かえ?」


 モーリスを撃退したレミィが振り返ると、エトスの前には異形の者が立っていた。

 立っていた?

 いや下半身が蛇である以上、首をもたげて……いやいや、上半身は人型っぽいし……。

 そんなどうでもいいことを考えながら、改めて異形の者を吟味する。

 その禍々しいオーラ、特異な外見……おそらく堕徒ダートに間違いないだろう。


 ──視界内の者を確認する限り、おそらくあれは元ガルボじゃのう。


 レミィは適当に目星をつけると、エトスに加勢すべく、その場を離れようとした。

 と、そこで予言書の入ったポーチが再び強い光を放つ。

 まるでレミィを引き留めるかのように……。


「はやぁ……そういえば、さっきも光っておったような気がするのじゃ……」


 明らかに交戦中の余裕もない中で、レミィは仕方なく予言書を取り出した。

 だが、いつものように自動でページが開かれない。


「ぎにゃぁぁぁ! この非常時になんなのじゃ!?」


 思わぬ事態に何事かと慌てていると、モーリスの胸元から一枚の紙片がこぼれ落ちた。

 “断章”と呼ばれたその紙片は、予言書と共鳴するかのように光を放ち、浮かび上がる。


 ──ぬ? これは……。


 レミィはそれを手にしようとしたが、紙片はそのまま光の粒子となって消えてしまう。

 それと同時に、予言書の光は穏やかに収まっていった。


 ──はやぁ? これはどういうことなのじゃ?


 事態を理解できていないレミィは、その場で予言書を何度も確認する。


 ──次にコデックスに会った時には、確認せねばならんのう……。


 などと考えながら、ポーチに予言書を仕舞う。

 そこで、ようやくレミィは、急激な温度の低下に気がついた。


 ──禍傷・氷華かしょう・ひょうか!──

 ──堅城鉄壁!──


 背後で、ガルボらしき者の声が聞こえる。

 同時にエトスの声も聞こえた。

 その時には、すでに遅かったようだ。

 レミィは部屋の中に飛散する、氷の花弁の直撃を全方位から受けることになった。

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