第55話:射線と水晶の檻

 リッチ……古い言葉で“死体”を意味する不死の魔物アンデッド

 定命なる者が己の命を繋ぎ止めるため、死せざる死を受け入れた存在……。

 邪なる魔導士、あるいは邪教の司祭が目指す、ひとつの終着点とも言える。

 それは、生命いのちことわりと引き換えに、力を欲した哀れな存在……。

 同時に、相当高位の術者でなければ、辿り着くこともできない強力な存在だ。

 その膨大な負の魔力が、今まさにこの地下の一室を覆い尽くそうとしていた。


「ここまでの力を持っていながら、つまらん愚行に走る理由が、ようわからんのう……」

「アあ、わからんだろうな……オマエのように、若さを謳歌している小娘には」


 レミィの一言に、死霊の王となったモーリスが応える。

 最早、その骨と皮だけの顔からは、表情というものは読み取ることができなかった。

 だが、歯をカタカタと鳴らすその口は、嗤っているように見えなくもない。


「ソの容貌に身体能力……神に愛され、生まれながらにして“持っている”オマエのような者には、何も“持たざる者”の気持ちなどわかるはずもあるまい!」

「ぬ? まぁ素体は生まれ持ったものじゃが、それを維持するにも努力は必要なのじゃ」

「ヤかましい! 恵まれた者の戯言など聞く耳もたぬわ!」


 いうが早いか、モーリスは手にした杖で、レミィを薙ぎ払う。

 枯れてやつれた、屍の如き身体からは想像もできないほどの速度……。

 その身体能力も、先ほどまでのものとは一線を画している。

 レミィはバク転で身を翻し、間合いを取った。


 ──これは、想像以上に強化されとるのじゃ。


 その小さな体に圧縮された膨大な質量が、地下全体を震わせる。


「サぁ! 天上王ハイロードの威光にひれ伏すがいい!」


 不気味に反響するくぐもった声で、モーリスが吠えた。

 その声に応えるように、周囲から闇に溶け込む影のような生物が無数に姿を現す。


「これは……死霊レイスでは無さそうじゃのう……」

「ゲ僕ども! その小娘を近づけるなよ……ワシが詠唱を終えるまでな! ──顕現せよ、破壊する力……」


 散々詠唱を邪魔されたモーリスは、湧き出た下僕どもに足止めを命じた。

 さすがのレミィも、そこにひしめく影たちを掻い潜って懐に入り込むことはできない。


「……原初の魔力、全てを壊せ……崩壊ディスインテグレーション──」


 刹那、その指先に集中した禍々しい魔力の光線が、レミィに向かって放たれる。

 モーリスは凡ゆる計算をした上で、この魔法を選んでいた。

 身体能力の高いレミィに普通の魔法を撃ったところで、簡単に避けられてしまう。

 ならば……避けられない状況を作れば良い。

 そう、奥に居る侍女メイド……フェリシアを射線に含めば良いのだ。

 なにやら騎士っぽい使い魔も呼び出されたようだが所詮は使い魔、物の数ではない。

 この勘の鋭い小娘……レミィであれば、背後の従者の危機にも気づくだろう。

 そこまで計算して、この直線上に放たれる攻撃魔法を選んだのだ。


 ──コれを避ければ侍女メイドは死に……避けねば小娘、オマエが死ぬ!


 モーリスは勝利を確信し、高笑いの骨の音を響かせる……はずだった。


「ナ……に? あの侍女メイド……どこに行った!?」


 確かに詠唱の寸前までは視認していたフェリシアの姿を、モーリスは見失ってしまう。

 視線を切ったのは、ほんのわずか……瞬刻にすぎない。

 だが、モーリスとレミィを結んだ射線の先に、フェリシアの姿はなかった。

 むしろ、その射線上にはあってはならない物が……モーリスの視界に入っていた。

 当然の如く、真っ向から放たれた魔法はあっさりとレミィに回避されてしまう。


「グアァァァ、いかん! 避けるなっ!!」

「いや、避けるじゃろ?」


 だが、いくら叫ぼうとも一度発動した魔法が還元されることはありえない。

 たとえ術者本人であっても、解呪ディスペル反射カウンター以外に止める方法はないのだ。

 ドシャッと、大量の砂をばら撒いた時のような粒子の摩擦音が虚しく残る。

 ……光線は、背後にあった、その“何か”を灰燼と化した……。





「さて、使い魔くん……お相手をお願いしようかな?」


 ガルボは、先ほど弾かれた短剣を構え直し、手招きするように挑発する。

 その立ち居振る舞いは、さながら一流の暗殺者だ。


「こんにゃろ、感じ悪いガキだな……あ、ハーフエルフだから、見た目より年上なのか」


 その実、相手は堕徒ダートなのだが、エトスはその事を知らされていない。

 今まで目にしてきた堕徒ダートは皆、奇抜で個性的な外見の者が多かった。

 それに比べれば、ガルボの外見的特徴は髪色が蒼っぽいくらいで地味なものである。

 言われなければ、気が付かないのも致し方なしといったところだろう。


「どう見積もっても、その技量では、私の相手が務まるとは思えないのだけど……まぁいい、さっさと片付けてあっちのお嬢さんをなんとかしないとね」


 言うが早いか、ガルボは流れるような動きで間合いを詰め、高速でダガーを振るう。

 対するエトスは反応が遅れたのか、微動だにしないまま、その連撃を受けた。

 幾度も金属を叩きつける音が、部屋の中に鳴り響く……。


「へぇ……挑発にも乗ってこないし……思ったより肝が据わっているね、使い魔くん」

「はいはい、丈夫で長持ち使い魔くんですよ!」


 エトスは、軽口を叩きながらガルボの攻撃を受け切った。

 まさか相手が堕徒ダートだとは思ってもいないだろう。

 だが、その余裕が功を奏したか、鎧の防御力を活かし、うまく立ち回っている。

 敵の正体を知っていたら、もうすこし及び腰になっていたかもしれない。


 ──まぁ、殿下があのおっさんを片付けるまでの時間稼ぎなら、大丈夫そうだな。


 そう考えていたエトスの前で、フェリシアが思いもよらない行動に出る。


「アズリー様、ここは危ないです……少し離れましょうか」


 交戦状態のガルボとエトスの間に、不用意にも入り込んできたのだ。

 そのまま呆然とするエルフの青年……アズリーの腕を引いて間を横切ろうとする。


「ええい! なんのつもりですか、この侍女メイドは!」

「うわぁ! なにしてんですか、フェリシアさん!」


 わざわざそれを見過ごすはずもなく、ガルボはフェリシアに短剣を突き立てる。

 と、その攻撃はギリギリのところで、エトスの剣に弾かれた。


「申し訳ありません……私は、アズリー様と一緒に、この水晶の前で立っていますね♪」

「なんでそんな、ど真ん中の目立つとこに!?」


 フェリシアの不可解な行動に、エトスは翻弄される。


「真面目に戦ってはどうです!?」


 少し苛立ったように声を荒げ、ガルボはエトスの足の方を斬りつけてきた。

 明らかに可動部……鎧の関節を狙った的確な攻撃だ。


「あぶねっ! っと……ちゃんと鎧の隙間狙ってくるなんて、コイツ実は素人じゃないな……」


 日々の訓練の賜物か、ギリギリのところで、なんとか躱わすことができた。

 思った以上の相手の力量に、エトスも少し気を引き締め直す。

 だが、そんな中で、フェリシアがまたもや奇妙な動きを見せる。


「やっぱり、こっちの方が安全でしょうか?」

「なぁー! フェリシアさん、なんでわざわざ相手に近づくんです!?」


 いつもの慎重なフェリシアからは、想像もできない迂闊な動き……。


 ──あれ、ほんとにあのフェリシアさんか?


 エトスの心の中に、そんな想いが浮かび上がってくる。

 その刹那、エトスのすぐ傍で何かが光り、ドシャッという音が聞こえた。

 ガルボの動きに目を光らせながら、エトスは少し音の方へと目線を向ける。

 と、先ほどまでフェリシアが立っていた場所にあった水晶が、跡形もなく消えていた。





「ぬ!? これは!」

「檻が開いたようだネ」


 この何も無い虚無の空間で、周囲を覆っていた強い魔力障壁の気配が消えた。

 おそらく外部で何者かが、この檻の核となる魔導具マジックアイテムを破壊したのだろう。


「なれば、今が好機……」


 エルフの女性が声をあげると同時に、3人の亜人種たちは各々が呪文の詠唱を始める。

 そして、そのまま出口と思しき光の先へと飛び立った。





「ああ、なんてことを! ここまで……ここまで愚かだとは! あの役立たずが!」


 その水晶が消え去る様を目にしたガルボは、絶望の声をあげる。

 この部屋の中央に備え付けられていた、大きな水晶球。

 今はもう塵と化してしまったそれは、ある大事な役割を持っていた。

 ただ、三匹の獣……封じられた3人が魔法を発動できないよう監視するためではない。

 それは実際に、あの3人を封じていた……檻そのものだったのだ。


「くそっ! 魔導士の癖に、まともに魔法が使えないのか!? どうしてこんな……」

「答え合わせをしましょうか?」


 表情から余裕が失われたガルボに対し、フェリシアはいつもの笑顔で声をかける。


「あちらでモーリス卿は、ずっとレミィ様と私が一直線になるタイミングを窺っておられたようでしたので……そこに立ってみました」


 まるで名所を案内するかのように、先ほどまで水晶があった場所を指し示す。


「貴女は……そのタイミングをずっと見計らっていたと? あり得ない! そもそも、そこから動いたなら、いくらあの勘違い魔導士でも……」

「それは、貴方にも少し責任があります」

「なんだと!?」


 珍しく、フェリシアは少し食い気味でガルボの疑問に答える。


「貴方がずっと集中している、認識阻害の範囲を利用させていただきました♪」

「な……バカな、それは……なぜ……」

「だって、貴方は一度もモーリス卿に名前を呼ばれていません。こんなに近くにられるのに……不自然だとは思いませんか?」


 小首を傾げながら、フェリシアは悪戯な笑みを浮かべる。

 その悪魔の問いかけに、ガルボは絶句した。


「そう……まるで、モーリス卿にだけ……貴方が認識されていないかのようでした。だから、貴方に近づいてしまえば、私も認識されないのではないかと……思ったんです」


 全てを語り終えたフェリシアは笑顔を崩さず、改めてガルボに向かって一礼する。


「以上です……ご清聴、ありがとうございました」

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