第54話:断章と騎士の召喚

 紙片……いや、何か本の1ページを破り取ったかのような……一枚の紙。

 魔導書や呪文書にしては小さすぎる……どちらかといえば日記や伝記……。

 そう、ちょうどレミィの予言書と同程度のサイズだろうか。


「ヘヘ……ヘハハハ! この予言の断章さえあれば……世界はワシの思うがまま……ワシが、新たな魔導王国の王として君臨するのだ!」

「“嘔吐して”とな?」

「“王として”だっ! ふざけおって! この断章が持つ禁断の力を思い知るがいい!」


 言うが早いか、モーリスは人差し指の先を歯で切ると、自らの血で紙片に文字を綴る。

 接近戦を挑んでくる相手と対峙しているというのに、なんとも悠長なことだ……。

 だがレミィは敢えて、その行為を邪魔するようなことはしなかった。

 その“断章”とやらが、いったいどういった物なのかを見極めるために……。

 モーリスは、長い爪をペン先のように器用に扱い、必死に何かを書き込んでいる。

 そうまでして、モーリスがそこに記したもの……その内容は……。


 ──エル・アスールの商人、レミィ・ミュラーは我が前にひれ伏し許しを乞う。


「こ、これで! これでどうだぁ!」


 そのまま紙片をレミィに見せつけるように前に翳した。

 が、しばし間を挟むも、何が起きるでもなく、これと言った変化は見当たらない。


「……なんのつもりじゃ? わらわへの請願書かえ?」

「なにっ!? なぜ平伏しない!? 今ワシが……歴史を記しただろう!?」


 モーリスは状況が理解できないといった様子で取り乱す。

 当然、レミィも状況はまったく理解できていない。

 だが、わざわざ“断章”の内容を見せつけてくれたおかげでわかったこともあった。

 そこに記されていた、いくつかの箇条書き……その内容である。

 千年に一人の逸材が、白の塔を訪れるという。

 そして3人の賢者が、同時にミスをして、同時に事故に遭うとあった。

 さらには革命を起こし、自らが王となって新たな魔導王国を樹立する……とも。

 最後に一行……レミィにひれ伏すよう命じるという追記があった。

 他の記述に比べると、追記の部分だけは明らかに私怨の些細な要望である。


 ──何かの覚書……かえ?


 と、そんなことを思い浮かべた瞬間、予言書のポーチが光を放つ。

 それは、いつもの光とは違う、何か警戒を促すかのような……強い光だった。





「不正確な情報で歴史は動かない……あの勘違い魔導士には、しっかりと“断章”のルールを教え込んだはずなんですが……」


 ガルボはフェリシアの肩越しに、奥で戦うレミィとモーリスの様子を一瞥する。

 そして、その状況を確認すると、肩をすくめながらフェリシアに目線を戻した。


「まったく、何が四賢者の最高峰にして天上人ハイウォーカーの末裔ですか……ここまでお膳立てをしてやったというのに……こうも使えないとは……」


 気だるげな雰囲気を匂わせ、ガルボは薄ら笑いを浮かべながら愚痴をこぼした。

 一方のフェリシアは、接客中の侍女メイドの如く、その笑顔を絶やさない。

 言いたいことを言い切ってスッキリしたのか……いわゆる通常運転のフェリシアだ。

 その後ろに立つアズリーは、ただ不安げな表情で二人を交互に見つめる。


「まぁいいでしょう。皇女様は……あの役立たずと交戦中です。つまり、貴女が私のお相手をしてくれるということですか?」

「いいえ、お断りします。私は戦いません」

「はぁ?」


 至極当然のように、対戦を拒否するフェリシアに、ガルボは間の抜けた声を上げる。


「おやおや……何を言っておられるのか……ここまで私をコケにしておいて、戦わずに逃げられるとでも?」

「私は、非戦闘員です。余計なことに手を出したところで、人質になるのが関の山です。足手纏いにしかなりません」


 やや苛立ちを見せながら聞き返すガルボに対し、フェリシアは淡々と返事をする。

 いつもの満面の笑み……そこに、一切のブレはない。

 だが、そんな勝手は許さぬとばかりに、ガルボは目の前の非戦闘員に対して牙を剥く。


「フフフ……それがわかっていたのなら、余計な口も出すべきではなかった! もう遅いのですよ!」


 いまだに状況がつかめていないアズリーは、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 そんな彼を、フェリシアはそっと庇うようにして前に立つ。

 不敵な笑みを浮かべるガルボは、隠し持っていた短剣でフェリシアに襲いかかった。


「さようなら、優秀な侍女メイドさん……あの世で、主人あるじに奉公してください!」


 絶体絶命の危機。

 普段のフェリシアであれば、決して身を置かないような危険な状況。

 刹那、迫り来る凶刃を前に、フェリシアは落ち着いた様子で両腕を胸の前で交差する。

 そして、囁くように合言葉コマンドワードを呟いた。


「──緊急事態エマージェンシー、“盾”の召喚を要請します──」


 ガキンッと金属同士のぶつかる音を響かせて、ガルボの突き立てた短剣が弾かれる。


「なにっ!?」

「痛ったたっ……何するんですか、ラーズ卿! ……って……ん? あれ? フェリシアさん?」


 そこに現れたのは、光り輝く鎧に身を包み、大きな盾を装備した騎士……。

 白金の竜が装飾された、神聖帝国皇女騎士団の鎧に身を包む者……エトスである。


「ようこそ、お越しくださいました♪」


 本人の意思に関わらず召喚されたその騎士を、フェリシアは最高の笑顔で出迎えた。


「え? いや……ようこそって……」

「ではエトス様、そういうわけで、あとはお願いいたします」

「いやいやいや、ここどこなんです!? そういうわけって、どういうわけですか!?」





 いよいよ目の前の出来事は、アズリーの理解できる許容量を超えてきたようだ……。

 突然現れた、主人あるじの客人を名乗る、二人の女性。

 その二人は、劣等種である自分を、全く見下すような素振りも見せずに接してくれた。

 そこに後から来た主人あるじは……いつも通りの不機嫌顔。

 有無を言わせず、この室内に、強大な呪文を放とうとする……。


 ──そういえば……この部屋は地下だったみたいだ……それは知らなかったなぁ。


 アズリーの頭の中では、ゆっくりと言葉が流れていく。


 ──ガルボは知っていたみたいだけど……そんな話はしてくれなかった。


 主人あるじが強打され、なんとか魔法の発動は食い止められた。

 だが、そこで親友のハーフエルフが、突然客人の一人に牙を剥いた。


 ──ええぇ!? そんな、女性に短剣を突き立てるなんて!?


 その豹変ぶりには目を疑った。


 ──ガルボ、どうしてそんな!? ……ガルボ……ガルボって……誰?


 そうこうしていると、突然、目の前に白い騎士が現れる。

 ガキンッと、その短剣が弾かれる金属音……そこで、アズリーは我に帰った。


「ガルボもだ……うん……だけど、そもそも……僕は、誰だ?」


 アズリーは、その細い目を一杯に開いて思い出そうとする……。

 だが、頭の中はモヤがかかったように不鮮明で、何も思い出すことができない。

 その様子を、フェリシアは心配そうに見つめていた。


「フッ……そう簡単に思い出すことなど、できるはずもありません。彼は……奪われてしまったのですから……偉大なるエルフが受け継いできた、大切なモノを」


 そう言って、ガルボは嘲笑うかのような表情でフェリシアたちに目を向ける。


「偉大な……エルフ? 劣等種のエルフが、偉大?」

「はいはいはい! 全然話が見えないですよ! で? 誰が敵で誰が味方なんです? あっちで殿下が対峙してるおっさんは悪者ですよね?」


 重苦しい雰囲気を断ち切るように、エトスが大きな声で主張を始めた。

 その空気を読まない言動は、アズリーの不安を無造作に上書きする。


「まったく……その使い魔は、侍女メイドほど頭が良いわけではないようですね」

「“使い魔”ってなんだよ! 俺か!? 俺のことか!?」


 安い挑発にエトスは強く反応し、食い下がる。

 それを受けて、ガルボはやれやれといった表情で肩をすくめた。


「あー、わかりましたよフェリシアさん。殿下が堕徒ダートを引き付けている間に、こっちの悪ガキをどうにかしろってんですね? 上等だコイツ! 覚悟しろよ!」

「えーっと、はい、少し違いますが、だいたいそんな感じです♪」





 ──うむ……ややこしい状況になってきたのじゃ……。


 いつもとは違った、強い光を放つ予言書。

 “断章”に記された、ここまでの出来事をなぞるかのような記述。

 そして突然現れた自分の臣下……。

 情報量が多い……レミィは、どこから対処したものかと決めあぐねていた。

 どちらかといえば、予言書の確認を優先したかったが、その隙はないだろう。

 切り札の“断章”が通じないとわかった今、目の前の魔導士がどう動くか……。

 そんなレミィの考えを余所に、モーリスは何やら決意を固めたようだった。


「……こうなれば、少し予定を早めるとするか……あの劣等種どもを封じているうちになっ!」


 そう言って、再び“断章”を手に、何やら怪しげな言葉を紡ぐ。

 魔法を放つための、呪文の詠唱ではない……。

 それは起動させるための、合言葉コマンドワードのような、短い詠唱。


「──Accipiens Mortem──」


 その言葉に応えるように、ドス黒い瘴気がモーリスの周囲に湧き上がった。


「おお……オオオッ! オアァァアアア!!」


 悲鳴とも、咆哮とも取れるような絶叫。

 瘴気が全身を包み、文字通り蝕まれるかのように、その身が痩せ細り枯れていく。

 眼球は腐り落ち、皮膚から水分も失われ、そこに残った姿は骨と皮だけの死体……。

 いや厳密には、死体ではない。

 それは生前の肉体を捨て、新たに得た不死の身体。


「はやぁ……まさか此奴……」

「フ……ハァ……ハハハ、これで……もはやワシが滅ぶことは無くなった……。 天上人ハイウォーカー……いや、天上王ハイロードとなったワシに、勝てると思うなぁ!」


 眼窩に赤く怪しい光を宿し、禍々しい瘴気を身に纏う、骨と皮だけの存在。

 一目見ただけで邪悪な存在であるとわかる、この異質なる者。

 そう、先ほどまで人間だった、それはもはや……。


「貴様……なりたかったのは死霊の王リッチだったのかえ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る