第53話:答え合わせと傀儡の出来
──何故だ……ここまでお膳立てをして……どうして上手くできないのか……。
受け入れられない事実だった。
間違いなく、ここまでは順調に事が運んでいたのだ。
魔導を極めんとする者の憧れの地……魔導王国に聳え立つ叡智の象徴、白の塔。
そこから直々の申し出とあっては、如何にエルフと言えども興味を持たぬはずがない。
破格の待遇で招待されたそのエルフは、喜び勇んで、この白の塔の門を潜った。
一度、塔の中に入れてしまえば、あとは簡単だ。
入門の儀式と称して記憶を奪い、新たな価値観を植え付ける……それだけでいい。
放っておいても、勝手に劣等感に苛まれ、
幸いにして、傀儡となったエルフの魔力は想像以上のものだった。
四賢者を陥れ、封じるのにはすこし苦労したが、彼のおかげでそれも上手くいった。
あとはこの地に舞い降りた、
腐敗した魔導王国……帝国の下僕と成り下がった王家からこの国を取り戻す!
その大義名分を掲げ、選ばれし優等種が立ち上がり帝国に反旗を翻す……。
そして、そこに新たな魔導王国を樹立する……そういうシナリオだった……。
間違いなく、彼の“断章”には、そう記されていた。
「ええい黙れっ! ここでオマエらを消してしまえば! 何も問題はないっ!」
「
「ほざけ! 下等種がぁ! ──顕現せよ、吹き荒ぶ風、掻き乱せ、禍つ……──」
右手に握りしめた魔導杖を構え、モーリスは
「ああぁ……モーリス様! こんな室内で、そんな大きな魔法を使われては……」
その詠唱の一部を聞いた瞬間、アズリーは怯えた様子で声を上げる。
おそらく、それだけでどんな魔法が放たれるのかを理解しているのだろう。
だが、目の前で対峙するレミィは、実に落ち着いていた。
その魔法が完成するよりも早く、一足飛びで相手の懐に潜り込む。
そして、捻りこむように放たれた右ストレートがモーリスの
「風……オグッ!」
「敵が近くに
モーリスは吐瀉物を撒き散らしながら、その場にしゃがみ込んだ。
レミィの言うとおり、接近戦を仕掛けてくる相手に対し詠唱の長い魔法は不適切だ。
だが目の前の相手は、どう見てもただの商人……ましてや少女である。
いきなり素手で接近戦を仕掛けてくると、誰が思うだろう?
「オッ……オエエェェ……この……無礼者がぁぁぁ! オグォッ!」
「ぬ? まだ、動けるとは……意外に体も鍛えて……いや……違うのう」
渾身の右ストレートを受けてなお、モーリスは立ち上がろうとしていた。
その姿を見て、レミィは大事なことを思い出す。
「そうじゃった……これを忘れておったのじゃ」
レミィは、そう言いながら自分の左手にあった、金色に輝く指輪をそっと外した。
「ああ! これはいけません……モーリス様がお怒りです」
ガルボが頭を抱えながら、真剣な表情で聞こえよがしに声を上げる。
「ひとまずフェリンさん! アズリーもこっちの部屋へ!」
そして、二人に奥の別室の方へ避難するよう促した。
そのままフェリシアの手を掴み強引に引っ張っていこうとする。
だが、フェリシアは強く拒絶するようにその手を払いのけた。
「フェリンさん!? 貴女の
「どうして……レミィ様の、その名をご存知なのですか?」
「は?」
ガルボを見つめる、フェリシアの目はとても冷たかった。
おそらく、この表情はレミィも目にしたことがないだろう。
今レミィの目に映っているのは、壮年の男性が吐瀉物を撒き散らしているシーンだ。
「いや、フェリンさん……いきなり何を……?」
「なぜ、私たちが『エル・アスールが商会の一つ』と名乗ったにも関わらず、わざわざ『神聖帝国……の?』と返したのですか? なぜ、一度もこの部屋から出たことがないのに、『地上に上がったことはない』と仰ったのですか?」
背後でレミィとモーリスが交戦する中、フェリシアは凛としてガルボに立ち向かう。
「……エル・アスールは、神聖帝国の従属国じゃないですか……それに、本当に地上に上がったことがないのですから、何もおかしく……」
「アルバーナも神聖帝国の従属国です。わざわざ同じ所属の相手を、宗主国の名で呼ぶ必要があるようには思えません。そして塔の中……その一室から外を指して地上のことを言うのならば『地上に“出た”ことはない』という言葉になるはずです。この部屋が地下にあることを知っている者でなければ、『上がった』という言葉は使いません」
「……いや……今はそんなことを言っている場合じゃ……」
たじろぐガルボを前に、なおもフェリシアは言葉を続けた。
「モーリス卿は『この白の塔に、地下施設はありません』と強く主張しておられました。事実として、地下は存在したのですが……そのことは隠しておられたようです。アズリー様? この部屋が地下にあるとご存知でしたか?」
そこでフェリシアは、唐突に二人の間で放心しているアズリーに向けて話を振った。
一瞬、反応は遅れたが、アズリーはゆっくりとその思いを口にする。
「え? 知らない……ここって……地下だった……の? 魔導王国が誇る叡智の象徴、白の塔の研究室って……地下は、三匹の獣を封印している場所って……」
「違うよアズリー! 騙されちゃダメだ! その人は君に嘘を言っている! ほら、モーリス様がお怒りだよ!」
虚な目で呟くアズリーに向かって、ガルボは慌てた様子で必死に弁明をする。
その言葉に割って入るように、フェリシアは最後の言葉を告げる。
「唐突にでた“神聖帝国”の名、そして“上がる”という表現……この二つだけでは、何者かまで判断することはできませんでした。ですが先ほど貴方が仰った、あの一言でおおよそ特定することができました。レミィ・ミュラー……これはレミィ様の本当の名前ではありません。その真の名はレミィエール・フィーダ・アズ・グリスガルド……そう、貴方が口にした“神聖帝国”グリスガルドの皇女にして、聖竜の血を受け継ぐ者……そして、貴方の敵です……
そう告げられたガルボは苦々しい顔で、フェリシアを睨みつける。
だが、すぐにその表情を緩め、ため息混じりに質問を返してきた。
「はぁ……それだけで、どうして私が
「以前の方……ジリオンさんでしたか? あの方も、そうだったのですが……その目に映る姿ではなく、まるでレミィ様の本質を見抜いて……語りかけておられるように見受けられましたので……」
「なるほど……どうして偽竜の周囲にばかり、優秀な人材がそろっているのかねぇ?」
「お褒めに預かり、光栄です」
賞賛にも似たガルボの言葉を受け、フェリシアは
そして、さらに一言……強い口調で付け足した。
「ですが……ひとつ訂正させてください。レミィ様は真の竜です」
──ぬ? フェリシアは何を話しておるのじゃ?
目の前の魔導士をあしらいながら、レミィは背後の動向にも目を光らせていた。
すでに交戦状態となった今、この地下はもう安全地帯ではない。
そんな所に、あのフェリシアが……まだ
──嵐の前触れかのう?
「この……小娘がぁ! 舐めおって……ワシと対峙しておる最中に余所見をするとはっ! ──顕現せよ、荒れ狂う雷──」
僅かな隙を突いて、モーリスが再び呪文の詠唱を始める。
「うるさいのう、向こうの話が聞こえんのじゃ」
「唸……ゲボォッ!」
重量制御の指輪を外したレミィの一撃が、またもや詠唱を中断させる。
魔導士にとって、レミィのように一気に間合いを詰めてくる相手は天敵である。
もちろん、そういった相手への対策は、魔導士側にも用意されている。
それを前提とした魔法も、いくつか存在はしている。
だが、皆が実戦でそれを行使できるわけではない。
──このモーリスとやら……あまり実戦経験は無さそうじゃのう?
本来は動作要素が少なく、詠唱の短い魔法で牽制をしながら相手の動きを制限……。
そして、有利な状況を作りだしてから、徐々に魔法を切り替えていく。
これがセオリーだ。
動作要素が複雑で詠唱の長い魔法は、強力だが……接近戦で放つことは難しい。
前衛がいない状況で戦う魔法使いは、相当頭を使う必要があるのだ。
そういう意味では“賢者”というには“賢さ”が足りていないようにも見受けられる。
「ぐぞぉ……おのれ、オマエも……オマエもなのかぁ!?」
口角から流れ出る赤い筋を拭いつつ、半ば朦朧状態のモーリスが吠えた。
「どいつもこいつも天賦の才能だけで……ワシの努力を! この生涯をかけ突き詰めた魔導の力を、いとも簡単に超えていく! なぜだなぜだなぜだぁ! 認めん認めん、認めんぞぉ! 認めるわけには……ワシの人生を否定されてたまるかぁ!」
狂気に満ちた目を見開き絶叫する。
と、同時に懐から一枚の紙片を取り出した。
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