第51話:瞑想と一つの仮説

 レミィたちが迷い込んだ……いやむしろ、自ら足を踏み入れた地下の一室。

 そこに居た、アズリーと名乗る、気の弱そうなエルフの青年。

 彼は、“地下に眠る三匹の獣を封じている”とレミィたちに告げた。


「三匹の獣……とは、なんなのじゃ?」

「ええ、詳しくはわからないのですが、モーリス様からは、そのように伺っています……」


 その場でレミィは思ったままの疑問を投げかける。

 だがアズリー自身も、詳細まではわかっていないようだった。


「その“封じる”と言うのは……今の水晶の光に関係しているのですか?」

「はいぃ。ただ決められた言葉を定期的に唱えるだけの簡単な仕事ですので……僕のような使い道のない劣等種でも、お役に立つことができている……はずです」


 続くフェリシアの質問にも、アズリーは穏やかな表情のまま、そう答える。

 つくづく劣等感に支配された、自虐的な発言が続く。

 とはいえ、先ほどの膨大な魔力の奔流を掻き消した、あの魔法。

 あれは“ただ決められた言葉を定期的に唱えるだけ”で発現できるようなものではない。

 それ相応の魔力と魔法の才能……。

 少なくとも、賢者に匹敵するほどの魔導士でもなければ、扱える魔力量では無い。


 ──必要以上に謙遜しておるのか……それとも気づいておらんのか……どっちじゃ?


 まったく裏表のないその表情からは、返って真意が読み取れない。


「先ほどの、呪文の詠唱に使っていた言語は……なんという言語でしょうか?」


 いろいろとレミィが思案している横から、フェリシアは質問を重ねた。


「お恥ずかしい話なのですが……僕は、共通語しか話すことができません。なので、先の呪文も、モーリス様に教えていただいた共通語……だと思うのですが……」


 たしかに今こうして互いに話をしているのは共通語だ。

 だが、先ほどの詠唱に使用していた言語は、明らかに“現在の”共通語ではない。


「えーっと……そうですね、この辺の……あ! ありました」


 すこし怪訝そうなレミィとフェリシアの表情を見たアズリーは、本棚の方へと向かう。

 そしてそこから、何やら分厚い魔導書を持ちだしてきた。


「こちらの、初心者用の魔導書の……ここに掲載されているのです」


 背表紙には“共通語”でこう書かれている。


 『上位古代語魔法(防御術編) 監修:セシル・クラウザー』


 どう見ても、初心者用ではない。

 初心者に上位古代語魔法など、見習い戦士にラーズを真似ろと言うようなものだ。


「表紙に書かれている古代文字は読めないのですが……中身はほぼ共通語ですので。モーリス様に教えていただいて、僕にも読めるようになりました」

「表紙を読めんで、この中身を……読めるのかえ?」


 魔導書を受け取り、軽くページをめくってみるが、中身はほぼ古代語で記されている。

 それも、一千年以上前の言語と言われる上位の古代語だ。


 ──これは……古代語と共通語の認識がズレとるのではないかえ?


 レミィの言うとおり、アズリーの言語認識がズレているのは間違いないだろう。

 どういった経緯かはわからないが……明らかに異質な教育を受けているように思える。


「アズリー殿。三匹の獣を封じるよう仰せつかったのは、いつ頃の話なのじゃ?」

「いつ頃……? 僕は、この部屋から出たことがないので、あまり明確にはわからないのですが……」


 当たり前のように言い放つ、驚きのカミングアウト。

 どれだけの時を……この地下の部屋で過ごしてきたというのか?

 だが、そうなると正確な日付は、わからなくても当然だろう。

 彼には、今が朝なのか夜なのかも、わかっていないのだ。


「ではアズリー様、この役目を仰せつかってから、何度の瞑想をされましたか?」


 そこにフェリシアが不思議な質問をぶつける。


「瞑想……ですか?」


 エルフは睡眠を必要としない。

 その睡眠に変わる行為として、ゆっくりと瞑想をするのだ。

 それを睡眠と言われれば、そう見えなくもない。

 だが、この瞑想の間エルフは意識を失っておらず、声をかければ反応も返ってくる。

 根本的に他種族の睡眠とは全く違うものなのだが……。


「フェリンよ、流石に瞑想の回数を記憶しているような者は……」


 レミィは肩をすくめて、フェリシアの方に向き直る。

 いくらなんでも、そんな者は居ないだろうという、無言のメッセージ。

 ところがアズリーは、少し目線を上に向けて考えた後……即答する。


「89回ですね」

ったのじゃ……」


 今日は、驚いてばかりのレミィである。





 この世界における、歳月の周期……ひと月は30日、それが12ヶ月で一年。

 12年に一度だけの特別な月日……13月1日が存在する。

 今年は、その特別な月日が存在する年ではない……故にひと月は等しく30日。

 1日24刻のうち、およそ4刻の瞑想をエルフは規則正しく続ける。

 悠久の時を生きるエルフにとって、取るに足らない、ほんの僅かな瞬刻……。

 彼らが、そのルーティンを崩すことは、決して無いと言われている。

 その、瞑想が89回……2ヶ月と29日、およそ3ヶ月前……。

 当初レミィが思っていたほど、昔から受け継がれている儀式でもなさそうだ。


 ──何十年も前から……と勝手に思っておったのじゃが……。


「3ヶ月ほど前……四賢者様の3人が、行方不明となられた時から……ですね」

「はやっ! それなのじゃ!」


 タイミングよく言葉を発したフェリシアに、強く同意する形でレミィも応える。

 決して忘れていたわけではない。


「ええぇ? 四賢者様? 行方不明とは……なんの話ですか?」


 ちょうど3ヶ月ほど前に行方不明となった3人。

 ちょうど3ヶ月ほど前から封じている三匹の獣。

 奇妙な一致は、一連の流れをある仮説へと導いていった。


「うむ……そうじゃのう、まずはその辺りから確認していかねばならんのじゃ」


 レミィは、その仮説を検証するため、アズリーの方へと向き直る。

 と、そこで部屋の奥にある、本棚の向こう側で扉が開く音がした。

 ちょうどレミィたちが入ってきた扉とは逆方向……奥にあるもう一つの部屋……。

 フェリシアが、入る前から認識していた“もう一人”の地下の住人だろうか。


「どうしたの? アズリー……その人たち……は?」


 本棚の影から顔を出したのは、少し垂れ目気味の穏やかな雰囲気を纏った青年だった。

 ウェービーで蒼みがかった長髪に、少し尖った耳……おそらくはハーフエルフだろう。


「やぁ、ガルボ。あ、こちらはモーリス様のお客様だよ」


 そのハーフエルフの青年は、警戒した様子で本棚の影からレミィたちの方を見つめる。


「うむ、わらわはエル・アスールが商会の一つ、ミュラー商会より参じた、レミィ・ミュラー。そして、この者は従者のフェリンなのじゃ」


 レミィとフェリシアは改めて名を名乗り、丁寧に一礼する。

 この自己紹介は何度目であろうか?


「神聖帝国……の?」


 ハーフエルフの青年……ガルボは、レミィと目が合うと、驚いたような表情を見せた。

 雪のような白い肌に白金の髪、そして人形のように整った容貌……。

 如何な変装をしようとも、目立つことこの上ない姿である。


「彼は、僕と同じくモーリス様にお仕えしている、ガルボだよ」


 やや呆然としているガルボの間に立つように、アズリーが紹介を挟んだ。


「あっ、その……ガルボです……どうも」


 その気遣いに我を取り戻し、思い出したかのように名を名乗る。


 ──ハーフエルフ……此奴のことかえ?


 レミィは、予言書にあった記載内容を思い出しながら、様子を窺う。

 と、そこでレミィの目に、普段はあまり見ることのないものが映り込んできた。


「ぬ? フェリン……どうしたのじゃ?」

「え? あ……いえ、なんでもありません……レミィ様……」


 フェリシアが、集中するように真面目な顔で……ガルボを見つめていた。

 そう……滅多に、笑顔を絶やすことのない、あのフェリシアが……。





「これも無効化しよるか……」

「この3ヶ月ほど、何を試してもダメだったのだヨ……多少術式を変えたところで、どうにかなるとは思えんネ」

「なれば……卿も手伝っては如何です?」


 周囲に何もない、ただ真っ白な部屋……いや、閉ざされた空間というべきだろうか。

 家具や調度品はもちろん、全く生活するための環境が整っているようには見えない。

 そんな劣悪な環境の下で、この3人の人間……いや亜人種たちは生き永らえていた。

 一人は短い足に太い腕、綺麗に剃った頭に立派な髭を蓄えたドワーフの男性。

 もう一人は頭に2本の角、顔に複雑なペイントをした有角種ホーンドの男性。

 そしてもう一人は特徴的な長い耳、金色の長い髪が美しいエルフの女性。

 皆、一様に豪華なローブを身に纏い、一目で高位の魔導士だと見て取れる。


「ワタシは無駄なことをしたくないのだヨ……なんの確証もなしに幾度も大規模な魔法を発現させるなど……無駄以外の何ものでもないネ」

「ハッ……そもそも、発現すらできぬのだがな……」


 有角種ホーンドの男性は、呆れた様子で肩を竦めた。

 そこに、ドワーフの男性は吐き捨てるように言葉をぶつける。


「まさか我らの魔法が、あのような小僧一人に封じられてしまうとは……驚きました」

「君は嬉しいだろうヨ。あそこまで優秀な逸材が見つかったのだから……これでエルフの評価は高くなるだろうネ」


 顎に手を当て熟考するエルフの女性に対し、有角種ホーンドの男性は皮肉混じりに呟いた。

 だがエルフの女性は気にした様子もなく、表情ひとつ変えずにそのまま話を続ける。


「いずれにせよ、このままでは彼奴の計画を止めることなど夢のまた夢……如何な手段を持ってしても、我らはここより脱出せねばなりません」

「それはわかっているヨ……嫌というほどネ」

「そのためには……あの小童こわっぱの魔法をどうにかせねばな……」


 足元すらハッキリとしない、この真っ白な空間の中で3人の亜人種は思考を重ねた。


「今のところ、そのヒントすら掴めていないのだがネ。情けない話だヨ」


 有角種ホーンドの男性が、虚空に目を向け、悲観的な事実を告げる。

 と、ドワーフの男性も、同意するかの如く自嘲気味な笑みを浮かべた。


「ハッ……魔導師の最高峰……四賢者とまで言われた儂らがな……」

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