第44話:天上人と早期の滅亡

 男爵は苛立ちを隠せずにいた。

 4人もいる護衛は、どう見ても駆け出しの若い傭兵に軽くあしらわれている。

 背後に回り込み、交渉材料を確保するよう指示した従者からも合図がない。


 ──ええい役立たず、役立たずどもめ……。


 周囲の者は皆、当然の如くレミィたちの方に肩入れし、声援を送る始末……。

 これ以上の醜態は、男爵の沽券にかかわる問題だった。


「もうよい! 鎮まれ、鎮まれ平民ども! 私を、私を誰だと思っている!?」


 その男爵の声を受け、店内に突如として静寂が訪れる。

 だが、間髪を入れず、そこにレミィの言葉が返ってきた。


「知らんのじゃ」

「……へ?」


 誰もが答えに困る、貴族連中の伝家の宝刀……“自分を誰だと思っている”という言葉。

 その名乗らない自己紹介に対して、レミィは真っ向から、知らぬ存ぜぬと突き返す。


「ああ! これだから田舎者は! 私は、私はアルバーナの南を支配する新たな、新たな四……」

「いや、興味ないのでどうでもいいのじゃ」

「け……きょ、興味が、興味がないですとぉ!?」


 悦に浸って自分を語り始めた男爵の言葉を、無慈悲に切り捨てる。

 正直、レミィの方もいろいろと面倒に感じ始めていた。

 これ以上騒ぎが続くようであれば、誰かに衛兵を呼ばれる可能性も出てくるだろう。

 変に調べられて、身元を明らかにされては元も子もない。


「それよりも……じゃ」


 レミィはいよいよ、切り札を使うことにした。


「如何に貴族とは言え……その程度の器量で、わらわの相手が務まると思うたのかえ?」


 先ほどまでの無垢な少女の表情から一変したその面持ち……。

 冷たく鋭い眼差しと圧倒的な威圧感が、男爵と護衛たちを完全に飲み込んだ。


「ヒェッ……!?」


 そのレミィの姿に戦慄を覚えた男爵は、崩れるように後ろへと倒れ込み、尻餅をつく。

 エトスの前で暴れていた護衛たちも、突然現れた畏怖すべき存在に、動きが止まった。


 ──ヤベェ……あ、あれは……絶対に……ヤベェ……。

 ──……死ぬ……ここで死ぬ?


 無血決着の定番、竜の威光……今回は、しっかりと対象を限定しているようだ。

 明確に死を予感させる絶対的な恐怖に、相手は絶望の淵へと追いやられる。


「余計な恥をかく前に……立ち去った方がよいかと思うのじゃが……」

「はいぃ! 失礼しましたぁ!」


 レミィが言い終わるよりも早く、護衛たちはすぐさま武器を捨て撤退を始めた。


「忘れもんだぜ! こいつも持って帰んな!」


 そこに向かってラーズは、ゴミでも扱うかのように気絶した従者を片手で投げつける。

 慌てて従者を拾い、肩に担ぎ上げると、護衛たちは一目散に駆け出して行った。


「おぉ、お前たち! 私を、私を置いて逃げ出すとはぁ!」


 その後を追って、男爵も這いずるように店の外へと逃げ出して行く。

 面倒な貴族連中には、丁重にお帰りいただくことができたようだ。





「ふむ、皆の者……お騒がせしたのじゃ」


 男爵たちが立ち去ったあと、レミィは店の中へと向き直り、あらためて一礼する。

 本日、二度目の膝折礼カーテシー……。

 完璧な所作ではあったが反応は薄く、店内は静寂に包まれていた。


「……」


 ──むー、ちょっとやりすぎたかのう……。


「す、すげぇ……」

「すごいよアンタ、あの手の貴族相手に一歩も引かず、一喝で追い返すなんてさ!」

「こんな小さなお嬢さんがねぇ……なんとも勇ましいこった」


 と、少しの間を開けて、店内から一斉に歓声があがった。

 そのままレミィは周囲の客たちに取り囲まれてしまう。


「付き人のあんちゃんも、なかなかやるねぇ!」

「いや、自分は……なにも、たいしたことしてないですよ……」


 エトスも皆から称賛され、照れくさそうにしている。

 普段、あの手の貴族連中によっぽど酷い目に遭わされているのだろうか?

 周囲からは、溜飲が下がったと感謝の言葉が後をたたない。


「いや……うむ……その、なんじゃ……落ち着くのじゃ……皆、席に戻るのじゃ」


 その想像以上の反響に、流石のレミィも対応が追いつかない。

 一方で、客に囲まれるエトスとレミィを見つめながら、ラーズは静かに控える。

 そこに、女性店主が声をかけてきた。


「えらく地味な活躍だったじゃないか……ルゼリア人ルゼリアンのお兄さん?」

「いやぁ、今回は先輩にいいとこ持っていかれちまったぁねぇ」


 肩をすくめながら、ラーズは飄々とした態度のまま、それに応える。


「充分仕事はしてくれたじゃないか。これ、奢りだよ」


 と、テーブルの上に、真紅の液体がなみなみと注がれた銀製の盃が置かれた。

 その芳醇な香りと宝石のような輝き……間違いなく高級な酒だろう。


「気ぃ使わせちゃってわりぃね……ありがとよ、姉さん!」


 ラーズは女性店主に礼を告げ、その盃を手にすると、ある人物の方へと向き直る。

 その視線の先にはフェリシアが居た。


 ──あの騒動の間も、ずっとあの表情……笑顔を崩さないまま……たぁねぇ……。


 声には出さず、心の中でそう呟くと、そのまま手にした酒を一気に呷る。


 ──肝が据わってるってぇ言葉だけで片付けるにゃぁ……ちょっとな……。


 その疑問を確認するかのように、自分の中だけで言葉にする。

 と、そこで視線に気が付いたフェリシアと目が合った。

 ありがとうございます……と言わんばかりに、フェリシアは笑顔で小さく会釈する。

 ラーズは引き攣った笑顔で、軽く手を上げ、それに応えた。


 ──……絶対ぜってぇ、何が起きてたか、分かってやがったな、アレは……。





 翌日、レミィたちは宿を後にする。

 女性店主はもちろん、他の宿泊客、酒場の利用者たちにも一通り挨拶を告げてきた。

 見送りに来た者は皆、口を揃えて、また遊びにこいと声をかけてくれる。

 ギリギリまで名残惜しみつつ、その場にいた者たちが総出で送り出してくれた。


「なんとも……皇女として施設を貸し切った時とは、また違った感覚で楽しかったのう」

「まぁ、普通あそこまで歓迎されて見送られるなんてこたぁ、そうそうねぇんですがね」


 満面の笑みで満足感を表現するレミィに、ラーズが軽くツッコむ。


「俺の活躍があったからかなぁ? なーんて……」

「ふふ、そうかもしれませんね」

「そうじゃのう……エトスがいれば安泰なのじゃ」

「いや、やめてくださいよ……冗談です……」


 調子に乗ったエトスは、フェリシアとレミィに揶揄からかわれる。

 自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、声のトーンは徐々に下がっていく。

 そんな他愛もない会話を交えながら、一行は白の塔を目指し、馬車を走らせた。

 下町を抜け、大手商会の商業施設が立ち並ぶ区域に差し掛かる。

 と、その辺りから、周囲の様子に変化が見られ始めた。

 今まで民衆に混じっていた様々な亜人種たち……その姿が、極端に少なくなっていく。

 その先、富裕層の区画に入ってからは、とうとう全く姿を見かけなくなってしまった。

 これは、この規模の街から考えれば、相当異質なことである。


「あれ……は……亜人種立ち入り禁止の掲示!?」


 エトスは、素直な驚きを声にした。

 もし、ここに亜人……しかも有角種ホーンドのフェリシアが居ると知れたら……。

 いったい、どれほどの騒ぎになるのだろうか?


「人間至上主義……亜人種に対する差別的な意識は、民衆にもしっかりと根付いておるようじゃのう……」

「相手は魔導王国のお偉いさんですよ……さぞ頭のよろしい御方が、民衆を導いてんじゃあねぇんですかい?」


 レミィの皮肉とも取れる感想に、ラーズが明確に皮肉で応える。


「でも、どうしてアルバーナには、そんな人間至上主義なんて思想が根付いてるんです?」


 その皮肉の応酬に入ってくる形で、エトスが疑問を口にした。


「それは……このアルバーナの王家が、太古の昔存在したとされる人間の上位種……天上人ハイウォーカーの末裔と言われておるからなのじゃ」

天上人ハイウォーカー?」

「うむ……強い魔力を有し、エルフと同等の長い寿命と、ドワーフと同等の頑強さを兼ね備えていたと言い伝えられておるのう」


 天上人ハイウォーカーは、数々の伝承に記された、この大陸における伝説的な存在である。

 その特徴として凡ゆる種族の長所を有する、極めて優秀な人種であったとされている。

 だが、その優秀さゆえか、己の力を過信し、驕り、道を見誤ってしまう……。

 彼らは、自分たちこそが最も優れた存在であるとして、神々に戦いを挑んだのだ。

 結果、神に敵うはずもなく、天上人ハイウォーカーは、そのまま滅ぼされたと伝えられている。

 ただ、その生き残りが何処かに居るという噂は後を絶たず、信じる者も少なくない。


「貴族連中は、自分たちにもその天上人ハイウォーカーの血が流れていると主張しておるようでのう……それが、選民思想の貴族主義に拍車をかけておるのじゃ」

「へっ……滅ぼされるところまでワンセットじゃあねぇんですかい?」


 思いの外、詳細に語られたレミィの解説の後、ラーズは鼻で笑うように軽口を叩く。


「宗主国……帝国の視点から見れば、従属国が無闇に滅んでもらっても困るのじゃ」


 ──10年どころか、もっと早い段階で滅亡する可能性が出てきてしまうのじゃ!


 予言の……コデックスの言葉が頭をよぎったレミィは、心の中で叫び声を上げた。

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