第42話:下町と処世の技術

 白銀の大扉を越え、その目に飛び込んできたのは……賑やかな下町の風景だった。

 通りには多くの人が行き交い、左右にいくつもの屋台や出店が立ち並ぶ。

 中心から離れた、王都の端にある区画だが、治安は悪くなさそうだ。


「ぐぬぬ……ただ門を越えるだけで、こうも時間がかかるものなのかえ?」


 座席から御者席に顔を出し、レミィはジト目で愚痴をこぼした。

 たかが門一つを越えるのに、相当待たされたことがお気に召さなかったご様子。


「ま、皇女って名前出しゃあ一発で通れたでしょうけどね」

「むー、ここまできて、それはないのじゃ」

「じゃあ、仕方ねぇですよ」

「ぐぬぬ……」


 ラーズに軽くあしらわれ、そのままおとなしく引き下がる。

 転移門ゲートを越えてすぐ、王都の正門前までは予想以上に早く到着した。

 だが、その門を越えるため……王都に入るまでの手続きが……永かった。

 普段、徽章一つで全てパスしてきたレミィには、かなりの時間に感じたことだろう。


「ここまでは、順調な旅だったんじゃがのう……」

「今回は、道中で誰も襲われてませんでしたし、誰にも襲われませんでしたからね」

「うむ。そんなことは書いておらんかったからのう」

「え? 書いて……なかった?」

「……こっちの話じゃ」


 エトスの言葉に釣られて、レミィは、つい予言書の話をしそうになった。

 慌てて……あくまで冷静を装い、しれっと誤魔化す。

 毎回どこにでも現れる、移動中の馬車を襲う定番の魔獣や野盗連中……。

 今回は、それらに遭遇することもなく、ここまで辿り着くことができた。

 とはいえ、レミィには最初からわかっていたことなので、これといった感動もない。

 ただ、予言書に記されていることの正確さ……それを思い知ることにはなった。

 読み進めた先には『想像以上の時間を費やすことになる』と書かれていたのだ。

 どこで……とは明記されていない。

 最初は、橋が崩れていたり、道が塞がっていたり……そういうことを想像していた。

 だが、そういったトラブルもなく、想定より遥かに早く到着できた。

 そう、王都の“正門前まで”は……。


 ──まさか半日近く待たされるとはのう……確かに想像以上の時間を費やしたのじゃ。


 おかげでもう陽は傾き、すっかり夕刻になってしまった。


「レミィ様、あの……お城の奥に見える細長い建物は……なんでしょう?」


 ふと、予言書を見返していたレミィに、窓の外を眺めるフェリシアが問いかける。

 その視線の先……高台の上には、夕陽に映える美しい純白の王城……。

 そして、その王城よりも遥かに高い白亜の塔がそびえ立っていた。


「うむ、あれが……白の塔なのじゃ」


 まさに天にも届きそうなその塔は、大理石で覆われた、ほぼ円筒形の建物だった。

 その形状から、物理的に倒れず建っている事自体が既に神秘と言っても過言ではない。

 白の塔は、アルバーナでも優秀な魔導士たちのみが立ち入ることを許される場所。

 魔導王国と称されるほど魔法に重きを置いているこの国の、いわば権威の象徴だ。

 その頂点に君臨する、白の四賢者と呼ばれる者たちは、国王に次ぐ権力を有している。

 帝国でいうところの、元老院……いや、それ以上に影響力があるかもしれない。


わらわも……この目で見るのは初めてなのじゃが……」


 その、あまりに巨大で、あまりにいびつな塔の姿を見たレミィが呟く。


「まるで、大地に打ち込まれた……楔のようじゃのう」





「ちょいと、そこの姉さん。ここの宿代……飯ぃつけて、いくらだい?」


 大通りに出てすぐ、ラーズは宿の店主らしき女性に声を掛けた。


「なに言ってんだい! こんなおばさん捕まえて、姉さんだなんて……」

「いやぁ、腕の筋肉も仕上がってるし、なにより体幹にブレがねぇ……まだまだ現役でイケるんじゃあねぇかい? 姉さん」


 妙な視点からではあるが、ラーズは手慣れた様子で、女性店主と話を進める。


「はは! 兄さん、上手だねぇ……いいよ、一人一晩銀貨3枚。食事は一番いいの出したげるよ!」

「いいねぇ……流石だぜ、姉さん! ありがとよ!」


 その見た目と気質からは想像し難いが、ラーズは処世術にも長けているらしい。

 すっかり意気投合した女性店主とハグをすると、レミィの元へ戻ってきた。


「馬車ぁ止める場所も、裏手にあるそうです。今晩は、ここを宿にしましょうか」

「あの筋肉の話題でどうやって交渉をまとめたのか……まったく想像がつかんのじゃ」


 帰ってきたラーズに向かって、レミィは素直な疑問を直球で投げつけた。


「いやぁ、立ち居振る舞い見る限り、ありゃあ元傭兵かなんかやってたクチですよ。なら……その辺の話題が一番響くんじゃあねぇかってぇ思いましてね」


 ラーズは、そのレミィの疑問に澱みなく答えを打ち返す。

 優れた洞察力と推理力、そして幅広い対応力の賜物である。


「……あまりになんでもできると嫌味じゃのう」

「姫さんほどじゃあ、ありませんよ」


 そのラーズの多芸ぶりに、レミィは少し揶揄からかってみたが、すぐに反撃を受けた。


「ま、誰しも得手不得手ってぇもんがありますからね。さっきのは俺の得意な領域だったってぇだけですよ」

「そういうものなのかえ?」

「ええ。あー……でも、中には例外もいますね」


 そう言いながら、ラーズは馬車の中にいるフェリシアの方へと目線を向ける。

 フェリシアは、そこで荷物をリストと照らし合わせながら、検品作業を進めていた。


「ぬ? ふむ……確かにフェリシアは何をやらせても一流じゃが……それこそ、戦闘は不得手ではないかえ?」


 その目線から何かを察したレミィは、確認するように問いかけた。


「ええ……まぁ、そういう意味じゃあ、そうなんですが……」


 ラーズは、含みのある応えを返しつつ、そのままフェリシアを見つめる。

 と、その視線に気付いたのか、目の合ったフェリシアが笑顔で手を振ってきた。


 ──生き残るってぇのも、戦いの才能っちゃあそうなんだよなぁ……。


 その言葉は口に出さず、ラーズも手を振り返す。


「お二人は、なにか不得手なこと、あるんですか?」


 荷物を運び出しながら、横で話を聞いていたエトスが会話に参加してきた。

 エトスから見ればレミィもラーズも等しく超人……人と定義していいのかすら怪しい。

 その不得手など無さそうな二人に、なんとなく興味本位で聞いてみる。


「あぁ、もちろんあるぜ」

「うむ……そうじゃのう」


 と、二人は声を合わせて、答えた。


「魔法、だな」

「魔法、かのう」





 竜とは、肉体的にも精神的にも、極めて高い能力を有する種族である。

 加えて、その身には膨大な魔力も秘めている。

 魔力とは、体術における体力と同じく、魔術に対して求められる力の源である。

 だが、その膨大な魔力をもって魔法を行使する竜は、実はそんなに数多く存在しない。

 わざわざ魔術を学び、魔法に頼らずとも、大体のことはなんでもできてしまう。

 それが生きるためであれば、威圧するなり殴るなり……力づくの方が早いのだ。

 その点においては、人型であるレミィも例外ではない。

 決して、魔術の勉強が面倒なのでサボっていた結果ではない……はず。


「なんでぇ、姫さんも魔法……苦手なんですかい?」

「そういうラーズもかえ?」


 酒場を兼ねた宿の一階、夕食の席でレミィとラーズは互いの妙な共通点で盛り上がる。

 ますます、ただの仲良し兄妹に見えるその姿を、フェリシアは笑顔で見守っていた。


「おい、そこのお前……有角種ホーンドかよ!」


 と、そこでフェリシアに、別の客から声がかかる。

 その狩人風の男は、勢いよく席を立つとフェリシアの前まで歩を進めてきた。


 ──む? いよいよ来たかのう……。


 噂の種族差別の洗礼を受ける時が来たかと……レミィは少し身構えた。

 あまり度が過ぎた暴言を吐くようであれば威圧してやろうと目を光らせる。

 だが、男が口にした言葉は、レミィが想像していたようなものではなかった。


「おいおい、大丈夫か!? しっかり角を隠さないとあぶないぞ?」

「そうだぜ。でなきゃ面倒な“お貴族様”に目をつけられるぞ、嬢ちゃん」


 酒の入ったジョッキを片手に、ほかの客たちも次々と声を上げる。

 その内容は、どれも有角種ホーンドであるフェリシアを気遣うようなものばかりだ。


「はやぁ? どうなっとるのじゃ?」


 レミィは、事前に聞いていた情報との食い違いに戸惑いを見せる。


「差別が酷いと噂のアルバーナでどうして? ……ってとこかい?」


 目の前のテーブルに料理を置きながら、先ほどの女性店主が声をかけてきた。

 心を読まれたかのような的確な言葉に、レミィは少し驚く。


「まぁ皆が皆、差別をよしとするような奴ばかりじゃないってことさ。特にこんな下町の小さな酒場じゃね」


 女性店主は、綺麗な歯を見せ、ニカッと笑いながらレミィにそう告げる。


「はやぁ……そういうものなのかえ」


 その屈託のない笑顔に、レミィはなにか安心感のようなものを抱いた。


「そういうものだよ。どっちかって言えば俺たちは、そういう“お貴族様”に差別されてる側の人間だからなぁ」

「相手が人間だろうがエルフだろうが、自分たち以外の連中のことなんて、ゴミみたいにしか思ってないんだよ、あいつら」

「私たちは、そんな差別なんてつまらないことは絶対にしないわ! たとえそれがエルフでも小人種リーテルでも……もちろん有角種ホーンドでもね」


 酒場にたむろする客たちは皆、次々と話に乗っかってきた。

 どこの誰かもわからない、ただ偶然酒場に居合わせただけの者たち……。

 だが、彼らが皆、気のいい連中であるということはレミィたちにも充分に伝わった。

 ともあれ、この宿ではフェリシアへの差別的な扱いはされずに済みそうだ。


 ──少なくとも、この下町にる間は、大丈夫そうじゃのう……。


 と、レミィが、胸を撫で下ろしたところで、ギィッと軋む音をたて入口の扉が開く。

 続いて、物々しい装備をした数名の男たちが酒場に押し入ってきた。


「これこれ……なんですか、小汚い、小汚い小屋ですね」

「申し訳ございません男爵様……しかし、この辺りではここが一番マシな宿でして……」


 如何にも貴族といった煌びやかな装いの男が、ずかずかと中ほどまで歩みを進める。

 後ろ手に組み、ふんぞり返った姿勢で周囲を見下すように一瞥する、小太りな男。

 その横には、きっちり髪を七三分けした男が、揉み手をしながら立っていた。


「まったく……中央の宿は、全て、全て満室だったのですか?」

「ええ……王女の生誕祭ともなりますと、各地から来賓がお越しのようで……」


 周囲の冷たい視線をものともせず、貴族らしき男たちは勝手に話を進めていく。


「お泊まりですか? 一階の小さい部屋なら空いてますが……」


 貴族相手に臆した様子もなく、女性店主は平常運転のまま接客対応をする。


「なに!? この宿には多少はマシな貴賓室があったはずだろう!?」


 と、七三分けの従者らしき男は、怒鳴りつけるような物言いで返してきた。


「そんな大声を上げられても困ります。うちの一番大きな客室……貴方の言う“多少はマシ”なその貴賓室には、もうご宿泊のお客様が決まっていますので……」

「まさか!? その者は……どこかの貴族か!?」


 お目当ての客室に先約があったと知って、従者らしき男は慌てて問い詰める。


「いいえぇ。旅の商人様だったかと……」


 それを軽くあしらうように、女性店主は誰とも明言せずに答える。

 そう、実はその貴賓室とは、レミィたちが宿泊する予定の部屋であった。

 爵位以前の問題……最上位の身分である皇族の先約である。

 本来であれば、揉め事になるはずもない。

 だが、今回は身分を隠し、あくまで一介の商人として訪問している。

 となれば当然、この貴族連中が黙っているはずもなく……。


「はぁ? たかが商人風情が偉そうに貴賓室を!? ハンッ! すぐ追い出せ! その部屋は、たった今から男爵様がお使いになる」

「うむうむ……部屋の、部屋の掃除くらいは待ってあげますよ」


 男爵の従者は、勝手極まりない言い様で、部屋を開け渡すよう命じる。

 まるで譲歩したかのような言い回しで、男爵らしき小太りの男も言葉を重ねた。

 男爵は、対して高くもない背で、周囲を見下すために精一杯ふんぞり返る。


「困りますよ。たとえ男爵様であろうが王様であろうが……きちんと店のルールは守っていただかないと。今、空いている部屋は一階の小さい部屋だけです」

 横柄な物言いに動じることもなく、女性店主は貴族連中に向かって淡々と言い返す。


「平民風情が! 男爵様に向かって、そのような口の聞き方が許されると思っているのか!? ここで……ん?」


 そこに食ってかかろうとした男爵の従者は、突然一点を凝視しながら絶句する。

 その視線の先に居るのは……フェリシアだった。


「どうしました? 何か、何かありましたか……?」

「悪魔が! 忌まわしき有角種ホーンドがそこに!」


 男爵の言葉に被せるように、従者はフェリシアを指差し叫び声をあげた。

 と、同時に周囲で黙していた護衛の者たちが一斉に身構える。

 いきなり抜剣……こそなかったが、護衛たちは明らかに臨戦体制だ。

 ただ、そこにフェリシアが……有角種ホーンドが居たというだけで……。

 その反応は、差別というよりは、厭忌えんきに近いもの。

 有角種ホーンドの血にまつわる謂れからすれば、こういう反応になるのだろう。

 だが、こうして直接攻撃的な態度を見せてもらった方が、返ってやりやすい。


 ──うむ……今回も暴力で解決して良さそうじゃのう……。


 レミィは、手間が省けたとばかりに、心の中でそう呟いた。

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