第37話:畏怖と本物の竜

 雪のような白い肌に白金の髪……白子アルビノのレミィは雪山で視認が難しい。

 だが、その殺意を纏った竜の皇女みこは、周囲に恐ろしいまでの存在感を醸し出していた。


「イヒィ!?」


 その姿を目の当たりにしたジリオンは、不気味な違和感を抱いた。

 邪教徒……こと狂信者には死に対する恐怖がなく、竜の威光は通じない。

 当然ジリオンにも“死に対する恐怖”はないはずなのだが……。


「ブルードよ……貴様の働きには感謝しておるのじゃ。服もこれ以上溶かされずに済んだしのう……なにより、わらわの大事な臣下を守ってくれたのじゃ……」


 戦闘の最中、レミィは笑顔でブルードの方を向いて、頭を下げた。

 帝国の頂点である皇族の娘が、一介の技師に……。


「ありがとう、なのじゃ……」

「お……いや……その……なんだ……どうってことはない」


 思いもよらない出来事に、流石のブルードも照れくさそうに応える。

 その隙を見逃さず、ジリオンは背後から錫杖でレミィの後頭部を叩きつけようとする。


「死ねぇィ!」


 だが、レミィはそれを見ることもせず、懐に入り込んで受け止めた。

 少女の小さな手が、異形と化したドワーフの太い手首を掴んだ形になる。

 と、レミィは無言のまま……ジリオンの腕を、容赦無く抉るように握り潰した。


「イギャァァァ!」


 腕から鮮血を撒き散らし、ジリオンは泣き叫ぶような悲鳴をあげる。

 吹き出す返り血に染まるレミィの目の前には、持っていた錫杖が転がり落ちた。


「エトス、フェリシア、二人にも怖い思いをさせてしまったのう……」


 妙にしおらしいその言葉に反し、目の前はスプラッタ状態だ。


「大丈夫です! レミィ様がいればどうにかなると信じていましたから!」


 フェリシアは、なんの迷いもなくそう言ってのけた。


「自分も……大丈夫です……むしろ、今、怖いものを見たような気も……」


 エトスも同じように振る舞おうとしたが、その惨劇を目にして一気に蒼ざめている。


「すぐに片付けるからのう。少し待っていてほしいのじゃ」


 レミィは、いつもの柔らかい笑顔で、3人に向けてそう告げた。

 まるで“散らかった部屋を片付ける”といった程度の日常の言葉……そんな軽さで……。

 そして、必要以上にゆっくりとジリオンの方へ振り返る。

 その表情に怒りはない……むしろ無だった。

 身を捩り悶えるジリオンは、残された左手で抵抗を試みる。

 爪があるのだ……この爪で引っ掻けば多少の時間稼ぎに……なると思ったのだろうか。

 レミィは避けることもなく、振り下ろしてきた掌を、そのまま迎え撃った。


「イギャギャァァ!」


 肉厚なジリオンの手を、レミィの貫手ぬきてが穿つ。


「どうしたのじゃ? 気持ちよくないのかえ?」


 手についた返り血を振り払うと、レミィは真っ直ぐ、無表情に歩み寄る。

 ただ、真っ直ぐ……一切表情を変えることもなく……。

 ジリオンは、その異変に気づき狼狽えていた。

 腕を握り潰されようとも、手のひらを貫かれようとも、痛みは感じていないはずだ。

 ある程度の痛みは全て魔力に変換され、受けた傷も徐々に再生される……使徒の御業みわざ

 それが、あるじニルカーラから授かった、ジリオンの能力なのだ。

 だが、今まで感じたことのないヒリつくような違和感がジリオンに悲鳴を上げさせる。

 ジリオンは、そこで考えたくもない仮説に辿りつく。


 ──まさか……このオレが……“恐怖”している!?


 繰り返すが、狂信者であるジリオンに“死に対する恐怖”はない。

 だが今まさに、その“恐怖”としか言い表しようのない何かがジリオンを支配していた。

 単なる恐怖……ではない。

 それは、相手が圧倒的な力を有するが故に抱く、畏敬の念。

 ジリオンは、この時初めて文字どおりの“畏怖”というものを知った。


「イヒィィィ……こ、これが竜……」

わらわの臣下に向けて、牙を剥いたこと……万死に値するのじゃ……覚悟はいいかのう?」


 異様なほどに整った、人形のようなその顔が冷たく笑う。

 恥も厭わず忠義もかなぐり捨て、ジリオンは、その場から逃げ出そうとする。

 だが、その足は動かない……。

 いや、立ったまま、倒れることもできない。

 動くこと自体が“赦されていない”。


「イィ……ヒィィィ……」


 その畏怖すべき存在は、徐々に近づいてくる……。

 自分よりも遥かに小さなレミィが、ジリオンには山よりも大きく感じられた。

 竜に抗う愚かな者を見下す、その瞳には静かな怒りの炎が燃え盛っている。

 持てる力、全てで、この目の前の穢れを排除しなければ気が収まらないだろう。

 その時レミィは、ふと、エトスに言われた“あの言葉”を思い出した。


 ──竜の……本物の竜の強さ見せてくださいよ!


「そうじゃ……本物の竜の力がどう言ったものか、思い知るがよい!」


 ラーズに教えられ、フェリシアに信じられ、エトスに励まされ、ブルードに守られ。

 皆に支えられ、レミィが自分のものにした技。

 それは、いつもの挙動、いつもの蹴り。

 円弧を描き、振り上げた踵で顎を砕くように蹴り抜く、いつもの技!


「──竜の尾撃ドラゴン・テイル・ストライク!──」


 それは一度、通用しなかった“蹴り技”だった。

 先程までは、どんな攻撃も、その外皮……贅肉に阻まれ衝撃は吸収されていた。

 そう、邪竜の使徒が授かった特殊な能力に、“ただの蹴り技”は通用しない。

 だが今回は違う……今度のそれは“名のある蹴り技”だ。


「ィ……」


 大気を切り裂くその蹴りは、外皮も何もかもを超えて、一瞬で顎を粉砕する。

 爆音と共に頭部は激しく揺さぶられ、そこで意識は持っていかれた。

 インパクトの瞬間に発生した強烈な衝撃波が、対象の全身を駆け巡り、体を震わせる。

 その光景を見ていた誰もが納得する、まさに竜が尾で薙ぎ払ったかのような一撃。

 クラスニーに放ったそれとは、桁違いの破壊力だった。

 着地したレミィは、すでに大部分が失われた外套を翻しつつ倒れた相手に背を向ける。


「その身に刻め……これが竜の力じゃ」


 そして、振り返ることなく、言葉だけを手向けた。

 ジリオンは断末魔の声もなく、白目を剥き、大の字になって後ろに倒れ込んだ。

 レミィ自身、自然にその名が浮かぶまで、何度も繰り返し練度を高めた、この技。

 同じ動きをしているようで、同じように蹴っているようで、その本質は全く異なる。

 本来竜は、その体の構造上、後ろ足で敵を蹴るといったことは滅多にしない。

 だが、尾で周囲を薙ぎ払うというのであれば、珍しいことではなかった。

 そこから、自分の足を尾に見立てることで思いついた、この技名。

 実に竜らしく、レミィらしい……“竜の戦技”として、ここに完成を見ることができた。

 これ以上、フェリシアたちを危険に晒したくないという想い……。

 そして、皆からの応援がきっかけとなって、技の名がイメージと繋がったのだろう。

 なにより“竜の”……と思い至ったのは、エトスの言葉があったからに他ならない。


「エトス! 貴様のおかげで技が完成したのじゃ!」

「え!? あ……そ、そうなんですか!? いや、役立ったんなら……嬉しいなぁ、あははは……」


 なにがどうなって、レミィに貢献できたのか、エトスにはわかっていない。

 だが、当のレミィは何やら喜んでいる様子。

 先のスプラッタからまだ立ち直れていないエトスは、とりあえず愛想笑いで応える。


「いい名前が出てきたじゃあねぇですか、姫さん」


 と、そこに背後から、驚くほど軽い調子でラーズが声をかけてきた。


「ラーズ!? 貴様いつからそこにったのじゃ?」

「あぁ、あの酸の渦みてぇな技を出す前くらいですかねぇ」

「はやぁ!? そんな早々に戻っておったのかえ?」


 皆が窮地に陥っていた中、近くにいたというラーズの言葉にレミィは驚く。


「いや、フェリシアさんは気づいてたみてぇですし、ドワーフのおっさんの目も死んじゃいませんでしたから……余計な手出しをすんのもどうかと思いましてね」

「絶対大丈夫と確信がありました!」


 フェリシアはドヤ顔でそう告げる。

 もちろん、レミィのことを信じていたのも事実だろう。

 だが、背後にラーズも居たというのであれば、その絶対大丈夫を疑う余地もない。

 滅多に危険な場所へ身を置かないフェリシアが、この場に居続けたのも頷ける。


「ぬー……まぁそれは良いとして……あの雪男イエティの方は大丈夫なのかえ?」


 釈然としない点も無いではないが、全員無事だったことには間違いない。

 レミィは話を変えて、個別に対処してもらった雪男イエティのことをラーズに問う。


「ええ、問題ありません。こいつも取ってきましたよ」


 ラーズは事も無げに、巨大な雪男イエティが付けていた首枷を手に報告をあげる。

 あまりに短時間だったため取り逃したということも想定していたのだが……。


「……手際がいいのう……」

「まぁ、あの後、ほぼ一撃で決着させましたんで……こいつの返り血洗うのに時間かかっちまって……」


 ラーズは悪びれもせず、首枷を洗うのに時間をかけていたことを告げた。

 この男は、どんなに強大な相手も物ともせず、確実な勝利をもたらしてくれる。

 レミィには、それが頼もしくもあり、嬉しくもあり、でも少しだけ……。


「むー……なんかちょっと悔しいのじゃ」


 頬を膨らませ、ラーズの方を少し上目遣いで睨みつける。


「へへっ、まぁ姫さんも、いい技を身につけられたじゃあねぇですか」


 レミィの意図を察したラーズは、そう言いながら、背後に倒れ伏すジリオンを指差す。


「あんな得体のしれねぇ相手を、一撃で仕留めたんです。自信持ってくださいよ」

「ふむ……むー、それはそうなのじゃが……」


 ラーズに慰められながらも、レミィは、まだ少し納得がいかない様子だった。


「……こいつは、本当にジリオンだったのか……」


 しばし呆然としていたブルードが、変わり果てた同胞の姿を見て声を上げる。

 他の堕徒ダートと違わず、ジリオンもまた黒に侵食されながら影の中へと消えつつあった。


「もとからそうだったのか……どこかでこうなったのか……それはなんとも言えんのう」

「そうか……そうだな……」

「むしろ、此奴とどういう関係があって、あの枷のことをどこまで知っておるのか……その辺りの話を聞かせてもらいたいところなのじゃ」


 フェリシアが用意した予備の外套を身に纏いつつ、レミィはブルードにそう告げる。

 ブルードは、なにか思い詰めたような様子で、ジリオンの亡骸を見つめていた。


「……」

「はい♪ まずは、ブルード様の治療が最優先です! ね、レミィ様?」


 沈黙を破るように、フェリシアは手をパンと叩いて、レミィに指示を仰ぐ。

 それに促され、気がついたレミィは、頼れる臣下たちに行動を命じた。


「うむ、ラーズはブルードを背負って、街まで連れて行ってもらえるかのう。エトスは、この周辺の調査を頼むのじゃ」

「はい殿下! 調査は、お任せください! 寒そうですけど……」

「うむ、良い返事なのじゃ。寒いのは知らんのじゃ」


 エトスの軽快な反応に、レミィは冗談混じりで機嫌良く応える。

 そんな微笑ましい光景を横目に、ラーズはブルードに手を差し出した。


「その大部分、焼けただれちまってる体で……ここまでよく耐えてたもんだぜ。ほら、おっさん、いくぜ」

「……すまん……たのむ……」


 気難しいブルードも、ここは素直にその手を取った。

 そのままラーズに背負われ、街の神殿まで移動することになる。

 正直、もう少し渋るだろうと思っていたレミィの不安は杞憂に終わった。


「さて……フェリシアには、道案内を頼むのじゃ」

「はい♪ お任せください」


 フェリシアの案内に従い、一行は大工房へと帰還する。

 邪教徒の企てを阻止し、堕徒ダートを撃破したレミィたちの凱旋である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る