第36話:神器と技師の切り札

「むー……見た目以上に面倒な相手なのじゃ……」

「殿下! ご無事で……よかった」


 何事もなかったかのように、レミィは跳ね起きると全身をほぐしながら体勢を整える。

 首を鳴らし、肩を回し、腕を回し、軽くジャンプし、ストレッチ。

 そして、指を鳴らして、目の前に転ぶ酒樽ジリオンを見下ろす。

 レミィ自身にこれといったダメージは無さそうだが、服はもうボロボロである。


「貴様もわらわも、共に決定打がないようじゃのう……これは泥試合になりそうなのじゃ」

「イギギ……小娘ぇ……!」


 レミィの言うとおり、ジリオンの攻撃もレミィに通用しないが、その逆も然り。

 現状では、共に決定打に欠けているように見える……。

 だが、レミィには一つ懸念点があった。


 ──おそらく、あの錫杖は……外皮で防げそうに無いのう……。


 レミィは、ジリオンの手に握られた錫杖に目をやった。

 少し肥大化したその体躯には、棍棒ほどの扱いになってしまっている、あの錫杖。

 赤の使徒クラスニーの持っていた剣……少なくとも、あの剣はレミィの肉体に直接傷をつけた。

 黄の使徒ジョルティはラーズが相手をしたので、あの大槌がどうかはわからない。

 だが、ニルカーラの使徒たちが持つ、禍々しい武器はおそらく神器レガリアだろう。

 神にも斉しい力を持つ、かの者ニルカーラであれば、神器レガリアの創造もあり得なくは無い。


 ──酸は効かんでも、神器レガリアで直接叩かれると、そこそこ痛いのじゃ……。


 そう、実際は両者共に決定打がないわけではない。

 相手には、自分にダメージを与えるだけの武器があるのだ。

 だからと言って、ここで引くわけにもいかない。


「さて……続きを始めるかのう」


 構え直したレミィは、再び小さく手招きをして、ジリオンに体勢を整えるよう促した。


「イヒッ! 共に決定打がなイィ? 笑わせる」


 弛みきった体を起こし立ち上がったジリオンは、その手にした錫杖でレミィを指す。


「このニルカーラ様より授かった神錫しんしゃく酸浄さんじょうの能力は、“普通の”酸の放射だけではなイィ」


 不敵な笑みと共に、ジリオンは片手で錫杖を握りしめ、改めてレミィと対峙する。

 そう、ジリオンは、まだブルード以外には切り札を見せていない……。

 秘技『──溶棺・酸浄ようかん・さんじょう──』は渦状の広範囲に強酸を噴射する技だ。

 その際、圧縮された酸の液は、帯状の刃となって周囲を抉る。

 たとえ酸自体が効果を及ぼさずとも、その酸の刃を受けて無傷とはいかないだろう。


「ふむ……その棒切れに、まだ仕掛けがあると言うのかえ?」

「ぼ……棒切れではなイィ!」


 下賜された武器に心酔するジリオンを煽るように、レミィは挑発する。

 効果は抜群だ。


「イギィーッ!」


 ジリオンは、その戦闘に適さない肉体を揺らしながらレミィへと襲いかかった。

 小細工もなく、直接錫杖を叩きつける物理攻撃。

 レミィはそれを敢えて避けず、ラーズから教わった技術を駆使して受け止める。

 その武器が神器レガリアであるかどうか、身をもって確認するために。


 ──ふむ……素手での受け方を聞いておらねば……大打撃だったのじゃ。


 肘を軸に、半円を描くようにして受け流し、武器の勢いを去なす。

 ある程度は軽減できているが、それなりに痛みがある。

 少なくともレミィの……竜の外皮をも傷つけられるだけの性能は備えているようだ。

 だが、その扱いは素人そのもので、武器の性能は全く活かされていない。


「さぁ、打ってこイィ! 小娘ぇ! 防戦一方では、この“緑の使徒”ジリオン様には勝てなイィ!」


 今までの堕徒ダートに比べれば、全く脅威と感じられない稚拙な攻撃。

 このジリオンは、前衛で戦うタイプの者ではないのかもしれない。

 であれば……この攻撃は……。


 ──なにかを、待っておるのかのう……。


 隙だらけの攻撃を掻い潜り、レミィは、その誘いに乗って様子を見る。

 ラーズとの組み手で教わった、拳と蹴りの軽い連携。

 少しずつ、習ったことを思い出しながら、レミィは攻め続けた。


「ああ! イィ! もっと! 気持ちイィ!」


 またしてもジリオンは、その攻撃を避けることなく自ら喰らいにいく。

 レミィの拳に打たれる肉の音が周囲に鳴り響いた。

 その様子を見ていたブルードは何かを察したのか、懐から片眼鏡を取り出す。

 と、酸でただれた震える手で、それを装着し目の前の出来事を確認する。


「……いかん! これ以上、娘っ子に攻撃をさせるな!」

「ブルード様!? どうなさったのですか?」


 突然叫ぶブルードの声に、フェリシアが驚く。

 その片眼鏡……魔力の流れを見る魔導具マジックアイテムを介し、ブルードにはそれが見えた。

 ジリオンが攻撃を受ける度に、その力は魔力に変換されている。

 さらに、その魔力は錫杖へと集束して……。


「いや、おっさん、殿下に攻撃させるなって……何言って……」

「……広範囲の、酸の渦が来るっ!」


 状況がわかっていないエトスは、ブルードに問いかける。

 ブルードは途中の説明を省き、最大限警戒すべきことだけを叫ぶしかなかった。


「イヒャヒャヒャ! もう遅イィ! これでオマエらも皆……気持ちイィィィ!」


 その動きに気づいたジリオンは、対策を許さないとばかりにすぐさま行動に出る。


「喰らえィ! ──溶棺・酸浄ようかん・さんじょう──」


 レミィの前から大きく後ろに飛び退いて、ジリオンは技の名を口にした。

 錫杖の持つ位置を変え、足元に石突を打ちつける。

 そこを中心に、高圧で刃と化した酸が渦を巻き周囲へと広がっていく。

 石造りの建物を溶かし、山肌を抉り侵食した、酸の大渦だ。


「これはマズイのじゃ!」


 レミィは自分の防御は捨て、フェリシアたちの方へと身を翻した。

 小さなレミィの体では、どの程度防げるかはわからない。

 だが、少しでもその被害を減らすために、大の字でその前に立つ。


「レミィ様!」

「殿下!」


 フェリシアとエトスの悲痛な声が辺りに響く。

 レミィには効かないかもしれないが、他の者にはそうはいかない……。

 だから少しでも……フェリシアたちへの被害が軽減できればとレミィは考えていた。


「──起動! 難攻不落!──」


 その時、ブルードの詠唱らしき声が割り込んできた。

 再び、周囲の雪と山肌を抉るように、酸の渦が辺りを蹂躙する。

 周囲には、溶かされた雪と酸の混じり合った翠煙が漂っていた。


「イヒャヒャヒャ! もう! コレで! 何も残らなイィ!」


 煙に閉ざされた視界の中、ジリオンの目に一つの影がうっすらと確認できた。


「まだ立つか偽竜の娘ぇ! だが、この酸と斬撃の合わせ技はオマエにも効いたんじゃなイィ?」


 自分の能力に絶対の自信を持つジリオンは、特に警戒もせず、その影に近づいた。

 そしてそのまま、影に向かって手にした錫杖を振り下ろす。

 ガキンッと、人の体らしからぬ音が返ってきた。

 いくらレミィの外皮が硬くとも、こんな音はしない。

 通常の生物がもつ外皮とは違った感覚……そう、まるで金属のような……。


「イヒッ!? コレは、偽竜の娘じゃなイィ?」


 禍々しい色の煙が晴れる。

 と、そのジリオンの目の前にあったのは、人の大きさほどある盾……だろうか?

 どこかで見覚えのあるその質感……色……意匠……これは……。


「イギギ! コレは! 兄弟の……鎧ィ!?」


 酸の渦に巻き込まれる中、レミィたちの前で攻撃を防いだのは、ブルードの鎧だった。

 厳密には先ほどまで鎧だったそれが、大きな盾に変形し、皆の前に立ち塞がったのだ。


「2回も磨いてもらって悪いな。だいぶ綺麗になった」

「こ……こんな……ありえなイィ!」


 ドーナツ状に抉られるはずだった地面は一部が欠け、Cの字になっている。

 ブルードの鎧……その大きな盾は遮蔽となり、ジリオンの技を完全に防いでいた。

 ジリオンは悔しさを滲ませ、激しく地団駄を踏む。


「イギーッ! ならばもう一度……」

「“もう一度”があると思うのかえ?」


 次の瞬間、その盾の影から、白金色の強烈な殺意が姿を見せた。

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