第35話:堕徒と予想外の反撃

「いや、ああ見えて軽くないんだ……殿下は重い!」

「はい。レミィ様には十分な重さがあるかと!」


 ブルードが言っていたのは体重の話ではなく、あくまで“打撃の重さ”だ。

 だが、エトスとフェリシアの主張も、あながち的外れではなかった。

 体重の重さと打撃の重さは無関係ではない。

 体重の軽い者と重い者……。

 両者が同じパワー速さスピードを持つと仮定すれば、重い者の方が威力では勝る。

 もし、レミィが見た目どおりの慎ましやかな体重であったなら……。

 その打撃は魔導具マジックアイテムの衝撃吸収効果に抑えられていたかもしれない。

 ブルードやジリオンの想定では、少女の拳如きで抜ける障壁ではなかったのだ。


「軍馬くらいの重さって話だったけど……たぶんそれより重い……間違いない! 殿下は相当重い!」


 呆然とするブルードに向けて、なぜかエトスは興奮した様子で力説する。

 レミィの……竜の知覚力を完全に見誤っていたのかもしれない。


「……全部聞こえとるからのう」


 レミィは、拳を打ち出したポーズのまま、ジト目でエトスに釘を指した。


「イダイ! グボォ……ゲホゲホッ……イタイ! 痛イィ!」

「偽物の竜でこれなのじゃ。本物の竜ならもっと痛いかもしれんのう?」


 痛みに悶えるジリオンに向けて、レミィが皮肉を言う。


「コノ……コノォ! 小娘がぁぁぁ!」


 ジリオンは、およそ人の顔とは思えぬほどに酷く歪んだ表情でレミィを睨みつける。

 そして、ふらつきながらも錫杖に縋るようにして立ち上がった。


「もう許さんぞ! ニルカーラ様の忠実なる使徒である、このオレに、こんな真似をして……許されると思ったか! 本気を出すぞ! いいな!? 後悔しても知らんぞ!?」


 その口ぶりから察するに、ジリオンには何かの切り札があるのだろう。

 今までの堕徒ダートたちと同様に、異形の者へと変化する可能性はレミィも心得ていた。

 妙に勿体付けてくる理由はわからないが……。


「イヒッ! 本当にいいんだな!? 止めるなら今のうちだぞ!? ニルカーラ様より授かった大いなる力! 真の姿になったオレは……」

「いいから、はようせい! 勿体ぶるほどのものでもないのじゃ!」


 あまりに回りくどいその口ぶりに、呆れたレミィは話を遮る。

 自分よりも遥かに幼い少女に罵られたジリオンは、益々怒りを露わに……。

 するかと思えば、その表情は次第に恍惚としたものに移り変わっていった。


「イヒャヒャヒャ! イィ! もっと! もっとぉ!!」


 奇声をあげながら天を仰ぎ、ジリオンは穢れた姿へと変貌を遂げ始める。


「やはり、此奴も堕徒ダートかえ」


 全身が肥大し、一回りほど大きくなった姿は雪男イエティと同程度だろうか。

 だが、その肉体は脂肪にまみれ、弛んだ腹の肉が段々に重なっていた。

 蹄のついた短い足に、鋭い爪、下顎には噛み合いそうもない大きな牙が2対もある。

 禿げ上がった頭、オークにも似た豚鼻の顔は元の原型を留めていない。

 そして背中には、どう見ても飛べそうにない蝙蝠の飛膜に似た小さな翼が生えていた。

 クラスニーやジョルティとは一線を画す……全く戦闘には適さない体型フォームだ。


「な!? 小僧! なんだあれは!?」

「あれは、さっきまでおっさんの知り合いだった……邪竜に魂を売り渡した者の末路さ」


 ジリオンの変化を目の当たりにしたブルードは驚いた様子でエトスに問いかける。

 話には聞いていたが、エトス自身も、それを直接見るのは初めてだった。


「イヒッ! 気持ちイィ! もっと……もっと打って! もっとなじって!」

「あ、これはダメなやつなのじゃ……」


 異形の者へと変化したジリオンは、奇声をあげながら襲いかかってくる。

 常人ならば一撃で倒れるであろう威力を誇るレミィの攻撃を避けようともせず……。

 いや、むしろ自分から、わざわざ攻撃を喰らいにいっているようにも見える。

 危機感よりも先に嫌悪感を抱いたレミィは、早急に戦いを終わらせようとした。

 見た目に違わぬ緩慢な動きのジリオンを間合いに捉え、円弧を描くように蹴り上げる。

 ズバンッと重い音が周囲に鳴り響く。

 いつもの挙動、いつもの蹴り……いつもの踵で顎を砕く、あの技だ。


「よし! 殿下の決め技が入った! これで!」


 レミィの勝利を確信したエトスは、拳を握りつつ声を上げる。

 だが、その先は、いつものような結果にはつながらなかった。


「イィ! コレ! き……気持ちイィ!」


 レミィの踵は、だぶついた二重顎を震わせるほどの衝撃を与え、確実にヒットした。

 だが、ジリオンは歓喜の声を上げながら、その身を踊らせる。

 と、そのまま空中で無防備になったレミィを、張り手で地面に叩きつけた。


「で、殿下ぁぁぁ!?」


 周囲に雪煙が舞い、その視界を遮る。


「嘘……だろぉ……!?」


 エトスが絶望の声をあげる。

 程なく、視界が晴れるとその状況はエトスたちにも見えてきた。

 地面はハッキリそれとわかるくらい、レミィの形に凹んでいる。

 そうはならないだろうとツッコみたくなるほどに……。


「イヒッ! どんな打撃も……オレには気持ちイィだけぇ! この最も忠実なる堕徒ダート、“緑の使徒”ジリオン様には! 通用しなイィ!」


 地面にめり込んだレミィを踏みつけ、ジリオンは勝ち誇ったように名乗りを上げた。

 胸元の不気味な紋様が、怪しい緑色の光りを放つ。


「殿下! 殿下ぁぁぁ!」

「ダメです!」


 今にもレミィの元へ駆け出そうとするエトスの肩をフェリシアが掴む。

 そして、狼狽うろたえるエトスの方を向いて、問いかけた。


「レミィ様の指示は、何でしたか?」

「フェリシアさん! 離してください! 殿下が!」

「レミィ様の指示は! 何でしたか!?」


 強い口調で、フェリシアはエトスに同じ質問をぶつける。

 真っ直ぐに見つめる、その目に迷いは見えない。


「……殿下の指示は……フェリシアさんとブルードさんを連れて、安全な場所に待避する……です」

「私たちにできることはなんですか?」


 フェリシアは、なおも続ける。

 その様子に気圧けおされたエトスは、まるで上官と相対あいたいしているかのように答えた。


「信じて……指示を全うすることです!」

「はい! よくできました♪」


 なんとか立ち直ったエトスの様子を見て、フェリシアは満面の笑みで応えた。

 そのフェリシアの言葉を受け、エトスの目には再び闘志が宿る。


「そうだ、殿下が……」

「そうです、レミィ様が……」

「負けるはずなんてないんだ!」

「負けるはずなんてないんです!」


 ボロボロの大盾を構えなおし、エトスは再び防御体勢をとった。


「イヒッ? 偽竜の娘が? 負けるはずなイィ?」


 声を聞いていたのか、ジリオンはその視線をエトスたちの方へと向けた。

 そこに倒れ伏すレミィを蹄で何度も踏みつけながら、エトスたちを威圧する。

 その巨体で踏みつけられては、武装した成人男性でも潰されてしまうだろう。

 レミィの丈夫さは信じているが、足蹴にするという行為自体がエトスには許せない。


「ああそうだよ! 殿下が負けるはずないね! お前みたいな豚野郎に!」


 悔しさを堪え、エトスは精一杯の言葉で煽る。


「現実が見えてなイィ! この小娘の攻撃は、オレに通用しなイィ!」


 エトスの言葉に苛立ちを見せたジリオンが、レミィに蹄を強くねじ込もうとする。


「ええい、煩わしいのじゃ!」


 と、その足を軽く手で払うようにしてレミィはムクっと起き上がってきた。

 まるで、朝起きた時の毛布を跳ね除けるかのように、軽く。


「イヒーッ!?」

「で、殿下!!」


 酒樽のような体型のジリオンは、その場で足を払われ、後ろに転がっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る