第34話:魔導具と一撃の重さ

「大丈夫ですか? ブルード様……意識はありますか?」

「ああ……大丈夫だ」


 何度も声をかけながら、フェリシアは重症のブルードを手当てする。

 爛れた皮膚が痛々しい。

 だが、ブルードは全く弱音を吐くこともなく、しっかりと返事を返していた。


「ちょっとキツいかもしれないけど、このまま這ってでもここから離脱してもらうぜ。おっさん、イケるか?」

「ああ、だが……あの娘っ子は?」


 もはや見る影のない大盾を装備しながら、エトスは二人に指示を出す。

 ブルードの問いかけには、思うところもあったが、そこはグッと堪えた。


「安全な場所まで退避しろって……殿下の指示だからな」


 自分に言い聞かせるようにレミィの指示を復唱すると、エトスは大盾を構え直す。

 そして、そのまま二人を護るようにして後退を始めた。


 ──ここは……殿下に任せた方が……いいんだ……。


「ここはレミィ様にお任せしましょう! 私たちは足手纏い、近くに居ると邪魔です!」

「うわぁ!」


 心を読まれたような言葉をフェリシアから受け、エトスは動揺する。


「わ、わかってますよ! 自分の力量くらい……」

「だから応援だけ……レミィ様に一言、お声をかけていきましょう!」


 何の迷いもない満面の笑みで、フェリシアはエトスにそう告げる。


 ──応援なんかしたところで何の意味が……。


「レミィ様! 頑張ってください! 私はしっかり逃げます!」


 エトスがネガティブな思考をするよりも早く、フェリシアは行動に出る。


「ほら、エトス様も」

「あー……いや、急にそう言われても……うぅ、殿下! 竜の……本物の竜の強さ見せてくださいよ!」


 エトスは、思いついた言葉をなんとか口にする。

 主人あるじを“偽竜”と侮辱したジリオンに当てつけるかのように、“竜の”を強調して。


「はや? 突然応援されてしまったのじゃ……くすぐったいのう」


 その声援を受けたレミィは、あまり馴染みのない体験に少し困惑する。

 まさか、この時のエトスの言葉が“きっかけ”に繋がるとは、思ってもいなかった。





「本物の竜ときたか……笑わせるな。真なる竜の神ニルカーラ様を貶めた、偽竜の娘が!」


 喚き声を上げながらジリオンは錫杖を手に、レミィの方へと襲いかかってきた。

 燻んだ黒い金属でできた杖の先は禍々しい緑の液体……強酸で覆われている。

 触れれば、生物はもちろん金属すら瞬く間に溶かしてしまう、凶悪な装備だ。

 レミィはそれを不用意に受け止めるような真似はせず、回避に専念する。


「イヒャヒャヒャ、直撃せずとも、触れただけで大ダメージの強酸を……いつまで躱せるかな?」


 突き、払い、返す石突と、ジリオンは多彩な攻撃手段で攻め立てた。

 最初は防戦に徹し、相手の出方を伺いながら反撃のタイミングを図る。

 これはレミィの常套戦法だが、今回は流石に分が悪いように思われた。

 何せ、相手の武器は触れるだけでいいのだ……例え、それがまぐれ当たりでも。


「イギーッ! ちょこまかと鬱陶しい! ならばこれでどうだ!」


 ジリオンは両手で構えた錫杖の先をレミィの方へと向け、手元で何かを操作した。

 と、先端から、強酸の霧が円錐状に噴射される。

 流石にこの範囲攻撃は避け切ることができない。


「殿下ぁっ!」


 エトスが絶叫する。

 だが、レミィは慌てることもなく、その霧を風圧で跳ね除けるように外套を翻した。


「イヒャヒャヒャ! その程度で振り払えるものか!」


 常識的に考えれば、そうなのかもしれない。

 だが、相手はあのレミィである。

 小さなボディに大きなパワー、常識を超えたエネルギーの塊。

 外套の……いや、振り払った腕の起こした風が、前方に小さな竜巻を生み出す。

 そして、その風に吹き散らされるように、強酸の霧は文字どおり霧散した。


「イヒッ!? なんだと!?」


 とはいえ、流石に完全に回避できたというわけでもない。

 最悪の結果こそ免れたが、一瞬は強酸の霧を全身で浴びた形になった。

 軍服も一部が溶かされ、外套に至ってはほぼ原型を留めていない。


「ぬー……また服を新調せねばならんのじゃ……」

「なあぁぁぁっ! で、で、殿下! 服! マント! 肌! またー!」


 霧が払われ露わとなったレミィの姿は、ところどころ肌が露出した状態であった。

 案の定、その惨状を目にしたエトスが大騒ぎする……色々な意味で。

 ジリオンは、その姿に呆然とする。

 神々しい、つるぺ……スレンダーボディに見惚れているというわけではない。

 髪が、顔が……醜く溶けて崩れるはずの体が、一切穢されていないのだ。


「小娘……オマエまさか……」

わらわに酸が効くと思うたのかえ? その辺の黒竜ですら耐性を持っておるのじゃ」

「イ……ギギギ……」


 強酸を物ともしないレミィの肉体……その言動に、ジリオンは歯噛みする。

 手にした錫杖の石突きで地面を何度も叩きつけ、苛立ちをぶつけた。


「あの娘っ子……何者だ……」

「ブルード様もご存知のはずですよ。レミィ様は、神聖帝国グリスガルドの皇女殿下……そして聖竜の皇女みこ様です♪」


 驚いた様子のブルードに対して、フェリシアは笑顔で応える。

 まるで自分のことであるかのように、それはもう自慢げに……誇らしげに。


「イギーッ……偽竜の娘がぁあああ! 生意気なぁ!」


 酸が無効と知ったジリオンは、レミィに向けて逆手で弩を連射する。

 矢弾を装填しているようには見えないが……そういう魔導具マジックアイテムなのだろう。

 だが、いくら数を撃ったところで、目に見える攻撃などレミィには届かない。

 放たれた矢は、左手だけで全て払い除けられた。


「あー……だめだ! ちょっと……殿下! あー危ない!」


 動くたびにどこか見えそうになるレミィの姿を見て、エトスはヤキモキする。

 明らかに冷静な目で見ることができていない。


「さて、そろそろこっちの番じゃのう」


 そんなエトスの気持ちなど気にも留めず、レミィはそこから反撃に転じる。

 今までのレミィであれば、ここから蹴り技を主体に攻勢に出ていた。

 その体の小ささを補うため、少しでもリーチの長い足を使っていたのだが……。


 ──あまりパターン化しても良くないと……ラーズが言っておったのじゃ。


 ラーズから教わったことを思い出し、いつもと少し趣向を変えることにした。


 ──こんな感じかのう?


 軽く肩を回すと脇を締め、拳を前に構えるようにして、軽い牽制ジャブを放つ。

 パンパァンと、空気が弾けるような音が拳の前で鳴り響く。


「うむ、いくのじゃ!」


 と、錫杖を手に身構えていたジリオンの間合いへと、レミィはそのまま踏み込んだ。


「イヒッ!? ヒ……ヒィ!」


 少し猫背気味に、小さく構えたまま左手で続けて牽制ジャブを撃つ。

 それほどの速度ではない……エトスの目でも辛うじて追うことができる牽制ジャブ

 だが、なぜか、それを受けるジリオンは後退を余儀なくされていく。


「ヒィ……こんな……小娘の……どこにこんな……」

「貴様も然程……大きくなかろう……なのじゃ!」


 確かに今までの相手に比べれば、ドワーフの背丈はそれほど高くはない。

 それでも、レミィよりは頭ひとつほど大きいのだが……。


「イギィッ! 調子に乗るなぁ!」


 執拗な牽制ジャブに押し込まれていたジリオンが、間隙を縫って錫杖を突き出す。

 そこに合わせて、レミィは右の正拳突きストレートをカウンターで鳩尾みぞおちに放った。

 ズブッと……あまり耳にすることのない音が周囲に鳴り響く。

 その実、ジリオンには余裕があった。

 ブルードの戦槌が放った衝撃波……。

 さらには4人分の全体重が乗った大盾のチャージアタック……。

 そんな衝撃を受けてなお、ジリオンは大きなダメージを受けていない。

 そう、彼の着ている革鎧は、衝撃を吸収する特殊な処理が施された魔導具マジックアイテムだった。

 そして、そのことにブルードは気づいていた。


「駄目だ……あの程度の打撃では……ジリオンの防具は……」

「イヒャ……ヒャ?」


 自分の防御能力に絶対の自信を持つジリオンは不敵な笑みを浮かべる。

 と同時に、その歪み上がった口角から赤い何かが一筋、流れ出るのが見えた。


「グボォアッ! ゴブベェ……ゴボ……ドボ……どぼじで……」


 周囲の雪を緋色に染めながら、ジリオンは言葉にならない悲鳴をあげ、のたうち回る。

 おそらく内臓の大部分が損傷したであろう、大量の吐血。

 身につけていた革鎧の腹部は、完全に刺し貫かれたように穴が空いていた。

 まるで竜の牙が穿うがった跡のように……。


「何が起きた!? あんな軽い娘っ子の打撃で……?」


 その魔導具マジックアイテムの効果を知るブルードは驚きの声を上げる。


「殿下が?」

「レミィ様が?」

「軽い??」


 そこにエトスとフェリシアは、まるで打ち合わせしていたかのように、重ねて返した。

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