第28話:吹雪と銀髪の誘い

 足を払われ、宙を舞った雪男イエティは混乱していた。

 何が起きたのか全くわからぬまま、足に激痛を感じたかと思うと景色が横になった。

 その刹那、腹部と頭部……およそ急所と思われるところ全てを強打され、意識が飛ぶ。

 雪雲に覆われた真っ白な空が、その雪男イエティが見た最期の景色となった。


「……もう……助かった……のか?」

「なぁんで疑問系なんだよ! ま、あとは姫さんがどうすっかだけだ」


 茫然自失といった様子で、兵士たちはラーズを見上げる。

 2体の雪男イエティを瞬く間に屠ったラーズは、腕を組んだままレミィの方を見やった。


「ダァァァッバァァァ!」


 同族を倒された怒りか、雪男イエティは、狂ったようにレミィに飛びかかっていく。


 ──こいつらぁ結構つえぇぜぇ? さぁ、どうする姫さん?


 ラーズは、ここまでにレミィの戦うところを目にしたことがなかった。

 初めて会った時には首ナイフ状態から救出されただけで、戦闘そのものはしていない。

 それ以後も、なんだかんだと平穏な毎日で、そういった機会には恵まれなかった。

 だが、その機会は、今まさにやってきた。

 あのルゼリア王が絶賛する……レミィの実力が見てみたい。


「ラーズ卿! なにやってんですか! 殿下が! ほら!」


 御者席から叫ぶエトスの声を無視して、ラーズは手出しせず静観を決め込んだ。

 雪男イエティは前腕で地面を掻くようにして、レミィの前へと詰め寄る。


「グォォォラァァァ!」


 そして、目の前に立ちはだかる小さな存在を、容赦無く剛腕で殴りつけた。

 その頭よりも大きな拳がレミィに襲いかかる。

 レミィは、それを避けることなく、左手で内から外へ半円を描くように受け止めた。

 厳密には“受け止めた”と言うより、弾き返したと言う方が正しいだろうか?

 殴った側の方が、手首にダメージを負ったようにも見える。

 雪男イエティは、それにも怯まず、今度は両手を組んで振り下ろし叩きつけてきた。

 大きな相手からの、上から下への攻撃は、去なすのが難しい。

 レミィはそれを去なすことを選ばず、真っ向から、垂直に蹴り上げた。

 股関節の可動域が大きい女性ならではの、美しい蹴り。


「ありゃあ、俺にゃ真似できねぇな……」


 その柔軟性に富んだ動きにラーズも驚きの声をあげる。

 強烈な蹴りでカウンターされた雪男イエティは、たまらず仰け反った。

 手の骨が砕かれたのか、拳を上手く握ることができない。


「ム……ムルゥズガダァァァ」


 その痛みを怒りで抑え、雪男イエティは右腕を振り翳し、もう一度叩きつけた。


「ぬー、単調な攻撃なのじゃ」


 若干、拍子抜けな攻撃に飽きてきたレミィは、自ら間合いを詰め懐に入る。

 と、相手が叩きつけてきた腕を躱わすと、そのまま振り上げた踵で顎を砕く。

 クラスニーの時と同様に、綺麗な円弧を描くような蹴り……。

 その一撃で、流石の雪男イエティも力尽きた。


「おお……こいつぁすげぇや」


 一連の戦い方を見ていたラーズは、感嘆の声を上げる。


「どうだったのじゃ? ラーズ、少しは見直したかえ?」


 一方的に相手を封殺したレミィは得意げにラーズの方を向いて無い胸をはる。

 馬車を護衛していた兵士たちには、もう許容を超えた出来事だった。


「いやぁ、いい動きでしたよ。特に最後の蹴り……ありゃあ、なんてぇ技です?」

「はや? 技? 呼び名などないのじゃ……」

「はぁっ!?」


 ことも無げに“名はない”と告げたレミィの言葉に、ラーズは耳を疑った。

 それは、この世界に在る、全ての出来事に共通したこと……。



“万象、そのことわりにおいて、名付けられたものには特別な力が宿る。”

“道具に然り、精霊に然り、従魔に然り、魔法に然り……そして、戦技も然り。”



 名をつけると言うのは、ただわかりやすくするためだけではない。

 技術として伝承していく上で、また習熟する上でも大切な行為である。

 鍛錬し、反復し、練度を上げるためには名がないことには始まらない。

 名のない状態では、高い練度の技を安定して繰り出すことはできないのだ。


「するってぇと、姫さん、今の技……いや蹴りは、思いつきでやったってぇことかい?」

「ふむ……名など考えたこともなかったのじゃ」


 ラーズの中に“すげぇ”という気持ちと、“惜しい”という気持ちが同時に湧き出てきた。

 名なしでアレだけの技が出せることは、間違いなく凄いことだ。

 だが、その名がないという点がそもそも非常に惜しい……。


 ──こいつぁ、ちょっと姫さんに……教えてみるのもおもしれぇかもなぁ……。


「はや? 何をニヤついておるのかえ?」

「いやぁ、ちょっと楽しみが増えたってぇだけですよ。それより……オメェさんらは大丈夫かい?」


 技の話を一旦横に置いて、ラーズは護衛の兵士たちに改めて声をかけた。


「あ、ああ、大丈夫だ……あんた方はいったい……」

「だぁから、さっきも言ったろ? 通りすがりの……」

わらわは、神聖帝国グリスガルドが皇女、レミィエール・フィーダ・アズ・グリスガルドなのじゃ」

「いや、名乗っちまうんですかい!?」





 ひと段落したところで、襲われていた馬車の中から一人の男性が現れた。

 上等なローブに身を包み、オールバックで整えた茶髪に立派な髭を蓄えた小柄な男性。

 見た目の年齢的には、50代半ばと言ったところだろうか?

 レミィとそう大差ない身長の彼は、どうやらノームのようだ。

 ノーム……小人種リーテルと同程度の身長で、ドワーフと同じように地下に住まう者。

 工芸と哲学を愛し世界を探究し続ける、魔法にも秀でた長命の種族である。

 ワルトヘイムには、人間だけでなくノームやドワーフといった亜人種が多い。

 彼らは皆、様々な魔導具マジックアイテムを創り出し研究するため、そこに集った生粋の技師たちだ。


「こ、皇女殿下!? おお、危ないところをお助けいただき、ありがとうございます。私はワルトヘイムの工房五大人ごたいじんの一人、オーフェン・マイセルと申します」


 オーフェンをはじめ、護衛の兵士たちも雪の大地に跪く。


「ぬ……いや、寒いし冷たいからのう。皆、おもてを上げるのじゃ」


 またも望まぬ形で畏まらせてしまったレミィは、慌てて取り繕った。


 ──ぬー……仮の身分でも考えた方が良いのかえ?


 どのみち、この特異な外見では、偽ったところで即身バレするだろうが……。


「ともあれ、わらわたちはワルトヘイムの視察に来たところでのう。できれば、いろいろと話を聞かせて欲しいのじゃ」


 レミィは状況を伝え、五大人ごたいじんのオーフェンを自分の馬車に招いた。

 工房五大人ごたいじんといえば、この国では有力者だ。

 王のいない共和国であるワルトヘイムでは、議会が国の政治を執り仕切っている。

 その議会で大きな発言力を持っているのが、選ばれし5人の優秀な技師たち……。

 通称、工房五大人ごたいじんである。

 宗主国であるグリスガルドに対しては何の権限も持たないが、その影響力は大きい。

 その五大人ごたいじんに、こんなところで出会えたのも、予言書の導きだろうか?


「これは、なんとも……さながら戦車のような……見事な馬車ですな」


 オーフェンはレミィに促され、その白銀の客車キャリッジへと乗り込む。

 と、そこにいるフェリシアの姿を見て一瞬動きが止まる。


「ホ……有角種ホーンドがどうして……」

「フェリシアはわらわの専属侍女メイドでな、何でもこなす超有能な、わらわの右腕なのじゃ」


 オーフェンが言い終わる前に、レミィはすぐさまフェリシアの立場を告げる。

 差別の壁は、そう簡単に越えられる物ではない。

 だが、皇女の側近……専属侍女メイドともなれば話は別だ。

 オーフェンは、すぐさま態度を改める。


「あ、ああ……なるほど、よろしくお嬢さん」


 フェリシアも、その言葉に微笑んで返した。

 レミィの向かい側に座ったオーフェンは、客室キャビンの内部をぐるりと見渡す。

 ラーズが座ってなお余裕のある天井は、ノームにはあまりにも高く感じられるようだ。

 と、落ち着いたところでレミィが改めて話をしようとしたその時、予言書が光を放つ。


 ──ぬ? このタイミングかえ。


「なにかポーチの中が光っておるようですが……」

「うむ、ちょっと事情があってのう……しばし待つのじゃ」


 流れるような動作で、レミィは予言書を確認する。



 ■50、工房五大人ごたいじんの一人を危機から救った君は……

 A:そのまま、すぐに枷の話を切り出した。 →4へ行け

 B:まずは、先の戦いを振り返った。 →21へ行け



 ──これは……選ばねばならんのかえ?


 一方は、今まさに求める、少年たちの首につけられていた枷の情報だろう。

 そしてもう一方は先の戦いについての情報だろうか?

 どうして雪男イエティがこんな街道にまででてきているのか……。


 ──どっちも聞けば良いだけなのじゃ……。


 なぜ、これが選択肢になっているのか疑問を感じたレミィは、念の為に指を挟む。

 オーフェンが不思議そうな表情で見つめているが、気にしている場合ではない。

 レミィは順番に二つの選択肢の先を確認する。

 見る限り、どちらを選んでも枷の話と雪男イエティの話は両方できるようだ。

 だが、話す順番が違う。

 その結果、一方はその場にラーズがいない……という状況になるらしい。


 ──ぬー、雪男イエティの話はラーズがる方が良いかもしれんのう。


「あの……皇女殿下? 一体何を?」

「はや! すまぬのじゃ。ちょっといろいろ視察のために必要な情報があってのう。抜けがあっては困るので、確認しておったのじゃ」


 割と万能な理由づけで、レミィは咄嗟に言い訳をする。


「なるほど……で、どのような?」

「うむ。まずは、先ほどの雪男イエティの話なのじゃ」


 レミィは、まず先の戦いを振り返ることを選んだ。

 オーフェンの話では、ここ最近、雪山の魔獣が頻繁に出没するようになったらしい。

 原因は不明だが、雪男イエティだけではなく、凡ゆる魔獣が確認されているとのこと。

 オーフェンは、その対策会議に出席するため、首都の方へ向かっていた途中だった。

 魔獣が出没するという話は、ルゼリアでもあった。

 だが、あの時と今とでは決定的に違うことがある。


「先ほどの雪男イエティには、首に枷がついておらんかったのじゃ」

「まぁ、あんだけ顎蹴っ飛ばしてましたからねぇ。毛の中に隠れてたってぇオチはねぇと思いますよ」


 ラーズが楽しそうに、先ほどの戦いを振り返る。


「首に枷……ですか? そういった報告は、工房にも上がってきていませんな」


 となると、邪教徒絡みの線は薄いかもしれない。

 今の段階では情報が少なすぎる。

 魔獣の件はまたあとで考察するとして、レミィは続けて枷の話を振ろうとした。

 その時、御者席からエトスが窓を叩く。


「ラ、ラーズ卿……ぶぇっくしょっ! ちょ……ちょっと変わっでもらえばぜんが……」


 客室キャビンの中ではわからなかったが、外は相当吹雪いているらしい。


「オメェさん、防寒具着てたんじゃあねぇのか? ったく、ちょっと待ってな」


 ここでラーズが出ていく、と……予言書のとおりである。


「そうだ! 姫さん!」

「ぬ? どうしたのじゃ?」


 と、そこで客室キャビンを出る前に、ラーズが思い出したかのように振り返る。


「今の話で思い出しました。夜にでも、ちょいと自分の遊びに付き合ってくださいよ」

「はやぁ!?」


 思いもよらぬラーズからのお誘いに、レミィは少し戸惑った。

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