第3章

第25話:未来とその一つ先

「ぬ? ここは……どこかで見たような……」


 ほんの数ヶ月ほど前に……見た記憶のある、不思議な場所。

 壁一面が本棚に覆われ、出入り口らしきものも見当たらない大きな部屋。

 積み上げられた無数の本に囲まれた空間に一人、レミィは立たされていた。

 相変わらず飾り気のない、木製の調度品で揃えられた埃っぽい部屋。

 そう、予言書と付き合うきっかけとなった、コデックスとの出会いの場だ。


「お久しぶりです、皇女殿下」

「ふむ……また急にでてきおったのう」


 不意にレミィの背後に現れた、豪華な装丁が施された一冊の本……コデックスだ。

 それに驚いた様子もなく、レミィはゆっくりと振り向きながら言葉を返す。


「如何です? 冒険書籍は、貴方の役に立っていますか?」

「冒険書籍? ふむ、この予言書のことかえ?」


 ポーチから取り出し、手に取ってコデックスに差し出すように見せる。

 すっかりレミィの中では予言書となっているが、背表紙には冒険書籍と書かれている。


「ええ、そうです。いろいろと選択を迫られる、ハラハラドキドキの展開。冒険書籍と呼ぶに相応しい逸品だとは思いませんか?」

「意外と、一つ先を確認できたりするのが親切設計なのじゃ」


 妙なテンションで推してくるコデックスを相手に、レミィは素直な感想を返す。


「さすがは聡明なる皇女殿下、使いこなしておられますね。ですが、油断はなさらぬように。“一つ先”までは見ることができても、“その先”まではわからないのですから」


 その感想への応えなのか、ゆっくり諭すような口調でコデックスはそう告げた。


「まぁ、選ばなかった選択肢の先もわからんからのう。今が正解なのかどうなのか……わらわには全く達成感がないのじゃ」


 言われっぱなしも癪だと思ったレミィは、コデックスに少し不満をぶつけた。

 確かに、正しい歴史に導きたいというのなら、もう少しヒントがあってもいいだろう。


「なるほど。それは確かにそうですね」


 意外にもあっさりと、コデックスはレミィの訴えに応じるかのような反応を示す。


「では、これはお伝えしてもいいでしょう。もう選択を終えた、過去の話ですから」


 と、そのままレミィの言葉を待たず、コデックスは一方的に情報を口にし始めた。


「まず、貴女がヴァイスレインを訪れ、邪教の使徒を撃退したおかげで、あの村にその教えが広まることを防ぐことができました。加えて“新月の子”は完成しませんでした」

「ぬ? “新月の子”とな?」


 先の予言書に記されていた言葉にレミィが反応を見せる。

 だが、コデックスはそれに応えることなく、そのまま話し続けた。


有角種ホーンドの彼女にも出会うことができました。その結果、貴女はあの優秀な専属侍女メイドを雇用することができたのです」

「……フェリシアに出会えんかったかもしれんと……それは困るのじゃ」


 困り顔のレミィを置き去りに、コデックスは尚も続ける。


「そもそも貴女が行かなければ、貴女自身が怪我をすることもありませんでしたから、皇帝陛下は貴女のために、専属騎士を用意するといった策を弄することもありません。ルゼリアには皇帝陛下ご本人が向かわれたことでしょう。これが何を意味するかわかりますね?」

「ラーズとも出会えんかった……ということかえ?」

「なんらかの形で、皇帝陛下とあのルゼリア人ルゼリアンが接触する機会はあったかもしれません。ですが貴女のように、彼を闘神祭に送り込んだかどうかと言われると、どうでしょう?」


 フェリシアとの出会い、ラーズとの出会い、どちらもレミィにとって大切な出会いだ。

 この二人との絆ができただけでも、レミィの人生が大きく変化したことは間違いない。

 もちろん、とても好ましい方向に。


「……この出会いがなかったかと思うと、ゾッとするのう……」


 レミィの想いは、そのまま言葉となって吐露される。

 コデックスから言葉はなかったが、そこに同意するかのような沈黙が挟まれた。


「まぁ、本当に大切なのはそのあとです。あのルゼリア人ルゼリアンが参加しなかった闘神祭では、当然勝者はあの刺青の男になるのですが、その襲名式で皇帝陛下は大怪我をします。ルゼリアの“誇り”である煉闘士ヴァンデールの手にかかって」

「はやっ!?」

「命に別状はありませんでした。ですが、それをきっかけに帝国とルゼリアの関係は悪化します。当然ですよね? 従属国の者が宗主国の皇帝に文字どおり刃向かったわけですから。結果、帝国は軍事力の大半を失い、またルゼリアは帝国からの経済的な支援を失う。両者にとって何の利益もない争いが起きていたかもしれないのですよ」


 予想だにしていなかった話の内容に、レミィは唖然とする。

 もし、どこかの選択を間違っていたら……何かを見落としていたら……。

 想像したくもない未来の映像が頭を過ぎる。

 ここにきて、レミィはようやく自分の選択は正しかったのだという確信に至った。


「如何です? 少しは、ご自分の選択に自信が持てましたか?」

「うむ、そうじゃのう。少なくとも、ここまでは限りなく正解に近い選択肢を選ぶことができていた……と、思うことにするのじゃ」

「ええ、それで良いかと。繰り返しになりますが、私たちは、世界に対して直接影響を与える様な、行動や助言を禁じられています。なので、そのとおりですと断言はできませんが、ご容赦ください」


 満足げに頷くレミィに向かって、コデックスは相変わらず抑揚の無い口調で応えた。


「それでは、世界をあるべき本来の道へ、導いていただけるよう、引き続き宜しくお願いいたします」


 最後にそう告げると、周囲の本棚は砂のように崩れ落ち、空間ごと消滅し始めた。





 そして気がつくと、いつもの寝室……。

 見慣れた天蓋のベッドにレミィは沈み込んでいた。


「で? 彼奴は何をしにきたのじゃ?」


 唐突なコデックスの来訪に、レミィは疑問を抱く。

 ただ、予言書……冒険書籍の使用感を聞きにきただけとは思えない。

 そう考えたレミィは、改めてコデックスの言葉を思い起こす。

 選択肢を選んだ結果の話以外は、ほとんど中身のない話だった気もする。

 だが、その何気ない会話の中で、一つ不穏なことを言っていたのを思い出した。


 ──“一つ先”までは見ることができても、“その先”まではわからないのですから。


「一つ先が正解に見えても、その先が間違いである可能性もある……ということを、わざわざ言いに来たのかのう?」


 コデックスの真意はわからないが、今のところそれくらいしか思いつくことはない。


「まぁ良いかのう。考えたところでどうにもならんのじゃ」


 レミィは、そう呟きながら、二度寝するために再び毛布にくるまった。





「おはようございます、レミィ様♪」

「ほわぁ……フェリシアかえ? むー、まだ眠いのじゃ……」


 妙な時間にコデックスの訪問を受けたレミィは、少し寝不足気味のようだった。

 テキパキと朝の準備を進めるフェリシアに促され、ヨタヨタと立ち上がって服を脱ぐ。

 今まで一人でできていたことだが、専属侍女フェリシアが来てからは、随分と甘えていた。


「まだ御髪をといているところです。全部脱がれては風邪をひいてしまいますよ」

わらわは丈夫なのでぇ……ふわぁ……らいりょーぶなのじゃ」


 心配するフェリシアに対して、レミィはあくび混じりの返事をする。

 と、そこで、この私室の扉をノックする音が聞こえた。

 皇女宮にあるレミィの私室にまで直接訪れるとは、よほど急を要する案件なのだろう。


「うむ、入って良いのじゃ」

「失礼します! 殿下! 例の……」

「いえ、まだ入ってはダメです!」


 何も考えずに適当に返事をしたレミィの声を聞いて、若手騎士が入室する。

 現状を知るフェリシアは慌てて制止したが、その声は間に合わず……。


「孤児の……ってうわぁぁぁ! 服! うわぁぁぁ! フェリシアさん! 殿下は! なんで裸なんですか!」

「ぬ? ああ、そうだったのじゃ……何も着ておらんかったのう」


 叫び声をあげながら、そのまま後ろを向いて両手で顔を押さえる若手騎士。

 その様子を横目に、レミィは冷静に応えると適当にシーツを体に巻いた。


「はだ……あう……おふ……」

「で、例の孤児がなんなのじゃ?」


 何事もなかったかのように話を続けるが、騎士はまだ落ち着いていないようだ。


「殿下! も、絶っ対あんな状況で誰かの入室を許可しないでください! 本っ当に! ダメですよ!」

「何をそんなに怒っておるのじゃ?」

「怒ってませんよ! 怒ってない! 自分は全然怒ってないんですよ!」


 激しく抗議する若手騎士を不思議そうに見つめる。

 なぜそこまでキレ気味なのかは、レミィにはわかっていない。


「騎士様は、きっと、レミィ様の裸を誰かに見られるのが嫌なのですよ」

「はや?」

「ちーがーいーまーすー。違いますよ、フェリシアさん! そういうことじゃなくて、殿下は、この帝国の皇女で、すべての貴族の頂点で、それと女の子で、あと……」

「いや、貴様何しにここまで来たのじゃ?」


 若手騎士は、フェリシアの意味深なフォローに過度の反応を見せる。

 早口で言い訳を並べ立てる、その様子を見ながら、レミィは改めて要件を問いかけた。


「はっ! そうでした……ふぅ」


 そう言って呼吸を整えた騎士が発した言葉は、想像以上に重い内容のものだった。


「我々がルゼリアに行っていた間に、孤児院で異変があったそうです。怪我人も……でています」

「えっ!?」


 その報告に、フェリシアも息を飲む。


「ふむ、詳しい話を聞かせてもらわねばならんのう。急ぐのじゃ」


 レミィは急ぎ現場に向かうため、準備をするよう二人に声をかける。

 と、その時ベッド横のナイトテーブルに置かれた予言書が光を放つ。


 ──ぬ? ここでようやく続きかえ?


 巻きつけただけのシーツを引き摺って、予言書を手に取った。



 ■45、邪教徒の枷から新月の子らを解き放つため、君は……

 A:魔導省に調査を命じた。 →76へ行け

 B:自らワルトヘイムの工房へと向かった。 →96へ行け



「ふむ、そういう流れで北に向かうことになるのかえ」


 ずり落ちたシーツを気にも留めず、レミィは窓の外を見つめながら、そう呟いた。

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