第22話:堕徒と獣の怒り

 場内を沈黙が支配する。

 ほんのわずかな時間、瞬く間とはまさにこのことだろう。

 12人の猛者たちは、たった一人の闘士に、全滅にまで追いやられた。


「……しょ……勝者ァ……ラーズ・クリードォ!」


 進行役も言葉を失っていたが、己の役割を思い出し、ラーズの勝利を告げる。

 場内を再び大歓声が覆い尽くした。

 数の暴力……絶対的に不利なあの状況をものともせず、ラーズは勝利した。

 しかも、この短い時間のうちにである。

 あまりの出来事に、準決勝まで残っていた4人も空いた口が塞がらなかった。


「なんだよ……何者だよ、あの雑兵は……僕より目立つなんて……」


 予想していたものとは大きくかけ離れた結果に、御三家後見の闘士は爪を噛む。


「どぉういうことだ! おい進行役! 我々御三家の見ていないところで決着した試合など無効だ、無効!」


 余裕があると思い込み、下がっていた大臣たちは、歓声を聞いて慌てて戻ってきた。

 試合の不当性を訴えようとするが、拡声魔導具の声よりも、観客の声援の方が大きい。


「ラーズ! ラーズ!」

「帝国万歳! 闘神祭万歳!」


 場内には、ラーズを賞賛する声が響き渡る。

 これだけの観客が見守る中で、その圧倒的“強さ”を皆の目に焼き付けたのだ。

 この状態で、ラーズの勝利を無効にするのは最早不可能だろう。


「くそっ! あのバァカが余計なことさえ言わなければ!」


 不敵な笑みを浮かべ、見下すような目でラーズは大臣たちを見据える。

 不本意ではあっても、ここは勝者を讃えるしかない。

 大臣たちの苦虫を噛み潰したような顔を横目に、ラーズは右腕を上げて歓声に応えた。

 これで、ラーズも準決勝の4人と戦う権利を得たことになる。


「おめでとうラーズ・クリード! そして、おかえりなさい。4年前の不祥事で資格を剥奪された上に、王都を追放された哀れな闘士」


 歓声が落ち着いたところで、突然、拡声魔導具を介して、大きな声が響いた。

 先ほどまで爪を噛み、苛立っていた、例の御三家後見の闘士だ。


「その恥辱に満ちた苦難の壁を乗り越えて、再びこの闘神祭に返り咲いたその執念に僕は敬意を表すよ! 僕の全力を持って、君の執念を受け止めよう!」


 芝居がかった言い回しで、その闘士は場内に語り続けた。

 その言葉に乗せられてか、観客たちが少しざわつき始める。


「けど、このままトーナメントの形式ではフェアな戦いにはならない……みんなもそう思うだろう?」


 わざわざ観客に向けて問いかけるようなパフォーマンスをする御三家後見の闘士。

 確かに、5人でトーナメント形式を続けることには無理があった。

 シード選手を誰にするのか……何れにせよ、有利不利は生まれることになる。

 そこに同意するような声も返ってきた。


「じゃぁさ、ここからはさっきと同じで変則試合……5人が同時に戦って、最後に残った一人が勝ちの……バタイユ・ロワイヤル形式っていうのはどうかな?」


 言葉巧みに場内の観客をも巻き込んで、自分の提案する方向へと扇動する。

 闘士としての腕はさておき、その手の能力は高いように思えた。


 ──あの化け物ラーズと組んでいけば最後の二人にまでは残れる……そうなれば……。


 御三家の後見を受けている以上、最後は判定でなんとでもなるという勝算があった。

 観客たちもすっかりその言葉に操られ、賛同の声を大合唱する。

 とにかく目立って、それなりに戦っているふりを見せれば、観客を騙すのは簡単だ。


 ──あとは最後に握手でもして……二人同時襲名っていうのも悪くないだろ……。


 打算的な思考で策を講じる御三家後見の闘士だったが、そこに思わぬ待ったがかかる。


「あぁ……もウ! なんなのよ……予定外に次ぐ予定外で、もうアタシ面倒になっちゃったワ」


 準決勝に残っていた一人、大槌使いのダンディな髭の男が、そこに苦言を呈した。

 短い髪をピンク色に染め、全身には美しい花の刺青が彫られている。

 なんとも個性的な風体の男だ。

 その男は、目の前で熱弁する、御三家後見の闘士を面倒くさそうに払い除ける。


「え? いや、でもそれはフェアじゃない……」

「フェアな戦いをご所望? だったラ、まずアンタから消えなさイ!」

「え!?」


 刹那、その手にした大槌が、目の前にいる御三家後見の闘士に向けて振り下ろされた。

 頭部に強烈な衝撃を受けた闘士は、次の瞬間には地面に突っ伏していた。

 当人には、いつ振り下ろされたのかもわからなかっただろう。


 ──これは……地面!? 僕は……倒れてる?


 薄れつつあるが、まだ意識はあった。

 だが、立ち上がることはおろか、指一本動かすことができない。


 ──これは最高の見せ場だ……ここでカッコよく立っ……て……。


 残念ながら、その見せ場が訪れることはなかった。


「なぁにをしている! ウチの闘士に不意打ちとは! お前はもう失格だぁ!」

「失格……アタシかしラ? ホホッ……いいわよ別に、もう興味なくなっちゃったかラ」


 突然の暴挙に、大臣たちは猛抗議し、刺青男の失格を告げた。

 だが、刺青男はそれを意に介した様子もなく、不敵に笑いながら大槌を弄んでいる。

 観客たちには舞台の声までは聞こえておらず、何が起きているのかわからない。

 それは天覧席のレミィたちにも言えることだった。





「お? またなにか揉めておるようだな」

「今度は、わらわが何かしたわけではないのじゃ」


 先ほどの揉め事は自分のせいだと自覚があるのか、レミィはいいわけを挟む。

 気の利いた冗談で返したかったルゼリア王だが、どうもそれどころではなさそうだ。


「……あれは、只者ではないな……」

「ぬ? 誰か知り合いでもおったのかえ?」


 と、レミィがルゼリア王の視線の先を追おうとしたところで、預言書が光る。


「っと、その前に確認なのじゃ」


 慌ただしく預言書を取り出し、いつものように選択肢を確認する。



 ■13、闘神祭に姿を現した堕徒ダートを前に、君は……

 A:その場を闘士に任せた。  →44へ行け

 B:自ら戦場に躍り出た。   →61へ行け



「はやっ!? 堕徒ダートの記述があるのじゃ」


 そこに記された言葉を目にしたレミィは、思わず大声をあげてしまう。

 レミィの行動は気にしていなかったルゼリア王だったが、その言葉には反応を見せた。


「レミィ嬢、その穢れダートとは、なんだ?」


 ルゼリア王は、これまでの穏やかな印象から一転し、険しい表情を見せていた。

 レミィもその意図を察し、自分が知る限りの情報を王に伝える。

 その行動理念となる信仰対象、邪竜ニルカーラのことも含めて。


「なるほど、その堕徒ダートが……レミィ嬢の外皮を貫いた張本人ということだな」

「うむ。わらわが相手にしたのはクラスニーという司教っぽい男だったのじゃ」


 あの時の戦いを思い起こしながら、レミィは王に促された舞台の方へと目を向ける。

 と、そこにいるピンク色の頭に刺青姿の個性的な男が、視界に飛び込んできた。


「あの特異な出で立ちといい……よこしまオーラといい……刺青をした男、確かによく似ておるのじゃ」

「ほほう……竜の真眼をもってしても、事前に正体は見破れなかったか」


 顎髭をさすりながら、ルゼリア王は感心したように舞台の方を見やる。

 まだ、危機感を持っているようには見えない。


「ぬー……本質的には、ただの人間なのじゃ。何を信奉して、どう変異するかまでは、見ただけではわからんのう」


 レミィは少し憮然とした表情で訴える。

 その間も、ルゼリア王は舞台から片時も目を離さず、刺青男の動きを追っていた。


「さて、動きよるか……」





「さぁ……このボンクラちゃんが言ってくれたように、勝ち残りで死合しあいしちゃウ? ま、アタシ失格らしいかラ……勝ってもなーんにももらえないんだけど!」


 御三家後見の闘士を踏みつけたまま、刺青男は片手で大槌を突き出し、見得を切る。

 ラーズより、わずかに小柄だが、そのパワーには自信があるのだろう。


「アンタはアタシとおんなじ匂いがする……その引き締まった体に速さスピードパワーが詰め込まれてる気がするワ。あの無駄に肉ダルマになったバカとは違っテ」


 突き出した大槌を担ぎ直すと、わざわざ“しな”を作ってラーズを指差す。

 誰のことを指しているのかはわからないが、その誰かと比較しているようだ。


「こぉの、ピンク頭! さっさと神聖な舞台から降りろ! 我々を誰だと思っておる!」


 そこに空気を読まず、大臣の内の一人が刺青男につっかかっていった。

 権力でどうにかなる相手だとでも思ったのだろうか?


「神聖? だとしたら、その舞台から降りるべきはアンタじゃなイ!」


 相手が闘士であろうとなかろうと、刺青男は容赦なくその大槌で打ち砕く。

 ラーズには、それがわかっていた……その手前、助けないというわけにもいかない。

 片手で薙ぎ払うように、横から振り抜かれた大槌が大臣を粉砕しようとする。

 と、その直前でラーズは柄の部分を足で踏むように抑えて、振り抜くのを止めた。


「アラ意外!? こんなゴミ虫を助ける必要あるのかしラ?」

「んな弱ぇ奴に武器向けたってぇ、意味ねぇだろうがよ」

「ラ、ラ、ラーズぅ!」

「邪魔だ、おっさん、あぶねぇからさっさと舞台から降りろ」


 命の危険を感じた大臣は、助けてもらった礼も言わずに、急ぎその場から逃げ出した。

 刺青男も、わざわざ追いかけてまで殺そうというつもりはなさそうだ。


「でも不快だワ……アタシの武器、尾震びじんちゃんを足蹴にするなんっテッ!」


 刺青男は、そのまま片手で柄の部分を踏みつけるラーズを振り払う。

 見た目からは想像もつかないほどの怪力だ。

 だが、振り払ったラーズを改めて睨みつけた刺青男は、その状況を見て驚く。

 いつの間にかラーズは、先ほど自分が足蹴にしていた闘士を救い出していた。


「俺も不快だぜぇ……気高い闘士を足蹴にしたままで、御託を並べられんのはよぅ」


 抱えていた闘士を下に降ろすと、刺青男を見据え啖呵を切る。


「想像以上よアンタ! 最高! ここでアタシがアンタを挽き肉にしたラ、観客も最高に盛り上がるワ!」


 自己陶酔するかのように、目を瞑りながら一人呟く刺青男。

 異常事態を察した進行役と大臣たちは、舞台から降りて安全地帯へと避難を始めた。


「本気でアンタと戦いたくなっちゃったワ! でも……そのためには……」


 瞑っていた目を、急に見開き、刺青男は高速で舞台を駆け出した。

 それと同時に、刺青男の姿は徐々に異形の物へと変貌を遂げ始める。

 隆起した筋肉を覆うように黒い鱗のような外皮が形作られ、体も大きくなっていった。

 頭部には角が生え、胸元には目に痛いほど黄色く輝く不気味な紋様が浮かび上がる。


「ん!? 変身だと? レミィちゃんあれは……」

「あれが堕徒ダート本来の姿なのじゃ!」


 上半身だけが肥大したクラスニーのそれと比べれば人型に近い。

 だが、その蹄のついた後ろ足と異常に裂けた口が、人ではないことを物語っている。


「アンタたちは邪魔だワ!」


 拡声魔導具無しでも場内に響き渡るほどの大声を上げながら、一気に間合いを詰める。

 そして、ラーズ以外の二人の闘士に向けて、その大槌を振り下ろした。

 場内の観客たちからも悲鳴が上がる。

 ラーズの瞬殺劇よろしく、刺青男は二人の闘士をあっという間に打ちのめした。


「ホラァ、準決勝まで残ってこのレベルだなんテ。これじゃ煉闘士ヴァンデールってのもたかが知れてるワ……」

「あぁ!? 煉闘士ヴァンデールがなんだってぇ?」


 ここまで、どこか飄々としていたラーズの表情が、見る見る怒りに染まっていく。

 レミィの竜の威光が静の威圧というなら、これは動の威圧とでもいうべきだろうか。

 僅かばかり身につけていた部位鎧は弾け飛び、筋肉が膨張する。

 もしラーズの髪が短かければ、この美しい銀髪は、きっと怒髪天をついていただろう。


「アラ怒ったかしラ!? 所詮、称号なんて飾りよ、か・ざ・り……」

「そうかい……じゃぁ、その飾りほこりのために今日まで鍛えてきた……俺の怒りに付き合えよ!」

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