第9話:堕徒と真の黒

 ランタンの明かりが揺らぎ、教会の周囲には二つの影が投影される。

 熊のように大きな影と、子どものように小さな影。


わらわから聖竜の気配を感じるとな? それはまた異なことを……」

「いやいや、そうでなくとも、只者ではないことに間違いはないでしょう」


 妙なポーズを解きながら、クラスニーは不気味な作り笑いでレミィに向き直る。


「ええ、我々が外で奇襲をかける機を見計らっていた時、貴女にはずっと警戒されていた。決して離れず、決して先行せず、まるで周囲の全てを知覚しているかのように……」

「偶然なのじゃ。買い被りすぎではないかのう」


 その言葉を言い終わるが早いか、クラスニーは右手の剣をレミィの眼前に突き出す。

 だが、全く動こうともせず、レミィは切っ先の間近でクラスニーを見つめ返す。


「嗚呼、ほら……避けようともしない……当たらないと分かっていたのでしょう?」

「うむ、当てる気がないことはわかっておったのじゃ」


 不敵な笑みを見せるレミィに対し、クラスニーの作り笑いは見る見る歪み始めた。

 歪な剣を握りしめ、腕の筋肉を震わせながら、眉間に皺を刻んでいく。


「不快不快不快不快不快ぃ! このメスガキがぁ!」


 絶叫と共に、レミィに対し、狂ったように何度も何度も剣を突き立てた。

 先ほどとは違い、明らかに刺し貫くつもりで繰り出されている。


「言葉遣いにムラがあるのう……情緒不安定なのではないかえ?」


 レミィはそれを寸前で躱わしていた。

 と、そのままクラスニーの腹を足刀で蹴り飛ばし、詰められた距離を一気に引き離す。

 大体の相手は、この蹴りだけで戦闘不能になるのだが、今回はそうもいかないようだ。


「ぬ? 思った以上に丈夫なのじゃ」


 大きく後ずさりこそしたものの、相手はまだ立っている。


「ゴホッ……おお、なんという威力……私でなければ、気を失っていました……」

「ふむ……それなりの力で蹴ったつもりだったんじゃがのう……」

「嗚呼、これぞ神の加護! 驚きましたか? 驚いたでしょう! 一撃で仕留められると思った相手が立っていることに!」


 少し口角の辺りに血が滲んでいるようにも見えるが、クラスニーは体勢を立て直した。

 空いた手を後ろに、片手剣特有の半身はんみの構えで間合いをはかる。


「ええ、私は油断しません。例え少女の姿でも、明らかに自分より劣った存在でも、ここから全力で、貴女を嬲り殺して差し上げます」


 前口上を挟んだクラスニーは、突然、奇声を張り上げた。


「キェェェエッ!」


 全身の筋肉が隆起し、そこから法衣を引き裂いて赤黒い鱗のような外皮が現れる。

 胸元には、紅く輝く怪しげな紋様が、刺青のように描かれていた。

 元よりレミィの倍ほどだったその体は、さらに大きく醜悪な姿へと変貌を遂げる。

 片手剣を構えるその姿は、かろうじて人の形が保たれていた。

 だが、もはやこれは人ではない。


「嗚呼、これこそ真なる竜神ニルカーラ様と共に在るため、堕ちることすら厭わぬ使徒! 堕徒ダートの姿!」


 一見、おかしなことを言っているようだが、これはある意味、正しい認識だった。

 ニルカーラは神々に封じられ、次元の最下層、修羅院シュラインへと堕とされている。

 故に、“共に在る”というのならば、自らも人から堕ちなければならない。

 その代償……いや恩恵が、この姿だ……。


「そのよこしまオーラ……穢れダートと名乗るに相応しい姿なのじゃ」

「ほざけぇ! このメスガキぃ!」


 その体格から、短剣ほどの扱いになってしまった歪な剣を執拗に突き立てる。

 姿形は変わっても、その剣術スタイルはそのままだった。

 先ほどまでよりも、明らかに速く正確な刺突が繰り出される。

 流石のレミィにも全てを避け切るのは難しいのか、服の一部が引き裂かれていく。


「嗚呼、白い肌に真紅の傷痕が刻まれていく様は、なんとも美しいではありませんか」

「貴様いい趣味しとるのう……」

「ほほ、その余裕、いつまで続けられますかな?」


 レミィが何かを狙っていると言うことは、クラスニーも理解していた。

 これだけの力を持った者が、何の意味もなく防戦に徹するとは考えられない。

 だが、その裏を掻いて、仕掛けられる前に仕留めてしまえば良いだけのこと。

 クラスニーには、そう確信できるだけの秘策があった。

 見事に捌いてはいるが、この猛攻を全て避けきれているわけではない。

 レミィは、右手の剣に集中している。

 今が勝機だと判断したクラスニーは、半身はんみの片手剣の構えから一転し左手を振り翳す。

 もう一本の、牙を模した歪な小剣を握りしめ、そのままレミィの脇腹に突き立てた。

 この左手の一撃はレミィも捌くことができていない。


「嗚呼、なんという悲劇。貴女との楽しいひとときもこれでおしまいです……」


 勝利を確信したクラスニーは、またも芝居がかったセリフを口にする。

 だが、どうも左手に手応えがない。

 肉を貫き、溢れ出す血を浴びる感触が、伝わってこない。


「んん?」


 改めて、自分の左手に握られた剣の先に目をやる。

 と、レミィのその脇腹には、わずかに爪の先ほどしか剣は刺さっていなかった。


「痛たた……どうも下手くそな構えと思って見ておったが、やはり本命は左手だったのかえ」

「私の渾身の一撃が……こんなに、浅く……」


 秘策が破られた……わけでもなく、真っ向から通用しなかったことに唖然とする。

 そもそもクラスニーは、その異変にもっと早く気づくべきだった。

 あれだけの猛攻を全て避けることなど不可能。

 必ず何発かは当たっていたはずだ。

 だが、せいぜい何ヶ所かに軽い擦り傷を負わせるのが精一杯だった。

 クラスニーが思うほど、深い傷は刻みつけられていなかったのだ。

 簡単に切り裂くことができた軍服に特別魔法がかかっているとは思えない。

 そうなれば、これはレミィの外皮がそれだけ硬いということになる。


「この柔らかそうな肌の……どこにそんな……!?」


 その疑問の答えよりも先に、クラスニーは反撃という応えをもらうことになる。

 レミィは剣を突き立てていたクラスニーの両手を掴み、内側に引き寄せる。

 足を払えば、その外皮を物ともせず、赤黒い鱗ごと砕いて片膝をつかせた。

 そのまま流れるように右腕がへし折られ、振り上げた踵が顎を砕く。。

 ちょうど、円を描くような綺麗な蹴りだ。


「アア! グァァァアッ!」


 その激痛に、獣のような悲鳴があがる。

 痛みで前に突っ伏そうとしたところに、レミィはさらに追い討ちをかけた。

 股間、鳩尾、そして再び顎と、急所を順番に蹴り上げる。

 右、左、右と、一切の容赦がない。

 相当なタフネスを誇るクラスニーも、流石にそこで白目を剥いて気絶する。

 その場に倒れ伏す相手に向かって、レミィは呆れたような口調で言葉を浴びせた。


「完全に勝利するまで勝ちを意識するでない。その慢心が敗北に繋がるのじゃ」





 異形の巨体が崩れ落ち、戦闘は終結する。

 久しぶりに怪我をしたことには、レミィ自身も少し驚いていた。


「僅かとは言え、わらわに傷をつけるとはのう」


 すぐ傍で横たわるクラスニーを見ながら呟く。

 クラスニーの自称する堕徒ダートという存在についてはよくわからない。

 だが、決して油断できる相手ではないということは身をもって知ることができた。

 少なくとも、自分に傷を負わせるだけの力はあるということだ。

 目覚めたら話を聞かせてもらうつもりで、レミィはトドメを刺してはいなかった。


 ──これだけ丈夫な奴じゃからのう……そのうち目覚めるはずなのじゃ。


 と、観察していたレミィは、クラスニーの体に起き始めた異変に気がついた。

 その体が、見る見るうちに黒く変色し始めたのだ。


「これは、どういうことなのじゃ!?」


 ただの黒ではない。

 それは炭のような、闇のような、光を吸い込むかのような漆黒。

 真の黒とでも言うべきか。

 まるで、その真の黒に侵食されるかのように、クラスニーの体が色を失っていく。

 夜の闇に紛れ、わかりにくい変化ではある。

 だが、それはランタンの微かな明かりでも確認することができた。

 やがて、そのクラスニーだったものの全身は真の黒に染められる。

 そして、そのまま影の中へと溶け込んでいった。


「はやぁ……情報源が絶たれてしまったのじゃ……」


 突然の出来事に対処もなく、レミィはただ見ていることしかできなかった。

 だが、ここでいくら思案しても答えが出ることはない。


「ぬー、まぁ仕方あるまい。これは帰ってから調べるのじゃ」


 声に出して、早々に気持ちを切り替えた。

 あとはもう、この辺りの後始末をするだけだ。


「大丈夫ですか殿……下……。ぎゃー! で、殿下が! お、お怪我を―!」


 と、そこで背後から騒がしい声が聞こえた。


「ぬ? おお、貴様無事だったのかえ? よくやったのじゃ」

「『よくやったのじゃ』じゃないんですよ、殿下! そのお怪我! あー、もうこんなに血が……うわ、いや、その前に痛くないんですか!? 平気ですか?」


 外の様子を窺いにきた騎士は、レミィの血塗れの姿を目にして慌てて駆け寄ってきた。

 クラスニーの巨体が倒れた際、祠の中にも大きな振動があったようだ。

 騎士は、フェリシアに盾を預け、周囲の状況を確認しに上がってきたらしい。


「大袈裟なのじゃ。ほっとけばそのうち治るのじゃ」

「そりゃそうなんでしょうけど、その服も! 肌も! 目のやり場もアレであーもう!」


 よく見れば、軍服もかなり引き裂かれて、あちらこちらが露出していた。

 12歳……よりも遥かに幼く見えるつるぺた……いやスレンダーボディ。

 レミィ自身は気にもしていないが、まだ思春期の騎士にはクるものがあったようだ。


「とりあえず、脅威は去ったってことで、子供たちも上に来てもらいます! 殿下はあとでフェリシアさんに治療してもらいますからね!」


 耳を真っ赤にしながらキレ気味の言葉を残しつつ、騎士は祠へと戻る。


「ぬー、何を怒っとるのじゃ? あ、そうなのじゃ……」


 騎士の背中を見送りつつ、レミィは、あることを思い出した。

 司祭服の男を追って駆け出したその時、ポーチの中で予言書が光を放っていたのだ。


「あの場で選択を迫られても、どのタイミングで見ろというのじゃ……」


 間の悪さに若干の不満を抱きつつ、その予言書を手にする。

 改めて、そこに記されていた選択肢を見たレミィは少し微笑みながら呟く。


「ふふん。これは……まぁ見ておったとしても悩まなかったのじゃ」


 そうしていると、すぐに騎士たちは祠から出てきて、姿を見せた。


「外だ!」

「外だぁ!!」

「はーい、じゃぁ、迷子にならないようにみんな手繋ごうね」


 解放されたと実感する、子供たちの明るい声が周囲に響き渡る。

 フェリシアはその子供たちを上手く導いているようだ。


「殿下、こんな暗いとこで何読んでたんです?」


 そんな中、騎士は子供たちの輪から離れ、予言書を読むレミィに声をかけた。

 手にした外套をレミィに羽織らせつつ、肌を見ないように視線は逸らしている。


「ぬ? ちょっと報告をするためにのう……」

「え……いや、お怪我の話はちょっと……って、うわぁ! すいません見てません!」


 報告と聞いて驚いた騎士は、ついレミィの方を見てしまう。

 慌ててまた視線を逸らすが、その一瞬で、腰や胸の辺りの印象は脳裏に焼きついた。

 そんな騒がしい騎士を尻目に、レミィは改めて予言書の選択肢に目をやった。



 ■43、囚われていた子供たちを全員無事救出した君は……

 A:未熟な騎士たち任せるのは不安なので、司祭は見逃した。 →52へ行け

 B:後始末を“頼れる”騎士たちに任せ、司祭を追った。 →87へ行け



「さて、どう報告させてもらおうかのう?」


 少し悪戯な笑みが、騎士にクリティカルヒットをキメた。

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