第8話:慢心と騎士の教え

 騎士とフェリシアの声に押され、レミィは急ぎ司祭服の男を追う。

 祠の外、教会の裏手まで元来た道を駆け抜け、一気に地上へと躍り出た。

 と、そこでレミィは、想像だにしていなかった光景を目の当たりにすることになる。

 闇に染まる空の下、何者かに腹を貫かれ、息絶える司祭服の男の姿……。

 あと僅かでも出遅れていたら、この瞬間に立ち会うことはなかっただろう。

 そう、この司祭服の男を殺した張本人との邂逅もなかったかもしれないのだ。


 ──結果的に、任せてきたのは正解だったようじゃのう。


 先ほどまでの連中とは明らかに格の違う、よこしまオーラを放つ体格の良い男。

 豪華な刺繍の施された、高位の者が纏う法衣を身に着けている。

 だが今は、その隆起した胸筋に引き裂かれ、胸元は大きくはだけていた。

 独特の髪型が手にしたランタンに照らされ、教会の壁面に異様な影を映し出す。

 逆手には、まだ鮮血の滴り落ちる牙を模したような歪な形の剣を携えている。


「おお、なんと愚かな行為でしょうか……役目も果たさずに逃亡を企てるとは……」


 誰に話しかけるでもなく、芝居がかった言い回しで、その男は天を仰ぐ。


「ふむ、お椀を被ったような……その髪型……貴様がここの首魁かえ?」


 レミィの言葉を受け、男はゆっくりと首を動かしながら、視線を合わせた。

 そして舐め回すようにレミィをじっくり観察する。


「嗚呼、なんと可憐な少女でしょう……今宵の私を慰めてくれるのは貴女ですか?」

「話が噛み合わんのう……貴様は何者なのじゃ?」

「ほほ、なんとも尊大なお嬢様ですね……。私の名はクラスニー。真なる竜の神、ニルカーラ様を崇め奉る真竜教の使徒……」


 徽章に気付き誤魔化しきれないと悟ったか、あるいは隠す必要もないと割り切ったか。

 クラスニーと名乗るこの男は、自分たちの崇める邪神……邪竜の名を明かした。

 ニルカーラ……この大陸において、他の如何なる存在よりも邪悪にして悪辣なる者。

 その双頭の黒き竜は、竜の身でありながら、神にも斉しい力を持っているとされる。

 350年ほど前に引き起こされた、大陸全土を巻き込む、竜と人との戦争。

 神聖帝国グリスガルドが建国されるきっかけともなった、その厄災の元凶でもある。

 その邪悪な竜を信仰する者など、例外なく罪人と断じて間違いないだろう。


「わざわざ対立する聖竜の加護を受けた、この帝国に布教にくるとは、熱心なのじゃ」

「嗚呼、聖竜? あの忌々しい、神を騙る偽竜と一緒にされては困ります。真なる竜の神として、その位に座す御方は、ニルカーラ様のみです」


 一応、丁寧な口調で話してはいるが、そこには明らかな威圧感が感じられた。


 ──なるほどのう、わらわの出自を考えれば、これ以上の因縁はないのう。


 伝承管理機構とやらに選ばれた理由も、レミィにはなんとなく理解できてきたようだ。


「嗚呼、私はとても悲しい。何故なら、貴女のような美しい少女を、この場で殺し、陵辱し、穢し、引き裂いて、供物とせねばならないのですから……」


 クラスニーは、相変わらず芝居がかった口調で、わざとらしい仕草と共に語りだした。

 右手に剣を携えたまま、ランタンをそっと地面に置いてポーズをキメる。

 その目は完全にイっているようで、どこを見ているのかわからない。

 だが、次の瞬間、突然真顔になったかと思うと、レミィの方を睨みつける。


「ええ、貴女からは……あの忌まわしき聖竜の気配を感じます……」





「騎士様、頑張ってください!」

「あ……うん、まぁ、そうだね……」


 一般人であるフェリシアに、一緒に戦ってもらうつもりはもちろんなかった。

 だが、こうも真っ向から何もしないと言い切られると、なんとも反応に困る。

 とはいえ、周辺の食器やお盆を拾い集めて完全防備の体制はとってくれている。

 これならば子供たちの安全を確保したまま、戦闘に集中できそうだ。


「よぉし、見てろよ……」


 皆に良いカッコをしたかったわけではない。

 断じて、一時の感情や妙な出世欲、承認欲求に惑わされて、声を上げたのではない。


 ──ここで、あの男を逃したら、またどこかの子供たちが同じ目に遭うかもしれない。


 レミィに命じられた言葉には反していないという確信があった。

 その上で、一人だけなら自分でも対処できると啖呵を切ったのだ。

 ここは、何がなんでも守り抜かなければならない。


「観念しろ、この、ならず者!」

「……」


 奮起する騎士に対し、邪教徒の反応は薄い。

 適当にあしらってレミィの後を追おうと画策しているのか、視線は散漫だ。


「相手は俺がするって言ったろ!?」


 盾を巧みに扱い、狭い地下で上手く相手を追い詰めていく。

 今回、初めてレミィの護衛に参加した新人騎士ではあるが、決して未熟な腕ではない。

 帝国の騎士として研鑽を重ね、日頃から鍛錬を続けてきた。

 繰り返し積み重ねてきた努力は決して裏切らない。

 この如何にも余裕で勝てそうだ、という空気の中で、騎士の脳裏にある言葉が浮かぶ。

 訓練の度に、毎回嫌というほど繰り返し聞かされた教訓。


 ──完全に勝利するまで勝ちを意識するな。その慢心が敗北に繋がる。


 誰が言った言葉なのかはわからない。

 だが、この教えは、全ての帝国騎士の精神に刻まれている。

 そう、研鑽とは何も技術的なものだけではない。

 こういった精神的な研鑽もまた、負けない強さに繋がるのだ。

 相手を優位に立たせ、油断を誘っていた邪教徒は、とうとう痺れを切らした。

 執拗なまでの戦技に押されながらも、背後のフェリシアを狙って暗器を放とうとする。


「それはさせないぜ!」


 もちろん慢心からは程遠い精神状態の騎士は、しっかりとその暗器を叩き落とす。

 そしてそのまま盾で突き飛ばし、壁に押し付けた。


「ぐぼぁっ!」


 腹部を強打された邪教徒が、嘔吐しそうな呻き声をあげる。

 そこからは、もう一方的なものだった。

 相手を殺さない程度に剣の柄頭で殴打し、戦意を削いだあとで捕縛する。

 あともう一人、最初にレミィが片付けた方の邪教徒が居たはずだ。

 まだ息があるかもしれないと、念のために振り返り確認する。

 と、いつの間にやら、背後から出てきたフェリシアに縛り上げられていた。


「ほら、こういう人って、油断させておいて、後で突然起き上がって襲いかかってきたりするじゃないですか?」

「それ、騎士団で同じこと言われた気がするよ」


 無邪気な笑顔でそう語るフェリシアの言葉に苦笑する。

 ともあれ、一旦状況は落ち着いた。

 子供たちには指一本触れさせずに制圧したのだ。

 宣言どおりなんとか対処できたことに、騎士は安堵のため息をつく。

 捕縛した邪教徒の持ち物を確認すると、何やら複数の薬瓶が見つかった。

 先に打ち込んできた暗器には、全て毒が塗布されているようだ。


「なるほどな……フェリシアさんに毒入れて、解毒薬をチラつかせて脅迫しようって魂胆だったのかもな」

「まぁ!? そうなのですか!? 危なかったです……」


 確かに食器やお盆では完全に防ぐのは難しかっただろう。


「まぁいい、皆、ここから出ようか」

「いえ! レミィ様を待ちましょう!」


 ひととおり襲撃者を撃退し捕縛した今、安全な場所へと移動するに越したことはない。

 だが、いざ脱出しようと声を上げたところで、思わぬところからストップがかかった。

 フェリシアはいつもより少し強い口調で、レミィを待つべきだと主張する。


「えっ!? いや、でも……もう敵はいないし、殿下も追っかけて出て行って……」

「イチル君は、全部で5人居ると言っていました。ここにきたのが3人、逃げた人が報告に行くと言っていた相手が1人。あと1人、どこに潜んでいるかわかりません」


 確かに、フェリシアの言うとおりだった。

 もっとも、司祭服の男が報告に行った相手が、護衛として連れている可能性もある。

 そうなれば、レミィは三対一の戦いを強いられることになるだろう。


「もし相手が3人だったら!? これは殿下の身が……」


 そう言いかけて、改めて冷静になってみた。


 ──……殿下の身が? 危ないか?


 この僅かな旅の間で、新人騎士もレミィの異常性には随分と馴染んできていた。

 本来であれば、皇族を伴った外遊で、その当人を一人にするなど言語道断。

 ましてやそれが唯一の皇位継承権を持った人物ともなれば言うに及ばず。

 だが、その常識的な発想や騎士道精神というものが全く通用する相手ではない。

 なにしろ、その皇族は同行している騎士よりも強いのだ。

 どちらが護衛対象なのか、わかったものではない。

 いや、いっそ足手纏いなのではないかとすら思った時もあった。


「騎士様お一人で、これだけの人数を守りながら移動するのは危険だと思うのです」


 と、存在意義を見失いかけていた騎士の意識を、フェリシアが連れ戻す。

 言われてみれば、確かにそのとおりだ。

 同行者がフェリシアとイチル少年だけならなんとかできるだろう。

 だが、これだけ大勢の子供たちを連れて、安全に行動するのは難しい。

 とはいえ、この正体不明の施設に立て篭もると言うのも、やや不安が残る。


「幸い、ここにはもう他に部屋があるようには見えません。何かが来るとすれば、入り口の方だけです。一方だけであれば、先ほどのように対処できるかもしれません」


 その不安を見抜いたかのように、的確な判断と意見が述べられる。

 騎士は一瞬、心が読めるのかと錯覚した。


「あ、でもフェリシアさん? なんで他に部屋がないって断言できるんだ?」

「入ってきた時にひととおり調べてみました。あ、私は有角種ホーンドなので、そういった感覚には自信があるんです」


 そう言って、フェリシアは自分の頭部にある角を両手で指差す。

 魔法か、あるいは何か特殊な能力なのだろうか?

 いずれにせよ、有角種ホーンドの特性に詳しくない騎士には驚くしかなかった。


「よし、じゃぁフェリシアさんの言うとおり、殿下が帰って来るまで、ここで籠城といきますか」

「ろーじょー?」

「おー! ろーじょー!」

「フェリ姉とあそぶー」


 あまり意味のわかっていない子供たちを横目に、騎士は改めて兜の緒を締めなおした。

  

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