第3節:意味深な言葉

 

 その後、私は子どもたちのことを報告するために事務室へ移動。するとそこには保育士の椎谷さんがいて、何かの書類を作成する仕事をしている。


 それは実務的には私でも出来る内容の仕事だけど、法律的には保育士の資格を持っていなければやってはいけないことになっている。当然ながら、まだ高校二年の私には保育士の資格がない。


 だから私がやれるのは子どもたちの遊び相手になったりトイレの補助をしてあげたり、かなり限定されている。そういう意味では色々な仕事が出来る椎谷さんがちょっと格好よく見えるし憧れる。


 早く私も保育士の資格を取りたいな……。


「椎谷さん、お疲れ様です。今、翼ちゃんのお母さんが迎えに来ました。これで全員、おうちに帰りました」


「ありがとう、軽羽ちゃん。いつも助かってるよ」


「じゃ、私は上がらせてもらいます」


「あっ! 軽羽ちゃん、ちょっといいかな?」


 私が会釈をして事務室を出ようとした時、椎谷さんに呼び止められた。彼はいつも以上に真剣な顔をしている。


 どうしたんだろう? なんかいつもと雰囲気が違う感じだけど。


「もしかして私、何かマズイことでもしましたか?」


「いや、そうじゃないよ。軽羽ちゃん、もうすぐ高校の定期考査でしょ? 終わるまで保育所の手伝いは休んでいいから」


「はぁっ? 何を言ってるんですかっ! そんなのダメですっ!」


 私が激しく拒否すると、椎谷さんはギョッとしながら口を噤んだ。どうやらここまで強く反応されるとは思ってなかったみたい。


 確かに来週から私の通っている高校では期末考査が始まるけど、そんなことは関係ない。


「うちに限らずどこの保育施設でも人手不足でしょう? 私が休んで回せるんですか? もし目が行き届かなくて、子どもたちが苦しい想いや悲しい想いをしたらどうするんです?」


「それはそうなんだけどね……。キミの学業が疎かになるのも好ましくないよ」


「私は両親の手伝いとして子どもたちの世話をしているだけじゃないんです。子どもが好きで、仕事に誇りと責任感を持ってやっているんですっ。その気持ちは両親や椎名さんにも負けないって自負してます!」


 私は真っ直ぐな気持ちを椎谷さんにぶつけた。嘘偽りのない、純粋な私の想い。静かな事務室内に私の声が反響する。


「軽羽ちゃん、キミはそこまで子どもたちのこと――」


「それにあんなに可愛い子たちと何日も会えないなんて、そんなの拷問ですよっ! 私、土日の2日間ですら、会いたくても会えなくて胸が張り裂けそうになるんですからっ!!」


「……それが本音か」


 なぜか椎谷さんは深い溜息を吐き、頭を抱えている。なぜそんな反応をするのか、私には分からない。子どもたちに対するピュアで熱い想いが伝わらなかったのだろうか?


 あのプニプニしたホッペ、柔らかな髪、温かい体温、小さな手と体、純粋な心、泣き顔、笑った顔、背伸びした優しさ、か弱い乳歯――。


 あぁっ、何もかもが最高っ。隣にいたら思わずギュ~って抱きしめたくなっちゃう。


 きっとこれは本能とかDNAとか、理性を超越した何かがそう思わせているとしか考えられないっ! 理屈抜きに子どもが好き好き大好きぃ~っ♪


「だから私、日曜の夕方に某国民的アニメのエンディングテーマを聞くと、月曜日が待ち遠しくて発狂しそうになるんですっ!」


「そ、そうなんだ……。ちなみにだけど、多くの人はあれを聞くと月曜日が来るのを憂鬱に感じるらしいよ。俺もどちらかといえば、そっち派だし」


「あーあ、世の中から土曜日や日曜日、休日とかがなくなればいいのに。戦時中は良かったですよね。月月火水木金金ですから。私、友達とカラオケに行くと必ずあの歌を唄いますよ」


「まさかの軍歌っ!? ……みんなにドン引きされない?」


「もうみんな慣れてますし、むしろ唄わないと盛り上がらないっていうか。それに勤労は日本国憲法で定められた国民の三大義務のひとつですよ?」


「だからって限度があるよね? 労働基準法という法律もあるんだ。社会では過重労働やサービス残業、ブラックバイトなどで問題になってるでしょ?」


「あーあーあーッ! 聞ーこーえーなーいーっ!」


 私は手で耳を塞ぎながら無意味な言葉を叫んで、椎谷さんの話を打ち消した。


 ――うん、彼が何を言ったのかもう忘れた。記憶から消去した。アンインストール。


 するとそんな私を見て、椎谷さんは肩をすくめて呆れ返る。


「軽羽ちゃんは労働者の多くを敵に回す気かい?」


「えぇ、構いませんよ。私は子どもさえいてくれればほかには何もいらないんです。毎日働け、労働者どもっ♪ そして子どもたちと触れ合える夢のような時間を私に提供しなさいっ☆」


「そんなに子どもが好きなの? それなら――」


「お断りしますっ!」


 私は椎谷さんの言葉を遮り、手のひらを突き出して拒絶の意を示した。


 一方、椎谷さんはキョトンとしてワケが分かっていない振りをしている。


 白々しいったらありゃしない。ホント、ムッツリスケベなんだからっ。なるほど、だから彼女が出来ないのかも。


「そんなに子どもが好きなら俺と子どもを作らないか――とか言うんでしょ? ダメダメ! パース! 13歳以上は守備範囲外で~す! 寝言は寝て言ってください! セクハラで訴えますよ?」


「酷い言われようだな。そもそも誤解だし……」


「それに現実問題として、椎谷さんの今の稼ぎで私と子どもを養っていけると思っているんですか? 現時点での国や自治体の少子化対策だと、まだ不安だし」


「だからそういう話じゃなくて……」


「じゃ、どういう話なんです?」


 私が口を尖らせると、椎谷さんは軽く咳払いをして表情を引き締めた。


 急にピリピリとした空気がその場に漂う。それにつられて私も緊張して思わず背筋を伸ばしてしまう。


 これから椎谷さんが何を話す気なのか、私は固唾を呑んで待つ。


「そんなに子どもが好きで一緒にいたいのなら、軽羽ちゃんには彼らを救う仕事を任せようかなって思うんだけど。どうかな?」


「えぇっ!? そんなのあるんですかっ?」


「うん、もともと軽羽ちゃんはそういう運命を背負ってこの世に生まれてきたんだしね」


「……っ……?」


 私は思わず首を傾げてしまった。


 そういう運命を背負って生まれてきたとは、どういう意味なのだろう? ワケが分からない。


 椎谷さんは真面目な顔して、たまに意味不明なことを言うんだよね。私はいつもサラッと流してるけど。


 ――ただ、今回はそんなことどうでもいい! 大事なのは話の内容っ! 子どもたちを救う仕事をさせてくれるなんて、そんなの最高じゃんっ!!


「なんだか分かりませんけど、やりますっ! 子どもたちと一緒にいられるならっ!」


「そんなにふたつ返事で了承しちゃって本当にいいの? 辛いことや苦しいこともたくさんある仕事だよ?」


「私の仕事は子どもたちを救うことなんですよね? だったらその程度のこと、乗り越えてみせますよ!」


「……さすが軽羽ちゃん。じゃ、そういう方向で調整しておくよ」


「やったっ!」


 私は小さくガッツポーズをすると跳び上がって喜んだ。





 ――と、これが丘の上で目が覚めた前日に起きた出来事だった。


 今にして思えば椎谷さんってホント、何者なんだろう? そして私はこれからどうなるのかな……。



(つづく……)

 

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