気配
生きていても苦しいだけ。
いつからそう思うようになったのか、分からない。なんとなく、僕の方に問題があるような気がする。僕が周りの期待に応えられないから。本当は医者じゃなくて、出版社で働きたかった。でも、それはここまで育ててくれた両親に対する裏切りにもなる。
僕が思ったことを口にすると、母さんは「恩を仇で返す気?」と厳しい言葉を使う。父さんは「それよりもこっちの方がいいぞ」と道を修正してくる。きっと、僕の考えは無価値なのだ。肯定されることなんて、ないのだから。だったら最初から考えなくていい。
僕は僕の意見を殺した。
本格的に冬がやってくる。冬服の上から温かいコートを着て外に出る。
「行ってきます」
返事はなかった。
重たい扉を閉じて、正面を向く。そこには何故かトバリがいた。
「家、教えたことあったっけ」
「ないけど。君の友達から教えてもらった」
まっさきに思い浮かんだ顔はスドウだった。
「なんで朝から出待ちしてるの」
「……ちょっとこっち来て」
ちょいちょい、と手招きする。顔の温度を確かめながら、彼女に接近する。
「なんだよ」
「朝からストーカーされてる。刃物っぽいもの、持ってた」
「……ガチ?」
「がち」
声を抑えながら状況を確認。トバリが電信柱の方をあごでクイッと指す。その方向を見ると、変な方向に影が伸びていた。
「相手は誰?」
「中学の元カレ。別れてから1年は経つ」
「……とりあえず、学校に行こう」
決して電信柱の裏を覗かないように、登校を促した。
刃物を持っていたと言っていた。まるでドラマのようなシチュエーションに、生きてる実感が湧かない。女子と一緒に登校するのは初だが、このドキドキは恐らく、別のものだ。傍から見たらまるでカップル、なんて考える余裕は当然ない。
「なんで刃物を持ってるって断言できるんだ。見間違いの可能性はないのか」
「ない。2階の部屋から確認して、カバンにしまっているのをこの目で見た。太陽光に反射してたから、間違いない」
「わかった。もし刺されそうになったら、僕が身代わりになる」
後ろにある妙な気配の動向を探りつつ、そう言った。
「それはダメ」
「なんで」
「君は関係ないし、美しさの欠けらも無い」
また美しさ。ここまで死に美的感覚を求めるのは、彼女ぐらいだろう。狂気的にも思える美学が、なぜだか羨ましくなる。
「そもそも刺されたからって、必ず死ぬわけでもないだろ」
「だとしたら、後味が悪い」
「僕を身代わりにするために、家まで来たんじゃないのか?」
「違う」
「だったら、なんで」
「学校」
「え?」
「学校、ついてる」
「あ……」
会話に夢中で気が付かなかった。僕の家からは歩いて5分もかからない距離であることを忘れていた。それに、後ろをつけていた妙な気配もなくなっている。さすがに人目が多いところまではやってこないのか。スドウが横切ったが、僕に声をかけてこなかった。
「とりあえず、これから毎朝迎えに行くから」
トバリはそう言い残して、下駄箱へ向かった。
その日から、タナダとトバリは付き合っている。という噂が流れ始めたのは、言うまでもない。
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