第28話 世界から犯罪がなくならない理由

 津愚見の中を、複雑な想いが駆け巡る。

 わずかに感じることができた、反省の証。

 狂気に染まった犯行の裏には、極めて冷静に、すべてを知った者だけがたどり着ける、答えが示されていた。

 そんな妄想が、まるで対極の存在かのようになってしまった金田に、更生していたころの金田を思わせた。


 果たして金田は猛獣に戻ったのか?

 それとも、真に更生していて、そのうえで人を殺したのか?


 加害者と被害者の世界を見てきた金田翔平だからこそ、本当の意味で反省したからこそ、自らのやるべき未来を知ったのではないだろうか?

 真の意味で被害者と加害者を救う方法。

 反省した世界で、金田はそれを見つけたのだ。


 少年法の撤廃。

 少年犯罪の厳罰化。

 そのために金田翔平は、園木茉莉花を殺したのではないのか?

 だとしたら──


 俺の、……せいだ。


「なぜ? 園木法務大臣の娘を殺した?」

「たまたまだ」

「ふざけるな! そんな訳はないだろ!!」

「そう怒るなって。半分本当で半分はまぁ、冗談だ。俺も馬鹿じゃねえ。これが最期の殺人になるとは思っていた。だから俺が会える人間の中で、もっとも話題になりそうな奴を選んだだけだ。大事だろ? 話題性。話題に乗れば勝ち馬に乗れる。つまりは勝ち組だ」

「誤魔化すな…」

 つい、涙の色が混じる。

「誤魔化すなよ、金田翔平。園木茉莉花を殺害すれば、どうなるかは知っていたはずだ! 彼女が少年法撤廃のボトルネックだと知っていたはずだ! 違うか!? 金田!!」


「……で? 少年法はどうなった? 先生」

 ギリッと奥歯が鳴った。

 歯痒いとはまさに、この気持ちを言うのだろう。

「……撤廃されたよ。この日本から少年法というクソ法律は消え去った」

「あははははははは!! やっぱりそうか! さすがは親バカの法務大臣だぜ! 良かったな、先生。長年の夢が叶って」

「こんな方法は望んじゃいない!!」

 津愚見はカウンターを拳で叩いた。

「他人の犠牲の上で、誰かを殺して、そこまでして夢を叶えたくなんかない!!」


「ば~~~っかじゃね~の」

 金田が長く息を吐くように言った。

 津愚見は目を見開いた。

「先生はなんで少年法を撤廃しようと思った? 犠牲者がいたからじゃねえのか? 先生の夢は多くの犠牲者の上に成り立つものだ。加害者に殺された遺族の無念の想い。そこにあと一人加わっただけだよ。それとも何か? 法務大臣の娘の命は、ほかの連中とは何か違うのか?」

「俺の夢のために! 彼女も! おまえも! 犠牲になることはなかった!!」

 津愚見は無念の想いを吐き出した。

 自分の無能さが、少年法を撤廃できなかった事実が、そこことが原因で金田が殺人をしたのなら、その責任は自分にある。

 俺は、孤独になった金田を救うことができなかったのだ。

 こんなに愚かしいことがあるか。


「あはははははははははは!!」

 金田は腹を抱えて笑い出した。

「何がおかしい?」

「先生。先生は誤解しているよ。いや、そう受け取ったのか…」

「誤解だと?」

「俺が園木茉莉花を殺しているとき、どう思っていたか知ってるか?」

 津愚見は金田の真意を見抜くように、じっと彼の顔を見た。

「すんげえ、楽しいだ」

 ぞくりと肌が粟立った。

 そこにあるのは殺人鬼の笑み。

 だが、必死に本心を押し隠しているのはないのか?

 津愚見はわずかな希望に縋った。

彼の本心がわからない。


「本当なんだよ。楽しくて楽しくて仕方がなかった。自分が信じていた信念に殺され、後悔する姿が爽快で、笑いが止まらなかった。俺はさ、世の善悪を学んで、愛する妻や娘ができて、先生みたいなまっとうな人に出会って、被害者の気持ちも知った」

 金田がゆっくりと噛みしめるように言った。

「それでも、──楽しかったんだ。それが俺なんだよ」

 津愚見の中で何かが爆発しそうになっている。

 けれども、必死にそれを抑えこんだ。

「……クソゴミの感性だな。だが、なぜ彼女をターゲットにした? 少年法のことを考えなかったとは言わせないぞ」

「ああ、思ったさ。だが、それは先生が考えているのとは少し違う。先生、実は俺、先生のこと尊敬してたんだぜ。俺が知る中で一番信念を持った人だった。だから、あんたよりもすげえ人間になりたかった」

「凄いだと!? 人を殺すことがか!?」

「当然だろう!」

 金田の声が響き渡った。

「先生はもう知ってるんだろ? この世界の現実を!! 先生が何と言おうが、少年法を撤廃したのは、あんたじゃない! この俺だ! 歴史に名前を残して有名になったのも、この俺なんだよ!! 先生が20年以上の歳月を費やしても、為すことが出来なかった夢を、俺がたった1日で成し遂げたんだ!! 1日だぞ!? ひゃっはー! テンション上がるぜ!」

 津愚見はショックを受けた。

 金田に負けたからではない。

 金田の犯罪の動機があまりにも稚拙だったからだ。

 反省した男の言動には、とうてい思えなかった。


「嘘を言うな! これが最期なんだぞ! おまえは本当は反省してるんじゃないのか! その反省から少年法を撤廃しようと思ったんじゃないのか!?」

「先生。百歩譲ってそうだったとしても、本当に反省した人間は、目的のために人を殺したりはしないよ」

 津愚見は金田の深淵を覗き見るように、じっと彼の顔を睨みつけた。

 これが、おそらく最後だ。

 金田と出会ってから20年。

 同じ歳月をこの瞬間に集約させた。


 けれども、不遜な表情の奥には何の色も見えない。

 反省の色が無色透明なのだとしたら、この行為に意味はない。


 そうだ。

 意味はない。

 だから津愚見は少年法を憎み、更生は意味のない行為だと主張してきた。


 目の前にある真実は、金田が再び殺人を犯したこと。

 以前にも増して凶悪な犯罪者となったことだ。

 ならば、津愚見のとる行動は決まっている。


「そうだったな。貴様はクソゴミだ。豚に真珠の価値を説明しようとしている俺が間違っていた。貴様は決して赦されることのない罪を犯した。極刑になってもその罪は消えない。せいぜい後悔して死ね」

「ははっ。先生らしいね。そんなに俺のことが嫌いなのに、どうして弁護を引き受けた?」

「言ったはずだ。ほかにいなかったからだと。貴様が法を破ったからといって、俺が法を破るわけにはいかない。法が加害者に弁護を受ける権利を与えている以上、俺はそれを蔑ろにしない。それだけのことだ。自惚れるな」

「先生は変わらないなぁ。最初もそんな感じだった」

「おまえも変わらなかったな。清々するよ」


「先生の弁護、今でも覚えている。ゲームの影響とか父親がいない孤独とか、ぜんぜん関係のないモノの所為にしていたな。『リセットボタンを押すと生き返るから殺した』ってなんだ? どう脳みそ使ったら、そんな奇々怪々な理屈ができんだ?」

「さあな。馬鹿の思考は俺にもわからん。世の連中は、人が罪を犯したら、何かの所為にしないと不安なのさ。嘘でも誤魔化しでもいいから、何か理由がほしいんだよ」

「だったら、先生。俺がとっておきの真実を教えてやるよ。法廷で是非しゃべってくれ」

 金田が身を乗り出して言ってきた。


「とりあえず聞いてやる。仕事だからな」

「『社会』が悪いんだよ。だから俺は人を殺した」

「ふざけてろ」

 津愚見は秒で非難した。

「先生、俺はガキのころ、他人に舐められないことが正義だと思っていた。そして今、人生を思い返してみて、やっぱりそれは正しかったって思うぜ」

「クソガキの思想だな」

「ああ。だが、真理だ。先生、先生はまっとうな方法で少年法を撤廃しようとしたけど、失敗しただろ? 20年以上も被害者の想いを伝え、理不尽を語り、それでも法務大臣には響かなかった」

「……」

「だが、俺が娘を殺したら、一発で法律は変わった。なぜだ? それは力がある者を力で動かしたからだ! 喧嘩だってそうだ。強ければ、相手を支配できる。俺は少年院で快適な生活を送っていた。なんでか知ってるか? 人を殺したからさ。だから、みんなが一目置いて、俺にとって良い環境になった。力があるってことは、自分にとって住み良い世界にすることだ! 正しい、正しくないんて、誰にもどうでもいいことなんだよ! 権力、暴力、経済力! 力を持つ者が幸せになり、そうでない者は不幸になる!」


「ゲスの価値観だ。おまえは自分の家族との幸せを否定するのか!?」

「それもまた、俺の幸せだ。幸せだった。でも、幸せの形はひとつじゃない。犯罪をしたことのない先生には、絶対にわからないだろうけどよ。犯罪は楽しんだよ! 自分の力を実感できるんだ! 自分という人間の価値を実感できるんだ! そして、ここからが大事な話だぜ、先生。どうして偉い連中は、普通の奴よりも悪い奴が多いと思う?」

「おまえの思い込みだ。そんなデータはない」

「法務大臣は、たった数日で少年法を撤廃した。すでに裁判では俺の死刑が決まっている。そして俺に弁護士はつかないような根回しがされている。法律に触れるかどうかは分からねえよ。だけど、これって悪いことじゃねえのか?」

 津愚見は答えなかった。

 いや、答えられなかった。

 法律とは文章に決められた罪の基準だ。

 だが、必ずしも善悪の基準ではない。法で裁くことのできない悪党はたくさんいる。


 金田の指摘は、この世のもっとも根深い矛盾を貫いていた。

「先生はもう気づいてるだろ? 悪とは何か、法とは何か? 力を持つってことは、偉くなるのと同義だ。そして犯罪も、力を得るための行為のひとつだ。会社で偉くなった人間が、自分の感情で部下をクビにしたり左遷できたりする。これは理不尽な行為だが犯罪じゃない。社会で力を持った人間が、気に喰わない奴を殺したり、脅したりする。これは犯罪だ。違いはなんだ?」

 違いは、法律に書かれているか否かだ。

 だが、本質的には……


「本質的な違いはねえよな? 偉い奴らはできるだけ捕まらないように、悪い事をやっているだけさ! 力があれば舐められない。舐められなければ他人を支配できる。他人を支配すれば、この世界の勝ち組になれる!! だから人は犯罪を犯す! それを知ってるから、あんたらは法律を作った。一部の人間が得することを禁止して、それを『罪』だと法律に刻んだ! 犯罪をすれば得をすると知っているから、得だと思わないよう罰を設定したんだ!!」

 金田の声がこだまする。

「これは喧嘩なんだよ!! あんたらは犯罪をしたほうが有利だと知ってるから法を作り、得すると思われないために厳罰を用意した。それがあんたらの力であり、喧嘩の仕方だ。俺は自分が有利に生きるために、それを破る。それだけのことなんだよ!!」

 彼の中にも確かに、この世界の理不尽に対する怒りがあった。

 違いがあるとすれば、津愚見はそれを拒否し、金田はそれを受け入れた点だ。


「…そうだ。何を分かり切ったことを叫んでいる? 馬鹿なのか?」

「なんで分かり切ってるのに、そっち側にいるんだよ? 先生」

「信念があるからだ。仮に世界の真理がそうであっても、理不尽を憎む俺の気持ちに嘘偽りはない」

「理不尽ね。先生、倒すべき敵は他にいる。先生も知ってるだろ? 法の外側にいる連中のことを。その意味じゃ、法律は弱者を納得させるだけの詭弁でしかない。真面目に生きてる奴は、権力者にいいように操られているロボットさ。法があるから俺たちは行動を制限させられ、無理やり理不尽に従わされられ、権力者に手が出せないようになっている」

「違うな。法は弱者を守るためにある」

「違うぜ、先生。俺は一日で少年法を変えた。それは法を破り、権力者に直接影響を与えたからだ。法の中じゃ、それはできない。殺人こそが、俺たち弱者の想いを権力者に伝える唯一の手段なのさ」

「だが、実際に貴様らクソゴミがやってるのは、ただの弱い者イジメだ。正しい手段にこそ、正しい結果がついてくる。その逆はない」

「負け惜しみなんて、みっともないぜ、先生。少年法を撤廃したのは、この俺だ。先生が20年以上も心血を注いできた正義は、俺のたった1日の殺人の前に負けたんだよ!」

「勝ち負けなど下らん価値観だ。おまえは死に、俺は生き残る。勝者はどっちだ?」

「俺は歴史に名を残す。居ても居なくても変わりのない人生になんの意味がある?」

「犯罪者として名を残すなど、汚点の極みだ。人間なら恥の概念を理解しろ」

「先生が意地をはっても、世界の真理は変わらないぜ」

「変えるために法律がある。貴様ら厚顔無恥の犯罪者が、犯罪行為を『得』だと二度と言えないよう、すべての法律を厳罰化してやるよ」

「意味がねえよ。人間にとって大事なのは『力』だ。法を犯す奴には勝てないってことをみんな知っている」


「……」

「……」

 そして、ふたりの男はしばらく見つめ合った。

 おそらく津愚見と金田は同じ世界を見ている。

 けれども、選んだ道は真逆だった。

「…貴様のクソガキじみた動機は理解した。弁護の一案としよう」

 言って、津愚見は席を立つ。

「…そうか。ありがとな、先生」

 津愚見はぴたりと足を止めた。

 その科白には、どこか温かみがあった。

 金田はいま、どんな表情をして、自分に感謝の気持ちを伝えたのか…。

 振り返れば、金田の心が解るかもしれない。


 だが──、

奴は犯罪者だ。

 自分とは道を違えることを選択した。

 ならば、もうどうすることもできない。

「願わくば、……反省して、死ね」

 津愚見は振り返ることもなく、言い放った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る