第25話 獣の咆哮

 金田は呆然とさまよっていた。

 戻る場所もない、謝る人ももういない。

 いや、自分の都合で反省や贖罪という言葉を並べ、救うべきはずの相手を苦しませ殺してしまった。

 何をやっているんだ?

 何もやらなければ良かった。

 いや、そもそも俺という人間が生まれてこなければ良かった。

 俺は犯罪者の子供だ。

 津愚見が教えてくれた。

 子供に罪はない。命は大切。

 母のその想いも気持ちも、決して間違いではなかっただろう。

 だが、間違いだった。

 金田翔平という人間は、この世に生まれてくるべきではなかった。


 死のう。

 今度こそ、死のう。


「やっと見つけたぜ、おっさん!」

 気づけば少年たちに囲まれていた。鼻をガーゼで覆った少年は見たことのある顔だ。末次老人を襲っていたホームレス狩りの男女。今日はさらに二人ほど増えている。

「逃げんなよ」

 言われなくとも、金田に逃げる気はなかった。


 人気のない倉庫のような場所に連れて行かれ、金田は殴る蹴るの暴力を受けた。

 痛みを感じながら、どうしてこうなってしまったのだろう? と考える。

 どうして? どうして?

「おら! 反撃しろよ! ビビってんじゃねえぞ!」

 鼻ガーゼの少年が床に転がる金田を蹴り上げる。

「おいおい、本当にこんなマグロにやられたのかよ? 弱くね?」

「俺ら来た意味ねえじゃん」

 髪を短く刈り上げたガタイのいい少年と、金髪の少年が言った。

 おそらくは金田に負けた少年たちが呼んだ、喧嘩に自信のある傭兵だろう。

「違うんすよ。俺らにビビってるだけで。クソっ! 俺とタイマンしやがれ!!」

 金田は無理やりに立たされた。

 もう、どうでも良くなっていた。

 なんで、こいつらはこんなことをしてるんだろう?


──はぁ? 舐められたら終わりだからだよ


 目の前の鼻カーゼではなく、過去の金田翔平が答えた。


 なんで人の痛みが分からない?


──ウケるぜ。そりゃ当然だろ? 自分が殴られてねえのに、痛いわけないだろ?


 申し訳ないと、悪かったと思わないのか?


──それでどうなる? 舐められるだけだ。人生ってのはやったもん勝ちなんだよ!


 それで幸せになれるのか?


 ──幸せだっただろ? 忘れちまったのか? 逆に不幸なのは今じゃねえのか?


 痛みが頭を揺さぶる。絶え間ない暴力が、嵐のように降りそそいでくる。

 理不尽だ。

 罪のない妻と娘が殺された。

 遺族である通谷末次が呪いの形相のまま死んでいった。

 正しいことを主張している津愚見の夢は絶たれた。

 弱者をイジメるクソガキどもは罪にすらならない。


 どうしてだ?


 ──決まってんだろ? 世の中がそうできてんだよ?


 俺の声は届かない。

 俺の想いも届かない。

 いや、俺だけじゃない。

 津愚見の正しい想いも、

 被害者たちの悲痛な叫びも、何も届かない。


 ──そりゃそうだ。無視しても問題ないだろ?


 理不尽だ

 理不尽だ!

 どうやったらこの理不尽を覆せる!?

 弱者は、弱き者は、どうやって自分の存在を主張すればいい!?


 ──わかり切ってることを訊くなよ? もう、知ってんだろ?


「ほら! どうした、おっさん! かかって来いよ!」

 調子に乗った鼻ガーゼが蹴りを放ってくる。金田は素早く蹴りをかわすと、鼻ガーゼの顔面に渾身の右フックを打ち放った。

 気持ちのいい感触が、右腕を通して全身に伝わってくる。

 忘れていた、この感覚。

 全身に感じる痛みと、心の奥底から湧き上がってくる充足感。

 生きている、と思える快感。


 そうだ。俺はずっとこの快感の中で生きてきたんだ。


 金田の一撃を喰らって、鼻ガーゼがピクピクと痙攣している。

 自分を馬鹿にしていた奴がコテンパンになる姿は、いつ見ても気持ちいい。

爽快な気持ちになった。


「へえ、やるじゃねえか」

 傭兵のふたりがニヤニヤしながら近づいてきた。

 喧嘩に自信のある二人。

 その自信を、金田は粉々に打ち砕いだ。


「ひっ、ひいいいいいい!! ゆ、赦して下さい!!」

 命乞いをする刈り上げの顔を、相手から奪ったバットで殴りつける。

 体を動かすたびに、中にわだかまっていたストレスが発散してくのを感じる。

「はははは! あははははははははは!!」

 楽しい。楽しい。楽しい!!

 どうして、こんな楽しい遊びを忘れていたのだろう?

 ここにはすべてがある。

 優越感、自尊心、満足感、すべてが満たされ、逆にどうしようもなかった暗い気持ちが薄れていく。

 悩んでいた自分が馬鹿みたいだった。

 確かに、真面目な生活は嫌いじゃなかった。

 後悔したのも本当だ。

 だが、忘れていた。

 あれは、俺の生き方じゃなかった。

 本能に従った行為は、これほどまでに楽しく、こんなにも満足いくものだったのか。


 ──翔平は、猛獣なのかもしれない。


 桃果の言葉が思い出される。


 ──猛獣は、お腹がいっぱいになっているうちは、ほかの動物を襲わないの。だから、翔平を私が幸せにする。そうしたら、翔平はずっと「いい人」のままでいられる。


 そう。桃果がいれば、真愛がいれば、俺は人を襲わないかもしれない。

 だが、もう彼女たちはどこにもいない。

 友人である津愚見もいない。

 生きる目的もない。

 俺にはもう、何もなかった。

 

 猛獣は、腹を空かせていた。


「あはははははは!!」

 刈り上げがぴくりとも動かなくなった。

 金田は近く落ちていた、コンクリートのブロックを拾うと、それを高々と持ち上げて、次の瞬間、刈り上げの頭に投げつけた。

 ボンっという音が聞こえ、刈り上げの脳みそが飛び散った。


「うわあああああああああああああ!!」

 誰かの悲鳴がこだまする。

 金田が逃げ出さないよう倉庫には鍵がかけられていた。それが今は、逆に少年たちの逃走を拒んでいた。

 鍵を必死に開けようとする少年に飛び蹴りを喰らわせる。

 ふっとんだ少年の頭をクラッチし、そのまま渾身の力を込めて圧し折った。

「ふぐっ、ふっぐ」

 腰を抜かしてほうほうの体で逃げていく少年の足を掴み、体重をかけて圧し折った。近くに転がっていた、さっきまで刈り上げを殴るのに使っていた金属バットを手に取ると、細い部分を少年の体に突き立てた。何度か突き立てる内に、少年の腹を突き破って、内臓をぐちゃぐちゃにする。


 怯えて動けない鼻ガーゼと、その横には少女がいた。

 そこへ向かう途中に、気絶した金髪がいたので、刈り上げを殺したコンクリートブロックで頭を破壊した。

「た、助けて」

 ガタガタと震えるあどけなさの残る少年少女。

 ああ、いい。

 最高に気持ちいい。

 自分が特別な人間だと理解できる。

 こいつらより、遥かに上の存在だと認識できる。

 

見ろ!

 こいつらは何故怯えている?

 それは俺が舐められていないからだ。 

 俺が人を殺せる人間だからだ!

 


 金田は自分が殺した少年たちを見た。

 彼らにも名前があり、人生があり、親からの愛情があったことだろう。

 だが、だからどうした?

 金田はもはや、何も感じなかった。

 いや、快感すらも覚えていた。

 気にしなければ、それはそれだけのことだった。

 なくても全然困らない。

 むしろ、自分を不幸にするだけの苦痛でしかなかった。

 

 ああ、今だから理解できる。

 俺はずっと甘い揺り籠の中で夢を見ていたのだ。

 今、完全に目覚めた。

 猛獣だった自分を思い出した。

 

「首を絞めて殺す。協力しろ」

「そ、そしたら助けてくれる?」

 金田が頷くと、少女は嬉々として協力してくれた。ふたりで鼻ガーゼの首に巻き付けたロープを綱引きみたいに引っぱって、鼻ガーゼを絞め殺した。

「これで、助けてくれる?」

「服を脱げ」


 少女は素直に従った。

 先ほどまで、自分の声に耳を傾けなかった態度とは大違いだ。

 俺の声が届いた。

 今の俺に、理不尽な世界は存在しない。

 犯罪は、力を持たない者を、「人」として開放してくれるのだ!!



 金田は少女を犯した。久しぶりの暴力的なセックスは気持ちよかった。

 生きてる感じがする。

 人生が充足している。

 これこそが、「俺」なんだ。


 金田は少女の首をロープで絞めて殺した。

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