第24話 誰がための贖罪か?

 翌日、通谷末次がいるという老人ホームへ行った。

「そんな人いませんけど?」

 けれども、そこに末次はいなかった。念のため再確認をお願いしたが、結果は同じだった。

 どうすべきか、途方に暮れてしまう。

 あの通谷家で会った初老の女性に、再度確認するか?

 いや、ここにいると言ったのだから、新しい情報はないだろう?

 場所が違ったのか?

 金田は念のため、この付近の老人ホームに電話で問い合わせた。しかし、半分近くは個人情報を理由に断られ、残り半分は「いない」と回答があった。


 どうするか? 手詰まり感があった。

 園木茉莉花に相談するか?

いや、出来れば関係を持ちたくない。

 警察に訊くか?

 今の自分が逮捕されることはないだろうが、なんとなく距離を置きたかった。

 探偵に頼むか? 

 自分が桃果と結婚する際、津愚見が雇って、自分のことを調べさせたと言っていた。もしも犯罪者と今もつながりがあるようだったら、結婚に反対する目的で。

 意外としっかりした情報だったことを覚えている。

 それがいいかもしれない。

 探偵なら何とかしてくれそうだ。

 金田は探偵事務所の門を叩いた。


「戻って来てくれたかぁ。よかったぁ」

 橋下老人は泣いて喜んだ。

 用事があると出て行ったとき、橋下老人は必死に「行かないでくれ」と言った。中園が窘めなかったら、老人ホームに行くことすらできなかっただろう。

 そのときに、戻ってくると約束したのだった。嘘をついて出て行くような真似はしたくなかった。

「梶原さん、仕事は大丈夫なのか?」

 中園が訊いてきた。

「していないです。辞めてきました」

「そうか。なら大丈夫だな」

 中園は明るく答えた。こういうやり取りには慣れているのかもしれない。

 探偵から連絡があるまで、金田はホームレスたちと過ごした。

 コンビニや弁当屋で食材や酒を買ってくるだけで、みんな本当に幸せそうに笑った。

「梶原さんと俺は親友だぁ」

 特に橋下老人の金田に対する入れ込みは凄まじかった。性別も齢も真逆だが、幼い頃の真愛もこんな感じだった。

 金田の中にぽっかり空いた穴に、橋下老人が入り込んでいた。


「そういえば、どうしてあの橋の下に行こうとしてたんですか?」

「さあ、なんでかなぁ」

 橋下老人は首をひねった。

「決まってんだろ。橋の下は雨も降らないし、ションベンしても怒られない。橋下さんはそこで暮らしてたんだよ」

 他のホームレスが答えた。

 そんな話をしていたとき、金田のスマホが鳴った。探偵事務所からの電話だった。

 結論として、末次は老人ホームにはいなかった。現在、行方不明なのだそうだ。

「そうですか…」


『あと、これは噂レベルなので、これから調査しますが、どうもホームレス生活をしている可能性があります』

 どくん、と心臓がなった。

 頭のどこかに引っかかるものを感じた。

 電話を切ったあと、談笑するホームレスたちの顔を見た。

(いや、まさか…な)

 嫌な予感がした。

 何か根拠があるわけじゃない。

 だけど…


「中園さん!」

 金田は公園に自転車で入ってきた中園を呼び止めた。

「すみません。もし知っていたらでいいんですが、通谷末次さんという方を知りませんか? ホームレスをしているという噂があって」

「はぁ? 知ってるも何も、橋下のじいさんの本名じゃねえか?」

 どくん、と心臓が痛みを発した。

 恐る恐る橋下老人を見る。

「どうした? 親友。こっちに来い!」

 まさか、嘘だろ? そんな…。

「だって…、じゃあ? なんで橋下のおじいちゃん、て…」

「ああ、呼び名か? 橋の下に住んでたから、『橋下のじいさん』だ。俺は中央公園にいるから『中園』って呼ばれてる」


 ああ…

 あああああああ…


 金田は今にも崩れ落ちそうな気持ちだった。

 こんな残酷な現実があるだろうか?

 あの無邪気な笑顔が、この後どのように豹変するのか。


「中園さん。お願いがあります。これから通谷さんが俺に何をしても、絶対に止めないでください」

「よく分からんが、よく分かった」

 金田は橋下老人を、少し離れた場所へ呼び出した。

「通谷末次さん、ですね?」

「うん? 末次…? ああ、それ、俺の名前だぁ。忘れとった。はははははは」

 やはりそうか。

 俺はなんてことを。

 親友だと慕っていた相手が、実は憎むべき娘の仇と知ったら、この老人の精神はどうなってしまうのだろう?

 だが、この償いから逃げては駄目だ。


 金田は土下座した。

「ん? どうした親友?」

「俺は、親友じゃありません」

「はぁ? 何を言うとるん? 梶原さんは俺の親友や!」

「俺の名前は梶原ではありません」

「そんなん、どうでもいい! おまえが誰でも関係ない!」

「俺は、俺の名は…」


 金田翔平と言います。


 沈黙が降りた。

 重々しい沈黙が。

 土下座をしている金田には、末次の表情を見る術はない。

 ややあって、掠れたような声が聞こえた。

「かねだ…しょう…へい?」

「そうです。美沙さんのことは! 大変申し訳ありませんでしたぁ!!」

 叫ぶように言った。心が張り裂けそうだった。目の奥が焼けるように熱い。


「ああ…、あああ…、ああああああああああああああああああああああ!!!」

 末次が甲高い叫びをあげる。

 ぐいっと胸倉を掴みあげられた。

 末次の顔を見る。

 先ほどまでの温和な笑顔はなかった。

憎しみと苦痛と憎悪が激しく入り乱れた顔をしている。

「きさまが、美沙を…貴様がぁあああああああああああああああああああああ!!」

 末次が金田を押し倒し、馬乗りになって拳を浴びせる。

「貴様が!貴様が!貴様がぁああああああああああああ!!」

「すみません! すみません! すみません!!」

 末次の拳が降り注ぐ、物理的な痛み以上に、彼の無念の思いが胸に響いてくる。

 金田は本心から謝罪した。

 言葉に出尽くせぬ想いを、言葉にして叫んだ!


「おい、橋下のじいさん、やめろ!」

 中園たちが止めに入った。

「離せ! 止めるな!!」

「止めないでください! お願いします!!」

「何言ってんだ! 橋下のじいさん、親友なんだろ!?」

「違うわぁあああああああああ!!」

「こいつは、俺のすべてを奪ったクソガキじゃぁあああああああああああああああああ!!」

 叫んだあと、末次は「うっ」と唸って苦しみだした。

「やばいぞ、おい!」

「橋下のじいさん、しっかりしろ!」

「通谷さん!?」

 思わず金田も駆け寄った。

「さ、さわる…な!」

 苦しんげな掠れた声で、末次が拒否する。

「赦さん。貴様だけは、…死んでも赦さん」

 それが通谷末次の最期の言葉になった。



「そういうことか…」

 中園はため息交じりに言った。末次を共同墓地に埋葬したあと、金田は中園にすべてを話した。

「まあ、あんまり気にすんな。じいさんは元々心臓が弱かったんだ。俺たちは健康とは無縁だからよ。寿命みたいなもんだ」

「俺が殺したようなものですよね?」

「俺の話聞いてたかぁ? まあいい。しかし、因果な物だな。おまえさんが、あの新聞を賑わわせていた凶悪更生少年の金田翔平だったとは…。あ、なんで知ってんだ? って顔してんな。雑誌や新聞はよく拾ってくんだよ。暇なときに読めるし、毛布代わりになるし、尻も拭ける」

 中園は焼酎のカップを飲み干してから言った。

「なあ、なんで、おまえさん。橋下のじいさんに打ち明けようと思ったんだ? 黙っていることもできたんじゃねえのか?」

「それが俺の償いだからです。死のうと思った。だけど、死ぬ前にやることがあると思ったんです。俺はまだ遺族に謝っていなかった。殺されても構わない」

「よくわからんけど、それは、おまえさんの都合じゃないのか?」

「え?」

「反省とか贖罪とかさ、いろんな言葉並べているけど、全部自分のためだろ?」

「違います! 俺は赦されようとは思っていない!」

「いや、そうじゃなくてさ。橋下のじいさん、幸せそうだったろ? あんたが来てから、ずっと活き活きしていた。おまえさんの言いたいことは分かるぜ。筋を通すのは当然だし、謝罪するのは人として当然のことだ。だけどな、橋下のじいさんに必要だったのは、『嘘のほう』じゃなかったのか? 人間ってのは理屈じゃねえ、感情なんだよ」


 じくりとした後悔が襲ってくる。

 橋下老人の最後の笑顔と最期の鬼の形相が思い出される。

 俺は、道を間違ってしまったのか?

 自分の都合で、遺族をまた不幸にしてしまったのだろうか?

「言うにしてもタイミングってのがあるだろ? おまえさんはもう、謝るタイミングを失ってしまっていたんだよ。じいさんの死に顔を見ただろ? 穏やかとは程遠い、恨みが張り付いたままの死に顔だった。報われねえぜ」

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