第23話 こんな俺でも誰かの役に立つのだろうか
茉莉花と別れた金田は、被害者の遺族に会う決意をした。
当時の記憶はおぼろげながら残っている。
少女を拉致するため、何度も何度も通学路を下見した。当然、家の場所も把握している。近くまで行けば、おそらく思い出すだろう。
だが20年以上も立てば、街の風景も変わっているはずだ。
もっと確実な情報が欲しかった。
そして被害者の名前も。
名前も知らずに謝罪に行くなど、絶対にあり得ない。
すぐに思いついたのは、津愚見の法律事務所だ。そこなら被害者の名前も、遺族の住所も分かるだろう。以前、金田が桃果にカミングアウトする際、津愚見からもらった資料からは、被害者の情報が消されていたが、ちゃんとした資料のほうには載っているはずだ。
だが、津愚見に会うのは気が重かった。
自分のせいで津愚見の夢は絶たれた。
津愚見はすべてにおいて正しかったのに、間違った生き方しかしていないクソガキの所為で、この世に本当に必要な夢が消されてしまったのだ。
そのやる瀬ない気持ちに、向き合う顔をもっていなかった。
ふと、ネットで調べてみようと思った。
自分の名前で検索し、仰天した。
ずっと闇の中に引きこもっていたため、周囲の情報が入って来ていなかった。ネットには、たくさんの金田の情報が飛び交っていた。
顔写真も載っていたが、ぜんぜん知らない男の物だった。
茉莉花が気づかなかったのは、もしかしたらこのお陰かもしれない。
情報には嘘と本当が入り混じっていた。
どうしていい加減な情報を載せようと思うのか?
ひとつひとつ情報を見ようとして、心が折れそうになった。
量も多いが、それ以上に、自分の人生を直視できなかった。
目的を過去に事件に絞って調べる。
すぐに情報は手に入った。
通谷美沙。
それが金田の殺した少女の名前だった。
(これが、あの子の名前…)
金田は心から冥福を祈った。自然と目頭が熱くなる。
過去の事件の詳細も書かれてあった。改めて、自分の愚かさを理解する。
実家の住所は書いてなかったが、事件の起こった場所は載っていた。
近くまで行けば、なんとかなるだろう。
こんなに簡単にたどり着けるのに、今まで調べようとしなかったことが悔やまれた。
金田は電車を乗り継ぎ、通谷美沙の実家へ向かった。
ああ、そうだ。
と、金田は自分を呪う気持ちになった。
封印していた記憶の底にある風景。
駅で降り、道を歩いて進むにつれ、当時の自分の気持ちを思い出す。
愚かだった過去の自分へと戻っていく。
ずいぶんと風景が変わっている箇所もあったが、記憶に残る部分も多かった。
犯罪をするために見ていた風景と、反省して謝罪するために見る風景。
同じ景色でも、まるで違って見えた。
やがて、美沙の家を見つけた。
荒れ果てた一軒家。人が住んでいる気配はない。
表札を確認する。
通谷末次、幸恵、美沙と名前が書いてあった。ひとり娘だったのだ。真愛と同じ…。
重い心臓病でやっとの想いで延命できた。
それがどれほどの祈りだったのか。
自分たちも子供を作るのに苦労したから分かる。
子供の誕生にどれだけの想いと祈り、願いが込められているのかを。
たった一つの命の輝きの価値を。
金田は急に怖気づいてしまった。
謝罪になんの意味がないことを、ここに来てようやく悟った。
巨大なビルの壁を、素手で登るようなものだ。
どうしてこんな愚かな勘違いをしてしまったのか。
「ちょっと、あなた」
初老の女性が話しかけてきた。
「もしかしてマスコミの人? それとも、あの動画を撮る人? なんとかバーっていう」
後者はおそらくYoutuberのことだろう。
「いえ、違います」
「あれ? あなた泣いてるの? もしかして、美沙ちゃんのお友達?」
自分が泣いてることに、指摘されてはじめて気づいた。
「ええ、まあ。友達というほど親しくはなかったんですが…。あの、家族の方は?」
「その家はもう空き家だよ。誰も住んじゃいない」
「え? そうなんですか?」
「事件があった当時は、うるさいくらいマスコミが来てたんだけどね。あの人達、本当酷いわよ。話題になっている間はちやほやしていろいろ聞いてきて、プライバシーもクソもなくって、そのくせ流行が過ぎるとあっさりと興味をなくすんだよ。死体に群がるハエだよ、ハエ。事件のために仕事をしてるんじゃなくて、仕事のために事件を追ってるんだ。本当、あいつらの親の顔が見てみたい」
「あの、空き家ってことは引っ越されたんですか?」
「え? いや、確か幸恵ちゃんは病気で亡くなって、末次さんのほうは老人ホームにいるはずだよ」
生きていた!
「どこの老人ホームか分かりますか?」
「なんで、そんなこと聞くの? あんた、本当はなんとかバーじゃない?」
「Youtuberではないです」
「あいつらも酷いわよね。マスコミがハエなら、あいつらはウジ虫だよ。礼儀もないし、二言目には『マスコミもやってることだろ』って言うし。知らないわよ、こっちは。なんであいつら、自分のことしか考えないのかねぇ」
どうやらかなり不満があるらしい。
無理に聞きだせば、余計な詮索をされるかもしれない。
世間話は好きそうだし、ここはもう少し相手に合わせたほうがいいだろう。
「美沙さんが事件にあってから、遺族はどんな感じでした?」
「本当、見ていて可哀想だったわ」
遺族が受けた悲しみや苦しみは、自分が経験したものと同じだった。
いや、比較はできないし、自分にその権利はないだろう。
けれども、あの沼の底にいるような倦怠感や、何を食べても砂の味がするなどのエピソードは、自分が体験したのと同じだった。
自分が少年院で希望に満ちあふれた生活を送っている間、ここは絶望の沼に沈んでいた。
加害者よりも被害者が、どうして不幸にならなければならないのか。
津愚見の言うとおり、この社会は間違っている。
女性の話は長く、愚痴や不満も多かったが、遺族のことを聞けたのは、結果的に良かったと思う。
金田が何度も涙したため、女性の中で、金田は「良い人」になっていた。
俺が美沙を殺した犯人だと知ったら、果たしてどんな顔をするだろうか。
末次がいる老人ホームの場所も教えてもらった。
隣町にいるらしい。
夕方過ぎに、その老人ホームに到着した。
もう面会の時間は過ぎていたため、明日出直すことにする。
近くに泊まる場所はないか?
ネットで検索しながらウロウロしていたときだ。
車が走る音にまぎれて、遠くから人の争うような声がした。
なんとなく見過ごせない気がして、声の出所を探った。
河川敷で、数人の少年が、ホームレスらしい老人をいじめているところだった。
金田は素早く警察に連絡してから、河川敷に降りた。
「おい! おまえたち、何をやっている!!」
「はぁ? なんだ、オッサン。ぶっ殺すぞ」
老人に暴力を振るって、興奮状態にあるのだろう。そのまま殴ってきそうな態度で、金田を取り囲んできた。全部で3人の少年だ。奥に1人少女もいる。
厄介だな、と思った。少女がひとりいると、男は意固地になる。
「爺さんいたぶるしか能がないくせに、何威張ってんだよ?」
「はぁあああ!! 舐めんなクソが!」
「なんだ、コアぁ。やんのか、コラ!」
「おまえら、どこ中だ?」
金田は会話で時間を稼いだ。警察の到着まで8分程度と言っていた。サイレンの音が聞こえれば、それより早い時間に逃げ出してくれるだろう。
「おめえには関係ねっだろ、おっさん! センコーかぁ!?」
「冗談。あんなの、一番嫌いだぜ」
金田はそうは思っていなかったが、少年たちの空気が若干変わった。敵か味方か、彼らはシンプルなそのラインで他人を判断する。
「なに、やってんだよ? おっさんひとりにビビってんの?」
少女が口を挟んできた。まずい展開だ。
ただでさえ男は、女の前ではかっこつけたいと思う生き物なのに、彼らは今、思春期まっさかりなのだ。本能がすべてのリスクを凌駕する。
「うるせえ、黙ってろ!」
少年は言い返すが、内心で行動は決まったらしい。舐められないための行動に出る。
つかつかと金田の元に歩いてきて、胸倉を掴みあげると同時に、拳を後ろに引いた。
遅いな、と金田は思った。
先制攻撃でツーアクションとる馬鹿がどこにいる。
金田は相手の脛を蹴り上げた。
「がっ!」
怯んだ隙に、相手の鼻の下に頭突きを喰らわせる。少年はひっくり返った。
反撃されるとは思っていなかったのだろう。
ほかの二人の少年は、動けずにいた。
頭突きを喰らった少年も、すぐには状況が理解できなかったらしい。
ぼたぼたと流れる鼻血で汚れる口元を押さえながら、一瞬、呆然としていた。
「く、くそがぁああ!!」
痛みで我を取り戻したのか、鼻血の少年が立ち上がって襲って来た。大振りの攻撃をかわし、足払いで転ばせる。
そこでサイレンの音が聞こえてきた。
少年たちは「ヤバい」と言って逃げ出した。
「おぼえてろ!!」
鼻血の少年も捨て台詞を吐いて去っていく。
「大丈夫ですか?」
金田は老人の体を確認した。やせ細った体躯、長年風呂に入っていない体臭。
ところどころ痣が出来ているが、骨に異常はないようだった。
「病院へいきましょう」
老人は首を横にふった。
「か、金がない」
「じゃあ、俺が払います」
「保険もない」
金田は一瞬迷った。いくらになるんだ?
そこへ遅ればせながらパトカーが到着する。
「梶原さんですか?」
警察官が聞いてきた。警察に通報した際、自分の名前を名乗りたくなかった金田は、桃果の旧姓を名乗った。
「少年たちはあっちに逃げていきました」
「分かりました。やっぱり、橋下のおじいちゃんか」
警察官がちらりと老人を見て言った。
「よく襲われているんですよ。ここに来ないよう言い聞かせているんですけどね。認知症がはじまってるから」
どうやら老人は被害の常習犯らしい。
「よく襲われるのなら、加害者のほうを逮捕してください。誰か分かってるんですよね?」
金田は少しイラついて言った。
「まあ、知ってるけど、証拠がねぇ」
「目の前に殴られた人がいるでしょうが!」
「あいつら未成年なんだよ」
警察官が吐き捨てるように言った。
その意味がわかり、金田は急速に反論する気が失せた。
「あんた、橋下のおじいちゃんの知り合い? だったら、ここに来ないように説得しておいて」
警察官たちは少年を追って去っていった。おそらくは見つけたとしても、厳重注意で終わるだけだろう。それがこの国の現実だ。
「あんた、強いなぁ。命の恩人だぁ。俺の仲間に合わせてやる」
金田は橋下老人に連れられて、ホームレスたちが集まる公園に行った。
どこにも行く当てがなかったし、老人の怪我も心配だった。何より、ボロボロになった老人が嬉しそうに言うので、なんとなく断れなかった。
公園には、ほかに四人のホームレスがいた。中園という男が、ここら辺のホームレスのリーダーらしい。
「この梶原さんが、クソガキにがつんと頭突きを喰らわせてよぉ! 最高だったぜ!」
老人は自分のことのように興奮して語った。よほど恨みが溜まっていのだろう。
「マジか! その場に俺も居たかったぜ」
「あいつら俺たちを人間だとは思っていないからなぁ」
「ざまあみろだ!」
ホームレスたちはご機嫌に笑い合った。
「梶原さん、だっけ? 悪いな、こんな何もない場所に連れてきちまって。普通ならお礼に御馳走って場面だけど、見てのとおり、ここには何もない」
中園が自嘲気味に謝った。
「いえ、そういうつもりではないので」
「橋下のじいさんのことは気にするな。ちょっとボケも入ってるからな。明日になったら忘れている。飯はまだなんじゃないのか? 俺らに気を遣わなくていいぞ。助けてくれただけで感謝している。返すもんはないけどな」
「おい、なんで俺の梶原さんを帰そうとするんだ!?」
橋下老人が怒って言った。
「ここには食いものがないだろ? 恩人に水でも飲ませる気か? 梶原さんは俺らと違って金もあるし、寝る場所もある。かえって失礼だろうが」
老人はしゅんとなって俯いた。無念の双眸を向けてくる。
「あの、実は泊まるところがないので、ここに居ていいですか? コンビニで何か買ってきますよ。みなさんの分も」
「!!!???」
ホームレスたちの顔色が変わった。
「いやいやいや、それは…」
拒否しようとする中園を、他のホームレスたちが止めた。
「中園さん! ここは持ちつ持たれつだ」
「人の好意を無下にしちゃいけねえ」
正直、金田にとって、お金は無用の長物だ。家族がいなくなった今、使い道はない。全額ここに置いてきても構わなかった。
コンビニで食料や酒を買ってきた金田は、英雄扱いされた。金田を連れきた橋下老人は、終始ご機嫌だった。「こんなに幸せそうな橋下のじいさんを見たことがない」と皆も言っていた。
今の自分が誰かを幸せにできることが、少しだけ嬉しかった。
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