第22話 償いへ至る道

 金田は深い虚無の中にいた。

 家族を奪われた虚無感よりも、自分の犯した罪の重さに、心が麻痺してしまっていた。

 自分はなんてことを仕出かしたんだろう。


 確かに俺は後悔していた。

 愚かなことをしたと自分を罵った。


 だがそこに、反省の色はあったか?


 どこまで行っても自分のことしか考えてなかった。

 真面目に生きることが更生だと信じていた。

 刑期を終えることが、償いだと思っていた。

 違う違う違う!!


 そこには、被害者の存在が微塵もなかった。


 俺は一度だって、被害者のことを考えただろうか?

 被害者の家族のことを思っただろうか?

 

 俺の中に、俺の人生の先に、被害者の女の子はいなかった。

 いない存在として扱っていた。

 何が更生だ! 何が反省だ! 何もわかっちゃいないじゃないか!

 後悔と反省はぜんぜん違う! 更生と償いもぜんぜん別物だ!

 俺はこの20年間、何をしてきたんだろう?

 反省した気になっていた。

 真人間になった気になっていた。

 真面目に今を生きることが償いであり反省だと思っていた。

 俺が幸せであることが、赦された証だと勝手に思い込んでいた。

 なんて愚か者なんだ!

 

 そこには、いつまで経っても被害者はいない。

俺は何も変わっていなかった。

 自分の犯した罪から目を背けて、被害者の家族の苦悩にも気づかず、のうのうと生きていただけじゃないか…。


 少女の顔が思い出される。

 遠い記憶、色褪せた風景の中で、今なら少女の絶望した顔を思い出すことができた。

 あの子に謝りたい。

 心から、泣いて詫びたい。

 あの子に──。


 金田は、そこで発狂しそうな事実に気づいた。


 あの子って誰だ?

 どうしてそんな呼び方をする?

 あの子は生きた人間だ。

 親からもらった大切な名前が、想いを込められた名前があったはずだ。

 どうしてこんな簡単な事実に気づかなかったんだろう?


 俺は、自分が殺した少女の名前すら、憶えていなかったのだ。

 一度も思い出そうとしなかった。

 あの子を、ひとりの人間として、思い出そうとすらしていなかった。


 ──クソガキは死ね!


 津愚見の声が唐突に聞こえた。

 そうだ、先生。あんたは正しい。

 俺はどうしようもないクソガキだった。

 被害者の名前すら憶えていない、最低最悪のゴミだ。

 そんな存在が、どうして人並みの生き方をしようと思ったのか?

 死ねばいい。死ねばいい。

 こんな自分なんて、いなくなってしまえばいい!!


 金田は死ぬことにした。

 死に場所を求めてさまよった。

 被害者の苦痛を知った今、被害者の家族の苦悩を知った今、もはや人様に合わせる顔はなかった。

 

 気づいたら、橋の上に立っていた。

 地面までの距離は20メートルほど。下は川ではなく、硬いコンクリートの道路だ。

 ここから飛び降りれば死ねるだろうか?

 もう少し高いほうが良いかもしれない。


「あの、すみません」

 そんな金田にひとりの女性が話しかけてきた。

「道をお聞きしたいんですけど」

 近くに車が止めてある。そこから降りてきたようだ。

 強風が女性のショートカットの髪をかき上げる。

 橋の上で、奇妙な光景だった。

「はぁ。どこへ行きたいんですか?」

「ここなんですけど…」

 女性がスマホを見せながら近づいてくる。

 スマホで分からなかったのか?

 一瞬、そんな疑問が過ぎったが、考えるのも億劫だった。

 金田が柵に身を寄せた瞬間、女性が抱きついてきた。強い力でしっかりと金田の体を捕まえている。

「死なないでください! 何があったか知りませんけど、私にその理由を教えてください!」

 しまった、と金田は思った。

 女性は自殺しようとする自分を止めるために、近づいてきたのだ。確かに普通に止められていたら、近づいてきたタイミングで飛び降りたかもしれない。

「離してくれ! あんたには関係ない!」

「いいえ、離しません! 話してくれるまでは!」

「離してくれ!」

「話してください!」

 そうこうするうちに、ほかにも人が来て、金田の自殺は止められてしまった。



「それで、どうして自殺なんか。無理に話さなくていいですけど、もしかしたら力になれるかもしれません」

 金田は女性に連れられて、古風な喫茶店の個室にいた。結構な値段のする店だった。

「誰かにどうすることも出来ませんよ。これは俺の問題です」

「失礼、私はこういう者です」

 女性は名刺を差し出してきた。園木茉莉花と書いてあった。人権団体「キズナ」の代表でもあると。

 どこかで訊いたことのある名前だと、金田は思った。

「…少し、調べてもいいですか?」

 金田は、自分のスマホが電池切れであることに気づいた。

「お貸ししますよ」

 茉莉花がにっこり笑って、スマホを差し出してきた。

 不用心だな、と思ったが、彼女の名前を調べて腑に落ちた。

 絶対的な強者。

 故に、ノブレスオブリージュの精神と、どうとでも出来るという自負がある。

 園木法務大臣の実の娘だ。


 金田はまじまじと女性の顔を見た。

 以前、悪酔いした津愚見の代わりに、笹原から教えてもらったことがある。

 園木法務副大臣。今は法務大臣に出世したようだが。

 少年法撤廃という津愚見の夢を叶えるためのキーマンであり、最大の障害。

 彼には娘がいて、その娘の影響で少年法の厳罰化には反対なのだと。

 彼女こそが、その娘なのだ。

「…お父さんが法務大臣なんですね?」

「ええ。そうです」

「…少年法の厳罰化に反対なんですか?」

「ああ、そんなことまで書いてありました? そうです。ちなみに、あなたも反対ですよね?」

 どう答えて良いか分からなかった。

 津愚見の考えには賛同だ。

 かつて加害者だった自分だが、今は痛いくらいに被害者の気持ちがわかる。

 そして、加害者が決して反省しないことも理解した。

 更生とは何か?

 もう二度と他人に迷惑をかけないことであるのなら、それは「反省」とは程遠い概念だ。

 だが、自分にそれを言う権利があるのだろう?

 大切なものを奪われるまで、反省の意味すら知らなかった自分が…。


「まあ、あまり興味のない話かもしれませんね」

「あ、いえ…」

「近々、少年法は緩和されます。ようやく私たちの努力が実った感じです」

「緩和!? 厳罰化でなくて!?」

 だとしたら津愚見の夢はどうなったのか?

 少年法撤廃の夢は。

「ええ、そうです。犯罪者も更生できることが判ったので」

「更生!? それに何の意味があるんですか!?」

 金田は思わず叫んでいた。

 茉莉花は目を丸くして、次にゆっくりとほほ笑んだ。

「ありますよ。犯罪者にも人生はあります。数カ月前にN市で起こった母子殺害事件を知ってますか? 被害者の家族が、実は少年時代に殺人をした人だったんです」

 自分のことだ。

 金田は水を浴びせられたような気持になった。

 この場にいることすら辛い。

 今は気づかれていないようだが、自分がその本人だとバレるのが、恐ろしかった。

 

「少年法を厳罰化する動きはありましたが、その事件の影響で完全に消えてしまいました」

「え? どうしてです!?」

 金田は思わず反応していた。

 完全に消えた?

 それじゃ、津愚見の夢は…?

「どうしても何も…、ああ、あまりニュースは見ない感じですか? 凶悪少年犯罪の更生事例だからですよ。その被害者の家族は、過去に凶悪な事件を犯したにも関わらず、心から反省し、罪を償い、真人間になっていたんです! 少年は新たに生まれ変わることができるんですよ! 私が思っていたとおりでした!!」

 違う!

 金田は思わず心の中で叫んでいた。

 本当の反省を知ったから今だから分かる。

 それは反省でも償いでもない。単に他人に迷惑をかけていないだけの「普通」だ。借金を踏み倒して娯楽に金をつぎ込んでいるようなものだ。

 

 けれども金田は何も言えなかった。

 おそらく、この女性を説得しても意味はないし、説得できる自信も気力もなかった。

 一瞬、自分がその金田翔平だと言ってやろうかと思った。

 けれどできなかった。

 怖かったという理由もある。

 けれど、それ以上に、容易に想像できた。


 家族を殺されて反省していなかったことに気づいた金田が、「俺は反省していなかった」と涙ながらに主張すれば、「みろ! あれこそが反省した人間だ!」と言われてしまう。

 津愚見も言っていた、人は自分が見たいモノしか見ない。

 金田が後悔し、悔いれば悔いるほど、それは「反省」の証拠とされてしまう。

 意味がなかった。

 事態は金田の想いとは正反対の方向へ突き進んでいく。

 もはや自分にできることは何もないのだ。

(そうか。津愚見先生の夢は、俺が、壊したのか…。あんなにお世話になったのに…)

 もうひとつ、自分を赦せない理由が増えた。

 


「話は戻しますけど、私は法務大臣の娘です。権威に頼るわけじゃないけど、法的に困っていることがあるのなら、お手伝いできるかもしれないわ。父はとっても優しくて物分かりが良い人なの」

(物分かりの良い人か…。聞いていた話と違うな)

「あの…、そんな人がどうして俺を…」

「助けたのかって?」

 金田はコクンと頷いた。

命は大切だからです。自殺しようとしている人がいたら止めるのは当然でしょ? 私は見て見ぬふりするような性格じゃないの」

 ハキハキした声が疲れた脳によく届く。なんとなく、人の上に立つタイプだろうな、と金田は思った。

 けれど、迷いなく「命が大切」と言う態度には、どこか薄っぺらさを感じた。

 苦労や後悔、信念からもたらされた言葉ではなく、単に人から好かれるためのファッションのような軽さ。

 たぶんこの女性は、他人を助けている自分が好きなのだ。


「これも、何かの縁よ。偶然だけど、あなたは私と出会ったことで、死を免れました」

 それが余計なお世話だと、どうして思わない?

「運命があなたに『生きろ』って言ってるんですよ!」

「…詭弁ですよ」

「そうでしょうか? あなたは運命を信じない人?」

 仮にも法務大臣の秘書を務めている人間が、こんなフワフワしたことを言うのか?

「私は、今あなたが生きていること自体に、大きな意味があると思います。どうして死のうなんて思ったんですか?」

 自分の事を知るこの女性に、あまり詳しい話はしたくなかった。

 バレたらきっと、取り返しのつかないことになる。

 何がどうかという具体的な不安はなかったが、彼女という人間から感じる空気が、面倒なことになると警鐘を鳴らしていた。


「…一時の気の迷いです。今はもう大丈夫です。ありがとうございました。それでは──」

「待ってください! あなたの顔からはまだ死相が消えてません!」

 妙に勘の鋭い女性だった。どうやら誤魔化して帰るのは困難らしい。

 だからと言って、強引に逃げる気にはならなかった。

 何もかも億劫だった。

 心のエンジンが消えかけている。

 今から死のうと考えている人間には、ここから逃げ出そうという気力もなかった。

 観念して口を開く

「…人生を失敗したからです。俺は過去の犯…失敗を、そのままにして生きてきました」

「だったら、今からそれを解決すればいいじゃないですか!」

 簡単に言われた。

 モヤモヤした気持ちがわだかまっていく。


「もう死んでるんですよ、その人は! 死んだ人間相手に何ができるんです!」

「できますよ!」

「何が!?」

「それを今から考えましょう!」

 女性が嬉しそうに手を叩いて言った。

「はは」

 金田は乾いた笑い声を漏らした。

 この女は生まれながらの強者だ。まったく挫折を経験したことがないのだろう。そしてこれからも、おそらく挫折を経験することはない。そういう星の元に生まれたのだ。だから、人の心が分からない。

 皆のリーダーにはなれても、誰かのヒーローにはなれないだろう。


「ほら、笑った! ね? きっと、あなたなら大丈夫です!」

「無理ですよ」

「ひとつずつ行きましょう。あなたはその人に何を一番してあげたかったんですか?」

 一番ならば、過去に戻って、彼女が被害に遭うのを防ぐことだ。だが、そんなSFはあり得ない。

「…無理に話さなくていいですよ。心の中で考えるだけでも。それが難しいのなら、次にしてあげたいことを考えてください」

 次ならば、俺の人生すべてをもって彼女に償うこと。だが彼女はもういない。

「それも無理ならば、次を」

次は、謝罪することだろう。赦してもらうことが目的ではなく、償うための謝罪。だが──。

「相手が亡くなってるから無理ですよ」

「では、本人ではなく家族や会社などは?」

 金田は、はっと顔をあげた。

 被害者の家族…?

 そうだ。どうして気づかなかったのだろう?

 被害者の家族はまだ生きてるはずだ。


「いい表情です。先ほどのようにしてあげたいことを考えてください。その中であなたにできることはありますか?」

 俺にできること。

 それは俺の人生をすべて投げ打って、被害者の家族のために何かすることだろう。

 何もできなければ真摯に謝罪し、その憎しみと怒りを全身に浴びよう。

 その結果、死んでしまってもいい。

 俺の命には、その程度の使い道しかない。

 いや、それこそが、無価値な俺が今も生き残っている理由かもしれない。


「何かできそうですか?」

「ええ。見つかりました」

 そうだ。

 遺族に対する謝罪と償い。それは罪を犯した者にとって必須だ。

 どんな理由があれ、それを果たすまでは、俺は死ぬことはできない。

 もちろん、迷いはある。

 俺が会うことで、相手を傷つけないか。

 必死に押し込めて生きていた古傷を開くことにならないか?

 遺族としては犯罪者には会いたくないだろう。謝罪したくらいでは決して許せないだろう。


 だが、──前に進むことはできる。


 自分も経験したから分かる。

色褪せた世界、砂の食べ物。

 遺族はまだ、あの世界にいる。

 自分が謝罪することで遺族を救えるかは分からない。

 いや、違う。そうじゃない。

 まずはそこからスタートなのだ。

 どんなに真面目に仕事を頑張っても、新たな罪を重ねていなくとも、面と向かって謝罪すべき相手に謝罪するところから始めなければならない。

 それが反省の第一歩だ。

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