第21話 反省のカラー

 梶原桃果とその娘である金田真愛の死を知った時、津愚見もまた崩れ落ちそうなショックを受けた。

 自分の目と耳を疑い、それが事実だと知って、やるせない気持ちになった。

 

 まさか、金田翔平が!?

 

津愚見は一瞬、金田の犯行を疑った。

 けれどもそれは、すぐに否定される。

 金田は第一発見者であり、ショックのあまり放心しているという。さらには、死亡推定時刻には職場で仕事をしていた。

 金田は犯人ではなかった。

 純粋なる被害者だ。

 

この猟奇殺人は大きく報道された。

 津愚見は懸念した。

 事件の真実を追い求めるマスコミたち。

 金田の過去が暴かれるのは時間の問題だった。

 そして津愚見には、どうすることもできない。


 津愚見の懸念したとおり、翌日には金田の過去が明らかになった。

 20年前の凶悪殺人事件の実行犯。

 過去に加害者だった少年は、今は家族を殺された被害者だ。

 マスゴミがこのネタに飛びつかない訳がなかった。

 テレビは連日、金田の報道で賑わった。

金田の過去は赤裸々に発掘された。金田の人生を守ろうなんて輩は存在しなかった。

 金田の写真こそ報道されなかったが、ネットでは金田の写真が出回っており、プライバシーも何もなかった。特に桃果の家族は、事実を知って、怒り心頭していた。

 娘が殺されたのは、金田のせいだと罵りもした。

 

 津愚見は腹立たしく思った。

 今回の金田は純粋な被害者だ。

 それなのに、世間は暴露をやめなかった。

 誰一人、金田の心情を慮ることをしなかった。

 所詮、他人の不幸なんてエンターテインメントでしかないのだ。

世間はイジメを嫌うが、大義名分さえあれば、平気で集団リンチを行う。

 津愚見はあらゆる犯罪を憎む。

 故に腹立たしい。

 世間にも加害者にも、クソガキである金田に同情的な自分にも。

 

こうして金田は、一夜にして有名人になった。

決して望んではいなかった形で、金田は少年の頃の夢を叶えたのだ。

 


 当然ネットには、金田に対する心無い批判が渦をまいた。

 自業自得だ。ざまあ。メシウマ! 動機は怨恨!?

 誰もが日常の憂さを晴らすかのように辛辣な書き込みをし、勝手に妄想を膨らませ、誰も聞いちゃいないのに専門家のように批判をはじめる。

 誰もが他人の痛みには無関心だった。

 確かに、金田には罪がある。奴が殺される分には自業自得だろう。

だが、桃果と真愛は違う。ふたりには罪はない。

覚悟は必要だと言った。

 だがそれは、犯罪の被害を肯定することではない。

彼女たちは純粋な被害者だ。

それすらも理解できない馬鹿どもが、ネットにはあふれていた。


 金田翔平という人物がクローズアップされるにつれ、世間はあるキーワードに注目するようになる。

 「更生」だ。

 凶悪犯罪者だった金田翔平はどんな人物だったのか?

 金田を知る人間は口を揃えて言った。

「彼は真面目で素晴らしい人間だ。犯罪なんて絶対にするような人には見えなかった、と」


「津愚見くん。大変だったらしいね?」

 園木法務大臣が、文章を読むような口調で言った。

 園木は去年の暮、予想通り法務大臣に出世した。少年法は彼の気分次第で、どうにでも変わる。

「以前、娘も言っていたが、例の母子殺人事件の家族…ええと、なんて言ったっけ?」

「金田翔平ですよ、大臣」

 傍らに立つ茉莉花が、阿吽の呼吸で答えた。堂々とした態度は、将来大物になる雰囲気を漂わせている。

「そうそう、さすがは私の娘だ。はっはっは! それで、その彼だが…元少年犯罪者だったらしいね」

「…はい」

 津愚見は重々しく返事をした。

「今回のことは非常に残念だったが、きちんと更生していたらしいじゃないか? 世論も少年は更生すべきという意見一色だ」

津愚見には、次に続く言葉が予想できていた。

「津愚見くん、君の少年法を改正したいという意見は確かに一考の余地はある。だがな、世間はそれを望んでいない。ここで厳罰化なんてしたら、私は大馬鹿者だと笑われてしまうよ。君の意見は大変おもしろかった。だが、もう私が参加する意味はない。わかるね?」

「はい」

 津愚見は頷くしなかなかった。

(終わった…な)


 津愚見の夢は潰えた。

 金田翔平という男の更生が、津愚見の人生を賭けた夢を、潰したのだ。


 けれども津愚見は金田を恨むことはできなかった。

 今の彼の同情を禁じ得ない姿をみれば、責める気にはなれなかった。



 犯人が逮捕されたのは、それから数日後のことだった。

 ネットでは「おっそ」などと批判されていたが、数週間以内に逮捕されたのであれば、ほぼ当日には犯人は絞り込まれていたのだろう。

 犯人は18歳の少年A。最近少年院を出所してきたばかりで、性欲が溜まっていたらしい。

 近くの公園でたまに見かける桃果とその娘に興味を抱き、いつか襲ってやると狙っていたそうだ。

たまたま仕事に向かう金田の姿を目撃して、「今日ならヤレる」と犯行におよんだらしい。



 金田は血走った泥のような双眸で、その少年を睨みつけた。

 奴こそが桃果と真愛を殺した犯人。クソガキだ。

 今は裁判中にも関わらず、ときおりニヤニヤと笑い、まるで反省の色がなかった。

 奥歯が折れそうなほどの怒りを噛み締める。

 できることなら、このまま飛び出して行って、奴をぶっ殺してやりたい。

 だが、今は出来ない。

 真人間になった金田は、法の中でしか奴を攻撃できないのだ。


「次に遺族から事件についても想いを語ってもらいます。心して聞くように」

 裁判官に促され、金田は立ち上がり、少年Aに向けて、呪いのように書き溜めた家族に対する想いを伝えた。どれだけの幸せだったか、どれだけの想いをして子供を授かったか。

 唐突にそれを奪われた悲しみ、悔しさ、絶望。ありとあらゆる表現を使って、少年Aに訴えた。

 ほんのわずかでも自分の苦しみを知って反省してほしいとの怒りを込めて。


「ふわぁあ~」

 少年Aが大きな欠伸をした。

 金田は血の気が引くようなショックを受ける。

「被告は真摯に被害者の想いを聞きなさい」

 裁判長が声を荒げた。

「だって仕方ねえだろ? 退屈なんだしさ。だいたいこの時間なんだよ? そんなんしたって死んだ人間は生き返らないだろ?」

 少年Aが金田のほうを向いて言った。

「おっさんもさ。死んだ人間のことなんてさっさと忘れて、別の女作ればいいじゃん。娘もすぐに生まれるっしょ?」

 微塵も想いが伝わっていなかった。

 ほんの少しも反省させることができなかった。

 まるで、桃果と真愛の命など取るに足らない存在であるかのように─。


 あんなに愛して、思い出をつくってきて、それこそかけがえのない、人生を満たしてくれた存在を、まるで玩具のように扱われた。

 怒りがスパークする。

「貴様は俺の家族をなんだと思ってるんだ!!」

「何って、ただの穴でしょ? 最後に俺に使ってもらえて良かったな。穴にも使い道があった」

「貴様ぁああああ!!」

 金田は飛び出していた。

 けれど、怒りで足がもつれた。

 無様に転んでしまう。


「ぎゃははははは! 超ウケる~!!」

 少年Aの耳障りな笑い声がこだまする。

 ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう!!!!!!

 なぜ桃果の価値がわからない! どうして真愛の愛おしさが伝わらない!

 俺の家族は貴様のようなクズに殺されるような存在じゃない!

 返せ返せ返せ!!

 金田の目の奥が焼けるように熱くなる。

 悲しみの涙と憤怒の涙とが混ざり合う。

 絶対に貴様を赦さない!!

金田は無様に転んだ姿勢のまま、少年Aを鬼の形相で睨みつけた。


──── え?


金田は自分の目を疑った。

自分を嘲わらう声は確かに聞こえる。

なのに、そこに少年Aの姿はなかった。


そこにいたのは、金田翔平だった。

若かりし日の自分が、そこに立っていた。


 そこに立っていたのは、昔の自分。

 反省の色もなく、腹を抱えて被害者の家族を笑っている。


 刹那、金田の脳裏に、過去の記憶が鮮明に甦ってきた。

 自分の犯した犯罪。

 その裁判のときに、同じように被害者の父親が向かってきて、無様に転んで、金田はそれを腹を抱えて笑っていたのだ。


 ああ!!

 ああっ!!

 あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!


 金田は理解する。

 金田はようやくわかったのだ。

 

 被害者の家族の気持ちが。


 逮捕されて、裁判を受けて、少年院で更生して、大学に通い、子供相手のボランティア活動をして、愛する人ができて、子供が生まれる大変さを経験して、子供が犯罪者にならないよう真人間に育てる誓いを立てて、家族の大切さを理解して、それが無惨に奪われて──。

 それでも理解できなかったのに、この瞬間、20年以上の時を経て、ようやく金田翔平は理解したのだ。


 自分の犯した、罪の重さを。

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