第18話 新しい命
金田が桃果に過去を告白してから、半年後、ふたりは結婚した。
挙式は行わず、大学の友人たちを招いた簡素なパーティーを行った。
金田の過去を知っているのは、桃果だけだ。
桃果の親にも伝えてはいない。
「愚かな君と違って、世間は犯罪者に厳しい目をもっている。わざわざ伝える必要はないだろう。結婚は両性の合意さえあればいい」
そうアドバイスしたのは津愚見だった。
「先生はそういうの嫌いじゃなかったですか?」
「好きか嫌いかじゃない。黙秘権は被告人の権利だ。ただし、バレたときは覚悟しろ。俺は絶対に助けないからな」
金田と桃果は幸せな結婚生活を送った。
もともと同棲していたのだ。生活に大きな変化はなかった。けれども、金田の過去を知って、なお一緒に添い遂げることを誓った絆が、何よりも強い心の支えとなった。
そうして、2年が過ぎた頃、金田は津愚見に個人的な相談をした。
「子供ができないんです。なんででしょう?」
「知るか! どうして俺に聞く?」
「いや、先生には何かと相談に乗ってもらっていますし」
「貴様が勝手に相談にくるだけだろう? 確かに弁護士は相談に乗ることもあるが、専門外だし、無料で応じるつもりはない」
「もしかして、前科があると、子供ができにくいとかあるんですかね?」
「だとしたら大歓迎だな。この世にクソガキが生まれずに済む。だがそんな非科学的なことはないし、貴様は少年院だから前科はついていない」
また別の日、今度は桃果が津愚見に相談してきた。
「津愚見先生。子供ができないんです。どうしてですかね?」
「…知らん。二人そろってなんで俺に訊く?」
「え? 翔平も訊いてきたんですか? やだなぁ、もう」
「それはこっちの科白だ。気になるなら、不妊治療をしたらどうだ?」
津愚見は呆れながら言った。
ふたりは早速、不妊治療のクリニックへ通った。
検査の結果、桃果のほうが、子供のできにくい体質だったことが判明した。
ただし妊娠できる可能性は十分にあるとのことだった。
「ごめんね、翔平。子供楽しみにしてたのに」
「気にすんなよ。今でも充分幸せだよ。無理しないで、出来たらラッキーみたいな気持ちで続けていこう」
不妊治療は精神的につらいものがある。
金田のほうは特に何もなく、セックスのタイミングだけ指定されていたが、桃果のほうは治療と検査で、肉体的にも精神的にも疲弊していた。
子宮を洗浄されたりするのが、もの凄く痛い。生理痛を何十倍にでもしたような痛さだった。さらには、そんな想いまでしても、着床しなかった事実が分かると、今までの苦労はなんだったんだろう? という虚無感と、女として出来損ないではないかという、脅迫観念に似た劣等感が襲ってきた。
金田が優しく根気強く支えてくれなかったら、心が折れていたかもしれない。
不妊治療を始めて1年、ついに桃果は妊娠することができた。
金田は舞いあがるほど喜んだ。
そして、この子供はふたりにとって、最初で最後の子供となった。
桃果の体は、ひとり産むだけで限界だったのだ。もう妊娠することはできない。
それから金田は、子供が生まれる日を心待ちにした。
結婚して幸せだった生活に、さらなる幸せが舞い込んできたのだ。
毎日が輝いていた。
どんなに望まれて子供が生まれてくるのかを知った。
そして出産の日。
金田は出産に立ち会い、桃果のお腹から出てきた小さな命を、その腕に抱いた。
小さいけれども確かに感じる命の重さ。
ミルクのような甘い匂いがしていた。
命が誕生した瞬間だった。
生まれたのは女の子。名前は真面目で人を愛せる女の子に育ってほしいという願いから、真愛と名付けた。
「先生。子供が生まれました!」
「…そうか」
産婦人科に見舞いにきた津愚見は、透明なケースの中にいる金田の娘を見て、複雑な心境で言った。
「金田、少しいいか?」
津愚見は金田を外に連れ出して、人気のない裏路地に入った。
「…まずは、おめでとう。今日からおまえも人の親だ」
「はい。ありがとうございます! 先生には本当にお世話になりました」
丁寧に頭を下げる金田の胸倉を津愚見が掴みあげる。
「先生?」
「俺は正直、おまえたちの結婚には反対だった。子供が生まれることも反対だ。クソガキの遺伝子が引き継がれるからな」
出産というめでたい日に、無礼な言葉を浴びせても、金田は真摯な表情を崩さなかった。その態度が、津愚見の中にある何かを苛立たせた。
「もしも、自分の子供が犯罪者になったらどうする?」
「そ、それは…」
「判断が遅い! そのときは死んで詫びろ! 自分の手で娘を殺して、貴様も死んで償え! それが嫌なら必死になって自分の子供を真人間にすることだ!」
「はい。絶対に犯罪者にはしません! 誓います!」
金田の瞳には一切のためらいがなかった。澄んだ瞳の奥に、鋼のような意志の強さを感じた。
「なら、いい。だが、気は抜くなよ。世間は犯罪を誰かのせいにするが、親の思うように育った子供なんていない。それなのに、すぐに親の教育が悪かったと言う。他人は支配できないし、無理に支配しようとすれば虐待にもつながる」
「はい。わかっています」
そこには、津愚見がクソガキと呼んだ少年の姿はなかった。
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