第15話 まるでゴキブリでも見るような目だった

 津愚見に相談した金田は、さんざん気持ちを吐露したせいか、ようやく自分の中で覚悟が決まりはじめた。

 津愚見は態度こそ冷たかったが、自分がやるべき道はきちんと示してくれた。

 自分は桃果を愛している。

 将来は結婚することも考えていた。

 だからこそ、もはや隠し通すべきではないと思った。

 仮に別れることになっても、桃果はまだ若い。新たなパートナーを新たな生き方を選べる時間がある。大事な人だからこそ、それを奪っては駄目だと思った。



 会社は休みを取っていた。

風呂に入り、髭を剃った。自分の荷物を鞄に入れて、部屋を出ていく準備を整える。

 自分の犯罪を証明する資料は、津愚見からコピーをもらっていた。

 あとは桃果が帰ってくるのを待つだけだ。

「ただいま~」

 桃果が帰ってきた。部屋の様子と金田の態度がいつもと違うことに気づき、眉を顰める。

「どうかしたの?」

「今まで黙っていて、ごめん。俺の過去のことを聞いて欲しいと思ってる」

「うん。わかった。着替えてくるから待ってて」

 桃果はどんな気持ちで言ったのだろう?

 妙に優しい感じがした。

 もしかして津愚見が何か伝えたのだろうか? いや、そんなはずはない。

 付き合っている彼氏が人殺しだと知って、あんな態度を取れるはずがない。



「いつでもいいよ」

 私服に着替えた桃果がやってきた。

 桃果を奥に座らせて、自分は玄関に近い方にすわる。隣には旅行鞄を置いていた。

「その荷物どうしたの?」

「話したら、ここで出て行こうと思っている」

「え? なんで!?」

「たぶん、聞けばわかる」

「出ていく必要なんてない! 私は何があっても大丈夫だから!」

 おそらくは、その「何があっても」の中に「殺人」は入っていないだろう。今更ながら、胸が鈍い痛みを発した。できる事なら、このまま黙っていたい。真実を隠し、人生の美味い部分だけを啜っていきていたい。


 けれども出来なかった。

 もしも津愚見と再会しなければ、こんな覚悟はしていなかったのかもしれない。

 だが、再会してしまった。

 運命が、あるいは大きな意志が、金田にその生き方をさせてはくれなかった。

 覚悟を決めるしかない。

「もしも、桃果が俺を赦してくれるのなら、連絡をくれ。そしたら、帰ってくる」

「だから、出ていく必要はないって。翔平にどんな過去があっても、今の翔平がすべてだから!」

 桃果のその言葉に偽りはないだろう。

 けれど…


「俺と津愚見先生は、前から知り合いだった」

「うん」

「津愚見先生は俺の国選弁護人で、俺を弁護してくれたんだ」

「…え?」

 桃果の顔から表情が消えた。

「俺は…、俺は…。──犯罪者です。人を殺しました」

「え? …うそ? 何を言って…。え?」

 桃果は表情を作ろうとして失敗してしまった。


「15のときに、人を殺して、少年院にいました」

「え? ちょっと待って…。どうしてそんな? …あれ? な、何か理由があったんだよね?」

 金田は激しく顔を横に振った。

「違う! 当時の俺は馬鹿で悪い事をすることがカッコイイと思っていたんだ。人を殺す以外にもたくさん悪い事をしてきた。俺が殺した相手は、何の罪もない、今を一生懸命生きようとしていた女子高生だ。俺は俺の身勝手な妄想のために、その子の人生を奪ったんだ! 最悪の犯罪者なんだ!!」

「うそよ! 私は翔平がどんな人間か知っている! 人を殺せるような人じゃない!!」


 金田は津愚見からもらってきた自分の裁判の資料を、桃果のほうへ差し出した。

 桃果はそれが何なのか理解すると、ゆっくりと受け取って、資料を読みはじめた。

「ひっ!!」

 息を飲むような悲鳴が聞こえた。

 資料の写真と今の金田の顔をまじまじと見比べる。

 桃果の顔が恐怖と侮蔑と嫌悪の色に染まる。

 資料を持つ手がわなわなと震えていた。

「本当…なの?」

 金田は黙って頷いた。


「──気持ち悪い」

 桃果は立ち上がって、金田から距離を取った。

「こんなの! 人間のやることじゃないわ!! 最低! キモい!! 人でなし!! どうしてこんな酷いことができるの!? 最低!!」

「すまない。自分でも本当、馬鹿なことをしたと思っている」

「謝らないで気持ち悪い!! 翔平がこんな人だとは思わなかった! こんな人と付き合ってただなんて!! くそっ! 気持ち悪いいいいいいい!!!!」

 桃果が半泣きになってヒステリックに叫ぶ。こんな桃果を金田は今まで見たことがなかった。

「出て行って! 出ていってよ!! あなたの顔なんてみたくない! 死ね!! クソ犯罪者!」

 桃果が手に持っていた資料を金田に投げつける。

 けれども、紙はひらひらと宙を舞っただけだ。


「ごめん。今までありがとう」

 覚悟していた結果だった。

 金田はもはや自分が一生幸せになれないことを理解した。

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