第13話 津愚見の知らないクソガキ

 自分の事務所に戻った津愚見は、複雑な心境に陥っていた。

 あの青年が、10年前に自分が弁護した金田翔平だというのだ。

 正直、信じられなかった。

 昔とはまるで別人のように穏やかで真面目な雰囲気がある。

 名前を聞かなければ、津愚見は気づかなかっただろう。

 もしもあの裁判が自分にとって最初の裁判で、屈辱的な弁護をした苦い経験でなければ、名前すらも忘れてしまっていた可能性もある。

 しばらくは、犯罪者の名前として挙がっていないか気にはしていたが、ここ数年は思い出すこともなかった。それが、あのような形で再会するとは…。

 

 コンコン。

 ドアがノックされ、コーヒーを手にした桃果が入ってきた。

 コーヒーを置いても立ち去る気配がない。

 話があるのだろう。

「あの…、津愚見先生。翔平とはどんな関係なんですか?」

「彼が、後で話すと言っていたはずだが…」

 津愚見としては、正直あの場所でぶちまけてもよかった。


 犯罪者がのうのうと彼女を作ってまっとうに暮らしているかと思うと、腸が煮えくり返る思いだった。

 けれども、元犯罪者の更生を見守るのが、社会のルールだ。

 津愚見はそれが間違っていると思うからこそ、少年法を憎んだ。

 だが憎いからと言って、自分がルールを破れば、それは単に犯罪行為でしかない。

 自分が憎むべき犯罪者になるのは、本末転倒だ。


 さらには、金田のあの態度。

 記憶の中の金田翔平とはあまりにも違う。

 金田の必死の懇願から、おおむねの状況は察していた。

 おそらくは、自分の過去を桃果には伝えていない。

 当然だろう。

 まっとうな人間ならば、そんな過去を持った男と付き合うはずはない。


「そうなんですけど…。翔平が無理に話したくないなら、聞く必要もないかなって。後で話すって言ってましたけど、たぶん、自分の口から言いたくないことかなぁって」

「それを、俺に話せと?」

「翔平のこと知りたいって気持ちはあります。知っておいたほうがいいって気持ちも。でも、翔平が苦しむ姿は見たくない。…家族の事ですよね?」

 探りを入れて来たか。


 津愚見はどうするか迷ったが、話を続けることにした。

「どうしてそう思う?」

「翔平には家族いません。親しい親族も。過去のことはぜんぜん話してくれないし、両親がいないって、ちょっと普通じゃないのかなぁって。あ、えっと、差別的な意味じゃないですよ」

 どうやら桃果は、激しく勘違いをしているらしい。

 津愚見はそこにも引っかかりを覚えた。

「もしかして、トラウマになるような事件に巻き込まれたり、一家心中があったり、そういうんじゃないかなって…。だったら、わざわざ翔平に話させるべきじゃないのかなぁって」

 津愚見はコーヒーに砂糖とミルクを入れて、一口啜った。

 ブラックが似合いそうな津愚見だったが、実は甘党だ。


「金田…くんは、どんな奴…人なんだ?」

「え? どんな人って?」

 自分よりも金田のことを知っているんじゃないの? 桃果は一瞬そんな態度をみせた。

「ええと…、普通の人です。あ、でも、普通よりはまともな部分が多い気はします」

 津愚見は自分の耳を疑った。

「まとも? たとえば、どんな?」

「いえ、そこまでじゃないんですけど、たとえば電車で他人に席を譲ったり、あと道端にビニール袋が落ちてたら拾ってゴミ箱まで捨てに行きますね。なんでも鳥が川に運んだりして海が汚れるとか。並んでいる自転車が倒れていたら、それを全部元に戻したりとか。あんまりそこまでする人いなくないですか?」

 ぐらりと津愚見の価値観が揺らぐ思いがした。


「怒ったりはしないのか? 暴力は?」

「え? 怒る!? ないです! ぜんぜんないです。っていうか、翔平が怒ったのって、見たことがないです。いつもニコニコしてて、私たち大学で子供の面倒を見るボランティアサークルに入っていたんですけど、ぜんぜん子供を叱ったりせずに、どんなことされてもニコニコしてて、でも子供からは信頼されていて、翔平の言うことだけはきちんと聞くんですよ」

「金田翔平に子供の相手をさせていたのか?」

 悪夢だと思った。人殺しの犯罪者に子供の面倒をみられていたと知ったら、保護者は発狂するに違いない。

「はい、…そうですけど。あ、そういえば!」

「なんだ?」

「翔平が一度だけ怒ったことがあります」

「それはなんだ?」

 津愚見は身を乗り出す思いで訊いた。


「は、恥ずかしい話なんですけど、大学時代に私が参加したサークルのパーティーで如何わしいことが行われていて、私も危うくレイプされそうになったんですけど、そこに翔平が乗りこんで助けてくれたんです。そのときは凄く怒っていたらしくて、めちゃくちゃ強かったらしいですよ! あ、私はちょっと無理やり酔わされていて、あんまり覚えてないんですけど…。それで、そのサークルはそれ以来なくなっちゃったみたいで。なんか凄くないですか? 正義のヒーローみたいで!」

 津愚見はぐらりと意識が揺れるのを感じた。

 力が抜けたように、椅子の背もたれに体重をかける。

 正義のヒーローだと? 貴様が犯罪を防いでどうする? おまえは犯罪をやる側の人間だろ? いったいどうなっているんだ?

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