第12話 再会の津愚見

 感情が爆発し、衝動的に桃果と付き合うことになった金田は、いずれこの恋は終わることになるだろうと思っていた。

 金田のまわりでも恋愛が長続きした試しはないし、大学でもまだまだ出会いはたくさんある。

 だから、いつか終わるから、と自分に言い聞かせて、ずるずると桃果との恋愛を続けていた。

 けれども、1年が過ぎ2年が過ぎ、お互いの就職が決まっても、ふたりの心は離れる気配はなかった。

 付き合ってから、いろんな場所へ行った。

 いろんな思い出をつくって、楽しい大学生活を送った。


 幸せだった。

 このままどうなるのだろう?

 という漠然とした不安はある。

 自分が過去に犯した罪を知れば、間違いなく、今の幸せは壊れてしまう。

 金田はずっと後悔していた。

 自分の犯した罪をなんとか消し去りたいと願った。

 そうしたら、なんの気兼ねもなく、桃果と一緒に暮らせるのに…。

 もしも過去に戻ることができたのなら、きっと自分は言うだろう。

 馬鹿な真似はやめろ!

 おまえが犯罪を犯して手に入れようとしている特権は、決しておまえを幸せにしない、と。


 金田の不安は意外な形で現実となった。

 それはふたりが社会人になって2年目のことだった。



「ツグミ…法律事務所?」

「そうだよ。今度、私が働いていた坂本法律事務所があったでしょ? そこの若弁が独立することになったから、ついて行くことになったの」

 金田はこのとき、津愚見という弁護士の名前を忘れてしまっていた。

 もう十年以上前の出来事で、わずか数カ月世話になった弁護士の名前など憶えていなかった。

 だけど、記憶のどこかで、そこはかとない不安があった。

 法学部だった桃果の就職先が弁護士事務所だったときから、なんとなく自分の過去がバレるような予感はあった。


 金田が津愚見の名前を思い出したのは、それから数週間後のことだった。

 はっきり思い出したわけではないが、何となく、自分を弁護した弁護士の名前がそんな感じではなかったのか、と思い出してきたのだ。

 記憶の中の津愚見の顔もあまり覚えてはいなかったが、知的な眼鏡をしたイケメンだとは覚えていた。

 津愚見の事務所には、過去に担当した裁判のファイルがあるのではないか?

 ならば、そこで働く桃果も、いずれそれを見てしまうかもしれない。

「勘弁してくれよ。もう充分反省はしてるって…」

 

 一縷の望みがあるとすれば、津愚見という弁護士が、金田の思い違いで別人であるケースだ。

 その考えが過ぎった瞬間、金田は一目、津愚見を見てみたいと思った。

「事務所の場所? R駅の近くだけど。目の前にeスポーツカフェがあるところ。知らない?」

「グーグル先生に載ってないな」

「最近引っ越したばかりだからね。これの登録も私がするのかな~」

「その津愚見って弁護士、どんな人?」

「ええ~。なに? 気になるの?」

「ああ、まあ。そんなところ」

 金田のしおらしい態度に、桃果は「浮気とか心配してる?」という軽口を叩くことができなかった。


「どうかしたの? 最近なんか変だよ?」

「いや、浮気とか心配しているだけだよ。イケメンだったりしない?」

「まあ、イケメンって人も多いけど、う~ん。顔って好みの問題もあるし。私は翔平みたいな顔がタイプかな。なんか猛獣っぽいし」

 金田はぎょっとした顔で、桃果を見た。

「え? なに? もしかして嫌だった?」

「いや、そうじゃないけど…」

 猛獣。

それは北村が最後に言っていた言葉だ。

 俺はいずれ人を殺すと。

 馬鹿な、と金田は思った。

 俺はもう充分に反省している。犯罪なんて愚かなことをするはずがない。

 俺は真人間になったのだ。


 突発的な夜間作業があったため、平日の昼間に休みがとれた。

 桃果とは同棲しているため、こういったタイミングでないと、自由に行動がとれない。

 金田は津愚見の事務所へ向かった。

 遠目からでもいい。津愚見の顔を見たい。

 別人であれば何も問題ない。

 だが、本人だったら…。

 結論が出ないまま、いくつかのビルを調べ、津愚見法律事務所の看板を見つけた。

 ここか、と思ったタイミングでビルの中にあるエレベーターが開いて、中年の男性が出てきた。

 金田は心臓が止まる思いだったが、違った。

 見たことのない顔だ。


 金田はビルの前から離れ、この位置が見える反対側の歩道へ移動しようとした。

「先生!」

 聞き覚えのある声が聞こえた。

 振り返ると、先ほどの中年を慌てて追って来た桃果の姿があった。

「先生、書類忘れてますよ」

「おお、梶原ちゃん。悪いね」

 中年の男が桃果から茶封筒を受け取る。

 金田はほっと息を吐いた。

 違った。津愚見はあの時の弁護士ではなかった。


 安堵した金田は、ちょっと仕事中の桃果をからかってやろうという気持ちになった。

 弁護士の先生と別れ、エレベーターを待つ桃果の後ろに忍び寄ると、ヒザカックンをやった。

「きゃ! って、翔平!? なんでここに?」

「ちょっと様子を見にきたんだよ。休みだったし、一応場所は知っといたほうがいいだろ?」

「だからって子供みたいなことしないでよ」

「へへへ、悪い」

 

 そのときだ。

 背後からどこかで聞いたことのある声がした。


「梶原さん、その人は?」

「あ、津愚見先生」

 津愚見?

 どくんと金田の心臓が鳴った。

 先ほどの中年が津愚見ではなかったのか?

 だが、明らかに声が違う。


「あ、この人は私の──」

「あ、いや。待って!」

 金田は桃果の声を遮った。

 桃果が訝し気な表情になる。

 どくん、どくんと胸が痛い。

 駄目だ駄目だ駄目だ。振り向くな!

 何かが警鐘を鳴らしている。

「どうした? 知り合いだと思ったんだが…」

見たら駄目だ、見たら駄目だ。

 けれども金田は、自分でも理由はわからないが、ゆっくりと後ろを振り返った。


 あの眼鏡のイケメンが立っていた。


「ああ…、ああ」

 呻き声に似た音が漏れる。

記憶が鮮明に甦る。自分をクソガキだと呼んでいた弁護士。少年法を潰すことが自分の夢だと主張していた、あの弁護士。

 津愚見は間違いなく、自分の過去を知るあの弁護士だった。

 けれども津愚見の表情に変化はない。

 もう10年も立っているし、あのときの自分はまだ子供だった。覚えていないのも当然かもしれない。


「どうしたの? 翔平くん?」

「あ、いや」

「翔平?」

 津愚見が耳ざとく聞き返した。

 まずい!

 そう思ったが、もはやバレるのは時間の問題のように思えた。

 次の瞬間、津愚見が目を見開いた。


「もしかして、金田翔平か?」

 終わった、と思った。

「どうして──」

「待ってください! お願いですから、待ってください!!」

 金田の必死な呼びかけに、津愚見は言葉を抑え込んだ。

「え? どうしたの? なんで? え?」

 動揺する桃果。ふたりの予想外の態度に、頭の回転が追いついていなかった。

「梶原さん、こいつと知り合いなのか?」

「し、知り合いというか…」

「桃果! やめろ!」

 桃果がビクッとなって言葉を失った。恐怖と困惑と疑惑とが交りあった顔になっている。

「チッ!」

 津愚見が舌打ちした。金田を見る目は、あのときのクソガキを見る目と同じだった。

 今にでもすべてをぶちまけそうな勢いだ。

「先生! お願いです! 先生!!」

 金田は必死に津愚見にしがみつきながら懇願した。

「翔平どうしちゃったの? ねえ? 翔平?」

 遠くで、今にも消え入りそうな桃果の声が聞こえた。

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