第8話 被害者の家族と加害者は、その後どのような人生を歩むのか?
少年院での生活は、金田にとって快適極まりなかった。
確かに規則正しい生活は、最初こそ苦痛だったが、「芸能人になるためには若い頃に悪い事やって、後はまっとうになることが必要」と腹を括っていたため、すんなりと受け入れることができた。
また金田が殺人をしていたことも、少年院での待遇を変えた。
少年院での最大のトラブルは入所者同士よるイジメだ。
加害者を憎む人たちの間では、ゲスな犯罪を犯した者ほどイジメられる、という妄想を信じようとする者も多いが、力関係の構築は外の世界と大差がない。
つまり外でもリーダーをはれる奴は、少年院でもリーダー格になれる。金田も例外ではなかった。しかも金田の犯罪は、拉致、監禁、強姦、殺人とほかの入所者と比べても群を抜いて凶悪だった。
それらは金田の力を見せつける要素となり、一目置かれる理由となった。
また金田は、入所初日の夜にリーダー格の青年と喧嘩し、相手を打ち負かしている。犯罪歴だけでなく、喧嘩の強さでも周囲を圧倒していた。
こうなれば、後は金田を頂点とするピラミッドが出来上がるだけだ。金田にとって不快な要素があるわけがない。金田が笑えば周囲も笑い、みな金田に気を遣った。
「おっしゃー! 今日の夕飯は寿司だ!」
入所者のひとりが喜びの声をあげた。
「へ~、寿司も出るのか?」
金田は感心したように言った。少年院に入ってビックリしたことは、想像よりも食事がちゃんとしていた点だ。少年院では少年の健康を考慮した食事が出されるため、味もバランスも良い。もちろん必要以上に豪華な食事が出ることはないが、今では寿司も安価な部類だった。
「寿司うめぇ! 飯うめぇ!」
それでも、あまり食べ物にそれほど拘りのなかった金田にとっては、最高に思える食事だった。
金田に娘を殺された通谷末次は、事件以来、陰鬱な生活を送っていた。
世界が色褪せたように灰色に染まり、あらゆる刺激が麻酔を打たれたように入って来なかった。
テレビをつけてもおもしろくない。
人と会話をしても、少しも心が動かない。それ以前に、誰かと話すのさえ億劫だった。
当然、仕事はできず、定年を前にして長年勤めた会社を辞めた。
もうずいぶんと笑っていない。
何をしても楽しくない。
「ほら、お寿司を買って来たわよ。美沙ちゃんも大好きだったよね」
末次の妹である和代が、美沙の祭壇に寿司をお供えしながら言った。
しばらく仏前に手を合わせたあと、他の寿司をテーブルに広げた。
「ほら、兄さんたちも。みんなで食べましょう」
けれども、末次も妻である幸恵の反応も悪い。
「ごめんなさい。和代ちゃん。私たち、お寿司が食べられないの」
幸恵が涙ながらに言った。
「え? だって、みんな大好きだったでしょ?」
「大好きだったから…。美沙はもう食べることが、できないのに…。そう思ったら…」
和代は自分の無神経を呪った。
死者の好きな物をお供えする流れで、お寿司を持って来てしまった。
美沙が好きだった食べ物を見る度に、彼女のことを思い出し、食事も喉を通らないのだ。
ふたりのやせ細ってきた体を見て、和代はそこはかとない不安を覚えた。
「ごめんなさい。でも、食事はちゃんと取ってる? 辛いだろうけど、食べないと駄目だよ」
幸恵は首をふった。
「もう、味がしないの。何を食べても美味しくないの。まるで砂を食べているような感じ」
和代は胸が締め付けられる思いだった。
残された者はつらさを抱えたまま生きていかなければならない。
毎日の食事すらも苦痛なのだ。
加害者の少年はどんな食事をしているのだろう?
願わくば、豚の餌よりも不味いものを食べていてほしい。
「おいおい。こんなとこまで来てイジメなんてしてんじゃねえぞ」
金田が止めると、目の前のイジメはすぐに収まった。
他人がどうなろうと知ったことではない金田だったが、悪い事をする時期は終わったと勝手に腹を括った金田にとっては、イジメはすでにダサい行為になりさがっていた。
「おまえ何したんだよ? あれかロリコンってやつか?」
金田はいじめられっ子に問いかけた。ロリコンはイジメられる、と聞いたことがある。
「あ、いや……」
「フカしやがったんすよ、こいつ。受け子のくせに人を殺したって威張ってたんすよ」
なるほどな、と金田は理解した。見栄を張りたくて嘘をついた。その結果、イジメられるようになったのだ。自業自得だ。
「しかし、よく嘘だって分かったな」
「先生が教えてくれたんすよ」
先生とは少年院で非行少年たちを教育する法務教官のことだ。
どおりで、と金田は納得した。
金田の凶悪な犯罪歴に疑問を持つ者がいなかったのは、法務教官がバラしたからだろう。
「ソープみたいなもんか」
「ソープ? あの風俗のソープですか?」
「ああ、そうだよ。日本の法律じゃ、売春は禁止されている。けど、ソープはたくさんあるだろ? それと同じで先生も、俺たちの犯罪歴を伝えるのはタブーのはずだ。でも、普通にそれをやっている」
「おもしれえ、たとえですね」
取り巻きが感心したように言った。
(やっぱり人を殺しておいて正解だったな。おかけでここでの生活も楽しいし)
少年院での生活は、金田にとっては一般人が学校に行くのと同じ感覚だった。
確かに娯楽は少ないが、楽しい連中と笑い合うことができる。
(環境なんて関係ねえ。楽しめる奴はどんな環境でも楽しめるんだよ!)
娘を失った通谷夫婦の家からは一切の笑顔が消えていた。
ほとんど会話すらもなくなっていた。
「買い物に行ってきますね」
幸恵は口数が少なくなったせいで、強張った口を動かして言った。
何を食べても砂のような味。
それでも生きている限り、食事はとらないといけないし、生活もしなければならない。
なんでもない会話だったが、末次はぎょろりとした目で、幸恵を見た。
「おまえは、なんでそんなに元気なんだ? 美沙がいなくなっても平気なのか?」
末次の非難に幸恵は顔を歪ませた。
絶対に言われたくない言葉。だが、仕方ないじゃないか!
「なんですか! その言い方は!! 私だって悲しいです! つらいです! でも食べなきゃ駄目でしょ!!」
愛する娘のいなくなった通谷家では喧嘩が絶えなかった。
美沙がいる間は、互いに不幸を乗り越え、支え合ってきた二人だったが、事件以来、ふたりの絆は引き裂かれたままだった。
口を開けば喧嘩をし、沈黙が続けば、娘の事を思い出し涙する。
死ぬまで、この苦しみからは逃れることが出来ない。
「あ~はっはっは!」
金田は御機嫌に笑っていた。毎日毎日楽しくてたまらない。
「おい、こら! あんまり大声で笑うんじゃない!」
法務教官が見かねて注意をする。
「だってよ、先生。こいつの話がおもしろくて…」
金田が取り巻きにそのエピソードを語らせると、法務教官も思わず噴き出してしまった。
金田が来てから、少年院では笑いが絶えなかった。
気の合う仲間たちに囲まれて、金田は毎日楽しく過ごしていた。
(やっぱ仲間って大事だよな)
通谷家には、たまに親族や末次の友人たちがやってきていた。
もちろん、愛する娘を失って失意の底にいる、末次と幸恵を励ますためだ。
幸恵は比較的話をしてくれるが、末次は完全に周囲を遮断していた。
誰が話しかけても返事もしない。
最初は何かと心配していた親族や友人たちも、次第に愛想を尽かしはじめていた。
「いつもすみません」
幸恵がお茶を片付けながら言う。
「いや、気持ちはわかるし。でも、いつまでこのままじゃ……」
「気持ちがわかるって!!」
その科白が耳に届いた末次が怒りの声をあげた。
「おまえに何がわかる!! いい加減なことを言うな!」
「あなた! やめて!!」
客人は辟易しながら通谷家を後にした。
正直、同情はしている。けれど、それ以上に陰鬱で喧嘩の絶えないこの家には足を踏み入れたくはなかった。
こうして、末次は次第に友人や知人を失くしていった。
「金田。ちょっといいか」
金田は法務教官に呼び出された。心当たりはまるでなかったが、本能的に警戒する。
「なんだよ? 何も変なことはしてないぜ」
「わかっているよ。おまえが来てから、ここも活気が出てきてる。文句を言いたい訳じゃない」
「じゃあ、なんだよ」
「おまえ、授業はどう思っている? 簡単すぎやしないか?」
予想外の科白に、金田は面食らった。そっちの質問だとは思わなかった。
「そりゃ、小学生の問題だし。簡単だろ」
正直、授業の内容は欠伸がでるほど簡単だった。小学校のころは少し難しく感じていたが、いま勉強してみると全然ひっかかる箇所はなかった。すいすい理解できている。
「それが出来ない生徒も多いんだ。…おまえ、勉強の才能があるかもしれないぞ」
「は? なんだよ。それ?」
平静を装ったが、内心では激しく動揺していた。褒められてうれしくないはずがない。
「授業態度も真面目だし、飲み込みもいい。勉強のレベルを上げようと思っているが構わないか?」
「まあ、……いいぜ」
「もしかしたら、大学に合格できるかもしれないぞ」
「大学? この俺がか? 冗談!? 高校も卒業してないんだぜ」
「ここで高卒認定は受けることができる」
「マジか? でも学費は?」
金田が少年院に入る前に貯めていた金は、その大部分が消えていたらしい。おそらく金田の逮捕を機に、何者かが持ち去ってしまったのだろう。
心当たりは何人かいるが、今のところ奪い返そうとは思わなかった。将来有名になったときに、あんなヤクザな輩とは縁を切る必要がある。もともと宵越しの金は持たない主義だ。金なんてまた稼げばいい。
そして残ったわずかな金は、反省を示す意図で、遺族に送金していた。なので金田の元には、ほとんど金が残っていなかった。
「奨学金制度を利用すればいい。金は将来働いて返せ」
現実が降ってくる。
本当に自分なんかが大学に行けるのだろうか?
どこか諦めていた世界。
自分は絶対にインテリな場所には縁がないと思っていた。
憧れが無いと言えば嘘になる。
「どうだ? 頑張ってみないか? 大学合格」
(俺が大学に…!?)
金田の胸に熱い炎が宿った。
テレビには大学の合格発表の様子が映し出されていた。
「…美沙」
末次の科白に幸恵は思わずテレビを見た。けれども、愛する娘の姿はない。
「美沙が生きていれば、絶対に合格していたよな? 大学生になっていたよな?」
末次が涙ながらに言う。
幸恵も末次の手を取って、うんうんと頷いた。
美沙が受験勉強をどんなに頑張っていたかは知っている。
医者になって自分と同じ境遇の人を助けたいという想い。
そのために、必死に勉強を頑張っていたことを知っている。
最初のころは教師から厳しいと言われていたが、徐々に成績を上げていき、「間違いなく受かる」と太鼓判まで押されるまでになっていた。
けれど、その努力はすべて無駄になった。
突如やってきた理不尽な悪意によって、美沙の夢は壊されてしまったのだ。
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