第23話 六週目①
高校生のとき、「にちようび」という歌をよく聴いていた。週末のデートを楽しみにしながら、月曜日からずっとわくわくどきどきしていて――、やがて土曜日になり、夢から覚めるころには日曜日になっている、そんな内容の歌だった。
ハイキングの日が土曜日でなくてよかった。夢から覚めればそこは土曜日、夢の疲労で私はこの上なくぐったりしている。猫に起こされたら起きようと思っていたら、十二時を過ぎてしまっていた。
日曜日の朝、出かけようとすると、猫ベッドから微かな声が聞こえた気がした。いってらっしゃいとでも言っているようだが、よく聞き取れない。中を見ると、猫の姿はない。
――タミは、初めからこうなのですよ。あなたが驚くといけないから、今までは苦労して猫の外見を映し出していたのです。スクリーンにプロジェクターで映像を写していたようなものです。電力が足りないときには、節電しないとね。タミもそろそろ疲れてきました。もう、声だけでいいですよね。
「姿が見えないと、やっぱり寂しいんですけど……」
――あなた、いつからそんな、さびしがり屋さんになったのですか。では、あなたが帰宅するころにはまた姿を現せるようにしておきますよ。
ほら、こんなところで油売ってると、電車に遅れますよ。
なんて猫だ。町田君が母親の役割を求めて、猫もそれに応えているうちに、すっかりこんな風になってしまったのだろうか。もしくはもとからこんな猫だったからこそ、町田君は救われてきたのだろうか。
待ち合わせの駅に着くと、町田君と加奈子さんの二人がいた。十年前に別れたとはいえ、一時期は親しい間柄だったことが今でも伺えるように思えるのは、考えすぎだろうか。そんな場面に場違いな私が登場だなんて、なんともきまりが悪い。
加奈子さんはさりげなく山ガールの要素を取り入れて、かといって派手ではなく、相変わらず見目麗しい。全体的に紺や灰色など抑えめの色を使っているが、ところどころにピンク色や小花柄が見える。私のように、山といえばチェックの山シャツでしょうという単純さは微塵も感じられない。あまりに違うと、分析しようという気にもならい。
「涼子先輩、お久しぶりです」
「お久しぶり。結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる様子が、また可愛らしい。
相手はどんな人だとか、どこで知り合ったかとか、とりあえず聞くのが社交辞令だとは思いつつも、気が進まなかった。もう彼女にあまり関わりたくないと思っているからなのか、それとも町田君が目の前にいるから一応気を使おうと思っているからなのか。
結婚すると聞いてから、おめでとうのメール一本送っていない。アドレスも知らなかったし、関係の深さからすればあえてそんなことする必要もないのだけれど、結局のところ避けたかったのかもしれない。町田君が、かつてこの人を選んだことが、今でも気になっているのだろうか。
そういう事実はとりあえず脇に置いて見てみると、彼女のことをそこまで嫌いでもないことに気づく。機転が利いて、人を傷つけるようなことは極力言わず、周りを見ながら行動できるよい子だった。しかし一方では、面と向かって人を傷つけることを言わないけれども、はっきり言わない分陰でクスクス笑っていそうだなどと、つい思ってしまうのが私という人間だ。世の中そういう人のほうが得をする。要領がよくて羨ましい。やはり苦手なタイプなのかもしれない。
そうこうしているうちに、次々とみんなが集まって来た。
加奈子さん以外のメンバーには近ごろよく会っているので、特に懐かしさもないのだけれど、こうして以前歩いた道をもう一度歩くと、昔のことが思い出される。
今は毎日違う職場に通って、違うことをして過ごしているけれど、日々の暮らしの大半がこのメンバーと共有されていた時期があった。みんなの制服姿をはっきりと覚えている。文系にいくか理系にいくかで迷っていた日々があった。目立たない部活であまり会うこともなかったけれど、地味ながらもそれなりに関わり合っていた。こうしてまたみんなで遊べることに、感謝していた。
山頂に着いたのは十一時半ごろだった。すごい混雑で、トイレも長蛇の列だ。仕方ないので、私と加奈子さんで場所取りをして、残りのみんなが先に行くことになった。
黙ったままなのも気まずいので、当時みんなの間で人気があった作家の名前を挙げて、今でも興味があるのかなどと聞いてみた。
「涼子先輩も、今でも読んでるんですね。この間、また新しいの出ましたよね」
「私、最近図書館でバイトしてるんだ。すぐには借りられないけど、入荷したことは知ってて」
「いいなあ、私も図書館で働いてみたいです」
話の糸口が見つかってほっとするものの、みんなが戻ってくるまで、まだまだ時間がありそうだ。
「あの、涼子先輩、私のこと怒って……ますよね?」
太陽にさっと雲がかかり、陽が陰る。
「なにか怒るようなことって、あったっけ?」
今私は、もしかして開けないといけない扉があるのに、黙殺しかかっているのか?
しかし、何をどう聞いたら扉が開くのか。開け方にも色々とバリエーションがあるのだ。
「昼下がりって、まだ持ってる?」
「はい、持ってますよ」
「貸してもらえるかな?」
「差しあげますよ、結婚したら、もう見ないと思いますし」
そうこうしているうちに、町田君が戻って来た。途端に空気の流れが変わり、妙な隙間が発生する。え、と思う。微妙な間ができるということは、私と加奈子さんだけでなく、町田君もまた、なにか思うところがあるというところなのか。
「さ、行きましょう、涼子先輩」
加奈子さんの一言で、その妙な空気は消えていった。
みんな日ごろあまり運動していないのか、頂上へ向かう道中も無言だったけど、ようやく頂上にたどり着き、お弁当を食べるときも無言だった。とりあえず、水分補給、栄養補給しなければ息絶えそうだという気迫が感じられる。普段は比較的涼しい顔をしている人ばかりだから、必死な様子を見るのは面白い。
「あれ、西本さん、そういえば今日習い事はいいんだっけ?」
ふと沸いた疑問を口にする。
「休みました」
「もしかして、私が日曜日がいいって言ったから?」
と加奈子さん。
「大丈夫だよ、たまには」
私が余計なことを言ったばかりに、波紋を呼んでしまったのだろうか。
「いいじゃん、もうこうして集まるのは最後かもしれないんだし」
なんだか、町田君がとどめを刺しているような気がする。
「いや、もしかしたら、三十年くらい経って、定年したら、またこうして集まることもあるかもよ」
と静香さん。三十年後――、想像がつくようなつかないような、でもきっと経ってしまったらあっという間なのだろう。
紅葉はほとんど終わっていたものの想像以上の人ごみに圧倒され、少し休むとそそくさと下山した。バスに乗って駅に着くと、まだ三時前だ。ホームへ向かおうとする者はなく、誰からともなくみんなで入れる店を探し始める。
まもなく現れたのは、また例のファミリーレストランだった。ひゃっと思うものの、深く考えても仕方ない。何食わぬ顔して中に入る。みんなでデザートを頼み、ドリンクバーも注文する。ひとまず全員が飲み物を用意し終えると、ソフトドリンクで乾杯する。
「覚えてます? 初めてみんなでファミレスに入ったときのこと」加奈子さんが微笑む。「私たちが入部したときのことです」
「あ、私も覚えてる。いつもにこにこしてた安藤先輩が豹変して、あのときは驚きました」
西本さんも笑っている。西本さんでも驚くことあるんだね、と誰かが言う声が遠くなっていく。
「なんのこと?」
「覚えてないんですか?」
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