第22話 五週目③

「明日はハイキングへ行くそうですね」

 五回目の夢の中では、いつか用意されていたのと同じ、アウトドア用のテーブルと椅子が置かれていた。

「ハイキング、興味あるんですか」

 つられて、私まで敬語になる。

「彼だって、たまには人ごみを離れてのんびりしたいんですよ。そのまま、仕事サボって山の中にでもいればって、そそのかしてみようかな」

 睨みつけてやるけれど、動じる気配はない。

「あなた、昼下がりを捨てたんですってね」

 珍しく、No2はちょっと真剣な目をしている。捨てたどころか、どこにあるか覚えてもいないなんて、ちょっと言えない。

「そんなの、個人の自由じゃない」

 そう言いつつも、やはり私の勘は、わずかばかりかすっていたのだと思う。

 つまりは、自分が大事にとっておいた思い出の品が、他人にとってはそうではなかった。一緒に思い出を共有していたと思っていたのに、思い込みに過ぎなかった。例えると、もう誰も見向きもしなくなったリカちゃん人形を、自分一人だけ大事にしていたような――、

「ちょっと、方向がずれてきてますよ」

 しまった、声に出してしまっていたようだ。仕方ないので、口笛を吹く真似をする。

「ところで、思い出しましたか? 自分がなにをしたか」

「私はただ普通に生きていただけだよ。それがたまたま誰かに迷惑かけちゃったときもあるだろうけど、そんなのお互いさまじゃないの? 根に持つんだったら、そのときに怒ればよかったじゃない」

「それがあなたの答えだってわけですね」

「私にどんな恨みがあるのか知らないけどさ、なんで今更私に絡む必要があるわけ?」

「それはこっちのセリフですよ。あなたこそ、もう私たちに関わらなければいいんじゃないですか」

「でも、猫が……」

「まったく、また猫のせいにして。そんなに猫が大事なら言いますけど、あなたがタミなんて相手にせずに知らん顔していれば、タミは今ごろ成仏して、あの世で楽に暮らしていたはずなんですよ。ほら、もう蝶々と戯れる元気もないようだ。憐れなものです」

「憐れだなんて言うんじゃない!」

 衝動的にNo2をひっぱたこうと手を振り上げ、放つ。

 普段の私は暴力をふるうような人間ではないはずだった。ふいに湧き上がった怒りに、自分でも驚いた。他人の夢の中とはいえ、いつまでも夢の中にいると、奔放さが増してしまうのだろうか。

 そして当然、No2は私に叩かれるような間抜けではない。ひょいと身を翻し、事なきを得た。

「あなたにタミのなにがわかるのですか」

 No2は体勢を整えると、あなたにだけは言われたくない、という典型的なセリフを口にする。

「わかんないけど、飼い猫がここまで飼い主のために頑張ってるんだから、馬鹿にするなんて可哀想じゃない」

 No2がよけたときに紙束を落としたのが目に入ったので、やつがココアを飲んでいる隙に、さっと拾い上げた。

 気づかれずにこの紙束を読むには、どうすればよいのだろう。夢から起きたら、きっとこれはなくなっているだろうし、今こやつの前で読むわけにはいかない。

「タミさんと遊んできたら?」

 No2は、真意が読めないとでも言いたげだ。

「町田君はタミさんを大事にしてたんだから、あんたにとっても大事なんじゃないの? もうすぐ会えなくなっちゃうんだよ」

「私は、猫を与えられて誤魔化されるような馬鹿ではありません」

 下心があることに気づかれてしまったのだろうか。

「そもそもタミは、母親が下の子供の面倒をみるのに感けて、彼に費やす時間を減らしたいがためにもらってきた猫なのです。彼が寝ていると思って、堂々と隣の部屋でそんな話をしていたものだから、彼は全部知っているんです。自分には猫で弟には母親。ショックですよね。そのとき彼は思った、猫なんかに騙されないぞ、と」

 話がややこしくなってきている。

「しかし、タミを見た瞬間に、そんなことはすべて忘れてしまいました。やってきた子猫はあまりに小さくて、そして彼の庇護を必要としていました。彼はそのときまだ、他者の面倒を見るよりも他者から面倒を見てもらう年齢にありました。しかしながら、この小さい生き物は自分が守ってやらないといけないのだと確信しました――、皮肉にも、他者に愛情を注ぐことにより、自分に注がれていない愛情について、しばしの間、考えなくてすんだのです」

 こやつは、本当は猫のことをどう思っているのだろう。まさか、突然金属バットを取り出して殴ったりしないだろうかと心配になってくる。

「私は忘れませんよ。この猫がなんのためにやってきたのか。

 でも、うーん、やっぱり可愛いよなあ……」 

 No2は気配を察して警戒する猫に駆け寄ると、屈んでさっと抱き上げた。

 猫は嫌がるものの、彼は離そうとしない。強引に抱きかかえたまま、頭を撫で始める。やがて猫も静かになり、身を任せるようになった。

 今のうちだとばかりに、紙束に目を通す。それは、なにかの台本のようだった。パソコンで書かれた文字に、ところどころ手書きで注釈がついている。


BGM そっくり人形展覧会

「今から十数えるので、その間目を閉じていて下さい」

 赤いボタンを押し、扉を用意する。

相手が目を開けるのを確認する。

「この扉の中で、どれか一つ、好きなものを開けて下さい」

少し間を置く

「この中のどこかに彼が隠れています。曲が終わるまでに見つけてください」


「なにしてるんですか」

 いつの間にか隣にNo2がいて、私の手から台本をひったくった。

「なんなの、それは」

 No2は勿体ぶった態度で呟く。

「台本ですよ」

「誰が作ったの」

「彼です」

 なんのために、と訊く前に彼は続ける。

「自分は今からかくれんぼするから、ゲストが現れたらこういった手順でゲームを進めるようにと指示されたんです」

「自分の夢の中で、かくれんぼするって……、なにのためにそんなことしてんの?」

「かくれんぼの目的って、なんだと思います?」

 いつの間にか、そっくり人形展覧会の最後のフレーズが流れていた。

 曲が終わると、電気のスイッチが消えたかのように、辺りが真っ暗になった。

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