第14話 四週目①


昨夜の夢のことを話したかったのに、猫はぐっすり寝入っていた。

 洗濯して、掃除して、早めにお昼の用意をして、食して、としているうちに、あっという間に幹事会へ行く時間になる。

 いつも使っているがら空きの喫茶店が今日に限って満席で、みんなで新たな会場を探し回る。挙句の果てに、夢で出てきたのと同じファミリーレストランに辿り着いてしまった。似てはいるものの、内装は昨日の店内より新しくて、なんだかくらくらした。

 ドリンクバーのブラックコーヒーを持ってくると、静香さんがにんまりした。

「戦闘態勢だとでも言いたいの?」

「ううん、安ちゃん、高校生のころはカロリーが足りないとか言って、いつも砂糖とミルクをたっぷり入れてコーヒー飲んでたなって思い出したの」

「ああ、そうだった?」

 決めるべきことはあらかた決めてしまったので、あまり話し合う事柄もなく、打合せは二十分足らずで終わった。

 一段落つくと、みんなは待ってましたとばかりにドリンクのお代わりを取りに行き、町田君と私二人が取り残された。

 なぜか今日は席が隣同士なのだ。ふと、昨日のNo2の言葉が思い出される。やつは、なぜ自分を偽物呼ばわりするのかと言っていた。今、隣にいるこの人が突然No2の口調で私に話しかけてきたら、私は彼をNo2だと認識するのだろうか。

 そのとき、町田君が携帯電話を取り出した。隣に座っているから、自然と画面が目に入るのは至仕方なかったが、それを見た瞬間、思わず「わかっ」と言ってしまった。

 そこにあったのは、三毛猫の写真だった。今のでっぷりとした体型より幾分ほっそりしていて、毛並の色も今よりも鮮やかに見えるが、どう見ても、タミさんだ。

「なにか?」

「え? ああ、あの、私の知ってる猫によく似てるなーって思って、でもってその猫より若いなーて思ってさ。同じ猫のわけないよね。はは」

「本当ですか?」

 なぜに敬語! とうとう現れたか? No2……。

「安ちゃん、どうしたの? 財布がすられたのに気づいたような顔しちゃって」

 危ういところで静香さんが戻って来る。

「お化けを見たときの顏、というほうが自然なのでは?」

 西本さんが続ける。

「だって、安ちゃんだよ。お化け見たって驚きそうにないじゃん」

 二人はげらげら笑っている。笑いごとではない、本当に目の前にお化けのようなものがいるかもしれないというのに。

「町田君、なんで私に敬語使ってるの?」

「そんなことで驚いたの?」

「だって、普段そんなことないじゃない」

「職場では常に敬語だからね。同級生と話すときにもたまには出るだろうよ。いちいち驚かれても困るんだけど」

 心底呆れた表情はNo2に似ていなくもないけれど、ここは平静を装うしかない。

 気を取り直してドリンクを取りに行き、ココアを淹れようとするも、機械が上手く動かない。仕方ないので店員さんを呼んできて、事情を説明しつつふと視線をずらすと、町田君が黒い液体に砂糖を入れているのが目に入った。

「なんで砂糖入れてるの?」

「甘いものが飲みたいからだよ」

「甘いものって体に悪いし、苦手なんじゃなかったっけ?」

「いちいち人のこと気にしないでくれる? ひまな人だな」

 ますますNo2に似ているような気がするのは、気のせいだろうか。もう、なにがなんだかよくわからない。

 お店を出ると、みんなは駅と反対の方向に用事があるようで、自然と町田君と二人で歩くことになった。色々訊きたいけど、どうしたら違和感なく訊けるのか、見当もつかない。

「あの、ちょっといいかな」

 町田君に促され、緊張しながら近くの公園に入り、ベンチに腰かける。

「なんでうちの猫のこと知ってんの?」

突然のことに、思わず視線を逸らしたくなってしまう。

「なんであの写真を見て若いって思ったのかな? それってつまり、最近の状態を知ってるってことだよね」

「知らないよ、知りようがないよ、だって、亡くなれらたんでしょう」

「そのことも知ってるんだ?」

「自分で言ってたじゃない、この間」

 町田君は、そうだったねと呟いた。

「猫に対しても『亡くなられた』なんて言うんだね、安藤さんは」

 町田君はそっと笑った。

「怖がらないで欲しいんだけど、もしかするとタミが死んだのは僕の勘違いで、君の家の飼い猫になって幸せに暮らしているんじゃないかと思ってしまったんだ。あ、変に思っただろう? でも、最近たまにそういう夢をみるんだよ。君がタミのことを知っている素振りを見せたせいか、つい、色々な人がつるんで僕のことを騙してるんじゃないかって気がしてしまって……。

 そんなことあるはずないって、わかってはいるんだけどさ。職場でこんなこと言ったら、しばらく休めって言われるのかな」

 すべて話してしまいたい衝動に駆られたけれども、そうするわけにはいかない。こうして混乱している彼は、今は現実の世界にいるのだから。

「町田君は、自分が自分じゃなければいいのにって思うことある?」 

 彼は不思議そうに私を見た。

「そんなの、思わない人なんていないだろう?」

 なにも言えないまま、そのまま二人で駅まで並んで歩いた。公園でいろいろと話してしまったので、もう特に話すことはなかった。道が狭くて人も多いので、なんとなく列になって、私が少し後ろを歩き、彼の後ろ姿を見続けることになった。

 そうしていると、意図的に忘れていた記憶がよみがえってきた。

 高校生のころ、みんなでどこかに出かけたあとに、こうして二人で帰りたいと思ったことがあった。でも私たちは家が違う方向だったので、そうなることは一度もなかった。あいにく「本屋に寄りたい」とか「必需品買い出しがあって」などと理由に出せるような店は町田君の家の方向にはなく、私はいつも、突然引っ越すことになって、向こうの方角に住めるようになれはいいのになどと考えていた。

 あれから数年たてば、自分の力で引っ越すなんてたやすいことだった。社会に出て働き始めてしまえば、ほんの数年間なんて大したことないというのに。あのときは無駄に悩む時間がたくさんあったせいか、時が流れるのがとっても遅かった気がする。ずっとこのままでいたいと思ってみたり、早く大きくなって自由がほしいと思ってみたり。みんなで駅まで歩きながら、この背中を見ながら、そんなことを思った日があったのだった。

 そんなことを考えていると、気のせいか、前を歩く人の影が通常のそれよりも薄いような気がしてきた。昔からそれほど気配の濃い人ではなかったけれど、よほど疲れているのだろうかと思ったときだった。突然町田君が、不審な動きを見せた。ふらふらしたかと思ったら、そのまま道脇のフェンスに手をついた。

「どうしたの? 大丈夫?」

 かけよると、数秒してから、

「ごめん、ちょっとフラっとして」

 と言った。しばらくそうしているうちに、落ち着いたのか、「ごめん」と言うと、また歩き出す。

 駅に近づき、道が広くなりつつあるので隣を歩く。

「最近、たまにああいう風になるんだ」

「貧血かもよ。病院行ったほうがいいんじゃないの?」

「まあ、大丈夫だろう。じゃあ、また」

 その後ろ姿はあまりに弱々しくて、それ以上声をかけることができなかった。

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