第13話 三週目③
その週の金曜の夜も、気がつくとまたあのおかしな夢の世界にいた。
三回目ともなれば少しは慣れてきて、あの不思議なBGMにも、景色に溶け込む無数の扉にも動じなくなってきている。喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
しかしふと隣を見たとき、ファミリーレストランがあったのには、さすがに驚いた。
「なんでこんなもんがあるのよ」
「びっくりさせようと思いまして。期待通りのリアクションですね」
相手のペースに乗せられてはいけない。むっつりとした顔を保ちつつ、しかしどんなものか気になり、つかつかと中へ入ってみる。
見たことのある内装は、高校生のころ、みんなでたびたび訪れた(というか近くにそこしかなかった)店を思い出させる。どことなく古めかしい雰囲気が漂うが、町田君の記憶の一コマなのだろうか。
「新商品をご紹介しようと思いまして。メビウスの輪ドーナツです」
No2が言うと、テーブルの上に、皿に盛られたドーナツが現れた。平たい生地を細長くして、輪をつなぐ前に一回ひねりが加えられた、そんなドーナツだ。。
ご丁寧にコーヒーも用意してある。私はごてごてにコーティングされたものよりも、こういう簡素なおやつが好きだった。コーヒーの苦みとドーナツの香ばしさの組み合わせ、このような誘惑には勝てるわけはない。
それは文句なくおいしかった。甘さはぎりぎりまで抑えられていて、生地は香ばしくかりっとしている。油の切れ方もちょうどよく、もっともっと食べられそうだ。
あまりうれしそうにすると隙を見せることになりそうなので、必死に無表情を装いながら、おいしくいただいた。
「周りの景色が見えないね。それに、タミさんもどっか行っちゃった……」
「夢の中とはいえ、残念ながら飲食店ではペットは同伴できないのです」
「タミさんはペットなの? 自分では、そんな言葉では言い表せないもっと重要な存在だったって力説してたけど」
No2は呆れた目で私を見る。
「どう見たってペットじゃないですか。あなたは普段の生活の中でも、店員に『ペット同伴不可です』と言われたら、そう言って反論するつもりなんですか?」
私が黙ったままでいると、彼はドリンクマシーンから抹茶ラテをとってきた。
「外が見たいんでしょう。ほら、タミの姿も見えます」
いつの間にか窓が現れ、猫が蝶々と戯れている様子が見えた。なんとも平和な光景だ。
「言いたいことがあるなら、自分から言えばいいんじゃないですか」
平和にドーナツを食べていたのに、突然そんなことを言われて、体がこわばる。
「口を開けて待っていても、誰もなにもしてくれないんですよ。あなただって、タミが空腹ではないかと思いつくのに、何日かかっていたことか」
「だって……」
「言い訳はけっこうです。不思議なものですが、人は空腹には耐えられないのに、不満にはある程度我慢がきいてしまうんですよね」
どう答えるべきかわからず、話題を変える。
「町田君は、甘い飲み物は苦手だったはずだけど。高校生のときは、いつも自分の家から水筒持ってきてたし、甘いの買ってる人を見て『体に悪いのに』って顔をしかめてたよ」
「あなたは、彼がなぜいつも水筒を持ってきていたのか知っているのですか?」
「え? なんだろう、お金を節約するため?」
「そう、早く家を出るためにね」
「え?」
聞いたとたん、なんだか胸がいっぱいになってしまった。私は三十近くまで、なんだかんだ言いながら、家を出るのは最終手段だと思っていた。しかし、町田君は十年前にもうそういう思いで日々を過ごしていたのか。
「って言ったらどうします?」
「違うの?」
「ご想像にお任せします」
もし本人が言ったら、それが本当のことになるのだろうか。たまたま言ったときの気分がそうだっただけなら、そうとは言い切れないのではないか。いつの間にかまた現れたメビウスの輪ドーナッツを食べながら、そんなことを考える。
彼は窓の外に一瞬目を向け、再び私を見た。
「あなたは、彼が私の偽物だって考えたことはないんですか?」
とっさの質問に、言葉に詰まっていると、
「あなたは自分の考えたことを話しているのですか? もしくは、誰かに言われたことをそのまま言っているだけですか?」
いつの間にか微笑が消え、やけに真剣な表情で詰め寄られる。
そう、私は会う前から彼が偽物だと思っていた。猫の話から、町田君の行動を制限するもう一人の人物がいて、彼を思うように振る舞わせてくれない、そんなイメージができ上がっていた。もしそういった先入観なしにこの人を見たら、私はこの人をなんだと思ったのだろう。
「そういうの好きじゃないんですよね。自分の頭で考えることを疎かにして、誰かの言うことを鵜呑みにしちゃって」
No2は、外の景色を眺めていた。
しかし、ここでなにかをNo2から聞いたところで、その意見を鵜呑みにすることは、彼が言うまでもなく正しいこととは思えない。
もしかすると、No2は私を騙して猫に対して疑いを持たせて、いいように操ろうとしているのだろうか?
新たな飲み物を取に行こうとすると、いつの間にかドリンクマシーンは消えていた。振り返ると、テーブルもファミリーレストランもすっかりなくなっていた。手に持ったカップすら消えていた。
「なにを突っ立っているんですか」
いつの間にか猫が隣にいた。
「あの人、どこに消えたんですか?」
猫の返答を待つ前に、夢の風景は静かに消えていった。
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