第4話 一週目②

――そうして着いた先が、こちらだったのでございます。

 とりあえず、「はあ」と言う。

「あの、タミさんが他界しただとか、町田君の夢に入ったのって、何月何日のことですか?」

――そんなことは知りません、猫ですから。

 そうはっきり言われてしまうと、返答しようがない。

――まあ、放り出されてここに来てから、数日間はあなたの様子を伺っていましたけど。

「なんのためにですか?」

――あなたは何者なのか、タミにはよくわからなかったので。あなたがお坊ちゃまとなにかしら関係があるのか、もしくは単になにかの手違いでここへ来てしまったのか、考えていたのです。

「では、私の前に姿を現したということは、手違いではないと思ったんですね?」

 猫は特に否定はしない。

「あの、さっき、男に逃げられて、とか言ってたのはなんのことですか?」

――ああ、あれは、単にあなたの反応を見てみただけです。察するに、あなたは以前お坊ちゃまとの間になにか……。

 瞬間的に、体が勝手に動いた。思わず近くにあったクッションで猫をぶっ叩いた……つもりが、クッションは猫をすり抜けて、ベッドを叩いていた。知らぬ間に、自分の声とは思えないような悲鳴が漏れていた。

――タミに八つ当たりしたところで、どうにもなりません。自分のことは、自分で解決しないと、ね。

 化け猫に諭されるだなんて、なんたる不覚。声を出すこともままならず、ただほんの少しだけ、首を前に傾ける。

――タミも、なぜ自分がここに来たのかよくわかりませんが、きっとなにか理由があるはずです。例えば、もしかしたらあなたが、お坊ちゃまが抱えている問題を解決するのに、なにかの役に立つのかもしれません、きっとあなたにも、できることがあるはずなのです。

 狐につままれたような気分のまま、辛うじて意思が通じるだろうという角度で、もう一度頷いた。猫はくるりと振り返ると、ぴょんと本棚の上に飛び乗り、丸くなった。

 ようやく解放されたようだった。ほっとしたような、泣き出したいような、放心という言葉がぴったりな心境だ。もしくはこれが漫画の世界だったら「飼い主思いの健気な猫さん」などとテロップが入るのだろうか。しかし、まるで猫が好きではない私は、鳥肌が立ち、肩はピシリとしびれが走るほどがちがちになっていた。

 思えば、彼とのことは、随分と昔に私の人生の中でなかったことにしていた。ほんの数枚存在していた一緒に写っていた写真はすべて処分し、影響を受けて買った本やCDもすべて手放し、当時の日記もすべて処分した。

 それがなぜ今更こんなことになるのか。やはり猫のせいなのか。あのどでんとした存在感、ぎょろりとした眼差し、今にも引っかいてきそうな鋭い爪を持つ細い手足、さすが化け猫と言われるだけのことはある。

 それとも、私にもなんらかの責任らしきものがあるかもしれないとでも、思ったのだろうか。彼の夢の中で流れていたという「そっくり人形展覧会」という曲は、私が彼に教えた曲なのだった。

 いつもはゆっくり起きるはずの土曜日の朝なのに、七時前に布団から出た。欠伸をしながらドリップコーヒーを淹れる。コーヒー豆がさっと膨らんでいくのを見るのがささやかな幸せだ。

 トースターでパンを焼き、クリームチーズと柿のジャムを塗る。コーヒーの苦みがジャムの甘さを引き立てて、寝不足気味の頭も喜ぶ。

 本棚の上に目をやると、猫は丸くなってすやすや寝ていた。

 コーヒーを啜りながら放心していると、突然携帯電話がブルブル震える。メールの差出人は、町田晋となっている。「宣戦布告」の四文字が頭に浮かぶ。

 最近、高校時代の部活の後輩が結婚することになり、仲間内で結婚祝いのパーティーを開くことになった。今日は幹事の集まりがあるから忘れないでくださいとのメールだ。なぜか彼女の同学年の人ではなく、町田君が取りまとめをしている。とっくの昔に別れた人のためによくやるなあと思う。

 私の住居の最寄り駅から、二十分ほど電車に乗って行き着く駅が今日の待ち合わせ場所だ。馴染みのない場所なので、少し早めに家を出ると、なぜか二十分前に着いてしまった。

改札前でぶらぶらしていると、数分と経たないうちに町田君が現れた。

「早いね」

「みんなを待たせるわけにはいかないからね。安藤さん、早すぎじゃない?」

「よく知らない場所だから、早めに来たの。べつにひまなわけじゃないから」

「そんなこと言ってないだろう」

 気に障ってしまったらしいが、仕方ないので、聞き流す。 

「あのさ、町田君って猫飼ってなかったっけ?」

 彼の動きが止まった。やがて彼は静かに言った。

「猫は死んだよ。先週」

 先週の、具体的に何曜日だか訊きたかったけど、訊ける状況ではなさそうだ。とりあえず現時点では一週間経過、と頭の片隅に控えておく。後で手帳にも書いておこう。

 間もなく静香さんと木村君が現れた。静香さんは私や町田君と同期で、木村君は一学年下の人だ。「あとは西本さんだけだね」などと言っていると、西本さんもすぐに到着した。彼女も一学年下で、主役の加奈子さんや木村君と同期である。前会ったときと比べて、髪が長くなっていて、パリっとした紺のワンピースなんて着ている。自分より年下の子が大人びた服装をしていると、自分もやたらと年をとったように感じられるから不思議だ。

「みんな、時間を守るようになったよねえ」

 静香さんが微笑んだ。高校生のときには、みんな独自のカレンダーや時計を使っているのではないかと思うくらい、待ち合わせがうまくいかないことばかりだった。さすがにそれでは、アルバイトすらできない。

 ファミリーレストランに入り、ドリンクバーや軽食を注文し、交互に席を立ってドリンクを取ってくる。

 前回の話し合いでは、日時、会場、招待する人などを決めた。今回は、会の進行、スライドショー、プレゼントをどうするかについて話し合う。パーティーは、こぢんまりとしたレストランで開催されることになっており、参加者は多くとも十五人程度の見込みだ。

 今から思えば、彼女はあのころから早く結婚しそうな雰囲気を醸し出していた。平均よりやや小柄な体型で、スタイルがよくて、可愛らしく物静かで、私みたいにすぐかっとしたり一言多かったりということはなかった。相手の様子をじっと観察してから自分がどう振る舞うかを決める、そんなところがあった。そして、一人でいるのはあまり得意ではないように見えた。

 突然みんなの話し声が遠のいていく。

 二人がつき合い始めたのがいつだったのか正確には知らないけど、みんなの前で堂々と一緒にいるのを見たのは、私と町田君が高校三年生だった年の、一学期も終わりのころだった。夏休みを目前にして、カップルができやすい時期だった。

 それから卒業するまでのことはあまり記憶にない。でも、少なくとも翌年、卒業して一年目の夏休みにみんなで母校を訪れたときには、二人は既に離別していた。そのときは町田君はいなくて、加奈子さんは、同級生らしい見知らぬ男子生徒と仲睦まじい様子を見せていた。町田君はどちらかというと一昔前の世代を思わせる雰囲気を漂わせていたけれど、こちらの若者はいかにも最近の人に見えた。趣味に一貫性がない、と彼らを冷ややかに眺める私の視線に気づいたのか、あの男子生徒は見ての通り加奈子さんの現在の彼氏なのだと、静香さんに耳打ちされた。

 なんだったのだろう、あの出来事は。私はどうかしている。あのとき以来、本来であればさして興味もなかったはずの人を、意識しすぎているのではないだろうか。

「安ちゃん、聞いてる?」

 静香さんの声に、「へっ?」と返すと、みんなが笑う。

「相変わらず、人の話聞いてないよね」

 よりにもよって町田君に指摘され、余計に腹が立つ。

「今日決めないといけないことはだいたい決まったから、今日はこれで解散して、この後行ける人で東急ハンズへ行ってプレゼント買おうって話になったんだけど。聞いてた?」

 もちろん聞いてなかったけど、とりあえず首は縦に振っておく。

「安ちゃんはどうする?」

「誰が行くの?」

「私と町田君」

「じゃあ私も行こうかな、三人で選んだ方が、意見が偏らないだろうし」

 私と静香さんは後に残るものを考えたのだけど、町田君は残らないものを選びたいらしく、意見が分かれた。結局は、可愛いプリント模様の手ぬぐいセットに落ち着いた。彼曰く、嵩張らないし使用用途も多岐に渡るし、雑巾にすれば最後まで使えるのがいいらしい。

「子供が生まれたりしたら、多分また引っ越すだろう。君たちの言ってる日本酒の晩酌セットとかって、もらったときはいいにしても、後々大変だと思うよ。手ぬぐいは消耗品だし、けっきょくはこういうもののほうがいいんだよ」

 我々は「はあ」と言うしかなかった。彼の言うことは最もだけど、そこまで考えてプレゼントを選ばないといけないものなのか。したたかな彼女のことだから、気にいらなければさっさとリサイクルショップに売ってしまうこともあり得るけれど。

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