56億7千万年

四季ノ 東

プロローグ

0−1 人間って驚きすぎると逆に冷静になる

某県某市某町、そこは山間部に位置する小さな町である。山の麓に住居が数十件密集し、その山を越えた先、つまりは山の裏側に更に数十件住居が並ぶ。コンビニや小さなスーパーは麓を更に下った先、車で20分弱にポツンと建っており、住居の周辺には昔ながらの個人経営店──駄菓子屋があるくらいだ。自販機も言わずもがな。

そんな田舎に、地元育ちの子供たちが通う小中一貫校がある。麓から山の中へ入り、中間地点に建つ。全校生徒は小中それぞれが300人程で、クラスは各学年2クラス、田舎なら普通程度の生徒数だ。

そこで本年度中学二年生となった男子が一人。駄菓子屋の前で友人二人と駄弁りながらアイスを食べ、暑さに溶けていた。この物語の主人公、降之(ふりの) 弥勒(みろく)である。季節は夏真っ盛り、本日は待ちに待った夏休みの前日。つまりは、終業式の日だったのだ。


「ふりー、お前が溶けてどーすんのよ。」

「終業式長かったから仕方ないちゃ。ちゅーかさ、扇風機2台でこの猛暑ん中体育館に篭るんはヤバイ。」

「な、俺もあとちょっとでふりの二の舞になるとこやった」


ふり、そう呼ばれた弥勒はアイスを加えたまま微動だにしない。しかし友人二人は、そんな弥勒に慣れているのか雑談に興じている。


「しんとうれいきゃく……」

「心頭滅却な。冷却してどーするよ」

「ようやく口開いたかと思ったら、まぁた意味不」

「ばかやろー、頭を滅却なんかしてみろ、焼け野原になっちまうだろーが。こんなお天道様がお元気だってのに、どんな拷問なの?」

「誰も頭髪を滅却しろとは言ってねーのよ」

「つーか、意味ちがくね?」

「え?髪と心を滅ッ!ってすんじゃねぇの!?」

「そこからか…」


冷静な方の友人が呆れたようにツッコミを入れる。それに天然な、いや、お馬鹿な返しをする友人。だが、同じくお馬鹿である弥勒には、熱に茹だる頭で友人の言葉など入ってくるはずもなかった。駄菓子屋のベンチに差す木陰で涼を取る。微かな冷たい風が、アイスで冷えた体内と合わさり心地いい。

全く動く気配がないながらも口は動かす弥勒に、友人二人は、肩を竦めた。


「ばーちゃーん!弥勒がベンチでバテてっから!」

「あいよぉ。あらまぁ、見事なバテ具合やねぇ」

「見事なバテ具合てなに?はじめて聞くわそんな言葉……」


呼ばれててゆったりと現れた駄菓子屋の店主、八千代は80歳とは感じさせないほどしゃんとしていた。それこそ、ベンチでだらける弥勒より若々しい。


「くーちゃんとこーちゃんは今からお稽古?」

「そっすね。うちの道場、火、木が稽古日なんで。」

「なんで、ふりのことお願いしまっす!ちょっと休んだら帰ると思うし。」

「いつもお利口ねぇ。みーちゃんのことは任せて、お稽古頑張ってね。」


弥勒にとってお節介な友人二人が稽古に向かって十数分後、のっそりとベンチから起き上がり、駄菓子屋に入った。入った瞬間にエアコンの効いた空気に身震いする。外と中の温度差が激しく、寒気がするのはいつものことだ。ドアの開閉と共に鳴るチリン、ともカラン、とも違う音に気づき、八千代は頬を緩めて弥勒の傍へ寄った。


「ばーさん、トイレ貸してくれねぇ?アイスでお腹冷えたかも」

「うふふ、お外でお腹出してたんじゃなくて?」

「かも」


軽口を叩きながらも、八千代は店のトイレを指し、どうぞと促した。それに手を振って答えながら、弥勒はトイレに向かう。

この駄菓子屋は、一般的な店より広い作りをしており、トイレは店の奥まったところにある通路を渡って、更に奥。八千代の生活圏にあった。


「大か小か、はたまた中か。」

「お下品なこと言ってないで、はやくトイレ行きなね。漏れてもお世話しないよぉ?」

「黒歴史をここぞとばかりに抉る所、すっごく好きです。」


独り言が聞こえたのか、店の方から声を上げる八千代に、早口で返しながら通路を進み、トイレのドアを開ける。

おしとやかな笑い声が微かに聞こえ、尻の座りが悪くなりながらも、用事を済ませることに集中した。




「正解は、大でした……」


備えつけられてある洗面所で手を洗いながら呟く。腹の不快感も消え、バテも少しはましになった為に気分はいい。自分が使ったことで芯となってしまったトイレットペーパーをゴミ箱に放った。


「ばーさあーーん!トイレットペーパー補充しろよーー!」


そう叫びながらトイレのドアを開ける。

そして、


「間違えました」


閉めた。それはもう、木製のドアがミシリと不穏な音を立てる程勢いよく閉めた。弥勒はガタガタ震える体を叱咤し、一度蓋をした便座に腰を下ろす。自分が見たものは現実か否か、長考に長考を重ねた。もしかして、バテすぎて頭が本当に茹だったのではないか、と。

数十分は座っていただろう、普通ならそんなにトイレに籠っていれば心配しそうなものだが、トイレの持ち主たる八千代が来る気配はない。弥勒は深く息を吐き出し、そして吸った。が、トイレで深呼吸するものではないなと思い、せっかく上がった気分が低下した。プラマイ0である。

そして立ち上がり、ドアを開けた。


「トイレのドアを開けた先は、なんか神聖そうな場所でした……ってか?」


弥勒の目の前に広がるのは、駄菓子屋の奥にある通路などではなく、ヒンヤリとした空気が満ち、石の敷き詰められた場所に建つ、鳥居と社だった。


「えぇー、なにこれぇ」


何度ドアを開け閉めしたことだろう。もはや弥勒は虚無に晒されながらも、バッタンバッタンとドアを開閉していた。開閉し過ぎて歪んでいる気がするが、気のせいだ。おっとりとした笑みを浮かべる八千代の顔が浮かび、ブンブンと頭を振った。今思い浮かべてしまうと、罪悪感に駆られてしまう。弥勒は、ばーさん、後で謝るから、と思いながら、開け閉めする手を止め、じっと目の前の光景を観察した。ようやく現実と向き合う気になったのだ。


「鳥居と社、石畳……そして木々。うん、わからん!」


Q、観察して気づいたことはなんですか?

A、くうきがおいしいです!

小学生低学年なら許される元気いっぱいな回答が、弥勒の脳裏に過った。どこかのローカル番組でありそうなやりとりだ。


「つーか、こんな展開求めてねぇんだよ。なんでトイレなの?普通もっとそれらしい場所で起こるもんじゃねーの?トンネルとか家の扉とか駅の改札とか。」


最初は驚き、理解できない現象に恐怖すら感じていた弥勒。しかし何度もトイレのドアを開け閉めすることで冷静になったのか、それとも考えることを諦めたのか、はたまた元から能天気な質だったのか。観察した末に、現状に対する不満が出てしまった。だが、ここにはツッコんでくる友人もお馬鹿な同類たる友人も居ない。弥勒は思った。ばーさんでもいいから居て欲しかった、と。

それはそれでトイレに同伴するということで、常識的にまずい。想像するだけで肌に霜が降りる心地がする。


「……出る、しかねーよなぁ」


開けても閉めても変わらないのなら、出るしかない。出たら扉消滅とか定番の展開だ。見え見えのそれに自ら陥るなど愚の骨頂だが、しかしトイレにずっと籠っても現状は打破できない。というか、トイレにずっと居座るのも嫌だ、主に衛生面的な意味で。


「よし」


弥勒は、無気力な表情をシュッと引き締め、腹を決めた。大きく片足を踏み出す──


「出すもん全部出す。探索の常識だ」


──はずもなく。

腹を決めた際に腹に力を入れたからか、一歩踏み出そうとした足はそのまま元の位置に、いや、もう一歩下がった。出だしから無様この上ない。もしもこの場に友人がいるならばこう言ったことだろう、「探索にそんな常識はねぇ」「そうゆーとこ尊敬する」と。しかし、この場に彼らは居ない。

通常運転過ぎて、なんとでもなるだろうと楽観的になってしまう。それこそが弥勒が弥勒たる所以なのかもしれない。

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