第27話

 目前にまで迫っていた魔物の軍勢の全てが、光の粒子となって夜空にとける。眩い光を放ちながら、肉体がほどけるように四散していった。

 呼吸も忘れて食い入るように見つめていたクロエ以下東の祈りの灯台の面々は、じわじわと実感し始めたリンドブルム防衛戦の成功に、ついに歓喜の雄叫びをあげた。

「いやったああああ!」

「うわあああ! 閣下! 閣下最高!!」

「死なずに済んだぁあああ!」

 えーん! と最前線の大盾役として構えていた神殿騎士が、安堵にむせび泣く。経験と実力に裏打ちされた上での配置であったが、それはそれとしても怖いのだ。期待に応えるという覚悟で来たものの生の実感は堪えがたく、ひんひんと兜の中で嬉し涙を零した。

「もういいっす!? 解除していいっす!?」

 辛抱堪らない様子で問いかけるクロエに準じるように、隊長格の神殿騎士がオーウェン騎士団に伺う。ソドムからの連絡を受けていた騎士は深く頷き、「【断絶の大障壁】の解除を許可します!」と明るい声をあげた。

 リンドブルム全域に張られていた断絶の大障壁が、虫穴が開いていくように徐々に消えていく。いの一番に解除したクロエなどは跪いていた姿勢からぴょんと跳び上がり、「やったやったー!」と両腕を上げて全身で喜びを表した。

「十兵衛君! 見たっすか!? これがリンドブルムの底力っす!」

 声は聴いていたものの未だに顔も見れていなかったクロエは、「ようやくカルナヴァーン討滅の英雄を見れる!」とばかりに満面の笑みで振り向いた。


 だが。


「……十兵衛、君?」

「あれ……!?」

 祈りの灯台にいた全員が、戸惑いの声をあげる。


 つい先ほどまでそこにいた十兵衛が、忽然と姿を消していたのだった。


 ◇◇◇


 魔道具の力で魔力は補完されているとはいえ、細かい操作は自身の魔力を使う。さすがにこれほどまでの転移魔法大盤振る舞いは前例にない事だったので、クロイスは程良い疲労感に深い溜息を吐いて脱力した。

 二千を超える魔物達が、徐々に光の粒子となって消えていく。その先で、彼らは魔石に変じるのだ。

「この瞬間に魂からハイリオーレを剥がれるのか」と切なげに目を細め、クロイスは「ハーデス君、最後の魔石の回収を……」と声をかけながら振り返った。――が、そこにハーデスの姿は無い。

「……ハーデス君……!?」

 いついなくなったのか、戦闘中だったクロイスは把握出来ていなかった。

 だが、僅かに残った魔力の痕跡が、彼が上に飛んだ事を示す。

 ――何か異常事態が発生したのだ。瞬時にそう判断したクロイスだったが、目の前の魔物達の魔石を放っておくわけにもいかず、舌打ちをして回収用の転移魔法を唱えた。



 ***



 ――空気が、薄い。


 眼下に望むリンドブルム――否、惑星マーレは本当に丸いのだなと、十兵衛は混濁しそうな意識でそんな事を思う。

 雲よりも高い場所、対流圏よりもほぼ成層圏と言っても過言ではない超高高度の空に、十兵衛は宙づりになって浮いていた。

 眼前にクロイスの多面同時転移門が展開された時の事だ。十兵衛は自分の身体が地面から離れ、徐々に浮き始めた事に気が付いた。声を上げようとする間もなく凄まじい勢いで空に引きずり上げられ、意識を失う寸前に胸倉を掴まれたのだ。


 ――黒剣こっけんを背負う、漆黒の騎士の手で。


「なおも意識を保つか。大した奴だ」

 裏地の紅い外衣がひるがえる。

 かぶとの細いバイザーからは赤い単眼が覗き、大柄な体躯の漆黒の騎士が十兵衛の胸倉を掴んで宙づりにしていた。

 低い落ち着いた声色で告げられた賛辞の言葉に、十兵衛は浅い息を重ねながら眉根を寄せる。

「お前が、軍団、を……!」

「ああ。あのクロイス・オーウェンから一瞬でも注意を逸らすには、あれぐらい大規模に攻めねばならなかったのでな」

「尊い犠牲だ」となんの感情も浮かばない風に告げた漆黒の騎士に、十兵衛が怒気も露わに鋭く吠えた。

「何故戦場も見えない場所にいるんだ! 将ならば命を賭けた兵の散り様を見届けろ!!」

 酸素の薄い中叫んだせいで、十兵衛が大きく呼吸を乱す。

 こうなると分かっていてなお許せないという風に叫び、苦しそうに肩で息をする十兵衛を、漆黒の騎士は僅かに目をみはって見つめた。

「相手にとって不足無し、か。……不覚とはいえ、カルナヴァーンも良き相手にほふられたようだ」

「なにを、言って……」

「将の気構えを説く貴様の名を聞いても?」

 名を求められた十兵衛は、困惑しつつも「八剣、十兵衛……」と答える。それに満足したように頷いた漆黒の騎士は、やおら手を振るって十兵衛が背負っていた肩掛け鞄の布を割く。

 そうしてずるりと落ちかけた魔石入りのそれを、悠々と拾い上げた。

「お前っ――!」

「覚えておこう、八剣十兵衛。七閃将の一角いっかくを討ちし剛の者。――我は、黒剣のヴァルメロ」


「貴様を屠りし者の名だ」


 十兵衛が打刀を抜く寸前、ヴァルメロが胸倉を掴んでいた手を離した。振るった刃はヴァルメロに届かず、大空へ放り出された十兵衛の身体が自由落下を始める。――瞬間。

「十兵衛!」

 名を呼ぶ声が聞こえた。――ハーデスだ。

 転移魔法で駆け付けたハーデスを目に留めるや、よくぞ来てくれたと言わんばかりに十兵衛が叫んだ。

「ハイリオーレを取り戻せ!」

「何を言っ――」

「俺は死なん! 行け! ハーデス!」

 咄嗟の十兵衛の判断に、ハーデスが舌打ちを零してヴァルメロに向かう。だが、そんな二人に対し、ヴァルメロが手を翳した。

「【重力砲グラビティカノン】」

 瞬間、二人の頭上に巨大な漆黒の重力球が発生した。先ほど見たクロイスの大規模転移門ヒュージゲートよりも大きいそれに、十兵衛は目を見開く。

 ぶつかる前に消滅させるべく即座に魔法を展開しかけたハーデスだったが、はた、と止まった。

 ――この下に、リンドブルムが在る。

 特例である十兵衛だけならまだしも、これに手を出すことは明らかに律の管理者による干渉だった。

「――っ!」

 ハーデスは、断腸の思いで自分だけに転移魔法をかけた。落下する重力球の真上に現れるや、ヴァルメロと同じ高さで相対する。

「……まさかこの世に、クロイスと同等の転移魔法使いがいたとはな」

「転移魔法も使えるというだけだ。――魔石を返してもらうぞ」

「それはこちらの台詞だな!」

 ヴァルメロが手を翳すや、ハーデスの身が、ぐん、とさらに上空に向かって上がり始めた。特定対象の重力を変動させられたのだ。

「……っマーレは何を考えている!」

 重力は根源たる力だ。星をも次元をも取り巻くその尊き力を魔法として付与させるなど、ハーデスにとっては考えられない思考だった。

 対象座標から転移魔法で逃れ、今度はヴァルメロの持つ魔石に向かって物体転移を施す。――が。

「なっ……!」

 即座に反応したヴァルメロが、その座標に合わせて己の黒剣を放った。突如として現れた黒剣を前に動揺したハーデスの眼前で、急速接近したヴァルメロが柄を掴み振り下ろす。

「っ!」

「ほう……」

 その刃を、ハーデスは片手で受け止めた。渾身の力を込めているヴァルメロの一撃を、凄まじい剛力で耐えきったのだ。

「どういう理屈だ? 【看破ペネトレイト】で視ても魔眼で視ても、貴様は魔法使いではないはずなのに」

「視たままの通りだ」

 話しながらも魔石を奪い取ろうと転移魔法を唱えかけた所を、隙無く察したヴァルメロがハーデスを蹴り飛ばし距離を取った。

「【重力障壁グラビティウォール】!」

 漆黒の騎士が両手を合わせたと同時に、ハーデスの両サイドから重力の壁が迫る。ついに頭に来たハーデスは、指を鳴らしてその一切を死滅させた。

「――!」

 目を瞠ったヴァルメロの前に、凄まじい気迫を放つ死の権化が現れる。

「魔石を渡せ。今すぐにだ」

「……分からんな。その在り様で、何故我を殺さない?」

「…………」

 魔力は見えずとも、その気迫をもって己が実力より上と判断したヴァルメロが、ゆっくりと黒剣を背に収める。

 問いを黙殺したハーデスに、フン、と鼻を鳴らすと、ヴァルメロは腕にはめていた魔道具から即時で【転移門ゲート】を開いた。

「――おいっ!」

「まぁよい。ここでの目的は達した」

 いち早く転移門の中に魔石を移動させたヴァルメロが、追うようにして己の身をも滑り込ませる。

「ハーデス君!」

 その時だ。魔物達の魔石を回収したクロイスが駆け付け、ハーデスの視線の先を追って驚愕に目を丸くした。

「ヴァルメロだと……!?」

「よい夜だったぞ、クロイス・オーウェン」

 賛辞を送って、ヴァルメロが姿を消す。瞬時に閉じた転移門もまた同じく空に消えた。

 唖然と口を開けていたクロイスだったが、厳しい顔つきで前を睨みつけるハーデスにはっと我を取り戻して問いかけた。

「っそうか、魔石! カルナヴァーンの魔石は!?」

「取られた」

「なっ!」

「そして今取り返した」

 ぱっと、ハーデスの右手に魔石入りの破れた肩掛け鞄が出現する。

「一体何が」と驚いた矢先、沈思の塔でハーデスがワールドツアーをした事を思い出し、クロイスは腹の底から大きく溜息を吐いて眉間を揉んだ。

「……さすがにちょっと、同情する……」

「ふん。仲間の思いを守ったんだぞ。情け深いと言ってくれ」

「いやぁ……」

「それはどうかなぁ……」とヨルムンガンドに戻った後のヴァルメロの事を思いながら、クロイスは苦く笑った。

 そんな彼に、「それはそうと」と気を取り直したハーデスが声をかける。

「十兵衛を見なかったか」

「えっ? 十兵衛君? 魔石がここに在ったって事は一緒にいたんじゃないのかい」

「先ほどまではいた。だがリンドブルムに向かって落ちて、そこにヴァルメロが重力球を追加で叩きこんでいて」

「なんだと!?」

 驚愕に目を見開いたクロイスが、咄嗟に眼下に目を向ける。だが、そこにはハーデスが言うような重力球はなく、十兵衛の姿すら見えなかった。

「……? あれっ?」

「ん? ……重力球が消えているな。クロイスが何かしたのか?」

「いや私は何も……って、君な! 十兵衛君の安全は確保したのか!?」

「安全も何も」

 きょとんとハーデスは目を瞬かせる。

「私が祝福をかけている。寿命が来るまで自死が出来ないようにしているから、十兵衛の身は不死だ」

「……不死、って……」

「怪我を負おうが何をしようが死なん。生きているから大丈夫だ」

 

 ――クロイスはその時、明確に自身の理性の糸が切れる音を聞いた。


 沸き上がる感情が怒気へと変じ、唇をわななかせて歯を食いしばる。

 激怒を視線の強さに乗せて、クロイスは勢いよくハーデスの胸倉を掴み上げた。

「大丈夫なわけが! ないだろうが!!」

「っ!?」

 クロイスが急に怒り出した事が分からず、ハーデスがびくりと肩を震わせる。

「分かっているのか! 自死が出来ない祝福を与えたということはつまり、死を選べないということなんだぞ!」

「それは十兵衛が切腹を選ぼうとしたから」

「違う!」

「どうして分からないんだ!」と声に涙を滲ませてクロイスが叫ぶ。

「死はあるんだ! 選べるんだ! 生きているのに死ぬより辛い事があるから、人は死を選ぶことだってあるんだ!」

「――!」

「怪我を負おうが何をしようが死なないというのはな! 死んでもおかしくない状態で生かされ続けるということなんだ!! そんなのは祝福なんかじゃない! 彼に惨い苦しみを与え続ける呪いじゃないか……っ!」



 ――何がしくもだ。お前達の常識に当てはめれば祝福にもあたいするだろうが。

 ――俺にとっては呪いだ!



 カルナヴァーンとの戦いの中で、十兵衛が言い放った言葉をハーデスは思い出した。


 

 ――付き合って欲しいんだろう? 自ら死を選ぶ者の心を、お前が理解するその日まで。

 ――少なくとも、もう何も知らなかった昨日までのお前とは違う。俺も含めた自ら死を選ぶ者達の心を、お前は少しずつでも知り始めているだろう?



 かすかに、首を横に振る。

 ――十兵衛の心を知る? いいや、知れてなかったじゃないか。

 クロイスに言われてようやく分かる理解力の乏しい己を、ハーデスは心から嫌悪した。

 こちらの事情を知り、歩み寄りを見せ、約束まで結んでくれた十兵衛の一体何を知ったというのか。呪いを祝福だと思い込み、恩着せがましく言い放った自分のなんと愚かなことか。

 大きく見開いた瞳は震え、指先にちりちりとした熱を感じ、ハーデスは己が犯した罪を知って――即座に行動に移った。

「ハーデス君!」

 クロイスの手を振り払い、猛スピードで大地に向かう。その矢先で視点を巡らせ、十兵衛の座標を察知するやすぐに転移魔法を唱えた。

「十兵衛――っ!」

 変わらぬ命数の有り様に、心から悔恨の念にかられながら。

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