第23話

「落ち着いたかい?」

 見るともなしにそう告げたクロイスに、十兵衛は手の甲で目元を拭って頷いた。

「お見苦しい所を……」

「何、若い内は存分に泣けばいい。年をとると……」

「……? とると?」

「より涙もろくなって泣く」

 真顔で言い放ったクロイスに、こらえきれずに破顔した。

「そういうものですか」

「そういうものだよ。もー、スイのおしめが取れた時とか、『パパにプレゼント!』って似顔絵描いてくれた時とかどれだけ泣いたか~!」

「スイ殿がここにいたら恥ずかしがりそうだな」と内心で苦笑しながら、クロイスの微笑ましい娘自慢に耳を傾ける。

 クロイスが諫めてくれた言葉や考え方は、十兵衛の中にないものばかりだった。

 同じ人であるのに、世界が変われば考え方も変わる。アレンの「知らないから選べない」と言い放った言葉が、ずっと十兵衛の胸の奥でくすぶっていた。生きて新たな知見を得るという抗いがたい魅力に、自分が影響され始めていることを強く感じていたのだ。

 そんな時だ。

 それまで楽しそうに昔話を語っていたクロイスが、急に話を切って黙り込んだ。

 厳しい目で空を睨み、殺気にも似た気迫がまとわれる。あまりの空気の変わりように目を丸くした十兵衛に、「十兵衛君、スイはなんと言って君をここに連れてきた?」とクロイスが問いかけた。

「ええと、オーウェン公にカルナヴァーン討滅の報告と、魔石の使用用途の明示をしてほしいと……」

「なるほど? 上手に連れてきたものだ。後で褒めてやらないと」

「オーウェン公……?」

「お父様」

 話の途中で、ダイニングの方から厳しい顔つきのスイが駆け寄ってきた。後ろに付き従うようにしてやってきたハーデスも同様の表情だ。

 一体何がと戸惑う十兵衛の前で、「ソドムさんから、敵襲の連絡がありました」とスイが告げた。

「敵襲!?」

 思わず驚きに声を上げる。

「――魔石はね、十兵衛君」

 目を瞠る十兵衛に、クロイスが静かに語った。

「魔道具や都市のエネルギー、魔法使いのかてとなるだけじゃない」


「魔物の成長にも、利用されるんだよ」


 瞬間、甲高い爆音がリンドブルム中に鳴り響いた。――緊急の警報だ。

 息を呑む十兵衛の前で、スイから「北東より飛行型の魔物が五千と聞いています」と続けて報告が上がる。

「五千!?」

「それだけカルナヴァーンの魔石をあちらも重要視しているということだろう。ま、トルメリア平野でもないのに五千ってのは異常だけどね。招いたという不届き者のせいかな?」

「……っ魔石を持った私がここにいるからですか! だったらすぐに遠方に!」

「五千の魔物を引き連れて、どこへ逃げるというんですか」

 落ち着き払ったスイの言葉が、十兵衛の焦燥しょうそうの叫びを切り裂く。

「私が十兵衛さん達をリンドブルムに連れてきたのは、この懸念けねんがあったからです。空域領、あるいは装備も整っていないオーウェン領の領地で迎え撃たれたら、一般人に被害が及ぶ」

「っ!」

「だったらこの神官と魔法使いの都市で、徹底抗戦をしかけてやろうと思いまして」

 この状況下でにっこりと微笑んでみせたスイに、同意するかのようにクロイスも肩を竦めて笑みをみせた。

「ま、そういうわけだ。急ぎ行動開始といこう」

「ですが、ここにどれだけの民がいると……!」

「父がおります。そして、カガイ神官長も」


「二人が揃ったこのリンドブルムで、戦死者は一切出しません」



 ***



 リンドブルム上層部、ルナマリア神殿中央区画の聖堂に、ずらりと神官達が並んでいた。

 神官長のカガイが在する主祭壇しゅさいだん近くから、高位神官、神官と並び、その後ろにそれぞれ真白い鎧を纏う神殿騎士達がついている。

 聖堂中央に敷かれた赤い絨毯の道を、真っ直ぐに歩く者がいた。――スイだ。

 頭から外したウィンプルを手に持ちながら歩いてくるスイに、一斉に神官および神殿騎士達が跪く。カガイも同様だ。

 カガイの前に立ったスイは、「オーウェン公爵令嬢におかれましては、ご無事の帰還を誠に……」と告げる上司に、「後でたくさん謝りますから!」と頬を真っ赤にしながら止めにかかった。同僚である高位神官や神官達も、スイの慌てように小さく笑みをみせる。

「神殿前の白石段はくせきだんに、高位神官一名と神殿騎士五名の計六人チームを三十作り、待機させて下さい。後ほど父の転移魔法で【祈りの灯台とうだい】へと転移させます」

「承知しました」

「残った高位神官と神殿騎士の半数を東のパムレへ。その他の者はカガイ神官長の指示を仰ぎ、祈祷や救助準備、もしくは冒険者ギルドと連携をとって下さい」

「お任せを」

「以降、私はカガイ神官長の指揮下に入ります。ご命令を」 

 そう言ったスイは、ウィンプルを頭に被り直し、手早く前髪を整えて仕舞った。

 そうして高位神官の並ぶ列に入ったスイを見たカガイが、嘆息しながら立ち上がる。同様に起立の状態に戻った神官達に、カガイはぐるりと視線をやって声を張った。

「これより、大障壁だいしょうへきの形成に入ります。祈りの灯台担当の高位神官は、大鐘楼だいしょうろうの鐘の音に合わせて発動することを忘れずに」

「畏まりました」

「私の膝元で戦死者は一切出しません。ルナマリア神殿の矜持きょうじを持って対処するように」

「はっ!」

「総員、戦闘配置!」

「はっ!! カガイ神官長の、御心みこころのままに!」

 聖堂に揃っていた者達全員が声を張り、即座に行動を開始する。主祭壇に残っていたカガイは、程近くに立って指示を待っていたスイを呼んだ。

「ではこれより、オーウェン公爵令嬢のご指示通り、遠慮無く顎で使わせて頂きます」

「ひぇ……」

「ここで大障壁の大纏め役の補佐として働いてもらいましょうかね」

「ひぇ~~!」

「命令無視の無断欠勤お嬢様には、さぞ良い薬になるでしょうね!」

「鬼ーーっ!!」

 えーん! と泣き言をいうスイに、カガイはフン、と鼻を鳴らしてしかめっ面で腕を組んだ。


 ◇◇◇


 ――同時刻、リンドブルム冒険者ギルドにて。


「はい、はい……畏まりました!」

 冒険者ギルドの受付嬢、アンナ・ロッサは、西部区画担当のソドムの指令を、壁に固定式で着けられている【通信機リンクス】から受けていた。

 通信を切ったアンナに、ギルドに揃っていた冒険者全員の視線が注がれる。

「閣下が出られます! 魔法使いは西のパムレへ、遠隔攻撃部隊は祈りの灯台の防御支援に入って下さい!」

「了解!」

「まかせて!」

「近接攻撃部隊はオーウェン騎士団の指揮下に! 間もなくゴンドラ部隊が迎えに来るそうです!」

「あいよぉ!」

「っしゃおらぁ!」

 血気盛んに拳を手のひらにぶつけた剣士達が、どかどかと足音も高らかに外に出て行く。

 それを見送りながら、指貫グローブをはめ直した水の魔法使い――ウィル・ポーマンが、流れるような水色の髪をさらりと梳いて口角を上げた。

「いやいやおいおい、信じられるか!? このリンドブルムで防衛戦だってよジーノ! 命知らずな魔物もいたもんだなぁ!」

 名を呼ばれた光の魔法使いジーノ・ロヴェーレは、黒縁眼鏡の曇りをとりつつ、短い黒髪で表に出ている耳に眼鏡のつるをかける。

「ありがたいことじゃないか。郵便大鷲新聞ポスグルプレスに名が載ること間違いなし! これはまた星の加護があるかもね」

「でもパムレってことは、私らが直接出向くわけじゃないんだよねぇ?」

「魔石も欲しかったなぁ」と唇を尖らせる木の魔法使い、ダニエラ・ココは、編み込んだ茶色の長いおさげを指でいじった。

「魔法の成長より、お前の場合は身長の成長が急務だろ」

「ぶっ飛ばすぞこらぁ!」

 高身長のウィルとダニエラには、三十ミメル以上の身長差があった。ぶっ飛ばすと言いながらすでに膝裏に蹴りを食らわされたウィルは、容赦ない膝かっくんを受けて地に沈む。

「おぶぇ! ダニエラ……てんめぇ~……!」

「やるかオラー!」

「やるかも何も、もうやってんだよ!」

「よせお前ら。閣下の招集だぞ? 冒険者ギルドどころか、リンドブルム中の魔法使いが集まるんだ。急がないとパムレから閉め出される!」

 ジーノの言葉に、はっと二人が黙り込む。

「名を上げるチャンス……!」

「魔力を高めるチャンス……!」

 ごくりと互いの喉が鳴った。

 魔法使いは皆、魔石の吸収か知名度の向上、他者からの感謝の積み重ねで魔力を上げ、新たな魔法を授かる事が出来る。そのチャンス到来となれば、腹立たしい友のげんを飲み込み忘れるなど容易なことだった。

「行くぞダニエラ! ど真ん中は俺らのもんだー!」

「うおー! 木船もくせんかっ飛ばしてくぞ【創造木魔法クリエイトウッドマジック】!」

「そういえばアンナさん、西だけでいいのかい? 東は?」

 出立しようとするダニエラ達の後を追う前に、ジーノがアンナに振り返って問いかける。それを受けたアンナは、「東は大丈夫ですよ」と安心させるように微笑んだ。

「なんでもあちらは、カガイ神官長率いるルナマリア神殿の皆様が担当するそうで……」

「あぁ!?」

「んだ!?」

「おぉ!?」

 アンナの言葉に不穏な声を上げたのは、ウィルやダニエラ達だけでは無かった。

 出撃準備を整えていた冒険者ギルドの魔法使い全員から、ドスの利いた声が上がったのである。

「あのドケチ神殿が東担当~?」

「金にがめついボケナス神官長が率いて~?」

「俺らの名声横取りってか!」


「負けられっかオラーーーー!!」


 ダニエラの咆吼に「おーーーー!!」と野太い声が上がる。

 凄まじい顔つきをした魔法使いがびゅんびゅんと空を飛んで西のパムレへ向かうのを眺めながら、近接や遠隔組の戦士達は「なんでうちの魔法使いってこんなガラ悪いの」とがっくりと肩を落とすのだった。


 ◇◇◇


 ――同時刻、西のパムレ側、騎士団詰め所にて。


「ソドム殿!」

 クロイスの転移魔法で転移してきた十兵衛は、詰め所そばで指示を飛ばしていたソドムに声をかけながら走り寄った。

「十兵衛君か! 閣下から連絡は頂いている。よく来てくれた」

「いえ……!」

 身体に密着させるようにして背負う肩掛け鞄に、カルナヴァーンの魔石が入っている。言葉少なな十兵衛の反応に、何もかも理解しているようにソドムは首肯した。

 魔物は、魔石を狙ってくる。的確にリンドブルムを襲いにきたということはつまり、十兵衛達の居所がばれているということだ。

 ハーデスが次元門を開いて中に隠すことを提案したが、こと現段階においては敢えて表に出しておくことをクロイスが優先した。『まだここに在る事を知らしめ、その上で襲撃を阻止する。明確な失敗を突き付けないと、あらゆる場所で魔石を探しに襲撃されては困る』と判断した結果だった。

 ソドムがいるこの騎士団詰め所には、リンドブルム中の情報が集まる。都度入ってくる戦況を確認しながら、最善の場所に囮を移動させるという作戦の元に十兵衛が来たのだった。

 水路から離陸するように飛び立ったゴンドラが空を縦横無尽に駆けまわり、陸路を重厚な鎧を身に纏った騎馬隊が走っている。オーウェン騎士団の飛ばすゴンドラや騎馬隊の馬には、装備の様々な戦士達が相乗りしていた。

 ――あれが冒険者だろうか。

 そんな風に観察しながら、十兵衛はソドムに招かれるように詰め所の中に入った。

 詰め所の中は机と椅子が壁沿いに数セット置かれた簡素な有様だったが、十兵衛の感覚では決定的におかしいものがあった。空中に、動く絵が浮いていたのである。

 それも一つではなく複数浮いており、横に長い長方形の形動く絵が数十を超える量で円を描くようにして存在していた。

「ここは光魔法を使える者達が常駐しているんだ」

「光魔法……」

「【投影プロジェクション】という魔法だよ。リンドブルムの各所にある街灯にいくつか魔道具を設置していてね。その映像をここで見ているわけだ」

 光の魔法使いと思しき二名の騎士が、宙に浮く投影映像を指で流すようにして重要な映像を選別していく。その中にハーデスとクロイスの姿もあったので、思わず十兵衛は注視した。

「オーウェン公……」

「ん? ……あぁ、発着塔近くの魔道具映像かな。あれは上まで見れるからね」

「オーウェン公は領主であられるのだろう? そんな方がお一人で前線に出られて大丈夫なのか……?」

 いくら大魔法使いとはいえ、主君というものは一番後方で指揮を執るのが普通だと十兵衛は思っていた。

 だが、そんな彼の問いに騎士の二人とソドムが顔を見合わせ、肩を震わせて笑い声をあげた。

「ははは! 大丈夫だ十兵衛君。むしろ、その考えの方があの方にとっては不敬にあたる」

「魔法使いも剣士も敵わない、史上最強の魔法使いだよ?」

「百聞は一見に如かず! 存分に俺達の主の雄姿を見るといいさ!」

 さぁさぁ! と手招かれた十兵衛が、光の魔法使いの手によって拡大化された映像を前に、ごくりと生唾を飲み込む。

「仕事しろー」とソドムに叱られた魔法使い達が持ち場に戻り、十兵衛は一人祈るような気持ちでクロイスを見守るのだった。

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