第22話
沈思の塔を出て元の
カルナヴァーンの魔石は利用することなく保持することを定め、「続きは明日だな」というクロイスの言葉に全員が頷き、スイが十兵衛とハーデスを客室に案内しようとした。
そんな彼女を、笑みを浮かべたクロイスが引き止める。
「ス~イ~? 公爵としての仕事は終わったが、お父さんとして私はまだお前に言いたいことが山ほどあるな~?」
「はわわ……」
「悪いが十兵衛君、ハーデス君。ロラントに案内してもらってくれ」
「こちらです」
苦笑したロラントが先立って進む。戸惑いつつもクロイスの笑顔の圧には勝てず、十兵衛は後ろを気にしながらロラントの後を着いていった。
「大馬鹿者!
「ごごごごめんなさい!」
「お前の身に何かあったらどれ程の人間が職を失うと思っている! 公爵令嬢として身の程をわきまえろ!」
「仰る通りです!」
「関係各所全てに直筆で謝罪文を送れ! いいな!」
「はいい!」
相当距離を取った上でも聞こえてきた怒声に、ロラントと十兵衛は顔を見合わせて苦笑する。
「お見苦しい所を……」
「いえ、オーウェン公のお言葉は正しいです。でも、スイ殿の奇跡のおかげで私も憂いなく戦えましたから、あとでロラント殿の方からオーウェン公にお口添えを願えると……」
「フフ。大丈夫ですよ十兵衛様」
チラ、と後ろに目をやるロラントに釣られて、十兵衛もこっそりと盗み見た。視線の先では、クロイスが目を白黒させるスイを腕の中に引き入れ、強く抱きしめていた。
「あの方にとって、スイ様はご自身の命よりも大切な娘ですから」
「……命よりも……」
「えぇ。亡き愛妻……レティシア様の、忘れ形見でいらっしゃいます」
安堵に震える父の肩を、十兵衛は眩しそうに見つめる。
そんな風に思い思われる親子の姿が己の人生に縁遠いものであった故か、十兵衛はその光景が脳裏にこびりついて長く離れなかった。
***
夜風が冷たい。
過ごしやすく暖かなダイニングからバルコニーに出てきた十兵衛は、窓の向こうでまだ食事を続けているハーデスとスイを横目で眺めた。
カルナヴァーンの討滅を祝って用意されたという食事は、十兵衛の感覚では考えられない程のご馳走ばかりだった。
ふんだんに香辛料がかかった肉料理に、生野菜の副菜。煮物や焼き物、汁物だけでなく、揚げ物や刺身のような生魚と野菜の和え物も並ぶ始末で、これがたった四人に振る舞われる食事の量なのかと、あまりの贅沢さに目を丸くした。
その多くを、十兵衛は口に出来なかった。未知の食材に食べ慣れないというわけではない。ただ、食が進まなかったのだ。
幸いにも無尽蔵に食べられるハーデスが隣にいたので、「俺の分も食べてくれ」と願った十兵衛は、「お腹がいっぱいだから少し休憩する」と一言告げて外に出てきたのだった。
バルコニーの手すりに手をつき、じっと指先を見つめる。慣れ親しんだ木とは違う、滑らかな石材で出来た手すりだ。こちらは石工技術も高いのだなと、とりとめもないことを思った――そんな時だ。
「食事は口にあわなかったかい?」
ふと背後から声がかかった。はっとして後ろを振り向くと、そこには外套を羽織ったクロイスが立っていた。
気配が一切なかったことから転移魔法を使ったのかと思いつつ、ぺこりと十兵衛は頭を下げる。
「とんでもない。あまりの豪華さに胸が先にいっぱいになりまして」
「何、素直に言ってくれていい。そもそも君の住まう所とここは次元も星も違うのだからね」
「こちらの食材で君の故郷の味が再現できるか試してみようか?」と言いつつ隣に並んだクロイスに、十兵衛は苦笑しながら礼を述べた。
今夜は満月だ。しばし無言で月を見ていた二人だったが、やがてクロイスがおもむろに口を開いた。
「君も、自ら死を選ぶ者だったんだな」
「――!」
思わず、横を見た。十兵衛の視線を受けたクロイスが、ゆっくりと顔を向けて正面から相対する。
「ハーデス君に言っていただろう? 『俺も含めた自ら死を選ぶ者達の心を、お前は少しずつでも知り始めている』――と」
沈思の塔での話だ。己の発言を思い出した十兵衛は、唇を引き結んで頷いた。
黙するクロイスに十兵衛は語ることを決意し、面向かった。
「私の世界では腹を切って死ぬ『切腹』という死に方が、最も強く意思を伝える死に方となっています。……城主不在の城を守れず、内通者がいる事にも気がつけなかった。その贖いと一族の潔白の証明に、私は切腹を選びました」
「……惨い死に方だ」
「だからこそ、強く伝わるんです」
ハーデスには切腹の寸前にこちらに連れてこられたのだと、十兵衛は続けるように語った。
「私にあの問いをしたかったようです。答えたらすぐにでも元の世界に戻って腹を切らねばならなかったのですが」
「カルナヴァーンの事件に巻き込まれた、と」
「……はい。そして、この世界で善行を積んでハイリオーレの翼を手に入れないと帰れないと、教えられました」
怒気をはらんで眉根を寄せたクロイスを、「一族の潔白については、ハーデスがすでに証明してくれたそうですから」と宥める。
「魔石の問題の解決は、私のハイリオーレにも至る物であると思っております。偉業を果たすことは、きっと名を馳せる事にも繫がる。ただ、打算的で偽善に塗れた願いをオーウェン公に口にしたことは、いずれ詫びねばと思っておりました」
「善を決めるは救われた者だ。君や周囲の者が決めるものではない」
厳しく諫められた言葉に、十兵衛は目を見開く。
「偽善? 浅ましい? まったくもって馬鹿馬鹿しい考えだ。当事者の語る善を外から否定する方がおかしい」
「……オーウェン公……」
「卑屈じみたその考え方の一切を、今ここで捨てるんだな」
スイに怒っていた時と同じ目で、クロイスは十兵衛を見つめていた。
相手を思い、窘め、理解して欲しいと願う心。情愛の深いその厳しくも暖かい眼差しに、十兵衛は唇を噛み締めて頭を下げる。
「……肝に、銘じます」
「あぁ。……しかし、ハーデス君はとんでもないことをしてくれたわけだな?」
十兵衛の境遇を思い、クロイスが腕を組んで溜息を吐く。
激怒していた昨日の自分を思い返しながら、十兵衛も苦く笑って頷いた。
「……今はもう、冥土で裁きを頂く前に、善行を積める機会を得られたとでも思うようにしました」
「なお死ぬつもりでいるのか」
「私の目の前で、友は腹を切って死んだのです」
言葉を失うクロイスに、十兵衛は眉尻を下げる。
「贖いを逃れ、私だけがのうのうと生きるなど許されるはずもない」
「……君の中座の理由が、ようやく分かったよ」
「まともに食えないわけだ」と労わるように告げられた言葉に、申し訳なさから俯いた。
時が経つにつれ、自罰的な思いが深まる。感動を得て美味い物を口にし、まるで生の謳歌を感じたかのような瞬間に、それを止める考えがよぎる。
友の死が、責務から逃れた事実が、侍のくせにと詰り続ける。
己の力ではどうしようもなかったとはいえ、それでもハーデスだけのせいにすることは出来なかった。切腹に至る罪を、はじめから背負っていたからだ。
暗い表情で黙してしまった十兵衛に、クロイスは小さく嘆息して空を見上げた。
「……おー、これはなんとも奇遇だな十兵衛君。私ものうのうと生きている男だ」
きょとんと十兵衛は目を瞬く。視線の先で、クロイスがバルコニーの手すりに肘を置き、頬杖をついていた。
「妻を殺した。世界で一番愛している妻をだ」
「……え……」
まさかソドムと同じことがと息を呑んだ十兵衛に、「カルナヴァーンのせいじゃないぞ?」とクロイスが苦笑する。
「身体の弱い妻に子を産ませた。後継ぎ欲しさにな」
「――っ!」
「父に逆らえなかった。後継ぎのために愛人を迎える事を私自身が許せず、妻のレティシアも拒んだ。ま、どうあれ産ませたのは私だ。殺したも同然さ」
「……スイ殿を、憎んでおられるというのですか」
「まさか!」
十兵衛の不穏な問いを、クロイスは即座に否定した。
「レティシアと私の子だぞ? そんなわけあるか。私の命よりも大事な子だよ」
「では……」
「それでも、な。他に道はなかったのかと、ずっと自問自答している」
苦しそうに微笑んでみせた横顔を、十兵衛はじっと見つめた。
「妻は、スイが四歳の時に亡くなった」
「……奇跡は、効かなかったのですか」
「あれは人それぞれの固有の基準に沿って治癒を為すんだ。元が弱れば意味がない」
「…………」
「しばらくは今の君と同じように、自罰的になって食事も喉を通らなかったよ」
まるで砂を食むようだったと、クロイスは語る。
心が死んでいても時は過ぎる。為すべき仕事は日に日に積まれ、生きるのに最低限の食事と睡眠だけを済ませて公務に没頭した。
「生きているのに、死ぬより辛い。そんな日々だった」
だが、そんなある日のことだ。公務にこもりっきりだったクロイスの執務室に、料理長の付き添いと共にスイがやってきた。
スイは小さな手で一生懸命皿を持って、とある卵料理をクロイスに差し出したという。
「楕円状に具を包んだ卵料理をね、オムレットというんだ。私はそれが好きでね。でも、幼いスイが作ったオムレットはぐちゃぐちゃの炒り卵だった」
「…………」
「美味しかったよ。――とても」
その時、クロイスは気づいたという。
レティシアを亡くしてからずっと、公爵邸に勤めるシェフ達が弱り切った彼の身体に良い料理をと、自発的に心がけて作っていたことを。執事達はすぐにでも睡眠がとれるように執務室
――そしてスイが、久々に会えた父に、涙を流して喜んだことを。
「自罰が過ぎるとね、見えなくなるんだ。周りの思いも、けして見逃してはならない大切なことも」
「オーウェン公……」
「ところで君が残したあのスープ、実は一週間も煮込んで出来るものだって知ってたかい?」
「えっ!」
ぎょっと目を見開く十兵衛に、「まぁハーデス君が食べちゃったけど」とクロイスは笑う。
「苛むなとは言わない。私だって、今もレティシアを思っては胸を痛める。……でもね。自罰的になって、全てが自分の身に余るものだと考えることは止めたまえ。それは魔石を消費する我々のように、思いに対して不誠実だ」
「不誠実……」
「良いものを得たと思った時には感謝を。ただそれだけでいい。そういう素直な善なる気持ちが、相手のハイリオーレを高めることにも繋がるんだろう?」
「っ!」
はっとした。言葉を失った十兵衛の肩を、クロイスが優しく叩く。
「生きていたから君に出会えた。君がいたから、娘と民が救われた。――ありがとう。例え君が自身の生を厭うても、私は君が生きていることを、心から感謝しているよ」
「――っ簡単に許さないでください! ……おれはっ……!」
「なんのことかな? 私は君のハイリオーレに貢献したいだけだが?」
有無も言わせぬ大魔法使いの心配りに、十兵衛は反論する言葉も見つけられないままに、深く、深く頭を下げるのだった。
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