第21話

魔導回路まどうかいろ】と呼ばれるものがある。魔石からの魔力を魔道具へ繋げる、供給回路のことだ。

 リンドブルムなどの大きな都市では、魔石を大量に買い付け、それを都市のエネルギーとして利用している。魔導回路は地下に埋める形で張り巡らされており、家々の明かりや調理場の火はそうした魔導回路から供給される魔石の魔力が元となっていた。

 魔法使いの成長の糧や個々が持つ魔道具としての素材だけでは無く、魔石は民の生活に欠かせない重要なエネルギー源でもあるのだ。

 ――魔石の文明の終焉。十兵衛が望んだ事は、人々が慣れ親しんだ便利な生活の全てを失えと言っていることと同義だった。

 何故と聞くまでもなく内心で「無理だ」と即断したクロイスだったが、十兵衛が意味も無くそう言う人間ではないと分かっていたため、「理由を聞いても?」とその先を促した。

「先ほど、ハーデスがハイリオーレの説明をしましたよね?」

「……あぁ。人々から向けられる好意、感謝、尊敬、憧憬の思いが形となって、魂に纏うと認識している。それが輪廻転生の果てにいつか翼と変わって次元を超えて、魂の核となる、と」

「はい。魔石は、それです」

「……何?」

「そのハイリオーレが、魔石なんです」

 絶句した。

 クロイスだけではない。スイもだ。

 思わず隣を見たクロイスだったが、ハーデスも肯定するように頷く。

「魂とハイリオーレが離れるなど、普通はありえない。私も、こんな形でハイリオーレを見るのは初めてのことだ」

 テーブルに置かれているカルナヴァーンの魔石を見つめ、ハーデスは苦しげな表情を浮かべた。

「どんな命を歩むかなんて、生まれるまで分からない。それでも、その魂が経てきた歩みの証は確かに刻まれているんだ」

「カルナヴァーンは、繰り返される輪廻転生の中で慕われる生を歩んでいたと?」

「あぁ。これを見れば分かる。まもなく次の次元に至ってもおかしくない程の大きさだ」

「……魔石は、魔物の魂ではないのですか」

 強張こわばった顔でスイが問う。否定するように首を横に振られ、スイは拳を握りしめた。

「教えと、違う……」

「スイ殿?」

「私が信仰するレナ教では、魔石は魔物の魂とされていたんです」

 この星で神と称されるのは、【慈愛の女神レナ】ただ一柱のみだとスイは語る。

 レナの力を賜り奇跡として発現出来る神官達は、長き歴史の中で星の創世にまつわる神話を信じていた。その中で「魔石は魔物の魂である」という教えがあり、そこには「悪逆非道の行いにより、輪廻転生にも戻れず石となった魔物の救済は一つしかない」と、まるで魔物達にも慈悲を与えるかのような考えが在った。

「――力としての利用。合理的かつ、精神的にも正当性を語れる最善の手ですね」

 苦く笑うスイの様子に、十兵衛は内心驚いた。

 高位神官というからには、スイは神に対する妄信的な信者だと思っていたのだ。それがふたを開けてみれば冷静に現状をかんがみて判断を下し、ともすればこれまでの信仰についてあっさりと否定的な考えを呈す始末だ。

 ――俺の知る信者とこちらの信者は、また違うものなのだろうか。

 そう思案した時、それまで黙考していたクロイスが「ハーデス君」と厳しい目を向けた。

「君の様子から察するに、これは律の管理者としても度しがたい案件なのだろう?」

「そうだ」

「何故放置されているんだ」

 ハーデスが眉根を寄せる。膝の上に置かれた拳は、強く握りしめられていた。

「魔石ありきの我々の文明は、ここまで成熟してしまった。それを『よくないから止めろ』なんて簡単にはいかないことなど、君だって分かるだろう」

「……オーウェン公、ハーデスは知らなくて」

「それが問題だと言っているんだ」

 上に立つ立場の者として、クロイスはハーデスに厳しく問うていた。

 ハーデスが見る幅は、クロイスの治めるオーウェン領とは比べものにならないほどに広い。数多の次元にかかる律を管理するなど、人の身から考えても計り知れないものだった。

 だが、それを唯一成す者としてハーデスは存在している。であれば責任は果たすべきだろうと苦言を呈したクロイスに、ハーデスは「面目次第もない」と頭を下げた。

「文明の成長や命の育み方については、輪廻転生の中心となる星に管理を任せている。だが、こういった魂に纏わる案件を直々に管理、監督する部下が私にもいるんだ。今回のような事案は経過観察ではなく即時報告を徹底していたんだが……」

「報告が無かったのか」

 頷いたハーデスに、クロイスは腕を組んだ。

「魔石をどうこうの前に、まずはその者の招集からだな。強制的にでもこれまでの話を聞き出して……」

「無理だ」

「……は?」

「もう、いない」

 目を見開いたクロイスの前で、ハーデスが俯いて拳を震わせる。

「私が殺した。昨日のことだ」

「……何か罪を負った者なのか」

「死を、望まれたからだ」

「――っ!」

 十兵衛は息を呑んだ。だからこの星でばれたのかと、ここに至った理由を察する。

「律の管理者の部下は不死だ。永久とこしえに私につかえる事を望み、誓いの元に命数を変えた。その不死の命を終わらせられるのは、そういう風に彼らを変えた私しかいない」

「……ハーデス……」

「そんな部下達が、ある時を境に自ら死を望みはじめた。マーレの担当官もそうだった」

「……不死の生に飽いたとかではないのか」

「だったらそう言ってくれればいい! 私はみなに都度問うたんだ! 何故なにゆえみずから死を選ぶのかと!」

「…………」

「だが、誰も教えてはくれなかった……っ!」

 ハーデスの声が震える。俯いた顔は十兵衛からは見えなかったが、察するにあまりある吐露とろだった。

「だから、ライラさんに聞いていたんですね」

「自ら死を選ぶ者の心を知りたい」と述べていたハーデスの言葉を思い出し、スイがいたわるように声をかける。ハーデスは頷き、自嘲じちょうしながら顔をあげた。

「私が語るにあたいしない者なら、それでもいい。他の部下達に伝えてくれたら、それで構わない。それすらも出来ないと言うなら、せめてその心をおもんぱかりたかったんだ」

「…………」

「もう、何も知らないまま、親しい者達を送りたくはないから」

「――……大丈夫だ、ハーデス」

 強い声色だった。支えるようなその言葉に、ハーデスは思わず目を見開く。

 正面に座っていた十兵衛が、真っ直ぐにハーデスを見つめていた。

「少なくとも、もう何も知らなかった昨日までのお前とは違う。俺も含めた自ら死を選ぶ者達の心を、お前は少しずつでも知り始めているだろう?」

「……十兵衛……」

「それに、俺は付き合うと約束したじゃないか。だからそう悲観するな。変わりたいと願ったお前の歩みは、確かに進んでいるのだから」

 べそをかいた後の子供のような有様で素直に頷いたハーデスに、十兵衛は優しく微笑んだ。

 それを黙って見守っていたクロイスは、しばらくのち空気を変えるように手を打った。

「魔石の使用を禁ずる案だが、私は却下する」

「お父様っ……!」

「十兵衛さん達の話の何を聞いていたんですか!」と怒るスイに、「聞いた上で下した判断だ」と冷静な声色で返した。

「しかし、無くとも暮らせます! 私の世界ではそもそも魔法自体存在しない!」

「捨てろというのかい? この生活を。それを民にも強いれ、と?」

「思いが失われないならそれに越したことは」

「ないかもしれないがね。我々が大事なのは今の『生』だよ」

 冷酷に断じたクロイスに、その場にいた全員がごくりと喉を鳴らした。

「オーウェン公爵として、私はその提案の一切を却下する。次元を超えられない? 輪廻転生? 知ったことか。大体、『カルナヴァーンは実は昔は善い人でした』なんて、遺族の前で言ってみろ。殴られて終わりだ」

 その言葉に、十兵衛は背に冷たいものを感じた。確かに、ソドムやアイルーク達の前で同じことを言える自信は無かったからだ。

 クロイスの言葉は、正しい。思いを大事にしたいという十兵衛の心も、民の生活に根ざした力と比べれば後者に重きを置かれる。精神論で飯は食えないからだ。

 為政者として一切間違っていない考えに文句を飲み込み、それでもと諦めきれずに十兵衛が口を開きかけた時、「だがな」と低い声でクロイスが呟いた。

「クロイス・オーウェン個人としては看過できん。絶対にだ」

「お父様……」

「私やスイの、亡き妻へ向けたかけがえの無い愛情の全てが、調理の炎に使われる結末を辿るだと?」


「ふざけるな!!」


 叩き付けられた拳の先で、テーブルがびりびりと震える。

 激怒する大魔法使いの本気の殺気に、正面にいた十兵衛とスイは呼吸を忘れた。

「ハーデス君。君がこちらに相談するということは、そちらの権能では修正が出来ないと判断していいんだな?」

「出来るが、これまでこの星の全ての命がつちかったハイリオーレの一切が無くなると考えてくれ。律が動くとはそういうことだ」

「却下も却下。大却下だ。あー、良いだろう。協力しようじゃないか」

「オーウェン公……!」

 目を見開く十兵衛の前で、クロイスが不敵に笑ってみせた。

「魔石に変わる代替品だいたいひんの開発! 賢者らしい夢だよ、まったくな!」



 魔石は燃料効率がいい。小さな魔石でも十世帯の八十年近くのエネルギーが賄える。

 灯りをつける、火をつけるなどの単純な魔法は魔力消費が少なく、大して武器や装備に付随するような魔法は、複雑化した構成もあって大きく魔力を消費した。

「魔石に匹敵する、あるいは少し下回っても効率よく現魔導回路を利用できるものが必要だ」

「魔力を使う、という所は変わらないんだな?」

「まずは変えない方向でいく。全ての魔道具を新しいものに変えるなど狂気の沙汰だ。私が生きている間に出来るはずもない」

 クロイスの断言に、三人が了承するように頷く。

「増幅器、貯蔵施設、携帯性……。魔力関連で思いつく必要最低限のものはそんな所だな」

「魔力はどこから出すんですか?」

「目の前にいるだろ?」

 スイはきょとんと父を見た。

 言わんとする所に思い至り、思わず眉をひそめる。

「魔法使いから魔力を搾り取るんですか!」

「その通りだとも」

 にっこりと目を細めたクロイスは、「有事の時以外有り余ってるんだから、貯められる時に貯めればいいんだ」と鼻を鳴らす。

「食事をとってしっかり休めば次の日には五割も回復する。二日で十割だ。余っているものを使うに越したことはないだろう?」

「それはそうですが……魔法使いの畜産業なんて……」

「そ、そこまで言ってなくない?」

 娘のとんでもない解釈にクロイスが動揺する。二人の話を聞いていたハーデスは、顎に手をあてながら「それでもこの都市のエネルギーを賄うには足りないのではないか?」と問いかける。

「間違いなく足りない。だから増幅器の開発は急務だ」

「あてはあるのか」

「無いようで、ある」

 言うや否や、クロイスの手に古びた羊皮紙が掴まれた。転移魔法で持ってきたそれを、クロイスが手で弄ぶようにして回す。

「リンドブルムはパルメア大運河を跨るように在る都市だ。水の都と名高く、住まう人間も大勢いる。さて十兵衛君。君が海側に住まう者だとして、リンドブルムはどう映る?」

 問われた十兵衛は目を瞬き、思案げに俯いた。

「川における上流と下流の問題は、こちらにもあります。生活用水を上流の村の者が垂れ流せば、下流の村の者達は汚染された水で暮らすことになる。もし私が海側の民なら、リンドブルムに憎悪が募りますね」

「そうだろう? だがここはそうなっていない」

「……というと?」

「汚水の浄化がなされているのさ」

 初代オーウェンは、リンドブルムと共にこの都市を作った際、水の処理施設の開発に心血を注いだ。『いつでも楽しい魔法を』と心がけていた彼は、その集大成であるこの街も変わらずそう在れるように努めたのだ。

「オーウェンの魔法は今もなお生きている。つまり、オーウェンが作った処理施設は何かしらの魔力増幅器を失くして存在しえないということだ」

「初代……すごい……」

「すごいんだよ実際」

 うんうん、と頷きながら、クロイスが羊皮紙をテーブルの上に広げる。

「そして、その技術の結晶が、これだ」

 三人の視線が、一斉に羊皮紙に注がれた。

 古びた羊皮紙に書かれた文字と記号。絵柄を目に入れ解読――

「……あの」

「……字が」

「……汚くて読めん」

「そうなんだよ」

 ――することは出来なかった。

 スン、と居直るクロイスに、三人の冷たい視線が集まる。

「そんなトンデモ技術、私じゃなくたって歴代のオーウェン達も求めたさ。だが、父も祖父も曾祖父も、全員『初代オーウェン字汚すぎ問題』で解読を諦めたからね」

「現物を見に行ったりはしなかったのか」

「勿論したさ。だが魔法構造だぞ? 【看破ペネトレイト】をかけたって知らないものは分からないだろう?」

「じゃあどうするんですか?」

 父の考え無しの発言に、スイが頬を膨らませる。そんな娘に対し、クロイスはすっと指を立て、ある人物を示した。――ハーデスだ。

「ハーデス君に現物を解析してもらう」

「……あ」

「なるほど」

 ハーデスは超越者だ。姿形を精神性からして容易に変じ、言語の壁もない。魔法の技術も破格であり、神をも超える者の知恵にクロイスは期待していた。

 当のハーデスは目を丸くし、一心に向けられる期待に眉根を寄せる。

「……尽力は、する。だが思い出すのも大変なんだ」

「思い出す? パッと分かるものじゃないのか」

「私の個体記憶領域にどれほどの情報が入っていると思ってる。必要分として手前に出していない物を探るのは凄まじい労力がだな」

「ま、そこは頑張って頂いて」

「ええ……」

 眉尻を下げて戸惑うハーデスを尻目に、クロイスは区切りをつけるように手を打った。

「まず足掛かりはそこから行こう。諸君、よろしく頼む!」



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