第20話

 空いた食器がテーブルの端に寄せられ、中央に十兵衛の打刀とカルナヴァーンの魔石が並べられる。

看破防壁ペネトレイトウォール】で感知はしていたものの、改めて眼前で【看破ペネトレイト】をかけて内容を確認したクロイスは、カルナヴァーンが死んだこと、そして十兵衛の打刀が魔法もかかっていないなんの変哲もない鉄剣であることを知った。

 ハーデスの存在。違う次元の星からきた十兵衛。彼らの話はこれまでの常識を覆すようなものばかりで、信じろという方が難しいとクロイスは思っていた。――だが、この目の前に並ぶ魔石と打刀が彼らの話の信憑性を高める。

 スイが実際にその目で討滅を確認したというのも大きかった。彼女がクロイスに嘘を吐く必要性がないからだ。一応クロイスはハーデスや魔物から認識阻害を起こす精神汚染の魔法をかけられていないかと、【看破ペネトレイト】を十兵衛とスイにかけて先んじて確認もしていた。だが、その様子も一切見られない。

 本当に事実なのか、と飲み込みがたい話を脳内で整理していたところで、クロイスの黙考を待っていたハーデスから「端的に信用してもらうにはどうすればいい?」と質問が飛んだ。

「なんとも乱暴だな」

「重要だと思っているからだ。明晰な頭脳を持ち、民に慕われる大魔法使いだと、スイが絶大なる信頼を寄せるお前の信用をここで必ず得ておきたい」

「は、ハーデスさん……!」

 思いもよらぬ娘からの絶賛に、クロイスは目を丸くしてスイを見た。

 当のスイは顔を真っ赤にして唇をわななかせ、必死に顔を逸らしている。

「……それを聞いたら、一瞬で『なんかもう信じてもいいかな』と思えたな」

「もうっ! 知らないです!」

 ニヤニヤしながら見つめるクロイスに、スイが恥ずかしそうに頬を膨らませる。

 その様子を微笑ましく見守っていた十兵衛は、「何か破格の御業みわざを見て頂くとかはどうでしょう」と提案した。

「鉄では切れないと称される物を斬るでもいいですし、ハーデスの魔法を見せるのでも……」

「死と再生も出来るぞ」

「えっ!?」

「あ、勘違いはするな。基本的に私は生きとし生ける者の寿命は妨げない。死者蘇生も論外だ」

 ハーデスは、「死の理由には多くの可能性が存在する」と付随して語った。

「死の理由は一つではない。数多ある結びの可能性は、様々な事象の中で一つに収束していく。本来定められている命数も、自死や己の強い意志で運命を変えることで容易に変じる。私が積極的に関わると、偶発的事象が必然的事象に変わりやすいからな。戦闘中に手を出さないといったのもそういうことだ」

 カルナヴァーン戦でハーデスが示したのは、「十兵衛の身を守る事」だ。それを思い出した十兵衛が、なるほどなと思案する。

 十兵衛の身には、ハーデスの手によって自死を封じる術がかかっている。毒に侵されずやまいにもかからず、寿命を迎えるその日まで不死であるという無病息災の呪いだ。

 どうあれ現時点では不死の十兵衛であれば致命傷を負っても戦えるという点から、「傷を負おうが負わなかろうが、結果が同じなら身を守るぐらいは妥協する」としたハーデスの結論に内心苦笑した。「薄情なのか優しいのかよく分からん」と脳内で呟きつつ、それでも苦痛を負わせないと決めて動いてくれた事には感謝をせねばと思った矢先。

「つまり、命には手を出さないが毛根程度ならこういう事が出来る」

 と、十兵衛の顔に髭を復活させ、

「で、こうだ」

 と、瞬時に消し去った。

「…………」

「……えーっと? 今のそれは、十兵衛君の髭の毛根だけを再生して死滅させたということでいいのかな?」

「私を舐めるな。髭だけではない。鼻から下の全てを」

「表に出ろハーデス!! 叩っ切ってくれる!!」

 テーブルに置かれていた打刀をふん掴み、十兵衛が真っ赤になった顔で激怒した。

 何故急に怒られたのか理解が出来なかったハーデスは、「お、お前が御業を見せろと言ったんだろう!?」と戸惑う。

「うるさい! 毎度毎度毎度毎度お前は本当に配慮というものが足りん!! ぜんっぜん足りん!!」

「訳が分からん! そもそも表に出ろと言ってもお前、転移魔法じゃないと」

「そ、それ! それで行きましょう!」

 慌てて場を取りなすように介入したスイが、二人を落ち着かせにかかった。

「転移魔法! 転移魔法でしたらお父様の得意魔法ですから、ね!? そういう基準で見て頂くのが一番早いかと! ね! お父様!」

「あ、あぁ、そうだな」

 スイの迫力に押されて、クロイスが半笑いで頷く。

「ハーデス君も、転移魔法の使い手ならその限界性は理解しているだろう?」

「座標の話か?」

「そうだ」

「……座標?」

 苦労して落ち着きを取り戻した十兵衛は、席に座り直しながら聞き慣れない言葉を問うた。

「座標とは、直線や平面、空間内で点の位置を指定するために与えられる数の組のことだ」

「……?」

 不思議そうに目を瞬かせる十兵衛に、クロイスは「そうだな」と顎に手をあてる。

「今、君はソファの上に座っている。私と数ミールの距離だ。でもそこの壁から見ると十ミール程はある。天井からだともっと違うな?」

「……私が今いる場所を、何かしらのあたいで客観的に称する物、ということでしょうか?」

「鋭いな」

 素直に褒められ、十兵衛は照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。

「ではそれを踏まえて。転移魔法……【転移テレポ】という魔法はね。転移先の座標を知らないと発動出来ないものなんだ」

「危ないから出来ない、という方が正しいな」と言い換えたクロイスは、転移魔法には【発動の前段階で一定の距離を保った網目状の魔力の糸を張り巡らせる】必要があること。そしてそれを参照して目的地の座標を割り出し、そこに目掛けて道を開いて送ることが転移魔法の一連の流れであることを伝えた。

「例えば、今私と君が座っている位置。ここを入れ替えるとしよう」

 クロイスが指を鳴らした瞬間、スイの隣に十兵衛が、ハーデスの隣にクロイスが移動した。

「周囲にはソファやテーブルがあるだろう? 今私は周辺の物も加味して転移魔法を発動したわけだが、それを知らないまま送って転移させた場合、君や私の身体がソファの一部になる可能性もあるわけだ」

「……え……」

「ちなみにソファに変わった部位は飛び出て死ぬ。今はスイがいるから、助けて貰えるかもしれないけどね」

「冗談でもやめてください」

 真顔で叱られたクロイスは「すまん」と素直に詫び、自分の頭上に小さな転移門を発生させた。

「さっきのは直接転移する物体転移だったが、このように門を開く事でより安全に通す方法もある。こちらは【転移門ゲート】という」

「カルナヴァーンが虫を連れてきていたのと似ています……」

「そっちはおそらく【召喚転移門サモンゲート】だな。召喚に応じる契約を果たした者を連れて来る魔法だ。自分の側にしかべないし、べる相手も限られる。【転移門ゲート】はこのように――」

 クロイスが十兵衛の頭上にもう一つ【転移門ゲート】を開き、そこに向かって皿に残っていた焼き菓子を一つ飛ばした。

 すると、クロイスの頭の上に空いていた【転移門ゲート】から先ほどの焼き菓子が落ちてくる。それを受け取る前にハーデスが自分の口の中に転移させたので、三人が唖然とした様子で見つめた。

「……ハーデス君が食べちゃったが、まあ術者がリンクを繋げた転移門であればなんでも通れるということだな」

「ちなみに転移門と物質が被っていても、転移門が優先されるから転移対象者に影響はない」

「そういうことだ。物体転移の方がより高度で、魔力消費も多いわけだね」

「そもそも転移魔法自体が物凄く魔力を使うらしいんですけどね」

 三人の言葉を聞き、「それはつまり」と十兵衛は並んで座るクロイスとハーデスを見つめた。

「転移魔法を使える者自体が、破格の者であるということか……」

「御名答」

 にっこりと笑ったクロイスの隣で、ハーデスが腕を組んでみせた。

 あんぐりと口を開けて言葉を失っている十兵衛の前で、「で、さっきの話の続きだが」とクロイスがハーデスに話を振る。

「君の転移魔法の限界性を見せてくれ、と言ったらどうする?」

「……お前がどれ程の物を求めているのかは分からんが……」

 ハーデスが指を鳴らした。

 瞬間、十兵衛は急に浮遊感を感じてぞわりと背筋を震わせた。


 空だ。


 気付けば、空に浮いていた。

 沈思の塔の会議室ではなく、十兵衛とスイ、クロイスは、ハーデスの転移魔法で別の場所に転移させられたのだ。

「な……!」

 眼下には広大な森が広がり、木の一つ一つがマルー大森林で見たそれより格段に大きい。

 中心に位置する場所には天にも届かんばかりの巨大な大木が生えており、十兵衛は信じられない光景に目を見開いた。

「エルフの国、フィルフィオーレ王国だろ?」

 ハーデスが再び指を鳴らす。

 急激に視界が変わった。今度はごつごつとした荒れ地に湯気の立つ、山々の連なる山地に飛ぶ。

 麓には人が住んでいるのか大きな石造りの城が建っており、一つの山には中に何かあるのか巨大な門がついていた。

「ドワーフの国、ロックラック王国」

 三度みたび、ハーデスが指を鳴らす。

 更に変わった視界の先には、堅牢な山の中に刳り抜かれたかのような盆地に広がる、巨大な都市があった。

 聳え立つ城はオーウェン公爵邸よりも遥かに大きい様相で、その周囲を多くの魔法使いが身一つで飛んでいる。

「レヴィアルディア王国の、王都レヴィアタン」

 もう一度ハーデスが指を鳴らすと、十兵衛達は元の沈思の塔に帰って来ていた。ソファに座ったまま先ほどと変わらない状態で強制的に戻され、十兵衛もスイも目を白黒とさせる。

 その中で、クロイスだけは片手で顔を覆い、くつくつと笑いを零していた。

「四人の物体即時転移でワールドツアー!? まったく、やってくれる……!」

「望みとあらばガデリアナ大陸もいけたが、敵対している以上命の保証がないと思ってやめておいた」

「良い判断だ。いやはや、これは信じざるをえない。君の魔力はどうなっているんだ?」

「カルナヴァーンには、『内に生きる者は外周が見えない』と告げた。座標もわざわざ測る必要がない。全て見えているからな」

「つまり、君であれば直接ヨルムンガンドに兵を転移出来ると?」

 指の隙間から鋭い視線で見てきたクロイスに、ハーデスはぎろりと睨み返す。

「言っただろう、そういうのは無しだ。律の管理者としてそこの線引きはさせて貰う」

「……分かった」

 小さく笑って嘆息したクロイスが、静かに立ち上がってハーデスに向かって胸に手をあて、深く頭を下げた。

「これまでのご無礼、大変失礼致しました。神をも星をも超える、偉大なる超越者【死の律】のきみ

「畏まる必要はない。今まで通りでいい」

「何故、とお聞きしても?」

「すでに十兵衛にそれを許している。お前達に許さない理由もない」

 それを聞き、チラ、とクロイスが十兵衛に視線を送る。

 十兵衛としては、諸々の事情で巻き込んできたハーデスに怒って、敬意も何もあったものではなかったのだ。ただ、それを踏まえたとしてもクロイスが偉大なる存在へ敬意を表する在り方を見ると自分が間違っているように感じて、「私は、その……」とまごつく。

 だが、クロイスはそんな十兵衛の心情を知ってか知らずてか、「ではそうさせて貰おう!」とハーデスの提案を飲んであっさりと空気を変えた。

「この世で転移魔法で語り合える相手が出来るとはね。しかも私よりも遥かに上と来たものだ。向上心が刺激されるよ」

「それは何よりだ。……で? 私達の話は信じて貰えるのだろうか」

「あぁ、信じるとも。その上で君達は私に何を望む?」

 席に座り直したクロイスが、足を組んで頬杖をつく。

 ごくり、と生唾を飲みこんだ十兵衛は、ハーデスの視線を受けて頷き、ゆっくりと口を開いた。


「――魔石の文明の、終焉を」

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