第19話

 クロイスとスイ、十兵衛とハーデスが脚の短いテーブルを挟んで向かい合わせのようにソファに座る。

 焼き菓子や層になっている果実の生菓子。十兵衛が見たこともない、可愛らしく美味しそうな菓子の数々が三段に皿が置ける台の上に並べられ、かぐわしい香りの茶が美しい器に注がれた。

 目の前に置かれた『この世界の豊かさを象徴するような品々』に改めて感嘆の息を吐きながら、十兵衛は退出するロラントを見送る。

「さて。改めてになるが、本当にありがとう」

 頃合いを見計らって、クロイスが再度礼を述べて頭を下げた。倣うようにスイからも頭を下げられ、十兵衛はおろおろと狼狽した。

「頭をお上げになってください。先にも述べましたが、私は成り行きでこうなっただけで……」

「自身には過分すぎると?」

 頷く十兵衛に、「とんでもない」とクロイスは笑った。

「二百年人類が討てなかった魔将を討ったんだ。領主のみならず、王国民としても心より感謝しているよ」

「二百年……」

 何度聞いても果てしない年数だ。ごくりと喉を鳴らす十兵衛の様子に、不思議そうに目を瞬かせたクロイスがスイに視線を送る。

 それを受けたスイは、父の疑問はさておき、十兵衛のために「簡単にご説明しましょうか」と口を開いた。

「レヴィアルディア王国を含む、人類が住まう大陸を【ウェルリアード大陸】と言います。対して、魔物の国、ヨルムンガンドを含む大陸を【ガデリアナ大陸】と呼び、二つの大陸の間には【レムリア海】という大海があります」

「確か……トルメリア平野というところだけが陸続きと聞いたな」

「えぇ。魔物達は長年、トルメリア平野からウェルリアード大陸に侵攻しようとしています。そこを、レヴィアルディア王国の騎士達が食い止めているわけです」

 騎士という言葉に対し、ハーデスから「侍のような、戦いに秀でた者達のことだ」と注釈が入った。

「人類と魔物の戦いは五千年に及び」

「ご、ごせん……」

「レヴィアルディア王国は建国二二〇五年になりますので、その大半が戦いの歴史で……ここまでは大丈夫ですか? 十兵衛さん」

 愕然とする十兵衛に、気づかわしげにスイが伺う。

「お前の所だってすでに千年は軽く超えているだろうが」と呆れたように肩を竦めたハーデスに、「いやっ、だがっ……ええっ……!?」と十兵衛が戸惑いの声をあげた。

「よく生きているな人類!」

「あはは。魔物の生殖能力が低いことや神官の存在など様々な理由はありますが、魔物はレムリア海を越えられない、という所が一番大きいと私達は見ています」

「アレンは飛来する魔物がいると言っていたぞ?」

 首を傾げるハーデスに、「高度の問題だな」とクロイスが言葉を継ぐように告げた。

「大陸と大陸を線で結んで、ほぼ中央。レムリア海の中心に位置する場所には、【星の裂け目ステラ・クラック】と呼ばれる目に見えない境界がある。一説には神が人と魔物の住まう地を分ける基準にしている場所だと言われるが、何故か魔物はそこに近づくと心神喪失しんしんそうしつを起こすんだ」

 カルナヴァーンが「精神を狂わされる」と言っていた言葉を思い出し、ハーデスは眉根を寄せた。

「東西南北、どれくらいの長さに至っているかは人も魔物も分かっていない。だが高度だけは知れたようで、飛翔能力の高い魔物などは稀にこちらに飛来してくるようになった、というわけだ」

「この大陸にいる魔物は、そうして飛来してきた魔物の子孫だとも言われています。だから、トルメリア平野で戦っているような魔物よりは比較的脅威度は低い方なのですが……」

「故にこそ、カルナヴァーンがこの大陸にいるのはおかしい、と」

 ハーデスの言葉に、スイが強く頷いた。

「カルナヴァーンは、こちらの大陸に招いた者がいる、というようなニュアンスで話していました。飛行手段を使わず、秘密裏に安全にこちらの大陸に忍び込む。そんな事が出来る魔法は――」

「転移魔法しかない」

 クロイスとハーデスが、同時に口にする。

 ぽかんとした様子で話を聞いていた十兵衛は、そこで「ん?」と小首を傾げた。

「ハーデス。お前、転移魔法とやらを使っていなかったか?」

「あぁ、風魔法を受け流すのに使ったな」

「……転移魔法を、戦闘中に即時使用出来る練度があるのかね」

 すっ、とクロイスの目が細まる。瞬間、その場の空気が一瞬にして冷え込み、十兵衛は腹の底から根源たる恐怖が湧き上がってきたのを感じた。――クロイスの殺気だ。

 咄嗟に丹田に力を入れて堪えた十兵衛は、クロイスとハーデスの二人にきょろきょろと視線をやる。

「練度、という表現は間違っている。そもそも練習もしていない。私は理に沿って発生させているだけだ」

「そこら辺はどうでもいい。重要なのは、君が招いた者か、そうでないかということだ」

「ないですよ!」

 一触即発の空気になりかけた所を止めたのは、スイと十兵衛の重なる声だった。

「ハーデスはそんな男ではないです!」

「そうですよ! もし招いてたとしたら、堂々と身を現して転移魔法をポンポン使うわけないじゃないですか!」

「いや、ええ……? お前、その疑いも兼ねて私の元に連れて来たんじゃないのか?」

「そういう見方も出来なくもないですけど、全然違います!」

「ぜーんぜん、違います!」とダメ出しをするように顔の前でバツ印を作ったスイに、殺気を引っ込めたクロイスが眉尻を下げた。

 クロイス・オーウェンは、レヴィアルディア王国でも屈指の大魔法使いである。

 魔法使いも剣士も絶対に勝てないというのが通説であり、歴代オーウェンは領主の身でありながら、王国の最終兵器とも称される実力を兼ね備えているのだった。

 つまり、クロイスが勝てない存在は王国の誰もが勝てない。そういった意味で、一番脅威と思われる人物を最短かつ穏便を装って娘が連れてきたと思っていたクロイスは、まさか否定されるとは思わずがっくりと肩を落とした。

「魔石の使用用途の明示と、お父様の協力が必要だと思って来て頂いたんですよ」

「協力ぅ?」

「十兵衛さん、ハーデスさん」

 目を瞬くクロイスの前で、スイが姿勢を正して二人に問う。

「お二人がどこからいらっしゃったか、お伺いしてもよろしいですか?」

 スイの言葉を受けた十兵衛は、隣に座っているハーデスと視線を交わした。

 胸は、決まっている。促すように首肯し、「ハーデスに一任する」とだけ告げた。

「分かった。――スイ、そしてクロイス。これから話すことは、この星どころか在する次元よりさらに上の、高次元領域に生きる者が長き生においてようやく得る世のことわりだ。心して……」

「すと、ストップ」

 ハーデスの口上に、頭を抱えたクロイスから制止がかかった。

 きょとんと赤い目を瞬かせるハーデスに対し、クロイスは「新しい宗教勧誘? え? 高位神官のうちの娘が?」とぶつぶつとぼやき、指を鳴らして姿を消す。

「あっ、もう! お父様!」

 ぷりぷりとスイが怒った所で、さほど待たずしてクロイスがぱっと転移魔法で戻ってきた。

「まったく話が読めんが、とりあえず場所は変えよう。秘密の話はそこがいい」



 オーウェン公爵邸には、『沈思ちんしの塔』と呼ばれる、扉も窓も無い塔がある。

 古くには初代オーウェンが魔法の精度の向上を目的とした、精神統一のために作られた塔と言われており、転移魔法を使える者しか中に入れないようになっていた。――クロイスが内密の会議にこの場所を選んだのも、そのためだ。

 塔自体に複数の結界魔法がかかっており、オーウェン公の許可なくして入れないよう改造も施されている。

 誰にも邪魔をされず見ることも聞くこともかなわず、密会をするならここしかないと言わしめる、偉大なるオーウェンの建造物。クロイスの手配で急遽掃除をされた塔の一室に転移魔法でやってきた四人は、古びた応接セットに座り直した。

 テーブルには先ほどの部屋にあった菓子と茶が同じく転移魔法で持ち込まれ、「ここに来たからにはおかわりは期待しないでくれよ?」とクロイスが苦笑する。

 掃除を待っている間に目を煌めかせてパクパクと菓子を食べていたハーデスは、その言葉にしょんぼりと肩を落とした。

「お前はそもそも遠慮をしろ……。どこにあの量が入ってるんだ」

「胃に入ってない。食べた先から星に還元している」

「え、ハーデスさんうんこしないんですか!?」

「ス~イ~!」

「医療従事者の前に令嬢だろう!」とクロイスから叱責が飛び、スイは慌てて口を閉じた。

 窓もないこの部屋の光源は、火を使わない【灯光球メルン】という光魔法だ。魔道具によって保たれている灯りに眉根を寄せながら、ハーデスはようやく話の続きを始めた。

「私と十兵衛がどこから来たのかを語る前に、まず、この星を有するような宇宙も次元も、複数あると考えて欲しい」

「複数……。それは、一次元や二次元といった次元のことか?」

「確かにそういった次元が無いとは言わない。だが私がここでいう次元とは、内包する魂の差で生じる次元だ」

 ハーデスは静かに語る。命に死が必ずあるように、魂もまた存在することを。

 輪廻転生を繰り返す魂には、魂の装い――ハイリオーレが纏われていく。他者から送られる好意、感謝、尊敬、憧憬といった思いの力がある一定の量を超えると、一部を翼と変えて魂は次元の狭間へ飛び立つ、と。

「魂の海――【リオランテ】。そこを通ることで魂は次の次元に至る。残ったハイリオーレはそこで魂の核として融合し、輪廻転生を経てまた新たなハイリオーレを纏う。そうして徐々に次元を上っていくわけだ」

「例えば、一番高次元に至った魂はどうなるんですか?」

「そうだな……個体によるとしか言えないが、次の命を自分で選ぶ者が多いな」

「自分で……」

 驚きに目を瞠るスイに、ハーデスが頷く。

「人気なのは星だ。この世界で例えるなら、小さな細胞や虫、草、魚、動物、人間など、そういった転生の経験をした者が今度はそれらを生み出し管理する側になってみたいと、星を次なる命に選ぶ」

「……君の話だと、星も死ぬとでも言いたげだな」

「その通りだ。星も死ぬ」

 二人は、思わず息を呑んだ。ハーデスの存在を受け入れていた十兵衛は、予想通りの答えに唇を引き結ぶだけで留まる。

「神は……」

「同様だ。死に違いはない」

「君のその視点は、一体どこからのものなんだ」

「その言い方は、神をも星をも超える者しか……」とクロイスが言いかけた所で、はた、と口籠った。

 ハーデスの空気が変わったのだ。それまでの雰囲気ががらりと豹変し、静謐さを湛えるような声色で「律の者だ」と短く答えた。

「はじまりの命が生み出したことわり。数多の次元にかかる万象の一切に律を巡らせ、これを『在る』と称し紡ぐ者。それを律の管理者という。私はその中でも死を司り、【死の律】そのものであり、それを管理する管理者でもある」

「死を、だと……!?」

「ハーデスとは仮の名だ。本来私に名はないが、必要に駆られたため十兵衛の世にある冥府の王の名を借りた。名に有する様々な意味が、私のような存在に合っていると思ったのでな」

「あ、俺の所のだったのか」

「てっきりこちらのものとばかり」と心配していた十兵衛が、こちらで同名の神がいなかったことにほっと安堵の息を吐く。

 そんな十兵衛を、クロイスは怪訝な目で見つめた。

「十兵衛君は、彼の話を信じているのか」

 荒唐無稽、嘘八百。そう断じてしまえば早い話を、十兵衛は当然のように受け入れている。

 その問いに対し、十兵衛は困ったように頬を掻くと、「実は私も、この星の人間ではないのです」と答えた。

「なんだと!?」

「そうなんですか!?」

 オーウェン親子が同時に驚いて立ち上がるのに対し、目の前に座っていた十兵衛がのけ反りつつ答えた。

「そうです。私は、え~……」

「地球だ十兵衛」

「そう。地球という星の、日本という国から参りました」

「にほん……」

「スイ殿と最初に会った時に着ていた服もこの打刀も、その日本のものなんだ」

 だから見たこともない服装だったのか、とスイが合点するように目を丸くする。

「ハーデスを信じるも信じないも何も、ここに私がいることこそが全ての証左です。もはや疑うべくもない」

「……その日本の、打刀、の性能が良かったからカルナヴァーンが斬れたのか」

「いや、違う」

 クロイスの問いには、ハーデスが首を横に振って否定した。

「同次元軸なら絶対に無理だ。スイが言っていた通り、普通の鉄剣では奴の身体は斬れなかっただろう。もしこの世界で同様の打刀を作ったとしても徒労に終わる。十兵衛がここより高次元領域にいたから出来たことだ」

「【次元優位】と仰っていたものですか?」

 馬車の中での会話を思い出したスイは、その時に出た単語を拾い上げるように呟いた。

「よく覚えていたな。そうだ。高次元領域の存在や物体が、低次元領域に移動することで起きる、次元を超えた優位性。これを【次元優位】という。十兵衛が着ていたあの着物はどんな攻撃も通らない破格の装備へと変わり、打刀はどんな物体をも斬り裂く武器へと変じた、というわけだ」

「存在……ということは十兵衛君もそうなっていると?」

 それについては十兵衛の方から訂正が入る。

「ここに来た時、諸々あってハーデスと殴り合いの喧嘩になりかけたのですが、私の拳の一撃が湖を割って」

「湖を…… 」

「対岸の木々を打ち倒しまして」

「……十兵衛君、魔法使いだっけ」

「いえ、侍です」

 頭が痛い、と眉間を揉み解すクロイスに、十兵衛が気遣いながら「それがあまりにも危ないので、ハーデスに無くしてもらいました」と告げた。

「ん? 無くしてはないぞ。そもそも次元優位は無くせん。一時的に移譲しているだけだ」

「は?」

「戻したい時は集中してみるといい。容易に戻るように調整はしてある」

「待て待て。何? 移譲って誰に?」

「あんな危ないものを!?」と詰め寄る十兵衛に、ハーデスが嫌そうに顔をしかめながら「お前が頼んだくせに」とぼやく。

「お前のハイリオーレのえにしから辿って、老化のせいで身体が動かんと嘆いていた百姓の老婆を見つけてな。【元気】という形に変換して一時的に移譲した。身体が軽いと喜んでいたぞ」

「お、おま……お前なぁ……!」

「使いづらいこと、この上ない……!」と頭を抱えた十兵衛に同意するように、クロイスもスイも沈痛の面持ちで頷くのだった。

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