第18話
遠景に見えていた巨大な屋敷が、いよいよ近づいて来た。
上空から見ていても大きいと思っていた十兵衛だったが、近づくとより一層その偉大さが際立つようだった。
歴史を感じさせる古びた灰色の塔に並ぶように、赤い石造りの豪邸が建つ。部屋数が多いのか壁面には多くの窓が並び、三階建てと思しき様式は高さも十分な程設けられていた。左右対称のような作りで横に広い公爵邸を彩るように木々や草花が植わっており、その整然とした美しさから庭師の腕が垣間見える。
そこに至るまでの水路
皆がスイに向かって「お帰りなさい~」だの「閣下、怒ってらっしゃいましたよ~」だのと、親しげに声をかける。
苦笑しながら手を振るスイに、十兵衛はそこでようやくスイが高位神官とは別の何かに属する者だと気が付いた。
「……今更な質問で申し訳ないんだが」
「なんでしょう?」
振り向いたスイに、十兵衛はごくりと喉を鳴らす。
「スイ殿は、高位神官以外にも何か肩書きをお持ちなのだろうか?」
ゴンドラがゆっくりと止まる。
両開きの大きな
「肩書き、――生まれ。そういう意味では、確かに私は十兵衛さんにお伝えしていなかったことがあります」
ソドムの手を借り、公爵邸に繋がる道へと降り立ったスイは、頭に被っていたウィンプルをおもむろに外した。
翡翠色の短い髪が風に踊る。
前髪がはらりと白い額を少し覆い、その下にある空色の瞳を細めて、スイは十兵衛とハーデスを振り返った。
神官の制服のスカートを静かに摘み上げて膝を曲げ、二人に向かって完璧な
「
「え……」
「公爵令嬢の、スイ・オーウェンと申します」
「どうぞ、お見知りおきを」
美しく微笑んでみせたスイに、十兵衛は愕然とした様子であんぐりと口を開いた。
オーウェン公爵はこのリンドブルムを治める領主で、すごい魔法使いで、竜の友の子孫で――と今まで得た情報がぐるぐると脳内を駆け巡る十兵衛に、ハーデスから「ちなみに公爵とは、天皇に仕える最高位貴族みたいなものだ」と教えられ、一気に顔が青ざめた。
「そ、そ、そうとは知らずこれまでのご無礼大変申し訳――」
「あーっと十兵衛さん! それは無しで行きましょう!」
「えぇ!?」
それは配下の者達に示しがつかないだろうと動揺する十兵衛に、スイはいつもの調子を取り戻して指を立てた。
「だって
「戦友……」
「だから、今までと変わらずお友達として接して下さい。――そして、」
「我が領民をお救い下さり、心より御礼申し上げます、英雄殿」と深々と頭を下げる。それに倣うようにソドムと騎士達も頭を下げ、スイとオーウェン騎士団から捧げられた最上の感謝を、十兵衛は一身に受けるのだった。
正門より内側に入ると、道に沿うように横づけにされた馬車が待ち構えていた。
これまで見てきた荷台が浮く馬車とは違い、こちらは車輪がしっかりと大地についている。
そんな黒塗りの光沢のある豪華な馬車の御者台から、一人の
「お帰りなさいませお嬢様。ようこそ、お客様方」
「ロラント!」
名を呼ばれたロラントは、にっこりと嬉しそうに笑い皺を刻んだ。
「十兵衛さん、ハーデスさん。彼はロラント・ベル。うちの執事長です」
白い髪と同じ色のふっさりとした髭を生やした老人を、スイが二人に紹介する。
「しつじちょう、」
「屋敷の家事の一切を取り仕切る者のことだ」
「ちょっと前までは
これにはハーデスが「
「とんでもないお方ではないか!」
一家の家長に代わって家政を取りしきる、つまり家事を
それを知って慌てて頭を下げようとする十兵衛を、スイとロラントが必死に止めた。
「大丈夫です! 大丈夫ですから十兵衛さん!」
「そうですとも十兵衛様! いち使用人の私にそのような……!」
「いやしかし!」
「いやいやいや!」
日本ではないのに日本のあるあるを再現しかけた所を、なんとか割り込んだソドムが収める。スイ達が馬車に乗るのを介助し、全員が乗り込んだのを確認した後、「ではロラント殿、後は宜しく頼みます」と疲労感の滲む顔で笑ってその場を後にした。
オーウェン公爵の屋敷には、特別な魔道具を持つ者のみが使える転移魔法の陣が存在する。広い庭園を一瞬で抜けて公爵邸の前に転移されるそれを使わず、わざわざ馬車で迎えに来たロラントにスイは不思議そうに問いかけた。
「おや? のんびりとしたご帰宅の方が宜しいかと思ったのですが、じいの余計なお世話でしたかな?」
悪戯っぽそうに片目を閉じたロラントに、スイががっくりと肩を落とす。
「やっぱり、お父様はもうご存じなのですね……」
「【
二人の会話を聞きながら不思議そうに目を瞬く十兵衛に、スイから「このリンドブルムには、【
「
「へぇ……」
「ちなみにカルナヴァーンも、それを使ってお前の打刀が鉄製であることを知ったんだぞ」
「そうなのか」
「鉄剣で討たれたのですか!」
御者台で驚いたように声を上げるロラントに、十兵衛がおずおずと頷く。
「打刀は切れ味がいいから、腕に覚えがある者なら誰でも容易に骨をも断つ。だからなんであんなに驚かれたのか、俺にもよく分からなくて」
「カルナヴァーンの【
「次元優位だ次元優位」
スイとハーデスの言葉が重なる。二つの話を同時に耳にした十兵衛は、「プロ……じげ……」とぼんやりと呟き、その内理解したのか一気に眉根を寄せ、隣に座っているハーデスの頬を強くつねった。
「おい、なんだ!」
「お前な! そういう大事なことは早く言え! 危ないだろうが!」
「後で説明すると言っただろ!」
「遅い! あ、という事はあれか!? 着物もか!?」
「あぁそうだ!」
「なんなんだ一体!」と十兵衛の手を振り払いながらハーデスが憤慨する。「怒りたいのはこっちだ!」と罵りながら、だからライラやカルナヴァーンの蹴りが効かなかったのかと納得した。
次元優位で身体が格の違う生物になるなら、武器と防具は破格の装備へと変じる。アレンに「臭い」と
ともあれ、と打刀に視線を落とす。
なんでもかんでも切れるというのは危なっかしくてしょうがないが、スイが言うように「普通の鉄剣では出来ないこと」がこの打刀で出来るのは捨てがたい。「持ち主である俺が気をつければいいことか」と思い、ひとまずこれに関してはハーデスに次元優位を解いてもらうのは保留にしようと結論付けた。
「その打刀の不思議も、後で教えて貰えるんですか?」
興味津々といった風に問うスイに、十兵衛は深く頷く。
「勿論、全部話すとも。大切な友に隠しごとなどしない」
優しく微笑んでみせた十兵衛に、スイは虚を突かれたように目を丸くし、ぱっと頬を赤らめる。
それを隣で見ていたハーデスが、「私とスイで扱いの差がありすぎでは?」と頬をさすりながら呟き、「当たり前だ馬鹿たれが!」と十兵衛に怒られるのだった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「いらっしゃいませ、お客様方」
オーウェン公爵邸のメインエントランスに、メイドと執事達がずらりと並んでいた。
天井を飾る豪奢なシャンデリアは窓から差し込む陽光を反射して煌めき、品よく並べられた調度品の数々はどれも一級の品ばかりだ。中央から左右に分かれて湾曲するようにある階段は広間と同じく赤い絨毯が敷かれており、手すりは斑紋の美しい大理石でできている。
その全てを目をまんまるにして固まって見ていた十兵衛は、はっと気が付いたことがあって思わず自分の足元を見た。
「土足でいい」
先んじて予測された疑問に答えたハーデスに、「えぇ!?」と十兵衛が声を上げる。
「だってこの敷布、どう見ても寝具より柔らかいんだぞ!?」
「だが、ここは土足でいい。気になるなら浮かせてやろうか?」
「カルド村でも気にしてらっしゃいましたもんね。十兵衛さんの故郷は、お家の中は土足厳禁だったんですか?」
「あ、あぁ。家に上がる前は、草鞋を必ず脱いで入っていた」
まごつきながら頷く十兵衛を見たスイは、ふむ、と顎に手をあてる。
そうして何を思ったかおもむろに靴を脱ぎはじめると、扉の側に揃えて置いた。
「お嬢様……!」
驚くメイド達を制し、「よければ、十兵衛さんも!」と笑いかける。スイの意図するところに気が付いた十兵衛は、申し訳なさそうに眉尻を下げながらいそいそと慣れない靴を脱いだ。
「わぁ! 靴を履かずに歩く絨毯って、ふかふかで気持ちがいいですね! 初めて知りました!」
「この敷布は絨毯というのか」
「はい!
楽しそうに笑いながら先導するスイの後ろに、十兵衛がついていく。それを見送っていたロラントとハーデスが互いに目を合わせ、ふっと笑みを浮かべて同じように靴を脱いだ。
「私の目に狂いはなかったようだ」
「と、申しますと?」
「スイが善人ということだ」
「それはもう」と、ハーデスの賛辞を受けてロラントが相好を崩す。
「我々が心よりお慕い申し上げる、素晴らしいご令嬢でございます」
***
スイとロラントに目をやったが、二人ともニコニコと目を細めるばかりで何も言わない。「よく分からないが、合わせておけということか」と判断したクロイスは、指を一つ鳴らして履いていた靴を自室に転移で飛ばすと、十兵衛に歩み寄った。
「よく来てくれた。スイから紹介はあったかもしれないが、改めて。私がレヴィアルディア王国オーウェン領が領主、クロイス・オーウェンだ」
几帳面に後ろに撫でつけられた金糸の髪に、スイとよく似た空色の瞳。しかつめらしい表情はハーデスの雰囲気にもよく似ており、年相応の皺が刻まれているものの姿勢は凛として揺るぎない。
為政者とはまさしくの在り方に、十兵衛もすっと居住まいを正した。
「あ、」
「えっ!?」
そこからてらいなく床に膝を折った十兵衛は、そのまま手をつきクロイスに向かって深く叩頭する。
「私は
しん、と辺りが静まり返った。
違和感を感じた十兵衛がおそるおそる頭を上げると、あわあわと慌てるスイと驚いた表情のクロイス達が、じっと十兵衛を見つめていた。
もしやこちらではこの礼の尽くし方は違うのかと思い至り、かぁっと顔を赤くする。
しかし、その様を見つめていたクロイスはふっと目を細めると、未だ膝を着いたままだった十兵衛の前に自らも膝を折った。
「最上級の礼を尽くして頂き、感謝する。私の方こそ、こうあらねばならなかった」
そう言って、クロイスは十兵衛に
「民と娘を救ってくれたこと、このクロイス・オーウェン、心から御礼申し上げたい」
息を呑んだ十兵衛の前で、クロイスの低く柔らかい声が、「ありがとう」と染み渡るように響くのだった。
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