第17話

 リンドブルムは、中央から外側に向けて僅かに高低差がある。元々は中央区画のみで成り立っていた都市のため、本来は無かったはずの高低差だ。

 人口の増加と共に増えた区画から大幅に広がっていく都市の様相に、初代オーウェンは予定になかった新たな建造物の建造を余儀なくされた。

 巨大な水上エレベーター――【パムレ】。段々の形ではなく一つの煙突状になっているこの水上エレベーターは、初代オーウェンが晩年に設計、ドワーフ族の協力の元作られたものだという。有室閘ゆうしつこうを採用しているパムレは、水を溜めて船を上層に上げる形だ。

 ふんだんに配したアダマンタイトと魔法の相乗技術で超高水圧にも耐えうる頑丈さを誇り、ゴンドラ五十艘程度であれば優に運べる広さもある。南西と北東に在するパムレは、建造二百五十年が経った今でも現役の破格の代物だった。

 上層に上がるエレベーターはこれだけではない。下層から上層に向けて城壁に沿う形で設置されている【ポトラ】という小型のエレベーターもあり、こちらは水力を利用した歯車の力で一気にガラス張りの箱を引き上げる建造物となっていた。

 どれもこれも、十兵衛の知識には一切ない高度な技術の建造物だ。前方に壁のように聳えるパムレと城壁に沿うように上がっていくポトラを交互に見ていた十兵衛は、やがて「あれは、無理だ」とポトラに目をやりながらぽつりと呟いた。

「ん? 十兵衛君は高い所が苦手なのかい」

「まさか! 私達郵便大鷲ポスグルに乗っ……コホン。そうなんですか? 十兵衛さん」

「大丈夫だとは分かっているんだが、あの綱が切れたら一巻いっかんの終わりというのがどうも……」

「ケーブルという。鋼鉄で出来ているから、そんな心配はまずいらないと思うぞ」

「万が一に備えて【飛翔フライ】をかけられる魔法使いも控えているけどなぁ」

 ハーデスとソドムの諭すような言葉を聞いても、十兵衛は引き攣ったような表情を浮かべていた。それを見ていたスイは、ソドムに近くの水上屋台へとゴンドラを寄せて貰って、一枚のパンフレットを手にとった。

「では、パムレで劇を見ながら行きましょう!」

「劇?」

「お嬢様……」

 思わず頭を抱えた。ソドムが迎えに来たのは、迅速にオーウェン公爵の元へ十兵衛達を連れていくという意味も兼ねていたのだ。そんな主の意向に逆らう形で提案してきたスイに、ソドムはじと目を向ける。

 だが、当のスイは「ちょっと遅らせていった方がいいんですよぉ」と笑いながら、十兵衛にパンフレットを手渡した。

「『リンドブルムと魔法使い』?」

 日本語とは違う知らない文字ながらも、ハーデスの権能で読めるようになっていた十兵衛は、大きな書体で書かれている題字をそのまま口に出して読んだ。

「はい! この都市の創成のお話ですよ。パムレは上層に至るまでそこそこ時間がかかるので、ここではよく劇を公演しているんです」

「リンドブルムとはこの都市のことでは?」と不思議そうに首を傾げる十兵衛に、「元は竜の名前なんですよ」とスイが答えた。

「竜! こちらにも竜の伝説があるのか」

「こちらって……えっ!? 十兵衛さんの故郷にも竜が!?」

 身を乗り出して聞いてきたスイに、十兵衛がのけ反る。「危ないですから、席にお戻りになってください」とソドムに窘められて渋々戻ったスイだったが、その目は未だきらきらと輝きに満ちていた。

「スイ殿は竜が好きなのか」

「はい! 元々は母が生粋きっすいの竜好きだったのですが、それに影響された形でして。血は争えないということですね~」

 えへへと照れくさそうに頭を掻きながらスイは笑う。

「十兵衛さんの所は、どんな竜がいたんですか?」

 チラ、とハーデスを横目で見た十兵衛は、彼が肩を竦めて何も言わないことから「軽くなら構わないか」と判じて語り始めた。

「こちらでは伝説上の生き物とされていた。竜神、竜王、色んな呼び名はあったが、俺の所では大体が水を司る水神として祀られていたな」

「わ、偶然ですね! リンドブルムも水竜だったんですよ」

「そうなのか」

「はい!」

「この都市の創成に関わった竜です」とスイは嬉しそうに語る。

類稀たぐいまれなる腕を持つ、大魔法使いオーウェン。彼と友である水竜リンドブルムが、この都市を作ったと言われているんです。大ベストセラーの絵本にもなってるんですよ!」

「本にまで……! しかし、何故竜と魔法使いが?」

「そのお話は、これからパムレの劇場で観ましょう!」

「劇場……?」

 スイが案内するように腕を広げた瞬間、壁のように聳え立っていたパムレの水門が内側に向けて大きく開かれた。

 吸い込まれるように進む多くのゴンドラの中で、ひときわ装飾の派手な大型の船が十兵衛達の側を横切るようにして入っていく。

 その船に向けて、わぁ! と盛大な拍手が送られた。あまりの大音量に驚く十兵衛の視線の先で、甲板に出てきた三人の人間が大きく手を振っていた。

「運が良かったな、十兵衛君」

「運?」

 楽しそうなソドムの言葉に、十兵衛は目を瞬く。

「劇場艇に乗っている三人。あれはリンドブルムでも腕利きの魔法使いトリオ、【ツリーメイト】という冒険者チームだ」

「ぼ、冒険者は劇もするのか!」

「外から来た人は、皆そうやって驚くよ」とソドムは苦笑した。

「魔法使いは人々を助けることで得た感謝や、偉業を果たして名を馳せることで【星の原盤げんばん】の導きを授かり、その実力を伸ばすからな。この劇場は魔法使い達が名を馳せるのにもってこいというわけだ」

 ソドムの言葉に、はっとハーデスが目を瞠る。注視するように劇場艇の三人を見つめ、内に宿るハイリオーレの耀きを知った。

「特に【ツリーメイト】はこの劇場で名を知らしめた人気のチームだからな。すごいものが見られるぞ?」

「なるほど、だから運がいいと」

「そういうことだ。ここまで来たならもう、じっくり堪能していくといい」

 パムレの一番奥まで進んだ劇場艇を囲うように、ゴンドラが動き始める。

 漕ぎ手達が上手に距離を取りつつ半円を描くように船体を横に向け、乗客が劇を見やすいように努めた。背後にある水門が閉じ、広々とした真四角の空間に水が揺蕩っているだけの状態となったパムレの中で、全員の視線が劇場艇に注がれる。

 青色の鮮やかで布地がはためく服を着た背の高い男と、黒く上品な衣装をまとった男。浅黄色のドレスを着た小さな女が、そこにはいた。

 三人はパムレに集った観客達にうやうやしく頭を下げると、揃えるように指をぱちんと鳴らす。


 瞬間、大量の水が空に駆け上がった。


「な!?」

 慌ててゴンドラのふちを掴んだ十兵衛の目の前で、水が意志を持ったようにうねる。その水に纏わりつくかのように青々とした蔦が絡まり、色とりどりの光が照らして空中に『リンドブルムと魔法使い』の文字が鮮やかに浮かび上がった。

「ようこそ皆々様、水の都リンドブルムへ!」

「これより演じますは、古くからリンドブルムに伝わる、この都市の創成のお話です」

「絵本で読んだ? もう耳たこ? そんな貴方にこそお見せしたい!」


「水の魔法使い、ウィル・ポーマンと!」


「木の魔法使い、ダニエラ・ココと!」


「光の魔法使い、ジーノ・ロヴェーレによる魔法劇場!」



「どうぞ最後まで、ごゆるりとお楽しみください!」




 ◆◆◆



 ――昔々ある所に、一人の男がおりました。


 彼の名はオーウェン。偉大なるオーウェンと呼ばれた、当代随一の素晴らしい魔法使いです。


 彼は世界中を旅して周り、魔法の研究を深めると共に、困りごとがあれば行く先々で人助けをしておりました。


 そんな彼は旅の道中、一匹の竜と出会います。


 竜は、水の魔法がとっても得意な竜でした。しかし、数多の魔法を操るオーウェンも負けてはいません。


 オーウェンの勇名ゆうめいを耳にしていた竜は、オーウェンに水魔法での決闘を願いました。


 水竜の二つ名を持つその竜は、自分の水魔法こそ一番なのだと、オーウェンに見せつけたかったのです。



 ◆◆◆



「……十兵衛、口が開いてるぞ」

 ハーデスの指摘にはっとした十兵衛が慌てて口を閉じた。けれども、目の前で繰り広げられる魔法の大乱舞に再び口が開いたままになる。

 呆れた様に溜息を吐かれたが、そちらに気をやる余裕がまったくなかった。

 語り手の言葉に合わせて、水の魔法が形を作る。竜となったそれに骨格を添わせるように木が這い、彩るように光が入れられ、鮮やかな光景がまるで絵画のように空中に描かれた。

 時折飛んでくる波飛沫も、木の魔法から落ちて水に浮かぶ新緑の葉も、星々の煌めきのごとく眩く光る魔法も。何もかもが刺激的で、十兵衛は言葉にならない感動が胸に宿るのを感じた。

 何より、流れる音楽がこれまた素晴らしかった。

 劇場艇から響き渡る音は弦楽器の音色が多かったが、どこか郷愁を覚える軽やかな拍子に心が躍る。

 深く、広く、鮮やかだ。親しみの無い音にも関わらず、立体的に広がる音色の全てが心地よく耳に染み渡る。

 ――こんな世界があるのか。こんな音楽があるのか!

 十兵衛は、感動に打ち震える胸に手をあて、ぎゅっと拳を握りしめた。

 世界は違う。次元も違う。――だが、人だ。

 自分も彼らも、人なのだ。そんな彼らが示した可能性の豊かさを、十兵衛は食い入るように見つめた。



 ◆◆◆



 ――互いの魔法を消し去った後、竜は自ら『リンドブルム』と名乗りました。


 リンドブルムは、しょんぼりとした顔でオーウェンに言います。


「私は水が大好きだ。川も海も雨だって、堪らなく大好きだ。だから水の魔法を極めたのに、君に敵わないのがとても悔しい」


 そう言われたオーウェンは、楽しそうに笑いました。


「何、魔法は競うものでもない。困っている人を助けたり、楽しく見れればそれでいいのだ」


 偉大なるオーウェンと崇められても、オーウェンのその心はいつだって少年のようであったのです。


 いつでも楽しい魔法をという心がけに胸を打たれたリンドブルムは、「そうだ!」と声を上げました。


「私の大好きな川の一つに、パルメアというものがあるんだ。どうだろう、君と私で、そこに街を作ってみないか」


 壮大な話に、オーウェンは大層驚きました。


「街? どんな街を作るっていうんだい」


「水の街さ! 街中に水路が通っていて、私の大好きな水がいつだって見られて、そこに住む人々も水を大好きになれるような、そんな街に!」


「楽しい街になると思わないかい?」と笑ったリンドブルムに、オーウェンは「素晴らしい!」と声を上げました。


「リンドブルム、君の魔法と私の魔法があれば、きっとどんな事だって出来るだろう。たくさんの『楽しい』を、共に味わおうじゃないか!」


 そうしてオーウェンに、生まれて初めて竜の友達が出来たのでした。



◆◆◆



「……お前達……」

 ハーデスの呆れのこもった視線の先で、十兵衛とスイが号泣していた。

 魔法劇場『リンドブルムと魔法使い』はパムレの上層到達に伴い終幕となり、間もなく開かれる入口へとゴンドラが並び始めている。

「り、リンドブルムとオーウェンの別れが、辛すぎる」

「そうでじょう、そうでじょう十兵衛ざん! 毎回あそこで泣くんですよ私!」

「初見の十兵衛はともかく、スイは何度も見て知ってるんじゃないのか」

「でも耐えられないんです~!」

「竜だって一緒に住んでいいじゃないか!」

 わぁ! と顔を覆った二人に、ハーデスとソドムは顔を見合わせて溜息を吐いた。


 ――話の中で、リンドブルムとオーウェンは、見事水の街を完成させた。

 けれど、どれほど大きな水路を作ってもリンドブルムがすいすいと泳ぐと波が立ち、家々が流されてしまう。

 困り果てたオーウェンは水路に壁でも張ろうかと提案したが、それでは人々と水の触れ合いが減ってしまうとリンドブルムは嘆いた。

 そこでリンドブルムは、名案を思い付く。

「大好きな水と自分が一緒になれば、大きな体で波を立たせる事もなく、皆を運ぶことだってできるのでは」と。

 そうしてリンドブルムはパルメアの川に溶け、友を失ったオーウェンは大粒の涙を零してこう告げた。

「偉大なる名を遺すために、街に『リンドブルム』と名付けよう。私も領主として幾年月まで名を遺し、いつまでも君の側にいられるように」――と。


「ちなみに豆知識なんですが、オーウェン家の紋章には『竜と魔法使い』が描かれているんですよ」

「すごい……ちゃんと二人の意志が残っているんだな」

「そうなんです! オーウェン家頑張ったんですよ!」

「すごいなオーウェン家!」

 わいわいと語り合うスイと十兵衛を、ソドムが乾いた笑いを零しながら見守った。

 上層の水路側には、先ほど劇を上演していた魔法使い達が並んでいた。先んじて劇場艇から上層へと降り立った彼らが、カーテンコール代わりに水路を進んでいく人々へ感謝と紹介の声を上げる。

「先ほどご覧頂いた上演は、このウィルが! ウィル・ポーマンが仕切らせて頂きました!」

「いえ! この私、木の魔法使いダニエラ・ココが! 細やかな演出を担当しております!」

「なんの! 光の魔法使い、ジーノ・ロヴェーレの光魔法があってこそのえ!」

「どうぞ! この機会に名前を! 名前を覚えていってくださいませ~!」

 これでもかというほどの迫力で売り込む様に、さすがのハーデスも呆気に取られた。

「あれほどまでやる必要があるのか?」

「やるに越したことはない、という感じだろう。ファンが出来ればなおのこといいと聞く」

「なるほどな……」

 強い思いが必要というわけか、とハーデスは内心独り言ちた。

 ――魔法の成長にもハイリオーレが関わっている。

 魔法使いの在り方を聞いた時からそう推測していたハーデスは、確信を得たかのような思いで三人の魔法使いを長い間見つめていたのだった。

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