第16話

 活気のある大通りを行くというよりは、少し外れた小道をスイは好むようだった。家々の合間に縄を渡す形でぶら下がる洗濯物を頭上に眺めながら、十兵衛とハーデスは先を行くスイの後ろを歩いていた――そんな時だ。

 大通りに面した曲がり角から、灰色の鎧を身にまとった体格のいい男が道を塞ぐようにして現れた。

 強面の顔つきに、短く刈り上げられた薄黄色の髪。厳しく見据える赤茶の目は真っ直ぐにスイを見つめており、すわ荒事かと思った十兵衛が素早く前に出てスイを庇いだてるようにして立った。

「ソドムさん」

 が、どうやら杞憂であったらしい。「知り合いか」と問う十兵衛に、スイが苦く笑いながら頷いた。

「お嬢様。こそこそしたいお気持ちは分かりますが、リンドブルムにおいてそれは無駄だと、貴女が一番ご存じでしょう」

「お嬢……?」

「あーっとソドムさん! どうしてこんな所に!? 上層への道順でしたらばっちり覚えてますので大丈夫ですよ!」

 慌てるスイと不思議そうにする十兵衛を交互に見ていたソドムが、彼女の思惑に気が付いたのか深い溜息を吐いた。「いけないお人だ」と頭を抱えつつ、「お迎えと検閲です」と端的に告げる。

「検閲? 私達、【看破防壁ペネトレイトウォール】で異常検知されたんですか?」

「いえ、そちらは異常なしという報告が上がっております。閣下より『直接検閲を行え』という指令を個人的に賜り……」

 そこまで言った時だった。話しながら【看破ペネトレイト】を使って三人の様子を視ていたソドムが、十兵衛に目を止めて動かなくなった。

 言葉を失い、固まったソドムが見つめる先を視線で追ったスイが、合点したように頬を緩める。

「十兵衛さん。不躾なお願いで恐縮なんですが、ソドムさんに魔石をお見せして頂いても?」

 断る理由もないと頷いた十兵衛が、背負い鞄から慎重に魔石を取り出す。布にくるまれた魔石を掌にのせ、丁寧にめくってその全容をソドムに見せた十兵衛は、目の前の男が声もなく泣いていることに気が付いた。

 頬に幾筋も涙が伝い、開いた口からは震えた吐息が零れる。戸惑ったように「あの、」と問いかけた十兵衛を、上背のあるソドムが急に強く引き寄せ抱きしめた。

「うおっ!」

 魔石を取り落とさないように苦労する十兵衛の手から、「おい、危ないな」と苦言を呈しつつハーデスが受け取る。それを耳にして「すまない」と声に涙を滲ませながら謝罪したソドムが、十兵衛を解放して笑みを浮かべた。

「閣下は、これをいち早く私に伝えたかったのだな」

「……かな、と」

「後で心より御礼申し上げねば。……カルナヴァーンは、君が?」

 頷く十兵衛の隣で、スイが「十兵衛さんと、ハーデスさんです」と二人を紹介する。

「十兵衛君、ハーデス君。本当にありがとう。カルナヴァーンは、私の妻のかたきだったんだ」

「え……」

 目を丸くする十兵衛に、手の甲で涙を拭ったソドムが「さぁ」と促す。

「道中で話そう。水路を行く船を用意してありますので、お嬢様もご一緒に」



 桟橋から乗り込んだ画舫ゴンドラは、左右非対称の長い船体が特徴的な船だった。

 後方に漕ぎ手用の立ち場所があり、オールを持ったソドムがそこに立つ形で漕いでいる。屋根のない船の中央には赤色の柔らかい敷布で覆われた椅子があり、一列に二人ずつ、向かい合わせで計四人着席できる仕様になっていた。

 船が進む水路は広い。この船が十艘並んだとて航行可能な程に幅が取られており、深さもそれなりにあるようだった。物珍しそうに見ていた十兵衛が落ち着いた頃合いを見て、オールを漕ぎながらソドムが話し始める。

「君が討ったカルナヴァーンだが、寄生虫によって人から魔物に変わる被害は近年増加傾向でね。存在を確認されてからかれこれ二百年の間――」

「二百年!?」

 話の途中で十兵衛が大きな声を上げて中断させる。驚愕に慄く十兵衛がハーデスとソドムの顔を交互に見て、ハーデスに「まずは話を聞け」と窘められて口を噤んだ。

「あ、ああ。二百年間誰も討てなかったのを君が討ってくれて、本当に感謝していると伝えたかったんだ」

「いえ……。成り行き、と申しますか……」

「普通は成り行きで討てるような相手じゃない。よくぞ五体満足で帰ったなと、心から感心しているくらいだ」

 苦笑するソドムに、十兵衛はまごつく。おそらく自分だけでは討てなかったという自覚があるからだ。

 ハーデスの祝福と魔法。その二つがあってこそ――と思いかけ、ふと打刀に目をやった。そういえば、カルナヴァーンの魔剣を豆腐ばりに斬れた理由を聞いてなかったなと、昨日のやり取りを思い出した。

「先にも告げた通り、私の妻も寄生虫の被害者でね」

 静かな声色に、十兵衛は思考を止めて思わず後ろにいるソドムを振り仰いだ。痛みを堪えるような笑みに、胸がざわつく。

「八年前、海沿いの田舎町にある実家で妹が子供を産むからと、その手伝いに行っていたんだ。……その帰り道で、寄生虫に襲われた」

「……!」

「リンドブルムに帰ってきた彼女の魔物化を看破かんぱしたのは、私だったよ」

 心配して迎えに行った矢先のことだ。何かよくない魔法に知らず知らずの内にかかってはないかと、染みついた職業癖で妻に【看破ペネトレイト】の魔法をかけたソドムは、絶句したという。

「もう、内臓の殆どが魔物化の兆しを見せていた。カガイ神官長にも診てもらったが、間に合わなかった」

「そんな……」

「『人である部分が無くなってしまえばもう、奇跡で彼女は救えない』。あの方は、はっきりとそう判じて下さった。それを聞いた妻は――」

「自ら死を選んだのか」

 ハーデスの継ぐような言葉に、己の口から吐かずとも済んだことに感謝をしながらソドムは頷いた。

「愛しくて、むごい妻だ。私に討たれることを願った」

「何故だ」

「忘れないだろう? 一生。彼女は私のことを愛していたし、私も彼女のことを愛していた。でも、妻は心配だったんだ。私が新たな妻を娶る可能性を、ずっと案じていた」

「ひどい奥さんでごめんね」と笑ったのだと、ソドムは語る。

 夫の「忘れない」という言葉を信じるよりも、「忘れさせない」という最期の在り方で。ともすれば呪いにも匹敵する強烈な最期で、強くソドムの心に刻みついた。

「愛しい相手の記憶に強く残るために、自ら死を選んだのか」

「死に方と共に、ね。それから私はずっと、職務の合間に個人的にカルナヴァーンを追っていたんだが、それも今日で終わりだ」

「ありがとう、十兵衛君」と笑うソドムの顔を目の当たりにした十兵衛は、一瞬息を呑み、拳を握りしめて眉根を寄せた。

「ソドム殿。俺がカルナヴァーンを討ったのは、アレン・ナイルという少年の思いに応えたかったからだ。貴方の生きる理由を奪うためではない」

「……十兵衛君……」

 目を丸くするソドムを、十兵衛は強い視線で見つめた。

「奥方が望まれたのは、貴方の記憶に残ることだけだ。憎きカルナヴァーンを討てなどと、仰られてはいないのだろう?」

「そう……だが、でも」

「それは、二百年間人類が討てなかった相手に貴方が挑み、死んで欲しくなかったからだ」

「っ!」

「己の憎悪と奥方の思いを混同なされるな。共に死んでくれと願わなかった事こそ、奥方が貴方に生きて欲しいと望んだ証左しょうさなのだから」

 ソドムの目に、大粒の涙が浮かんだ。

 耐え切れないように零れた涙がゴンドラの船体に滲み、オールを持つ手に力がこもる。

 しばし沈黙し、言葉を失っていたソドムだったが、やがて頬を伝う涙はそのままに顔を上げ、晴れやかに微笑んだ。

「――ありがとう、十兵衛君。……ふふ。本当に愛しくて、惨い妻だよ……」




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