第14話

 ――どう伝えればいいだろう。


 十兵衛は、寒さにかじかむ手に吐息をあてながら、眼下の光景に言葉を失っていた。

 陽光の煌めきを反射する水源豊かな大運河。新緑の色合い鮮やかな平原にはちらほらと野生の馬が走っており、整備された街道には荷台が浮いた車輪の無い馬車がゆっくりと進んでいる。

 布を丸く球体のようにした母衣ほろに似たものが浮いており、それを人が引いて飛んでいく姿や、背に羽根を生やした馬がこれまた浮いた荷台を引いて勢いよく駆け去っていく所も見えた。

 八神城やがみじょう物見櫓ものみやぐらから見ていた景色とはまったく違う、不思議で、美しく目を奪われる光景が十兵衛の視界全体に広がっていた。

 ――目の見えない秀治ひではる様に、どうしたら伝えられる? 俺の持ちうる語彙では、この全てを言葉に出来ない!

 高揚した。

 頬が赤く染まり、丸々とした瞳は感動に震える。

 空は高く地は広い。地平線を望んだ十兵衛は、果てしない世界の広さに胸がいっぱいになった。

「十兵衛さん、高い所は大丈夫そうですか?」

 郵便大鷲ポスグルの背に乗っているスイから伺うように問われ、「あぁ!」と十兵衛は声を張り上げた。

「はじめこそおっかなびっくりだったが……今はそれよりも、この光景を目に焼き付けておきたい」

「よかったです! 空から見た限りだと、今の所オーウェン領も平和そうですね……」

 広大な景色を見渡しながらそう告げるスイに、横を並走するように飛んでいたハーデスが首を傾げた。

「オーウェン領とは、この見える範囲全てなのか?」

「あ、いえいえ! リンドブルムを中心とした箇所と、パルメア大運河沿いにある村や町の周辺を飛び地のように領地化しています」

「そんな運営が可能なのか」

 驚く十兵衛に、「お恥ずかしい話ですが」とスイが頬を掻きながら眉尻を下げた。

「領主は、領地の全域に治安維持の義務が課せられます。でもこの国は長年トルメリア平野で魔物と戦っていますから……」

「そうか。そちらに割ける人員が少ないわけか」

「はい。ですので、飛び地という形で治めているわけです。この地でも少なからず魔物は出ますし、人を襲う魔獣や動物などの脅威もあります。安全を求める人は税を払ってでも領主の管理下にある領地に住み、そうでない人は空域領くういきりょうに住む、というわけですね」

「もちろん、そこで町をも経営できる規模になると、国へ税を納める義務が発生しますが」とスイは苦笑した。

「ほどほどに持たざる者。己の人生を己で責任を持ち、自由に気楽に暮らす者達。空域領を好んで暮らす人達のことを、『ノア』というんですよ」

「へぇ……」

「でも町で換金や買い物をする時多額の税金を取られるので、実際はとっても少ないです」

「自給自足が必須なわけか」

「ですねぇ」

 魔獣や魔物と戦える腕を持ちつつ、畑仕事も狩猟も出来る。剛の者でないとノアにはなれないんだな、と、そんな風な感想を十兵衛は抱いた。

「私の記憶違いだと悪いんだが、ノアに近い冒険者というものが無かったか」

 顎に手をあてながら問うハーデスに、スイが肯定するように頷く。

「ありますよ! 冒険者は領に属するというより、各領地に在する冒険者ギルドに属する人々の事ですね。冒険者ギルドの所属は領ではなく、直接国が管理しています」

「冒険……」

「先ほど言った空域領なんかは、未知の草木や鉱石。新種の動物や魔獣との遭遇の可能性に溢れています。そういった所に足を運んで新たな知識を発見する、未知を既知とする方々の事を冒険者と呼んでます。危険に遭遇しやすい分魔物との戦闘にも長けてらっしゃいますから、腕っぷしが強くて学者肌の人が多いんですよ」

「どういう風に生活が成り立っているんだ?」

 冒険、ということは定住していないことなのではと十兵衛は思う。空域領に定住し自給自足で生活をするノアとは違い、それでは金も飯も得られないのではと疑問に思う十兵衛に対し、スイは「領地のお困りごとのお手伝いですね」と笑った。

「ギルドボードと呼ばれる掲示板に、冒険者ギルド経由で依頼書が張り出されるんです。領主の騎士達を呼ぶには大事過ぎるものや、空域領の採取任務。本当に力だけを求められる荷物持ちとか、そういった日雇いの仕事があるんです。そこでお金を稼いで、冒険に出て知識を得る。ギルドには宿泊施設もありますから、仮の住まいもありますよ」

「なるほど……。ノアよりは生活環境が整っているんだな」

「えぇ。ちなみに、有益と思われた知識は冒険者ギルドが編纂して本になります」

「え、すごいな!」

「はい! それが国中に回って知識の更新に役立てられるわけですね。カテゴライズ分けされて出版される本は特に人気ですよ~」

「遠方のレシピ本なんかは私も愛読していて」と楽しそうに語るスイの話を聞きながら、十兵衛はおもむろに眼下の光景を眺めた。

 この国でも戦争はある。けれど、十兵衛の住む日本のように細分化された国々での領土争いは無く、大国として在るレヴィアルディア王国内で各領地を任された領主達がしっかり領土運営をしているからこその平和なのかと、ぼんやり思った。

 広大な畑に生える作物が葉を揺らし、平原ではたくさんの牛を犬が追いかけている。

 ――豊かだ。

 十兵衛は、心からそう思った。

「日本でも全土の統一を果たせば、こんな風に変わっていくのだろうか」と、のびのびとした人々の営みを眺めながら、今は遠く果てしない故郷に思いを馳せるのだった。



 ***



「治安維持はこちらの仕事だろう」

「申し訳ございません。迅速さを第一に考えまして」

「それを判断するのはカガイ、君じゃない。私だ」

 オーウェン公爵邸の豪奢なメインエントランスを横切るようにして二人の男が足早に歩いている。すらりとした体形で上背のある男と、後ろに付き従う痩せぎすで猫背ぎみの中年の男だ。

 痩せぎすの男――カガイ・アノックは、歩調を併せようともしないままに前を歩く男――クロイス・オーウェン公爵が心底腹を立てている事を理解し、内心重い溜め息を吐いていた。

 オーウェン公爵邸に勤める執事、ロラント・ベルより、公爵令嬢が行方不明になったという一報がカガイの元に届いた。昨日の朝頃の事だ。

 一昨日の夕方に神殿より帰した旨は伝えており、ロラントの方でも「お帰りの時刻はいつもより遅かったですが、確かにご帰宅なされておりました」と告げられた。つまり、その日の夜から明け方にかけて、彼女が人の目を盗んでどこかに出かけたということである。加えて郵便大鷲組合ポスグルポートの一人の従業員から「あの、お嬢様がうちの郵便大鷲に乗って飛んでってしまったのですが」という報告が入り、リンドブルムは大わらわになった。

 神殿での諸々の事から彼女の行く所を把握していたカガイは、戻ってきたガラドルフに魔物の討伐を含めた保護を依頼。ディオネの町でカルナヴァーンの目撃情報を仕入れていたガラドルフが、万が一の事も考え討滅しうる冒険者の選別を行い、準備を万全に行って発ったのが今朝の話である。

 そのタイミングですれ違うように王都からクロイスが帰還したため、カガイは頭が痛かった。この男がいれば、遠征による時間の遅れなど考えるべくもない。もっと話が早かったのだ。

「貴方がいなかったから、こっちで判断せざるを得なかったんです!」とは口には出さず、カガイは静かに「申し訳ございません」と重ねて謝罪するに止めた。

「ま、ガラドルフの派遣はいい判断だった。私もその状況ならオーウェン騎士団よりガラドルフを主軸においた派遣を考える」

「左様ですか……」

「選出は、私と君と、ガラドルフの三人になるがな」

「…………」

 対カルナヴァーンを考えれば分からんでもないが、とカガイは白い目を向けた。大前提として、神官長を戦場に出すなど普通はあり得ない選択肢である。失った場合の損害が大きすぎるからだ。

 だが、この男はその不可能を可能にする実力を備えている。非常識すらも是と言わせてみせる男。それがレヴィアルディア王国当代随一の大魔法使い、クロイス・オーウェンという男なのだった。

 短い金糸の美しい髪は几帳面に撫でつけられ、空色の瞳は意志の強さが滲む。整った顔立ちは年を重ねたことで刻まれた皺が薄く配され、しかつめらしい顔はまっすぐ前を見据えていた。

 襟の立ったキャメルチェスターコートを羽織り、メイド達に大きく扉を開かせたクロイスは、その足で庭園に出るとカガイを振り返る。

「ともあれ、報告ご苦労。途中でガラドルフ達を拾ってカルド村まで行ってくる」

「ご武運を。お嬢様の無事も含めてお祈りしております」

「自分の首の無事も祈っておくといい」

 今度こそカガイは大きく溜息を吐いて、クロイスに向かって深々と頭を下げた。


 カガイの殊勝な態度にフン、と鼻を鳴らし、クロイスは一気にリンドブルム上空まで転移した。そのまま【飛翔フライ】の魔法で空中にとどまり、リンドブルム内でのみ使用可能である小型の魔道具の【通信機リンクス】で連絡を取る。

「ソドム」

『はっ!』

「カルナヴァーンが大量に人を魔物に変えていた場合、軍団戦が想定される。その場合はガラドルフ達だけでは荷が重いので、オーウェン騎士団も転移召集するつもりだ。戦闘準備を怠るな」

『畏まりました』

「ゴモラ」

『はっ!』

「カガイ神官長と連携を取り、大規模戦闘になる想定の元、奇跡による救助と【断絶の障壁】展開を詰めておけ」

『即座に対応致します』

「宜しい。では各員行動かい――」

 その時だった。クロイスはリンドブルムより西側の方から、パルメア大運河沿いに飛んでくる大きな鷲を目にとめた。

 そしてそれがリンドブルムに広く張られている【看破防壁ペネトレイトウォール】を通り、何が来たのか感知した瞬間――脱力してひっくり返った。

「かいさーーん! 解散でーーーす!」

『えっ!? 閣下!?』

『一体何が……』

「お転婆娘の帰還でーーす。大変お騒がせしましたお疲れ様でしたーー」

通信機リンクス】の向こうで、部下達がクロイスと同様にすっ転んだのか大きな音を立てたり乾いた笑いを零したりしていた。「ともあれ良かった」という風な空気が耳を通して伝わり、同意するかのように力無く笑った。

「困った娘め」と言いつつ、遠方より近づいてくる郵便大鷲ポスグルに目を眇める。

 改めて得た情報の真実を飲み込むように沈黙し、しばらく経って配下の一人であるソドムだけにもう一度通信を繋いだ。

「ソドム、聞こえるか」

『はっ! なんでしょうか』

「【看破防壁ペネトレイトウォール】の感知では異常なしと出ているが、一応君の方でも【看破ペネトレイト】の検閲を頼めるか」

『……? 私で宜しいので?』

「あぁ。西側の方より来ている。頼んだぞ。検閲後は速やかにと一緒に家に帰るよう伝えてくれ」

『畏まりました』

 ソドムの了解を得て、クロイスは通信を切る。

「まったく、何をどうしたらそうなるやら……」

「ともあれ」と、肩を竦めながら嘆息し、腰に手をあて口角を上げた。


「英雄の凱旋だ。盛大にもてなさないといけないな」



 ***



「間もなくですよ、十兵衛さん! ようこそ、水の都リンドブルムへ!」

 スイからの言葉に、十兵衛は「あぁ!」と明るく声を上げる。

 色とりどりの石造りの家々。屋根はどれも急勾配で天高く聳え、中央には大きな屋敷が見えた。

 多くの人々が行き交い、水路が通っているのか街を縫うようにして小舟が進んでいるのも見える。十兵衛にしてみれば城下町にしても信じられない規模と技術の建造物だった。


 パルメア大運河を跨ぐようにして裾野を広げる巨大な交易都市――水の都リンドブルムが、十兵衛の眼前に広がっていた。

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